天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

仮置き場と林業

2011年10月27日 | まつりごと
 政府が仮置き場に国有林の無償貸与を決めたことによって、児玉教授が即座に提言されています。政治家がやるべきことですが、これもお母さんたちのような力が必要と思われます。25日の講演より抜粋。

 林野庁は国有林への仮置き場を提案しました。私どもが前から申し上げているような人口バリア型の保管の概念でして、放射性物質を隔離して保管してやっていく。この方法というのは、一つは隔離保管する容器がすごく問題になります。コンテナのようなものを早く開発して、やっていただきたい。ステンレスのコンテナが今一番いいと思うのですが、12フィートにするか20フィートにするか、基準となるものを定めて、いろんな所に置かれている物をいれて、地下水に接しないように浅い所に置くということが基本になっております。浅い所に置いて、上と下の水の管理をする。もう一つは、すごく大事なのは、この施設は見学可能、出てくる水質などはチェックできるというようにする。世界でもバリア型の処分はごく当り前になっております。
 森林地帯に造る時には、是非考えていただきたいことがあります。それは、福島の復興というものを考える上で、日本の林業と合わせていくということで、かつてなく、一方で良い条件も生まれています。21世紀に入ってバイオマスでは、20世紀はバイオエタノールを作るということはやったんですが、2002年のイラク戦争の後などでは、木材をそのまま燃やすペレット市場というのができてきて、それがヨーロッパで大変革が起こって、例えばフィンランドでは一時エネルギー源は森林資源が34%になっています。
 チェルノブイリなど、放射性物質が降った所では焼却灰のモニタリングというのも普通に行われております。日本の焼却炉のかなりのものは、重金属対策がかなり進んでいる。700度以上で燃やしますが、セシウムは気化します。気化して上がった廃棄物を急激に冷やして200度以下にする。そうしますとセシウムなどは大体火灰として析出します。それを今度はバームフィルターで対策します。もう1サイクル回しますと、大気汚染などでやっているエコ町作り。最近の実験では99.99%セシウムが除けますから、一つの焼却処理というのが非常に大事になります。
 ところが環境省などで今の基準で間違っているのは、セシウムをなるべく濃いので回収したいんだけど、8000ベクレルとか1万5000ベクレルなど、いろんな濃度の問題で、総量として回収するという議論がまったくできていない。バイオマスとかの焼却所とかを汚泥の燃焼炉などを森林地帯に造る時に上手く造って、そこでセシウムを回収する。そしてたまったものを先程の人工バリア型の処分場などに置くという形でやっていくことが鍵になります。
 日本の林業というのは1979年以降衰退してきています。今回の福島の除染から、これをバイオマス発電で転換を計れないか。
・山林の汚染地域、一定の地域につき1カ所、バイオマス発電所を造る。
・そこにセシウム除去、それから、排気放射線流量のチェックができる瓦礫汚染燃焼炉を造る。
・林道を整備しペレット市場を助け、我が国の林業の再生の拠点とする。
・復興には森林発電の電力をかぎとする産業を津波被災地に創る。
・海寄りの低線量で、かつ、丘状で、丘状というのは津波安心地、津波にやられない所で、幼稚園や学校付きの新規若者向け住宅を造る。
こういうことをやらないと、やっぱり本当の若い人たちが帰ってくる、安心な地域作りというものが出来ないんじゃないかと思います。

