前回の記事、1話でまとめようと思ったのですが、思いのほか長くなってしまったのと、続きはまた明日 という悠長な内容ではないので、本日は2本立てです。
さて、
こんな状態がなぜ、起きているかというと・・・
今後のわたし達の行く先を決めるために。
そのために
わたし達をふるいに入れて、ゆっさゆっさと揺さぶり、大幅な振り分けを行っている。
のです。
そこでブレずに自分としっかりと繋がっていて直霊の柱を垂直に建てていれば、別段、何事もないのですが、そこでブレて直霊の柱が傾いた状態になると・・・。
前々回の記事、『if~もしあの時』で取り上げた、無数にあるパラレルワールド。
このパラレルワールドに、其々が相応しい世界へと振り分けられる事になります。
相応しい・・・というのは、
その人の心の状態に最もよくあった状態。
ということ。
つまり、自分に起こった出来事や湧いてきた感情によって、
将来に対する不安を持てば、不安な将来が用意された世界へと。
怒りや悲しみに心が一杯になっていれば、怒りや憎しみが一杯の世界へと。
瞬時に振り分けられます。
それがいま、この時期に起こっていること。
もっと具体的にいうと
例えば、週刊誌によく取り沙汰されている、『放射能汚染』。
30年後の日本には『放射能汚染』によるなんらかの健康被害を受けた人が○割になる。
といった記事をみて、不安に駆られれば、恐らく週刊誌の記事が『適切』であったという世界にいるでしょう。
ようは、心一つ。
自分の目の前に提示された出来事に対して、ただ反応して、
今のうちに生命保険に入らねばっ
何かあったときのために、しっかりと貯金をせねばっ
と、
不安な将来に対しての対策せねば と、思ったその時点で、対策が役に立ってしまう
生命保険、入っていてヨカッタネ
という世界へと振り分けられるのです。
振り分けられる、というよりは、自分でその世界を選らんでいるわけですが・・・。
でも、ここでしっかりと自分自身に繋がり、『一霊四魂』の心、本質であれば、週刊誌がなんと騒ぎ立てようと、学者さんや権威のあるお医者さんがなんと警告しようと、別に心が揺らぐことはありません。
どんなに外から揺さぶりをかけられても、動じることはありません。
自分の本質は『幸せの心』 『幸御魂(さきみたま)』しかないのですから、不安な将来などありえないのです。
それなら
『もしも』のときのための備えや対策なんてする必要はないし、そもそも、そんな『もしも』のことを考える必要もないのです。
もし、何か備えや対策をする必要があるとするなら、
それはどんなことが起きても動じない自分。
どのような状態でもしっかりと自分自身と繋がっていられること。
直霊(なおひ)の柱を垂直に建てていられるようにすること。
そんな自分をしっかりと作る事。
それに尽きます。
今後、自分がどの世界を選ぶか。
自分のいる世界をどの世界に定めるか。
それはひとえに自分の心次第。
心一つ。
このことが今、ダイレクトに個人個人に問われています。
さて、あなたはどんな世界を選びますか?
選ぶのはあなた自身です。
もし、不安のない将来を選びたいのに、将来への不安を感じてしまうなら、そのときはそんな自分を非難したり責めたりなどせずに、ただ、不安があるというその心を認めて手放しましょう。
手放す方法はセドナメソッドを使ってもいいし、『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れる、という方法を使っても、どちらでも大丈夫。
とにかく、『一霊四魂』の心以外の心があれば、それを認めて手放す。
そして、ブレない様に自分の中心に意識を置き、自分自身としっかりと繋がるように心がけてください。
そうして、来年を飛躍の年として迎えましょう。
全ては心一つです。
今日も東京は冬ばれ。
クリスマス寒気なんでしょうか?今週に入って真冬の寒さが続きます。
そして、明日は冬至です。
冬至、夏至、春分、秋分、そして立春。
これらは季節のひと区切りとして、カレンダーに記載されていますが、実際はそれ以上にわたし達に影響を及ぼします。
ポイントとしては、季節のひと区切りというだけでなく、実際にはその辺りに全体のエネルギーが大幅に変わります。
もともとはこのエネルギーの変換期を知っていた、ご先祖達が暦に記載し、それぞれ、明日の冬至であればゆず湯に入ったり、カボチャの煮物を食べたりと、生活に密着した行事を取り入れることで、この日を『特別な日』としたのかもしれません。
そして、今、この時期。
先日の特別な満月から始まって、明日の冬至をピークに25日の新月にかけて、大幅なエネルギーの変換が起きているようです。
と、言われても、実際にこのことによって、わたし達に何か影響があるのか?あるとすればどんなことなのか?
