とあるまちにあるモニュメント的な腰かけです。
竹下内閣(1987年・11月~1988年・12月)でのふるさと創生事業(1988年~1989年)以後に建てられた腰かけです。これがふるさと創生事業(各市町村に1億円を給付)した予算で作られたのかは、僕は不明で確認してませんが、その事業経過が報道するたびに「うちのまちは何を建てるんだ?何をおこなうんだよ?」と、当時、役所にいた友人から純粋に伺ってました。
まちは、その以前に大規模な区画整理が行った後で財政的には苦しい状況だとささやかれてました。ふるさと創生事業はまちの借金返済などに使わずにとお触れがあったので、1億円を手にしても借金返済ではない形してオープンにしなければなりませんでした。
その当時、各地ではモニュメントといったような物がその1億円で次々と建てられたり、創意工夫した物をオープンにしては話題になったりと、当時は次々と報道されていました。
僕も二十歳も前半で、他よりも知識も劣っていたこともありましたから、大人の事情というものは知らずに「うちは何をするんだと」直接、役場職員に聞いていた輩のひとりでした。
「財政が厳しい。だから1億円でも今のまちの補填に充てたい。モニュメント的なものを建てている場合ではない‥‥‥」
といった空気は伝わりました。姑息な話し、時が過ぎてうやむやにしてから1億円を借金返済に充てるんだろうな‥‥‥。と、思っていました。
それから僕もまちの政治、政治全般に関心が薄れていた時にでした。会社通いやニート生活などを繰り返していたときに、まちに一風変わった公衆トイレが設置されるようになりました。ここの腰かけは公衆トイレと一体型になっていました。僕としての感覚では「いつのまに」と思っていた時でした。90年代に入ってから数年後のことのようにも思えます。モニュメント的な腰かけがここに完成してました。
まちの広報には予算配分といった説明書きが自宅に届いて読んだ覚えもあるのですが、これがふるさと創生事業の一部だったか、は、正確には答えられませんが。「やることはやる」まちであったことは確かです。僕も支持する議会議員さんはいましたから、まち自体は信頼してました。
僕の世代感覚から言いますと、音楽界で例えるとボブディランは大先輩で、ビートルズはまず聴いておけ。ギリギリ吉田拓郎をコピーできるか、ぐらいでした。ボブディランやビートルズをコピーして歌うとかはおこがましくて、できませんでした。保守的にかぐや姫のフォークソング、さだまさしを好んでいたぐらいで、それ以外はニューミュージックをひたすら追っかけていた世代でしたけど、時が過ぎると新たな新保守思想が生まれてきまして、ボブディランやビートルズには否定的で、新しき物を好まない若者が行動するようにもなりました。
都会で見て覚えたような落書きなどがあちこちに目立ちはじめ、ここに新しくできた公衆トイレも破壊されるといった事件も起きました。住人は落書きを消す作業に奮闘し、トイレの便器も何度もとり替えたようでした。ここに落書きをした者も今では50歳ぐらいになったのかな。40代になったのかな。社長になったり役員になったりして、癌で死んでたり痛風で困ってたりしてるのかな。自ら落書きや破壊活動をしなくなった時代の経過からだと20数年後。ここで落ち着いて立ち寄ることもできるようになりました。
消えない傷も残ってますが、モニュメント的な腰かけがあるの場所の様子です。
グループ魂 - もうすっかりNO FUTURE ! / THE FIRST TAKE