テレビ、新聞のネットワーク

2011年10月27日 | まつりごと
 3月11日午後。地震の瞬間を、木村真三(44)は川崎市にある労働安全衛生総合研究所で迎えた。研究所員の木村は、放射線衛生学の専門家。医師や看護師の被曝(ひばく)調査や、チェルノブイリ事故の現地調査に取り組んでいた。大きな揺れの後、木村はテレビに駆け寄って「原発どうなった!」と叫んだ。大丈夫、とテレビは報じていた。千葉県市川市に住む家族とは翌日の午前2時まで連絡が取れなかった。翌12日は土曜日だった。家族と会うことができ、午後は3歳の長男と買い物に出かけた。家に戻ると、妻がいった。「原発が爆発した」。瞬間、木村は反応していた。スーツに着替え、長男に「お父さん、しばらく帰ってこないから」と告げた。研究所に戻って現地入りの準備をした。住民を放射線から守るにはまず測定しなくてはならない。それには速さが求められる。時間がたてばたつほど測定不能となる放射性物質が増える。急ぐ必要があった。準備を急ぎながら、木村は最も信頼する4人の研究者にメールを出した。京大の今中哲二、小出裕章、長崎大の高辻俊宏、広島大の遠藤暁。
 「檄文(げきぶん)を出したんです」と木村は振り返る。「いま調査をやらなくていつやるんだ。僕がまずサンプリングに行く。皆でそれを分析してくれ、と書きました」えりすぐりの人たち、と木村はいう。「全員、よし分かったといってくれました。一番返事が早かったのは小出さんです。私は現地に行けないけれども最大限の協力をします、と。あとの人たちからも次々と返事がきました」木村はその檄文を七沢潔(54)ら旧知のNHKディレクター3人にも回した。測定したデータを公表する手段が要る、と考えていた。じきに携帯電話が鳴った。七沢だった。七沢は七沢で知り合いの研究者と連絡を取りまくっていた。七沢はいった。「特別番組を考えている。協力してくれないか」
 13日に市川で七沢と会った。打ち合わせを終えて七沢と別れたとき、携帯に研究所からの一斉メールが入った。研究所は厚生労働省所管の独立行政法人。文面にはこうあった。〈放射線等の測定などできることもいくつかあるでしょうが、本省並びに研究所の指示に従ってください。くれぐれも勝手な行動はしないようお願いします〉研究所に放射線の専門家は自分しかいない。これは自分に向けて出されたメールだ。木村はそう思った。自分の現地入りをとめるつもりだ、と理解した。
 木村真三(44)は、1999年に起きた茨城県東海村の臨界事故を思い出した。当時、木村は千葉市にある放射線医学総合研究所に勤めていた。同僚とすぐ調査に行こうとしたが、許可が出ない。休日に有志で周辺を調査し、本格的な調査に向けて根回しを始めた。と、上司から「余計なことをするな」と大目玉を食らう。

 「3月13日のメールを見て放医研のときと同じだなと思いました。同じことを繰り返したら死ぬまで、いや、棺おけに入っても後悔する」
 出した結論は、労働安全衛生総合研究所を辞めることだった。

 「家人には一切いわず、すぐ研究所に行って総務課長の机の上に辞表を置いてきました」 軽い決断ではなかった。任期5年の満期で放医研を辞めた後、木村は専業主夫を経て塗装工になった。雨の日以外は土日もなく働いた。ただ、ときどき休みをもらった。「明日はつくばで論文書かないかんのよとか、京大で実験に入るからとか。研究者公募情報はずっとチェックしていました」1年半後、公募情報で労働安全衛生総合研究所がアスベストの研究者を募集していると知る。「アスベストの中皮腫はプルトニウムによる症状とよく似てるんです。で、アスベストは知らんけど放射線は知ってると書いたら採用されました」そのとき40歳。正職員になったのは生まれて初めてだった。悪い職場ではなかった。「労働衛生と関係ないからチェルノブイリ調査事業は廃止を」と求められた際も泣く泣くのんだ。「事業は廃止になるが、自腹でも調査を続ける」と仲間にメールしたのは原発事故直前。研究者が職を得る苦労は身にしみていた。それだけに、職を手放したことは妻に言えなかった。思い切って打ち明けたのは3月の終わり。妻の言葉は「あなたらしいわね」だった。

