天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

一丸となって何とか助けてください

2010年05月11日 | まつりごと



 10年5月11日衆院農水委、江藤拓議員の質疑より。

 四月の三十日に日本を立たれて、五月の八日に帰国をされましたね。そもそもこの外遊については、政府の口蹄疫対策本部長である以上、今回は見送るべきだという意見は与野党ともにありましたよ、自民党だけじゃなくて。しかし、予定どおり御出国をされた。このこと自体、地元で御苦労されている方々がどう受けとめたか。中には、われわれは国から見放された、最高責任者が行ってしまった、そう言った方もおられました。そして、四月二十八日には県の畜産試験場で発生した感染が、一番恐れていた豚への感染。一般養豚農家への感染が確認され、帰国されました八日には、三十日には十二例目でありましたけれども、帰ってきたときには五十六例目という爆発的な蔓延になってしまいました。そのときにトップがいなかったんですよ、この日本に。これは皆さん、非常に心細い思いをされました。その状況は、外遊されていましても、当然農林水産省のキャリアを通じて逐次報告がなされていたでしょう。大臣はそれをお聞きになって、これはまずい、予定をキャンセルしてでも途中で帰国しよう、そういうお気持ちになったことはありませんか。

 最高責任者でしょう。最高責任者でしょう、あなたは。リアルタイムなのはわかりますよ、それは。何をにやにやしているんですか。最高責任者でしょう。その人がいないと、役所だって今どうですか、例えば鹿児島の先生方がこの期間中に役所の人を呼んで、こういった対策をお願いしたいといろいろ話をしましたよ。返事は何ですか。政務三役の御承認を得なければ、われわれの判断ではどうにもなりませんと。あなたがいない間、そういうやりとりがなされていたんですよ、休みの間でも。これが現実。
 何でそうやって笑うんですか。どうして笑うんですか。(赤松国務大臣「笑っていないよ、別に」と呼ぶ)にやにやしているじゃないですか、さっきから。
 大体、民主党さんはよく使うフレーズがありますね。今、事業仕分けもやっていますけれども、不要不急のものであると。私、今回の外遊は、今行かなければならなかったものだとはとても思えませんよ。
 メキシコの、EPAですか、これはもう十六年に署名済みです、十七年には発効しています。そして、四年、五年には見直しを行いますけれども、これは事務レベルの話でしょう。大臣が行かなければ決着しない話ですか。キューバへ何をしに行ったんですか、カストロさんに会いに行ったんですか。コロンビアへ何をしに行ったんですか。それは国会の承認を得たかもしれない。でも大臣が、農林水産行政のトップとして、畜産農家と苦労をともにして涙を流して。狭い地域だからこれは悲劇じゃないんですか。三キロだからハッピーなんですか。
 私は、この連休中も毎日毎日足を運んで、私が行ったからといって蔓延防止に何の役に立つわけじゃありませんよ、それは。でも、畜産部長の前に座って、随時入る報告、口蹄疫が発生したというと、畜産農家はデジカメで写真を撮ってパソコンで送ってくる。それをパソコンの画面で見て、これは水疱じゃけんど、どげじゃろかい。口蹄疫じゃろかどげじゃろかは、まだわからぬね。だけれども、危ないから一応そういう覚悟をしてくれ。そういうやりとりをずっとこの連休中、見てきたんですよ。
 私は、農林水産大臣の資質というものは、農民、農村、農家、畜産家、林業家、水産業、何でもそうですけれども、この業界で働く人のために一緒に涙を流す、その気持ちを持ってくれないと、みんな救われませんよ。あなたが来てくれるのを待っていたんですよ、川南町の人たちは、私なんかよりも。大臣が来てくれて、そして、御苦労だね、大変だね、だけれども国はあらゆる対策、万全の対策を講じるから、くじけずに頑張ってくれと。
 私はこの間の委員会で言いましたよ、心のケアが一番必要だと。一番の心のケアができるのはあなたなんですよ。私なんかじゃないんです。大臣がお越しをいただいて、直接生産者の方々の声を聞いてくださって、肩をたたいて、一言、しっかり頑張れと言ってくださったら、今みんなの心はここまでは折れていない。川南町の人たちは今もう希望を失いつつありますよ、本当に。悲しくて悲しくてたまりません。

