ノーベル平和賞授賞式で代読された劉暁波氏最後の陳述「私には敵はいない」(2009年12月23日)の要旨。
私の人生において(天安門事件の起きた)1989年6月は重要な転機でした。私はこの年、米国から戻って民主化運動に参加し、「反革命宣伝扇動罪」で投獄されました。そして今また、私を敵と見なす政権の意識によって被告席に押し込まれています。しかし、私には敵はおらず、憎しみもありません。私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのです。これまで自分に課したことは、人間としても作家としても正直さや責任感、また尊厳を持った人生を送ることでした。(事件から)20年以上が過ぎましたが、犠牲者の霊はまだ生き続けています。私の自由を奪った政権に言いたい。20年前のハンストで表明した「私には敵も憎しみもない」という信念は変わっていないと。私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思います。憎しみで人間の知性や良心を腐敗させることはできません。敵意は社会の寛容と人間性を封じ、自由と民主主義への道筋を妨げます。
改革開放は毛沢東時代の「階級闘争を要とする」執政方針の放棄から始まり、経済発展と社会の平和的な融合に貢献しました。こうした進展は、異なる利益や価値が共存するための土壌をつくり、国民の想像力の発展と愛情の回復の励みとなりました。そのプロセスは敵意を無力なものにし、憎悪の哲学を排除することでもありました。そして、その敵意を弱めることは、最も進歩の遅い政治分野においては、反体制派に対する迫害の減少など、これまでにないほどの寛容さにつながりました。89年の民主化運動への評価も「動乱」から「政治的風波」へと変わりました。98年に中国政府が国連の2大国際人権条約への署名を世界に約束したことは、中国が普遍的人権の標準を受け入れたことを示しました。2004年には憲法が改正され、初めて「国家は人権を尊重し保障する」と明記されました。これらはみな、敵対意識の弱まりによってもたらされました。
この進展は私自身の経験からも感じることができます。警察官や検察官、裁判官は侮蔑的でもなかったし、自白を強要するものでもありませんでした。また収監施設での待遇も、尊厳と温かさを感じるものでした。その意味で私は楽観的ですし、自由な中国の到来が楽しみです。私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれています。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずです。私はこうした進歩が本件の審理でも体現され法廷が公正な裁決を下すと期待しています――歴史の検証に耐えうる裁決を。
もしも、語る事を許されるなら、この20年間でもっとも幸運な経験、それは妻劉霞から受けた無私の愛だ、と私は言いたい。彼女は今日の裁判を傍聴することができません。しかし、愛する人よ、君の私への愛はいつまでも変わらないことを堅く信じています。この間、私の自由は常に阻害され続けてきました。私たちの愛は外的状況により困難を強いられ続けました。しかし、その後味は無量の味を残します。刑期を私は有形の獄中で過ごし、君は心という無形の獄中で待ち続けます。君の愛は高い塀を飛び越える太陽の光です。その光は監獄の窓の鉄格子を突き通し、私の肌の至る所を照らし、身体中の細胞を暖め、私の心を常に平和な、開かれた、明晰な状態に保たせてくれ、監獄で過ごすすべての時間を意義あるもので満たします。一方で、君への愛は悔恨と後悔に満ちたものであり、しばしばその重みに私の足は耐え切れずよろめきます。私は荒野に転がる一つの無感覚な石。狂った風と暴れる雨にむち打たれ、それはあまりに冷たいので誰もあえて触ろうとはしません。しかし、私の愛は堅固にして鋭く、如何なる障害をも突き抜けることができます。たとえ粉々に砕かれようとも、その灰塵をもって君を抱きしめよう。愛する人よ、君の愛があるから差し迫った裁判にも端然と立ち向かうことができ、私の決断した選択に対しても後悔せず、明日を楽観的に待つことができます。
いつか、この国に、表現の自由が認められ、すべての市民の言動が平等に扱われる大地となる日が来る事を待ち望んでいます。そこでは、異なった価値、思想、信仰、そして政治的見解が競い合いながらも、平和的に共存することができます。多数派と少数派の意見が平等に保障され、政権を握っている側とは異なった政治的見解も、完全に尊重され守られます。そこでは、すべての政治的見解が人々の選択を待つために太陽の下に広く述べられます。私の望みは、私が中国で綿々と続いて来た言論弾圧の最後の犠牲者となり、この後、いかなる者も言論が故に罰せられることがなくなることです。
表現の自由は人権の基であり、人間らしさの源であり、真理の母です。言論の自由を封殺することは人権を踏みにじることであり、人間らしさを窒息させることであり、真理を抑圧することです。中国憲法により保障された言論自由の権利を行使するためには、市民としての社会的責任を果たさなければなりません。如何なる意味においても、私の行った事に罪はありません。しかし、このことで私に罪が掛けられるとしても、恨み言は言いません。