ですよね。
一番の関心ごとは。
わたし達に何か影響はあるのか?
はい あります。
それも、今この時期においては特にわたし達、一人一人の今後の行く末を左右するような大きな影響が・・・。
人によっては、
体調を崩したりするくらいのことから、身近な友人や家族が突然、入院したり、事故にあったり、あるいは仕事でトラぶったり、などの外因的なものから、不意に、不安に駆られたり精神状態が不安定になったり、などの内因的なものまで色々と問題が起きたり。
あるいは、自分も家族や友人などにも特に何も起こらくても、ニュースや週刊誌、あるいはご近所や友人、知人を通して、将来への不安を感じさせるようなことを知ってしまい、いてもたってもいられなくなったり・・・。
と、
とにかく先日の『一霊四魂』にあるような至福と安らぎの心とはほど遠い状態に陥ってしまうこともあるでしょう。
こんな状態がなぜ、起きているかというと・・・
続きは次回へ
今回はかな~り重要な内容です。
とは、いってもこのシリーズ自体が非常に重要なのですが・・・
と、いうわけで、今回もよろしくお付き合いください
さて、本題。
今回は『直霊(なおひ)』の柱と『荒御魂(あらみたま)』に関してです。
わたし達は一人一人、自分を中心にして『一霊』といういわば、創造の根源へとぶっとい柱を建てて、その柱から無限の豊かさを得ているのですが、そのためにはこの『直霊(なおひ)』の柱を自分を中心に真っ直ぐに、垂直に建てなければなりません。
少しでも、ズレたり、傾いてしまうと『一霊(いちれい)』へと繋がることはできません。
そのためには、常に自分の中心に意識を置き、自分自身としっかりと繋がることが求められます。
そうして自分と繋がることによって、垂直に建てられた『直霊(なおひ)』の柱を通して無限の豊かさと創造力を得て、この創造力をもって様々な創造をします。
このとき、『全てそれで善い』という調和の心、『和御魂(にぎみたま)』でもって、心から湧き上がる、幸せに満ちた『幸御魂(さきみたま)』の想いで何かをしようと想ったとき、初めて『直霊(なおひ)』の柱を通してわたし達は其々が持つ才能を存分に発揮することができます。これが『奇御魂(くしみたま)』。
そして、『奇御魂(くしみたま)』の才能を使って成された行動が『荒御魂(あらみたま)』となります。
つまり、
『荒御魂(あらみたま)』とはただ、行動するのではなく、その行動のベースになるものが何か?によって、『荒御魂(あらみたま)』になるのか?否か?になるのです。
行動のベースとはつまり・・・
なんで、そうしたのか
という動機です。
この『なんで』が非常に重要
例えば、100万円を寄付したとしても、それが
他人からあの人は素晴らしいという評価や名声、名誉が欲しくて・・・。とか
教会や自分が信仰する宗教の教えだから・・・つまり、死後、天国に行きたいから・・・
といった自分以外の外側からの評価を得るためであったり、死んだ後、地獄に落ちないように、といった恐れの心などからでた思いでの行動であれば、それはどんなに素晴らしい行為であっても『荒御魂(あらみたま)』にはなりません。
だって、自分以外の外に評価を求める、ということは、『直霊(なおひ)』の柱は垂直に建ちませんし、恐れからの心であれば、それは本質(四魂)である『幸御魂(さきみたま)』ではありませんよね。
つまり、それは『本質』からはズレた行動である。
ということ。
『本質』に基づいた行動であれば、そこにある心は至福と安らぎの心だけ。
逆に、至福と安らぎの心以外で成された行動は全て『本質』からズレている。
ということになります。
だから、例えば、『保険』などは、『本質』にはそぐわないものです。
だって、幸せになりたくて加入するものではないですよね。
何かあったら困るという恐れや不安から入るものですから。
『備え』というのも同じ。
ウキウキ、ワクワクしたくてするものならいいのですが、万が一のときに備えて、といういわば、『保険』としての『備え』であれば、それは『本質』ではありません。
何かあったとき、困らないようにとするもの・・・
というのは幸せの心でも至福と安らぎの心でもありません。
そして今・・・
本質に戻ることが求められています。
本質に戻るためには、本質以外の必要のないものをどんどんと手放さないといけません。
そして、本質以外のものは手にする必要はないのです。
それなら・・・