 あるお年寄りは、うちの繁殖母牛、この子のおかげでうちは生計が成り立ってきた、孫にもお年玉をやれた、飯も食えた。でも、殺処分せにゃいかぬかもしれぬ。拓さん、そのときは、私は老い先短いんやから一緒に埋めてくれと。ある酪農家は、新聞でも報道されましたけれども、最後に一番上等なえさを食わせて、頭をなでてやって、乳房をふいてやって、そして最後の別れをして、それで目の前で殺処分されていくんですよ、大臣、目の前で。その悔しさがわかりますか。わかってくださいよ、大臣。彼は私に、大臣を連れてこい、大臣に鉄砲を持たせて一頭一頭撃たせろ、そうしたらおれたちの気持ちがわかるわい、そう私に訴えられましたよ。こんな話は枚挙にいとまがない。
 大臣、私は、地元からは物すごい怒りの声を聞いています。すぐにでも大臣の解任を求めてくれ、不信任を国会に提出してくれという声もたくさん受けとめましたよ。でも、私はそうは思わない。今はそんなときではない。あなたをやめさせたからといって、畜産農家が救われるわけじゃない、蔓延が防止できるわけでもない。今は、だから、休戦しますよ、あなたの責任を追及することはしません。
 だけれども、どうか政務三役の皆さん、民主党の皆さん、わかってください、現場の本当の苦しみを。家庭からは火が消えたようになっている。お父さん、飼料代を払わにゃいかぬけれども、もう預金はこれしかないよ、そげなことはわかっちょるわいと夫婦げんかになる。子供を学校に行かせたいけれども、もしかしたら口蹄疫のウイルスを持って帰ってくるかもしらぬ、学校にも行かせたくない、家庭訪問もお断りだ。飲みに行くなんてとんでもないと。修羅場ですよ、修羅場。本当に戦場ですよ。




 言葉がきつくて気分を害されたかもしれませんけれども、彼ら、ほとんどの発生農家の人たちは私の昔からの友人たちです。大変、地域のリーダーだった人たちもたくさんその中には含まれています。みんなまじめにやってきた。そして、川南町は特に、こういった家畜伝染病を撲滅することに九州でも一番努力をしてきたところですよ。なぜこんなことになるんだ、どうしてなんだ、夢であったら覚めてほしいと。そして、毎朝畜舎に行くのが怖い、牛の顔を見るのが怖い、そういう眠れない毎日を過ごしているということを、どうぞ大臣、副大臣、政務官、わかってください。この委員会一丸となって何とか助けてください。
 殺処分したくても、埋却処分地がないから殺処分できずに、どんどんどんどん豚舎の中で口蹄疫が広がっているんですよ。殺処分したいんですよ。埋める場所がないから。豚は一日で腐りますよ。すぐ腹がぽんぽこりんに膨らんでしまいます。それでも養豚家はそういったことの治療をするんですよ、どうせ殺処分しなきゃいけない豚も。かわいそうだから、少しでも苦しみを和らげてやろうと。
 そういった畜産家の気持ちになって、ぜひ議論しようじゃありませんか。ですから、国対にもお願いしました。不信任、とんでもない、今そんなことをしている場面じゃないと。とにかくわれわれは今の執行部体制のもとで一丸となってこのことに取り組んで、そしてけりがついた後、それは国対が判断することでしょう、私がどうこう言うつもりはない。大臣、ぜひお願いをいたします。私の気持ちは少しは通じましたでしょうか。