 NHK教育テレビのETV特集ディレクター、大森淳郎(53)は、原発事故の直後から関連番組づくりを考えていた。行き着いたのは、原発に詳しい七沢潔(54)を呼ぶこと。七沢は現場を離れ、放送文化研究所の研究員を務めていた。3月14日、プロデューサーの増田秀樹(48)に相談すると、「すぐ呼ぼう」。その日の夕方、七沢と木村が東京・渋谷のNHK6階に現れた。木村は測定器や防護用品をたくさん抱えてきて、「明日から行くんです」と主張した。
 3月15日。木村真三(44)とNHKの七沢潔(54)、大森淳郎(53)は、ロケ用のワゴン車で福島に入った。途中、ゴム引きの雨がっぱとゴム長靴を買い求めた。人がいる地域に防護服で乗り込むのは違和感がある、と考えた。長靴をはき、その上からポリ袋をかぶせて雨がっぱとの間を粘着テープでしっかりとめた。木村の指導だった。マスクも活性炭入り、5層構造の品を木村が用意した。放射線量を測り、検査用の土を採取しながら福島第一原発の方向を目指した。汚染はまだら模様だった。毎時300マイクロシーベルトまで測定できる機器の表示が振り切れる場所もあった。原発に近い割には線量が低い場所もあった。開いていた三春町の旅館に泊まりながら、とりあえず原発周辺を3日間走り回った。その後、ETV特集プロデューサーの増田秀樹(48)も加わって29日まで断続的に現地調査を続けた。目的は放射能汚染地図を作り、番組にして流すことだった。4月3日の放映を目指した。
 番組放映までの歩みは平坦(へいたん)ではなかった。22日、局内の会議で企画そのものがボツになった。増田はあせった。4月3日のETV特集に穴が開く。かといって震災と関係ない番組はやりたくない。七沢らと話し合い、三春町に住む作家、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)とノンフィクション作家、吉岡忍の対談を番組にして放映することを決める。それが24日だった。だが、放射能汚染地図を柱とした番組づくりもあきらめてはいなかった。25日、増田が大森に連絡した。「30キロ圏内も入れるぞ」NHKは30キロ圏内入りを自主規制していた。入れるというのは勘違いで、のちに増田は始末書を取られることになる。大森は郡山で借りたレンタカーを運転して浪江町や葛尾村、南相馬市を駆けまわった。
 大森は昨年夏、「敗戦とラジオ」という番組を作っていた。その中で感じたのは大本営発表の危険性だった。戦時中、なぜ報道機関は大本営発表しかできなかったのか。大森は戦時中の「勝った」「勝った」という大本営発表が、今の政府の「大丈夫」「大丈夫」と重なってしようがなかった。大本営的発表があったとき、それを疑わないと意味はない。あとで振り返っても何にもならない。たとえ厳しい放射線値が出ても、本当の数値を報じることが重要ではないか。そんな思いに突き動かされていた。

 現在、放射線量を測るモニタリングの定点は文部科学省が決め、日本原子力研究開発機構の研究者らが計測に当たっている。「研究者が単なる作業員になってるんですよね」。日本原子力研究開発機構労組(原研労組)の委員長、岩井孝(54)がいう。「定点で測るのもそれはそれで意味はありますが、それ以外に、線量の高い場所などを探して歩くことが絶対に必要なんです。そういう意味では研究者は歯がゆい思いをしていると思います」
 その歯がゆさを、辞職という手段で飛び越えたのが木村真三(44)だった。勤めていた労働安全衛生総合研究所に辞表を出し、縦横に動いて放射線を測定した。時には住民にデータを示して危険を説明した。やっと得た職を辞してまで現場に行く。木村が思い切った行動を取った背景には、おそらく木村の反骨心と独特の経歴が影響している。