保険も備えも必要はないのです。
だって、自分がしっかりと自分自身に繋がり、本質であれば、必要なものは必要なときに全て受け取れるのですから
だから、もしも・・・のことなんて考えなくてもいいし、そのために何かをする必要なないのです。
必要なことは、
自分自身が本質に戻ること。
本質に戻るには『一霊四魂』の心で日常を過ごし、自分自身としっかりと繋がり、『直霊(なおひ)』の柱を垂直に立ち上げて大いなる創造の源へと繋がる。
そして、『和御霊(にぎみたま)』の心とは違う心を感じたら、『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れてその心を至福と安らぎの心へと変換させる。
そうすることで、わたし達は本質へと戻ります。
本質に戻る、ということは至福の存在に戻る、ということ。
誰とも争う必要もなく、何者とも闘う必要もなく、何かを拒絶する必要もない。
不安も恐れもなく、全てが完全で至福と安らぎに包まれ、満たされてどんなことも自由にできる。
それが、私達の本質。
『一霊四魂』この心を、これからの皆様の指針に加えていただければ幸いです
前回に続き『一霊』についてです。
わたし達は一人一人が『一霊』である、大いなる創造の源、私達の魂の『根源』に『直霊(なおひ)』というぶっとい柱でもって繋がっています。
そして、この『直霊(なおひ)』の柱内には『一霊』からの無限の歓びと至福のエネルギーで一杯に満ち溢れています。
ここでワンポイント
あれはダメ、この人嫌い、という『全てはそれで善い』という、『和御霊(にぎみたま)』の心以外を感じたときは、
こんなこと思っちゃダメだ・・・
なんてジャッジをせずに、『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れる、というイメージ方法を使うと、迎え入れたものをゼロ、至福と安らぎのエネルギーに戻すことができます
これは、実は使い方によっては途方もなくスゴイことなんです
具体的には、
なんだかわからないけど、好きにはなれない人。
そんな人や、ある人に対して浮かぶ『嫌い』という具体的な感情などを、自分を中心にしてドーンと天へと向かってそびえ立つぶっとい光の柱をイメージして、その中に迎え入れます。
そして、何も考えずにただ抱きしめます。
その時に迎え入れた人物や感情をジーッと感じています。
すると、抱きかかえた人物や感情がドンドンと薄れて次第に透明になって消えていくのを感じれるはず。
そして、柱、というか自分の体内から温かくて幸せなエネルギーが湧いて満たされる。
そんな感じを実感できると思います。
いわば、自分のハートが物凄ーく大きく広がった感じ。
これは、自分の『直霊』の柱の中に相手を『善悪』の判断なく、迎え入れる、ということで、迎え入れた対象をゼロに戻すという作業をしているのです。
エネルギーがゼロに戻る、ということは、至福と安らぎのエネルギーに変わる、ということ。
つまり、『和御魂』以外の心をこの方法で自分の中に迎え入れて、ただ抱きしめるだけで、迎え入れたものがなんであれ、全てが至福と安らぎのエネルギーに変わる。
ということ。
それも、自分自身の中で
だから、この方法を使えば使うほど、自分を煩わせるイヤな感情も、嫌いな人も全~部が至福と安らぎに変わり、その心が増えれば増えるほど・・・
幸せですよね
さらににイヤな感情も、嫌いな人も無くなるわけですから、こ~んないいことはありません
このイメージ方法はセドナメソッドの代わりとして使えます。
いいえ
それ以上の効果をもたらします。
まぁ、このようなイメージを使う方法は人によって、得て不得手があるので、どーしても難しいという方はセドナメソッドをお使いください。
そして、このイメージ方法で『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れることができるのは、人一人や感情1個なんて小さなことは言いません
わたし達は一人一人が創造主の原寸大の分身。
と、いうことは・・・
その気になれば、この全宇宙の全てさえ『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れることができるのです
それも、過去も未来も関係なく
迎え入れたものは何であれ、全てが至福と安らぎのエネルギーとなり、自分自身と同化します。
あなたは何を迎え入れますか?