 先ほど、川南町長がぐずぐず言うから国有林に埋められないとおっしゃいましたね。水が出たら埋められないんですよ。三メートル掘って出たらもう埋められないんです。そんなことは地元の人間が一番よく知っているんですよ。海岸線の国有林でしょう。
 今何が足りないかって、何を悠長なことをおっしゃっているんですか。もう二十日以上たっているんですよ、二十日以上。今宮崎県で言われているのは、川南、都農では済まないだろうというのがほとんど通説になっています。どんどんどんどん近づいています、隣の町に。どんどんどんどん小丸川に近づいていっています。越えたら佐土原町です、その先は宮崎です。えびのなんというのは、隣は熊本です。熊本の先生もおられます。鹿児島だってそうですよ。今何が足りないかという議論をしていること自体がおかしい。
 私は、大臣と今までいろいろ議論させていただきましたけれども、私にいろいろ言葉をかけていただきました。大臣の、前の討論の中で、一緒にやりましょうと言っていただいたことがありますよね、与野党関係ありません、知恵を出し合ってやりましょうと。私は素直な人間ですから、それをまともに受け取りましたよ。ですから、すぐに、まず三十二項目、これが必要だと、地元の声を体した形で、宮腰部会長と一緒に提出させていただきました。受け取っていただきましたよね。その後、さらに四十数項目を追加で出させていただきました。五月に入ってからもさらに、これが足りないという部分も出させていただきました。私たちは一緒にやりたいという気持ちでいるんです。国有林じゃだめですよ、大臣。
 殺処分したら、なるべく移動距離の短いところに埋めないと蔓延の原因になるんです。できれば隣がいいんですよ。売ってくれるかどうかは別にして、金に糸目をつけずにそこを買ってください、国が。買ってくださいよ、国有林とかいう話じゃなくて。そうでないと、一部、長距離を移動させて埋却をしました、それが原因だというような説も流れています。原因はわかりませんよ、そうとはわかりません。



わかっていただけませんか

2010年05月11日 | まつりごと



 10年5月11日衆院農水委、長島忠美議員の質疑より。

 私は、口蹄疫が発生したということを、やはりわれわれは重大災害だという認識を持って対応すべきではないか、そんなふうに受けとめて、先ほど大臣が、私一人ぐらいいなくても対策は十分だということの認識をぜひ改めていただきたい。
 私も、自然災害でふるさとを追われました。そのときに、希望をなくして絶望の中にいる住民は、私のようなリーダーでも、顔を見せて手を握ってくれることを望んで避難所で待っていてくれました。私は、山古志村民をすべて被災させたときに、住民から、辛いときに希望を与えるのが政治家の仕事だと言われて、今日こうやって政治のお仕事をやっているつもりです。この宮崎県の農家の皆さんは、先輩が言ったとおり、多分、今絶望の中にいるんだと思います。明日もわからない状況の中にいるんだと私は思います。
 私はこの災害を絶対克服してみせる、だからみんな安心してくれというメッセージを出すのが災害本部長の仕事であり、大臣の仕事じゃないですか。私一人ぐらいという認識は、私は改めていただきたい。

 災害を受けたときに住民が期待することというのは、平和なときには、やはり日本の法律だとか制度が国民を守ってくれますよ。災害を受けたときにだれが守るか。政治家が守る以外ないじゃないですか。前例にないことをやらなかったら、被災地を救うわけにいかないんですよ。だから、大臣が三十日から八日までお留守にされた間、私一人ぐらいという認識は甘いんじゃないですかと私は言っているんです。
 このことについて、私は同じ被災者として、私も、牛を飼っている農家があって、災害を受けて牛が孤立をしましたよ。避難をした翌日に、私のところに農家の人が来ましたよ。何と言ってきたか。おれは山に入る、とめるな、おれは家族を助けに行く、だからとめるな、そう言って、村長である私のところに来ました。私はとめるわけにはいかなかった。その思いは私は大切にしなければいけないと思った。とめるわけにはいかない、でも、牛と同じように私にとってはあなたも大切な命だ、気をつけて行ってほしい、出てきたら必ず私に一番最初に連絡をしてほしいと言いましたよ。
 農家にとって、今、口蹄疫に見舞われている家畜は、家畜という位置づけだけではなくて家族じゃないですか。その家族の命を国民のために提供して生活を支えているということを考えたら、やはりもう少し政治家として、さっき手を握ったとおっしゃったけれども、もっと、手を握って顔を見せて、私が来たから大丈夫だ、絶対再建できるようにしてあげるというメッセージをまず出すことの方が大事だったのではないかな、私はそう思うんです。
 私は、外国の用務がどうだとか言っているわけじゃなくて、災害ですから、災害にやはり一番重きを置いてほしいというのが国民の願いじゃないですか、そう申し上げていることなんです。その議論は余りしてもしようがないんですが、例えば、その用務に副大臣をやって、大臣が顔を見せることは可能ではなかったのかな、私はそんなふうに思います。