 木村は愛媛県西南部、四万十川の支流に広がる広見町(現鬼北町)で生まれた。父は傷痍(しょうい)軍人の町職員で、厳格だった。母は保育園長。小学校から高校まで地元で過ごす。実は相当な不良だった。「小学3、4年のとき、いじめられている女の子をかばったら今度は僕が徹底的にいじめられたんです。中学に入ったときに思いました。こいつらよりもっとワルになったらこいつらをたたきつぶせる」授業に出ず、体育館の屋根裏でたばこを吸った。けんかもした。北宇和高校に進んでも同じだった。けんかに勝つため体を鍛えに鍛えた。177センチの身長にがっしり筋肉がついた。一時はプロレス入りも考えた。卒業間際には暴力団にスカウトされた。「お前やったら頭も切れるけん、うちに来い。舎弟分の事務所が松山にあるから、そこで1カ月修業して、それからうちに来い、と。就職の誘いは暴力団だけでした」
 父親は「お国のために死んでこい」といった。自衛隊に入れ、という命令だった。そのとき、木村は人生でし忘れていることはないかと考えた。そういえば勉強をやったことがなかった。大学に行きたいな。もともと天文学者になる夢を持っていて、ぐれてからも天体観測を続けていた。物理学を学びたい、と思っていた。父親は「お前みたいなやつに勉強する資格はない」と怒ったが、母親が「私がお金を出します」といってくれた。
 大学行きは決めたが、学力はない。愛媛の山あいから出た先は高知市だった。市郊外にある予備校の寮に入り、自転車で予備校に通った。「一念発起して勉強しました。英語の偏差値は29から60まで上がりました。長文解釈が得意でした」友人が「山口県に東京理科大の短大ができる。そこなら理科大に進める」と教えてくれた。助言に従ったものの、当初は素行不良だった。「1年の夏休み明けに面接があって、進学したいって言うと、行けるところはないと言われたんです。そこでまた一念発起して。助教授に『生活改め表』を書 けと言われて書いて、必死に勉強した。自分より成績の低い仲間が東京理科大への編入を決めていくのに反発し、国立に行く、九州工大を受ける、と」推薦をくれた教授が「お前は二部(夜間)で働く人の大変さを味わってこい」といった。
 合格し、九州工大の二部に3年から編入する。働きながら熱心に学ぶ人たちの姿は目からうろこの驚きだった。「これはほんとに勉強せんといけんなあと思いました」専攻は金属材料で、物理と化学の両方を学んだ。学内で技術補佐員の仕事を見つけ、昼は分子構造の解析プログラムをつくったりした。卒業が迫り、工業高校の教師を目指すか大学院への進学を考えていた。と、推薦状をくれた山口の教授から電話が入る。「お前、来週からうちの大学の助手だから。もう教授会で決まった」いや応なく山口に戻り、助手を務めた。1年後、大学院への思いが募り、石川県の北陸先端科学技術大学院大に。体内の薬物伝達を研究し、2年で修士課程を修了。博士課程は北海道大に進み、パーキンソン病のメカニズム研究で博士号を取る。
 妻の実家が会津の出ということもあり、木村は3月から福島に半ば入りっぱなしで内部被曝(ひばく)調査や汚染地図づくりに取り組んでいる。木村の信念は「研究成果は住民のもの」だ。仮に深刻な値であっても住民に知らせ、意味を説明することが人々を救う道だと信じている。だが、木村の考え方は多数派ではない。たとえば3月18日、日本気象学会は会員に研究成果の公表自粛を呼びかけた。「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」が自粛の理由だった。*2011.10.17~27朝日新聞朝刊 プロテウスの罠 第2シリーズ 研究者の辞表(1)測定 まず僕が行く(2)家人には一切いわず(3)雨がっぱとゴム長(9)暴力団からスカウト(10)伝える、それが救う道(依光隆明)より抜粋。

国会は一体、誰のためにあるのですか

2011年08月22日 | まつりごと
 7月27日国会で、8月15日官邸で提言した児玉龍彦東大教授が、22日東京大学先端科学技術センターで会見されています。以下、その直後の質疑応答よりby http://vimeo.com/

 7月27日以来、国会において何か進捗がみられたかというと、甚だ心許ない。
 菅総理にお会いしたときに、これは是非やってくださいとお願いした。しかし、総理がそのことについて動かれたかということを、私はまだ存じていません。
 汚染土壌の処分と保管は、8000ベクレルという基準を出して、ただ積んでおきなさいといって平然としているお役所仕事では無理です。六カ所村は、10センチ、12平方キロ分で一杯。南相馬だけで70平方キロ。すぐさま国策としてやるべき問題なのに、国会が閉会するという。私には全く理解できません。国会は一体、誰のためにあるのですか。同じことを、きょうも申し上げなければならないことに…衆議院議長にお願い申し上げたい。休会してる暇は一瞬もありません。放射線対策の然るべき成案ができるまで、徹底して審議をしていただきたい。国政は国民のためにあります。