次回は・・・、あ、まだもう少し続くのでお付き合いください
ということで、改めて次回はこの『直霊』の柱を垂直に建てるということについてもう少し言及します。
さて、前回までの記事で四魂の各説明が終わりました。
今回は『一霊四魂』の『一霊』に関して、もう少し詳しく・・・。
一霊(いちれい)とは、大いなる創造主、神の分け御魂(わけみたま)である私達の魂の『根源』。
『根源』とは創造主そのもの。
そしてその『根源』へとは『直霊(なおひ)』というもので繋がっています。
これをわかりやすく例えると、
わたし達は魂の源、創造主へと、『直霊(なおひ)』という、いわば直通電でもって直接繋がっています。
直通電話、というと細い電話線を連想しますが、実際はぶっとい巨大な柱。
この柱がわたし達から創造の源へと立ち上がって、繋がっているわけです。
そしてこの柱、『直霊』を通してわたし達は、創造主から無限の創造力とあらゆる全ての豊かさを受け取っています。
ただし、創造の源と繋がるのは、この柱が垂直に真っ直ぐと立つことが大前提。
少しでも傾いてしまうと、創造の源に繋がることができず、別の『何か』に繋がってしまいます。
傾くというのは、自分の芯からブレてしまうこと。
また、自分以外の外側に何かを求めると『直霊(なおひ)』の柱は傾いてしまいます。
そして、傾いて、別の『何か』に繋がってしまうと・・・
無限の創造力も豊かさも受け取ることができません
だからその代わりとして、外に求め補おうとします。
それは、権力などの自分を優位にするためのパワーであったり、地位、名声、評価、愛情など自分以外の他からもたらされるもの。
そうなると、どうなるか・・・
奪い合い、競争が始まります。パワーゲームですね。
他人からの評価や名声、富あるいは愛情を求めて、他人よりも一歩でも前へ、一段でも上へと、競争し、そのために常に他人と自分の比較が始まります。
だって、他人と比較しないと、自分がいまどの位置にいるかわからないですものね。
そうして、他人と比べっこをして、
自分はなんてダメなんだ・・・とか
こんな自分なんて・・・
と、自分をジャッジするようになります。
自分をジャッジしだすと、当然、相手のことも同じようにジャッジをするようになります。
あー、あいつはまったく・・・
なんで、コイツは・・・
ってね。
あるいは他人に勝つことで、自分の存在を認めてもらおうとするのではなく、逆に自分をとことん貶めることで自分の存在を相手に認めてもらおうとします。
あの人、いつも不幸続きでかわいそうにね
というように・・・。
とにかく、相手に自分の存在を認めてもらいたいが上に、相手よりも優位に立つように競争に身を投じたり、逆に自分をとことん貶めることで相手の注意を引こうとします。
そして、相手の注意をより、引くために相手をコントロールしようとするし、また、自分自身も同じように誰かからのコントロールを受けるようになります。
そうして、何かに依存しないと生きていけない。という錯覚に陥ります。
何か、というのは、身近なパートナーであったり、家族であったり、会社や社会のシステムであったりと様々。
本当は競争などせずとも、誰かのものを奪わなくても、他人より優位にならなくても、全~部必要なものは自分で補えるものなんです。
それも無限に・・・。
本当は誰かをコントロールせずとも、誰かにコントロールされなくても、自由に生きていけるんです。
心のままに・・・。
そのためには『直霊(なおひ)』の柱を垂直にしっかりと建てること。
『直霊(なおひ)』の柱が垂直に立つ、ということは自分自身としっかりと繋がること。
傾くということは、自分以外の外に繋がってしまう、外に何かを求めてしまうこと。
自分自身としっかりと繋がることによって、『直霊(なおひ)』の柱は垂直に立ち、創造の源と繋がり、無限の創造力や豊かさを受け取ることができるのです。
それが『奇御魂(くしみたま)』となって想い想いの創造を成すことができるのです。
そして、わたし達がしっかりと自分自身へと繋がり、私達の魂の根源へと繋がることによって未来(さき)の不安も恐れも何もなく、ただ幸せ一杯の心『幸御魂(さきみたま)』となります。
で、『和御魂(にぎみたま)』ですが、こちらは少々長くなりますので、次回へ