記憶では、50年前には30㎝の降雪があった。大きな雪だるまも難なく作れた。
今では、10㎝でも大騒ぎだ。車や電車は大きな影響を受ける。
便利な社会になるほど、自然から受ける影響が大きくなる。
人間は特出した科学技術に追いつけず、振り回されることが多くなったように思える。
明日は、演劇~“序章 「風の遺言」”~将門から国芳への暗号~を見にいく。
この雪なので、交通手段を考えている。
車が無理な場合、電車となるが、現在も遅延しているのでどうか。
スノータイヤもチェーンも持っていないので、道路が凍ってしまうと動きがとれない。
個人的な、いざという時への備えは、かなりおろそかだ。
ウォーキングではできる限りの対応を考えておきたいが、どうだろうか。
歩行中の怪我、熱中症、道迷いなどなど。組織的に考えていくべきことだろう。
茨城県出身者がNHKの上層部を牛耳ってしまった状況と言えば当たっているだろうか。
やたらと特定地域のアナウンサーや、タレントがその地域の言葉を使っている。
民放と見まごうばかりのおふざけ番組も嫌らしい。
もっと公共放送としての使命の自覚をして欲しい。さもなくば、有料放送化して、
見たくない人は見ないで済むよう改善を望む。
経営委員の問題といい、政権との関わりも異常に強く、近いうちに大波乱があると思う。
南九州市は「知覧特攻遺書 知覧からの手紙」をユネスコのに申請した、と報じられた。
私たちは、「いぶすき菜の花マーチ」に参加した際「知覧特攻平和会館」を見学した。
私は、悠歩の会設立を目前にした1999年1月、初めて「菜の花マーチ」に参加した。
その時、知覧の平和会館を見学したのだが、最初は右翼的な会館か、と誤解していた。
初めて見学し、認識を改めた。遺書や遺品を見ると、胸が震えてしかたがなかった。
戦後68年。戦争の記憶は次第に薄れ、たった40年後には、生の記憶が消滅し、
絶滅危惧記憶となるだろう。
時も時、NHKの経営委員に長谷川三千子というおかしな人がいることが紹介された。
朝日新聞社で拳銃自殺した人を賞賛し、天皇を現人神だと言ってはばからない人だ。
それも、人間宣言がなんと言おうと、憲法がなんと言おうと、とまで言う人である。
このような人が、不偏不党の経営委員としての職務を全うできるはずがない。
私は、自らの貧しさの故に、幼少時、より貧しい人をバカにした恥ずかしい記憶をもつ。
その事は、意味もなく尊い?人を認める社会は、意味もなく蔑む人を必要とする。
天皇が前者であり、被差別や障害者、女性など弱い立場の人が後者である。
そんなことに気付き、その故に天皇制に反対する立場をとるようになった。
その危機的状況が、昨日今日の「全ろう作曲家の騒ぎ」ともつながるだろう。
彼はある意味で差別的社会を手玉にとったのではないかと思われる。
今日は妻とその友人がしもだて美術館に行くので、母と留守番をする予定であったが、
新聞に「与勇輝展」の開催を知らせる記事が載っていたので、急遽行きたくなり、
母を連れて4人でいくことにした。身障手帳の提示で、二人とも無料で入場できた。
与勇輝の作品はテレビその他の画像で見ただけで実物は初めて見る。
多くの方も、どこかでその可憐な人形を見たことがあるだろう。
富士河口湖畔には与勇輝館(ミューズ館)があり、コースを歩いたときに見たことがあるが、
その時は横目に見ただけだった。
写真でも人形のかわいさはよくわかるが、実物を見てやはり良いなと思った。
粘土から型起こしをし、木綿を使って手、顔、衣類などを作っていく。
こだわりに拘って、着物から小物まですべて一人で作り上げていく。
その表情は愁いを含むものが多く、まるで命を吹き込まれたようだ。
以前好きだった”デフパペットシアターひとみ”の人形たちも生きていた。
人形の動きを見ている内に、時に涙がでてくることには少々驚いた。
今朝の新聞にも、じっと人形の表情に見入りながら涙を流す人がいると報じていた。
どうして人形にそんな力があるのだろう。
顔や手は木綿を貼り付けて作っているので、木綿の肌触りがそのまま残っており、
人間の肌とは違うのだが、顔の造作に表情があり、目の力と相まって、生きているというより、
命をもっているという言い方がふさわしいような気がする。
近いうちに河口湖畔に行って、富士の麓で人形に会ってみたい。
それとも「富士河口湖もみじマーチ」に参加して、会場近くのミューズ館に行ってみようか。
百田尚樹の本を古河図書館に予約してあるが、20数人待ちであった。1年待ちか?