 次の総理を選ぶことが、話題の中心。リーダー選びは大事ですが、党内事情に終始するだけで、どこまできれいにするかが総理選びの基準になっていません。仙谷派か小沢派かなんて、どうでもいいことです。これまで何もやっていなかった人が突然総理になる。今の選び方のままでは、まともな人がなるわけがありません。
 5000ベクレルにするのか、1000ベクレルにするのか、それでわかると思います。福島原発では人が働いています。住民本位で、どれだけコストと時間をかけるのかを決める。
 マスコミの報道も大きな疑問です。これだけ福島県や関東各地で原発事故による異常な事態が進んでいるのに、まったく住民本位の報道がなされていません。政府だけでなく、学会やマスコミも機能不全を起こしています。官僚のつくる法案もアクセルとブレーキを一緒に踏んだようで、制度疲労を起こしています。これまでの見方を変えない限り、日本はよくなりません。

8.12ゲノム科学から見た低線量被曝の考え方~福島原発事故に対する緊急提案

2011年08月14日 | まつりごと
 国会での発言が評判を呼び、問い合わせが殺到したため、東京大学先端科学研究センター・児玉龍彦教授が12日、緊急講演を行ないました。「日本政府は、最近の最先端研究が全く反映されていないICRP(国際放射線防護委員会)の報告書を採用している」「総理大臣には島津社長の所に行って、1か月でやってくれと頼んでいただきたい」以下、その要点。 by Ustream

