脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

喫茶店のバイトから身を起こし(^^)

2017年01月24日 11時03分05秒 | わが半生
若い頃の苦労は買ってでもせよ(^^)
これは亡くなった母が私によく言った諺です。

ブログにも何度か同じような事を書いてます(^^)
私は特に苦労した?とは思ってはいません。
でも、良い経験はしたのかな?
高校卒業し専門学校に行き卒業したものの就活はせず喫茶店のアルバイト。

これではダメだと、やっとこ就活(^^)
ところが、福利厚生もない。
通勤交通費すら出なく基本給60,000円(・・;)
ラジカセの訪問販売。

半年ほどで退職して大手の靴屋さんへ就職。
すると何故か両親から大反対。私は何故?
そんなに大反対するの?と
訪問販売と違って
店内で雨にも濡れる事なく冬場は暖房、夏は冷房の効いた職場。ノルマもなく毎月決まった給料が貰えること。そんな普通の事に幸せを感じてました。でも?人間、欲は深くなり?もっと給料の高いところは?靴屋さんを続けながら就職活動。
靴屋さんの給料は昭和54年当時で手取り9万円(・・;)休みは平日。みんなが休んでる時に私は仕事。
今度は日曜日に休みたい。
給料は手取り15万円は欲しいなぁ。

そうして受けた会社は商品先物を取り扱う会社。
大阪市北区にある会社へ面接に。(^^)

面接の1週間後(^^)
不採用通知が届き、ま、こんなもんかなぁ。
次、頑張ろう!とノーテンキに就職活動。
靴屋さんは平日休みなので面接は休日にいくので
勤め先に気兼ねなく探せたのがラッキー🤞

当時、就職情報誌を隅から隅まで見て、なんとなく目を引いたのが消費者金融会社。
両親に言うと?
またまた大反対(・・;)
でも日曜日も休めて給料も高くて冷暖房のある職場、そして女性も多いやん!
と親の反対をよそに面接に行ったのが
今では『初めての〜◯コム♪』だったのです。

面接をしてくれた当日に
『ま、最初の給料は、これくらいです。』と
提示されたときは額面で15万円。これに残業手当が加算されるとの説明。
額面9万円の私にとって5割増し以上の給料は、とても魅力(^^)
喫茶店のフリーターをスタートにした私にとってはサラ金と言われようが全く関係はありませんでした。
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