「人生がときめく片づけの魔法」も1年以上待った。原則の2週間で返本するとしても、
1年程かかるので、3~4週間借り続けられると、1年以上かかることになるが待っていた。
今朝の新聞に、NHK経営委員の百田尚樹が都知事候補の田母神俊雄を応援していると
報じていた。このように立場をわきまえない作家が書いたものは、読みたくないので、
予約を取り消すことにした。映画も見ていないが、本も読まないで良かった。
NHKは、以前から政権寄りであり、以前のことだが、放送終了の0時に日の丸を映したりと、
片寄った報道姿勢が気になっていた。
その経営委員であるから、番組編成にも手を加えることが考えられる。
それも、首相肝いりの委員となると、嫌らしい作家であろうと断じることにした。
三島由紀夫は楯の会活動により騒動を起こした、危険思想の持ち主であるので読まない。
森村誠一は、かなり以前であるが、「むのたけじ」との対談で、売れる本が良い本だと
主張しており、読む気になれなかった。「むのたけじ」は、古河に来て講演をしたことがあり、
その時の話がもとになり長男の名前を付けたので、名付け親のような人である。
そんなこんなで、読書の範囲を狭くしているかもしれないが、信頼できない人の本は、
読む気にはなれない。読みたい本はいくらでもあるので、困ることはないが…
坂東市までチケットを買いに行った。今朝の新聞に載っていた記事に関心を持った。
市民中心の劇団が、平将門を扱った演劇を行なうとあった。
市内水海のラーメン屋で食事をし、そこで待ち合わせての、いぶすきの返金作業を済ませる。
坂東市の会員に来年の会員継続について話を聞く用事もあった。この方は当会の最高齢者。
お元気そうで、来年も継続、花桃ウォークにも参加するというので、会費などを預かってきた。
チケットを扱っていたお店は、会員の遠い親戚だといっていた。話はしてみるものだ。
今回関心を持った演劇は、「-序章- 風の遺言」という。
将門から(歌川)国芳への暗号というミステリー仕立ての内容。
岩井に残る将門伝説と、市が所蔵する国芳の作品のモチーフとを結びつけ、戯曲化したもの。
坂東市出身者の原作、脚本を担当する。
将門という人はどのような人物だったのか、わからない。
劇中では、「戦を望まなかった優しい将門像」を目指すという。
私は、これまで描かれた信長は好きではない。「天下布武」を掲げ、殺戮を続けた武士。
よく言われる、全国を「武力で統一」した後に平和がやってくるというのは信じがたい。
彼の真意は、王になりたかっただけではないかと思う。日吉丸も竹千代も同じだと思う。
では、将門はどうだったのか。私は、身びいきから、また、昔、加藤剛が演じたこともあって、
この劇でいう、「農民のために立ち上がった」という話を信じたいと思っている。
これは、単なる身内をかばう気持ちからでたものではないのか、わからない。
証拠はどうなっているのか。地域には、その事を証拠立てる説話が残っているそうだ。
そんな疑問にいくらかでも近づけたらと思いながら見てみたい。
アダプトプログラム(ヘルスロードの清掃活動)への参加が本日で終了した。
歩き出してまもなく小雨が降ってきたので、5㎞地点で待つ息子に連絡をし、
2㎞地点の仁連天満社でゴミを預ける。雨は、まもなく上がってしまった。
次回からの元気ウォークは、ゴミ捨て場の制約がなくなったので、
自由にコース設定ができる。ヘルスロードあり、なしを取り混ぜてコースを作りたい。
名所旧跡はなくても、心落ち着く景色や、花の寺などを探して、設定したい。
合併した古河市は、かなり広い市域を有する。増加分の多くは、田畑や雑木林だ。
歩いて良く探せば、良コースが見つけられるのではないだろうか。
また、寺社についても、平将門や古河公方に関わる古い史跡がある。
一見しての感想は、なかなか難しいとは思うが、隠れた宝があるかもしれない。
会員からの意見(変更届のご意見欄に記載)の中に、
当会の例会は「ただ歩くだけでつまらない」という意見があった。
これまでには良いコースもあったと思うが、このような意見もある。
基本は、10㎞以上のウォーキングであるが、いかにその中に楽しみを加えるか。
役員の腕の見せどころである。
それが楽しみでなくて、何の“役員生活?”だろうかと思う。
役員は、きびしいこともあるが、会員の“楽しかった”の一声が最高のお駄賃である。
指宿土産?第3弾。
明日は、当会の元気ウォーク・三和地区を実施。アダプトプログラム最終日でもある。
アダプトプログラムは、3年目となる。市との契約を1年残すが終了することになった。
歩きながらゴミを拾うのはけっこうストレスになる。私も個人的には避けたい行為だ。
各地の大会で実施している「クリーンウォーク」には参加したことがない。
ゴミを拾いながら歩くのは、歩きにくいという一点で、個人的には好きではない。
古河市で実施している「アダプトプログラム」に、会活動として、歩くコースをきれいに
するという行為を取り上げ、今回の取り組みとなった。
社会参加活動ということで、役員会に提案し、合意を得た。
会員の皆さんは、活動に好意的に参加してくれたが、会で決めたから協力するという、
思いも伝わっていた。
これまでにも何度か書いてきたが、清掃活動を継続すると、コース設定に難があった。
より自由なコース作り、参加者への負担を考え、今回を持って終了することとした。
集団での定期的な清掃活動と、今回「いぶすき」で見た風景と、考えさせられた。
彼は、長い間「クリーン活動」を続けている。大会主催者への影響なども考えているとのこと。
ゴミを主催者が引き取る大会、「クリーンウォーク」を実施していない大会。
今回は実施していないので、沿道の収集ボックスに入れていくといっていた。
歩くスピードはかなり速く、何もしない私など簡単においていかれる。
個人的な活動であるが、すでに10年以上続けているようだ。
当会の取り組みは、会活動として実施するには、消化不良だったかもしれない。