 国会で説明した事に補足を加えての説明と、国会の話から一歩進めて提案したいと思います。放射性物質が放出された時に私どもが一番心配するのは、内部被曝という遺伝子を傷つけることです。昔の考え方と今日では、ヒトのゲノムが読まれてからは一変するような状態になっております。チェルノブイリの約4割の子どもの染色体の7番が3つになっている。放射線などで遺伝子が切られるとその後に一部重複して、遺伝子が2コピーになってしまう。もう一つが1コピーで、合計3コピーになる現象が知られています。7q11という領域のコピー数が3つになっているということが見付けられました。昔はゲノムという染色体のことがよくわからなかったので、低線量の被曝というのが確率論であったり、修復する機能があるんだと言われてきました。しかし、ゲノム科学でみますと、DNAの切断が起こると、一定の率でパリンドローム変異がおこり、それが原因となって遺伝子が活性化される。それに刺激されてレット遺伝子が活性化されて、さらにそれから10年とか20年経つと、もう一つの遺伝子が変異を起こして癌化するというメカニズムが、かなり決定論的なメカニズムとしてわかるようになってきました。
 それで、よくα線の核種を飲んでも大丈夫と言われますが、これは殆ど、ネズミとか犬で行われている実験で、寿命が2~10年の動物で行われているのです。2~10年の実験ではこのように20年以降、人間に起こる放射線障害というのがわからない。我々が、内部被曝を問題にする時には、人間での内部被曝を問題にしなくてはいけません。今までの低線量被曝の議論で、一部に疫学や統計学での証拠が必要だと言われますが、疫学や統計学というのは、一つの経過が終わった後にそこから原因をみるという学問的作業であります。甲状腺がんの場合もこの問題が如実に表れまして、チェルノブイリで実は91年ごろに甲状腺がんが増えてきているということが、実際コンセンサスとなったのは2005年。4000人と言われる甲状腺がん、15人の子どもの死亡例が出た後にはじめて、疫学とか統計学でコンセンサスになるということになった。それで、今我々が、福島原発の後で考えなくてはいけないのは、これから起こる障害や事態を予測する。シュミレーションするという事を積極的に行なって、この事態に対処するということが非常に大事だと思っています。ヨウ素131は半減期が8日です。大体一か月で10分の1に減りますから、2カ月で100分の1、3か月で1000分の1になりますので、今日ではほとんど検出できません。
 先程予測の問題が非常に重要だと申し上げましたのは、3月15日にヨウ素が大量に放出されていた時に実際にはわが国は、128億円かけてSPEEDIというスーパーコンピューターの予測システムがフルに稼働していました。私も、スーパーコンピューターを使う仕事をしておりますので、同業者の動向はよく知っておりまして、SPEEDIが完全に地震とその後の混乱の中でコンピューターとしては稼働していたということをよく存じております。それにもかかわらず、今出ている様々な報告をみますと「SPEEDIの予測という入力されるデータが十分でなかったから発表されなかった」という見解が出ていますが、これは非常に大きな間違いです。全てのデータが揃った場合にはこれは予測ではなくて、我々は実測と呼びます。今、コンピューターを使う必要性というのは少ないパラメーターで最適の予測をやるというところに非常に大きな能力があります。現にSPEEDIで行われていた予測は、その後、飯館村などの放射線を含むプルムの移動を非常に正確に予測しております。実際に南相馬に支援で入って感じましたのは、南相馬の多くの方があの時点で海沿いの線量の低い所から飯館村の方に避難したと。当日にプルムの非常に多かった所に行ってしまった方がいらっしゃいます。こういうことを避けてこれからの放射線障害を予測するということが科学者に対して課せられたもっとも大きな使命であり、全ての関係の方々が様々な科学論争での見解を捨てて、これから起こる事態に、どういうふうに子どもや妊婦を守っていけるかということを真剣に考える段階になっているのではないかと思って国会で発言させていただきました。
 これから最も大きな問題になると現在考えていられることはセシウム137です。これは土壌その他の調査で現在最も多量に検出されている核種です。30年という長い寿命を持っていますから、これからかなり長期にわたって検討すべき問題です。日本の土壌では土の流出が約40年で半分起こるとされており、半減期が30年ですので、普通の田畑が半分になるのに17年かかり、今後一番の問題になります。チェルノブイリでは、大体、尿中に6ベクレル/リッター位セシウムが出る地域では、かなりの方が増殖性の膀胱炎になり、非常に多数の方に早期の膀胱がんが出来るということが報告されています。セシウムによる健康障害を予防していくということは待ったなしの課題であります。特に、被災初期にヨウ素131をひょっとしたら吸引しているかもしれない子どもなどにおいては特別の重点的の注意が必要ではないかと思っております。
