地方の女たち

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MRJ 初飛行良いねぇ~

2015-11-11 11:30:27 | 最近のニュースから
朝のコーヒーを飲みながらテレビを付けると
国産初のジェットが滑走路に入り試験飛行を始めようとしていました。

テレビの「下町ロケット」となんか重なって、、、その飛行を食い入るように見ました。

晴天の中、安定した飛行で飛び立つ姿は綺麗でしたねぇ~。

国産飛行機ではYS-11(プロペラ)以来らしいですね。

子供の頃にこのYS-11に乗ったことが有ります。
感想は「ものすごい音と振動で主翼が揺れてちぎれそう」でした。 
このYS-11は国産と言ってもその部品の殆どが輸入品でした。

戦争に負けて連合軍の占領下、「飛行機はダメ」と言う事になりました。
日本にある全ての飛行機は破壊され、航空会社もダメ、大学で航空機の研究もダメと言う状態になっていました。

国の方針は、、、、ホントに勝手なもんで
アメリカは朝鮮戦争(1950)で壊れた飛行機の修理を近場の日本でする必要が発生したのです。

その代償と言うか、、、、日本に科していた「航空禁止令」を解除する道筋が必要になったのです。
全面的な解除が1957年(昭和32年)の予定になり、それに向けて準備が始まります。

日本の企業・技術者は朝鮮戦争でアメリカの飛行機のメンテで色々な事を経験し学ぶ事になります。

そして待望の全面解除で国産機に着手するのですが、、、、現実はそう簡単でなかったみたいですネ。
企業の専門家と大学の研究者が一緒になって作っても、実際に飛べば色々な問題が有ったみたいで・・・

飛ぶには飛ぶのですが、、、右に右に行こうとしたりするのです。
今じゃ考えられないような欠陥が試験飛行の時点であったんですね。

余談ですが・・・
昔の車は地上を走るだけなのに片方に行こうとする「癖」が普通にありました。

飛行機に関しては欧米がかなり先行していて、安全を考えたり、
航空会社として後々のメンテを考えると輸入した方が都合が良いわけで、、、
しかも国も飛行機を買った方が他のものを輸出する為には良かったりして、、、。

なかなか国産ジェットを作る為の予算が充分にとられる事は無いんです

自衛隊のジェットも最初は全て完成したジェット戦闘機を輸入していました。
それをアメリカから買う一部のジェット戦闘機を 部品で買って名古屋の三菱で組み立てるようになりました。

F-4と呼ばれるジェット戦闘機だったと記憶していますが、、、
その日本で組み立てられたジェット戦闘機を名古屋から北海道の千歳航空隊に運んだ(飛行)パイロットから
その当時の話しを聞いたのですが、、、

それまで乗っていたF-86やF-104とは桁違いと興奮していました。
このF-4はその後に日本で独自に改良してF-4Jとして、元のアメリカ製より性能がアップします。

私達が安全で快適に乗る旅客機・・・・これは戦争の副産物なんですねぇ~
戦闘機が過酷な飛行をして、そこから色々な情報を得て、それを安全な旅客機作りに・・・。

今回のMRJ・・・小型機(90人程度)で地方都市や離れ小島と大都市を結ぶ事になると思います。

そして、、、、今までの歴史とは逆の流れで国産のジェット戦闘機の製造をする時が・・・。

三菱のジェット戦闘機、、小松の戦車、、トヨタの装甲車、、ソニーの自動小銃などなど・・・
かなり儲かりそうですけど、、、考えすぎですかね(笑)

とにかく、、、、今は素直に国産の旅客機の運行を楽しみにしておきましょうネ