 万全の措置をとられたと今御答弁がありました。私は違う立場ですよ、違う立場。今宮崎県は、家畜というものに大きな被害を受けた災害を受けている。私は、自然災害を受けた。万全な対策というのは、責任ある人がきちんと顔を見せてくれることもやはり万全な対策のうちの一つだと思うんですよ。わかっていただけませんか、そのことは。
 さっきから、私が行かなくてもとか、万全な対策をとったからとおっしゃるけれども、被災地とか被害者、あるいはこうやって被害を受けた農家の皆さんというのは、本当にわらにすがっても生きていけない、可能性のないところにいるんだと私は思うんですよ。災害本部長がいつもそこにいてくれて、何をしなくてもいいとは言いませんよ、きちんとそこで陣頭指揮をしている、その姿勢だけで農家の皆さんというのは希望がつながるものだと思うんです。被災者の気持ちというのはそういうものだと私は思うので、さっきから非難しているわけではなくて、皆さんがしてきたことはその意識から少し外れていたんだから、これからは陣頭指揮をとってくださいよというつもりで私は言っているんですよ。私は小さな村の村長だから、とても農林大臣とか副大臣とかの立場ではないけれども、一人一人向き合ってあげなかったら、この農家の人たちを救うことは多分できないんじゃないかな、私はそう思うんですよ。
 だから、その覚悟を持ったら、三キロの中におさめたということ、たった今三キロの中でおさまっている、そのことについては消毒をしたと、評価をみずからされたわけだけれども、これから先、そのことを広げない、そのことは必ず約束できるということを、農家の皆さんに直接出向いて説明をしたり、状況をきちんと把握することの方が私は大切なのではないかなというふうに実は思っています。顔を見せるということも、被災者や県民や住民にとってはやはり大きな安心につながるんだということだけはせめてわかっていただきたいな、私はそう思います。

 私は、今回のこれは、私のところも、宮崎県は遠いから安心していられる、そんな状況ではなくて、日本じゅうで牛や豚を飼っている人たちが宮崎県に注目をしています。というのは、自分たちに何かあったときに、宮崎県の農家が救ってもらったようなことをわれわれがしてもらえるんだったら、これからわれわれは牛や豚を飼って家族を養って地域を守って生きていくことができるけれども、宮崎県の農家が生産を再開できなくて、生活を継続することができなかったら、我々は牛や豚を飼ってこれから地域や家族を守っていくことができるのかという大きなメッセージにつながるんだ、私はそう思うんです。
 だから、そういう意味で、やはり大きな対策をお願いしたい。前例にとらわれない、今の法律や制度ではないところで、救うという意思をやはりきちんと発信していただきたい。

 牛や豚といった命、命を守ってあげる、これ以上被害をふやさない、命を守ってあげるということが畜産農家にとって大きな勇気につながるんだと私は思うんです。
 私も実は牛を飼っております。牛は家族だと思っています。そして、その家族の命を分けてもらってわれわれは命を長らえているんだ、私はそう思うんです。だから、大切にわれわれは生きなければいけないし、牛や豚を大切にしなければいけないんだと私は思うんです。
 もうこれ以上、口蹄疫によって牛や豚の命が奪われることのないように、先ほど万全な対策とおっしゃいましたけれども、私は、ぜひ、お願いとして、顔を見せてやって、農家の皆さんの手を握ってあげることも大きな勇気につながるということをわかっていただいて、対策をとっていただきたい。