 東大のアイソトープセンターでは事故の後1時間ごとに測定したり、東大の様々な水、土壌、農場の農産物等の測定を全力を挙げて行いましたが、約1ヶ月ぐらい経った頃から測定を全部自動化して、1時間の測定の物は本部でウエブ上で全て提示できるように体制が整いまして、5月から南相馬への支援を開始いたしました。20k圏の幼稚園や学校より、30k圏の方が線量が高い。毎朝バスで1700人の子ども達が、100万円のスクールバスで線量の高い方へいっている事態に遭遇しました。このことは非常に問題ではないかと、原子力対策委員会に相談しまして、原子力対策委員会も、この20k圏、30k圏の指定をどのように解除して子どもたちを守るかということを検討しています。しかしながら、この議論は実際には保障問題とリンクしている。国会などで、強制避難は優先的に支援するけどそれ以外は後回しということになっていますが、これは、実際には汚染を受けたのは住民であります。高い線量を受けたり避難をしているということは、強制であろうとなかろうと、これは基本的に住民被害として保障されるべきものであり、補償問題と被曝問題を切り離して、子ども達が多くの被曝を受けないように一刻も早く手を打って欲しいと痛切に感じております。
 一般的な線量計測というのはほとんど意味をなさないということです。室内で下に向けて線量を測ると0.2μシーベルトであるのが、上に向けて測ると0.45μシーベルトと線量計を上に向けたらバッと線量が増えてしまう。屋上に上がって測ってみますと、屋上は33μシーベルトというようなところがたくさん出てきます。それは、セシウムが土などの粒子にくっついてが雨のたびに流れて濃縮されていきます。こういう事態から私どもが考えましたのは、一律の線量区切りだとか、一つの数値で代表的にやるようでは、今の事態に対処できない。ですから、細かく測定して住民と一緒に考えるということが必須なんではないかという事を痛感いたしました。この線量ならいいのではないか、この線量なら避難じゃないか、いろんな方がいろんな事を言っていますがこれは現地の実情にあっていません。
 福島原発の事故が起こってからの議論でこのような子どもと妊婦の議論が全く行われていません。日本の国土というのは、すべからく、子どもと妊婦を最優先しなくてはならないという責務を科学者も政治家も経済人もマスコミの方もすべからく負っていると思います。今は、様々な意見の違いを超えて、日本国民が総力を挙げて、この子どもと妊婦が安心できる日本の国土を作り上げるために、力を挙げる時だと思っています。国会でお願いしたことも、そのことの一点に尽きます。それで、実際の除染に入ってみまして、二つのことにすぐ気付きました。滑り台の下とか子どもが触る部分の除染はすぐにできるが、なかなか0.5μシーベルト以下にならない。妊婦や子どもに安全な量になかなかならない。これはγ線が100メートル位の距離でまわりからきますので、こうした子どもが口に入れてしまうような緊急な除染活動だけでは、本当に妊婦と子どもが住める日本の国土に復旧するということは、不可能なのではないかということに思い至りました。そのために、緊急の除染だけでなくて、恒久的な除染が非常に大事だと思っています。一つだけ緊急の除染に関して申し上げますと、緊急な除染をお母さんや先生がやる時に、必ず内部被曝に注意して下さい。マスク、手袋、長靴、それから、作業中の飲食禁止。一番大事なのは、高い線量のところは、まず線量計で測って専門家が取り除いてから、お母さんや先生が除染に当たるということを必ず守って欲しい。
 長期の土壌汚染に関しては様々な問題があります。そして、住民が農耕し、生活し、働き、住み、家族と一緒に過ごしている土地ですから、ここの判断というのは基本的に住民の方が判断する必要があります。その時に考えることは、私の家はどうなっているか、学校はどうなっているかという正確な汚染マップです。これは空からの汚染マップが必要だと感じています。家の周りを知りたいとメールもいただいています。空からのマップ作りは無人ヘリコプターで採れば細かいものが取れる。汚染されているすべての自治体にすぐやる課を作ってもらって、依頼があったら測りに行って欲しい。どの程度までならどの程度の除染が出来るか調べていただきたい。平均値でここを汚染地域にするとか強制収容と言われている。これは絶対にやってはいけないことです。自治体ごとのきめ細やかな対策を作る。そのために信頼される委員会を作っていく。残念ながら今までの不祥事がある方にはこの委員会には入って欲しくない。私ここで一言訂正をさせていただきます。国会で違法行為をしているということを申しましたら、専門家の方から「違法行為を奨励する発言を東大教授としては行わないように」と言われました。
 日本の中にどういう技術があるかという一例を申し上げますと島津製作所の北村さんというこの世界の第一人者、このような機械。要するに流れ作業で50ベクレル/kgの測定するような機械は、大体3カ月あれば作れるということを聞いております。そうすると、もし6月にスタートすれば収穫期の9月までにできるかと思っていたのですが、実際には今、もう8月です。それで、総理大臣には島津社長の所に行って、1か月でやってくれと頼んでいただきたい。いろんな会社のいろんな意見があるでしょうが、現実にはそれだけ急を要しているということです。今、マスコミなども何かの汚染物が出るたびに大騒ぎしてそれを追っかけていますが、現在様々なところで子どもの尿などからセシウムが出ているということが報道されています。ということは、かなりの食品の中にセシウムが入り込んでいます。ですから、食品のチェックというのは待ったなしの問題になっていると思います。実際には問題になりますセシウムの処理につきましては、現在粘土鉱物との強固の結合が70%になっています。封じこみ構造での埋め込みが中心になっています。低レベルの放射性廃棄物を封じ込めるという考え方です。日本の土木会社のノウハウを一刻も早く引き出して、この知見を活かしていってほしい。力を合わせれば必ず日本の国土を取り戻せると思っています

8.11参院予算委、中山恭子議員

2011年08月11日 | まつりごと



 日本は明治の時代から三権分立を取り入れております。これは権力が集中しない、そのために三権分立という考え方を取っております。憲法でも、三権分立という単語はありませんが、立法権、行政権、司法権とはっきり記載されております。
 また、行政、国会で選ぶ総理、そして総理が組閣する内閣というものは、これはあくまでも立法府である国会が定めた法律の枠内においてその職務を執行しなければならない、また、内閣は行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うこと、これが憲法で定められております。憲法六十六条、第七十三条。ということは、内閣は国会が決めた法律の枠内でしか動けないということでございます。
 そして、こういったことについての認識が欠けているということから、民主党政権は法律無視、国会無視、国会無視ということは国民無視という姿勢が目立つことになります。法律で執行せよと書いてあること、これは内閣は執行しなければいけない。ところが、それができておりません。さらに、法律の根拠のないことを勝手にやっている、これが民主党政権でございます。
 心配なのは、総理がもしお替わりになってもこの体質は変わらないのではないだろうかと心配しながらおります。内閣が法律に沿って職務を遂行する、この基本を見失い、法治国家、日本は法治国家でございます、法治国家という形を失っているということは大変危険な状態でございます。また、国際社会からも法治国家の意識のない国、政府に対しては信用できないという状況が出てまいります。それは大変大きな信頼を失う要因になっていると考えております。

 こういった法律を無視した動きというのは、福島第一原子力発電所で一号機の事故の処理に当たっても、例えば権限を持たない事柄について、海水注入など、総理が法律を無視した指示を出す、又は公的な行政組織ではない政府・東京電力統合対策室、これは全く公的な行政組織ではありません、ここで公務員が執務して情報を出すといったような、非常に数え切れないほど政府が法律を無視して動いているという状況、これは枚挙にいとまがないという状況でございます。
 もう一つ、総理が浜岡原子力発電所の原子炉の運転再開を中止するということを要請なさいました。朝日新聞の記者の質問に答えて、総理は、法律に指示、命令は決められていないから要請したのだとお答えになっています。総理は、そのようにお考えでこの要請をなさったのでしょうか。
 その東京電力の海水注入の問題というのも、時間を追っていきますと、ちょっと時間が足りなくてここでは問題にできませんが、十七時五十五分に既に経産大臣から命令が出ておりました。それに対して、一番最初のときは、総理が海水注入をすべしということを英断なさったという報道が出ました。そういった意味でも、総理がそれをなさる権限はないということでございます。
 その浜岡原発に関しまして、総理は、法律に指示、命令は決められないということで要請なさったということでございますが、その命令、指示は法的根拠が必要でございます。ただ、要請だから法的根拠がなくてもよいということにはなりません。総理の要請を受けた関係者は特別の、これは災害対策基本法などにも同じでございますが、特別の理由がない限りこの要請に応じなければならないという状況に追い込まれます。特に、その要請が相手にとって不利益になる場合には法律の根拠が必要で、法律の根拠なしに総理が勝手に指示、命令、要請をすることは憲法上からも許されないというのが今の日本の憲法でございます。国民軽視になります。そういった意味で、こういった事柄をしっかりわきまえた上で対応していただけたらと思っております。

 たくさん問題が多い。逆に、やらなければならないことができていない。先ほどから随分問題になっておりますけれども、稲わらの問題、子供が放射能に汚染されたままでいるというようなことも、これは政府の不作為が大きな原因でございます。東京電力の原因ということではありません。
 今、もう一つどうしても申し上げたかったのは、七月二十九日に復興の基本方針が出されました。これを読んで非常に失望いたしました。それはなぜかといいますと、復興期間十年、五年間が集中復興期間と位置付けておりますが、その集中復興期間の五年間で十九兆円程度。既に一次、二次で六兆円使っておりますから、五年間で十三兆円の予算が組まれることになります。そして、その後の六年から十年までが残り四兆円となっております。これで幾ら何でも東日本の復興というのは厳しい問題でございます。
 あそこに美しいふるさとを取り戻し、人々が今後百年心配なく住める、そういう地域をつくるということがこの震災で亡くなった方々への鎮魂でございます。どうぞもっとしっかりした復興の基本方針をお作りいただきたいと思っております。11.8.11