すべての人に感謝します。
私の人生において(天安門事件の起きた)1989年6月は重要な転機でした。私はこの年、米国から戻って民主化運動に参加し、「反革命宣伝扇動罪」で投獄されました。そして今また、私を敵と見なす政権の意識によって被告席に押し込まれています。しかし、私には敵はおらず、憎しみもありません。私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのです。これまで自分に課したことは、人間としても作家としても正直さや責任感、また尊厳を持った人生を送ることでした。(事件から)20年以上が過ぎましたが、犠牲者の霊はまだ生き続けています。私の自由を奪った政権に言いたい。20年前のハンストで表明した「私には敵も憎しみもない」という信念は変わっていないと。私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思います。憎しみで人間の知性や良心を腐敗させることはできません。敵意は社会の寛容と人間性を封じ、自由と民主主義への道筋を妨げます。
改革開放は毛沢東時代の「階級闘争を要とする」執政方針の放棄から始まり、経済発展と社会の平和的な融合に貢献しました。こうした進展は、異なる利益や価値が共存するための土壌をつくり、国民の想像力の発展と愛情の回復の励みとなりました。そのプロセスは敵意を無力なものにし、憎悪の哲学を排除することでもありました。そして、その敵意を弱めることは、最も進歩の遅い政治分野においては、反体制派に対する迫害の減少など、これまでにないほどの寛容さにつながりました。89年の民主化運動への評価も「動乱」から「政治的風波」へと変わりました。98年に中国政府が国連の2大国際人権条約への署名を世界に約束したことは、中国が普遍的人権の標準を受け入れたことを示しました。2004年には憲法が改正され、初めて「国家は人権を尊重し保障する」と明記されました。これらはみな、敵対意識の弱まりによってもたらされました。
この進展は私自身の経験からも感じることができます。警察官や検察官、裁判官は侮蔑的でもなかったし、自白を強要するものでもありませんでした。また収監施設での待遇も、尊厳と温かさを感じるものでした。その意味で私は楽観的ですし、自由な中国の到来が楽しみです。私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれています。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずです。私はこうした進歩が本件の審理でも体現され法廷が公正な裁決を下すと期待しています――歴史の検証に耐えうる裁決を。
もしも、語る事を許されるなら、この20年間でもっとも幸運な経験、それは妻劉霞から受けた無私の愛だ、と私は言いたい。彼女は今日の裁判を傍聴することができません。しかし、愛する人よ、君の私への愛はいつまでも変わらないことを堅く信じています。この間、私の自由は常に阻害され続けてきました。私たちの愛は外的状況により困難を強いられ続けました。しかし、その後味は無量の味を残します。刑期を私は有形の獄中で過ごし、君は心という無形の獄中で待ち続けます。君の愛は高い塀を飛び越える太陽の光です。その光は監獄の窓の鉄格子を突き通し、私の肌の至る所を照らし、身体中の細胞を暖め、私の心を常に平和な、開かれた、明晰な状態に保たせてくれ、監獄で過ごすすべての時間を意義あるもので満たします。一方で、君への愛は悔恨と後悔に満ちたものであり、しばしばその重みに私の足は耐え切れずよろめきます。私は荒野に転がる一つの無感覚な石。狂った風と暴れる雨にむち打たれ、それはあまりに冷たいので誰もあえて触ろうとはしません。しかし、私の愛は堅固にして鋭く、如何なる障害をも突き抜けることができます。たとえ粉々に砕かれようとも、その灰塵をもって君を抱きしめよう。愛する人よ、君の愛があるから差し迫った裁判にも端然と立ち向かうことができ、私の決断した選択に対しても後悔せず、明日を楽観的に待つことができます。
いつか、この国に、表現の自由が認められ、すべての市民の言動が平等に扱われる大地となる日が来る事を待ち望んでいます。そこでは、異なった価値、思想、信仰、そして政治的見解が競い合いながらも、平和的に共存することができます。多数派と少数派の意見が平等に保障され、政権を握っている側とは異なった政治的見解も、完全に尊重され守られます。そこでは、すべての政治的見解が人々の選択を待つために太陽の下に広く述べられます。私の望みは、私が中国で綿々と続いて来た言論弾圧の最後の犠牲者となり、この後、いかなる者も言論が故に罰せられることがなくなることです。
表現の自由は人権の基であり、人間らしさの源であり、真理の母です。言論の自由を封殺することは人権を踏みにじることであり、人間らしさを窒息させることであり、真理を抑圧することです。中国憲法により保障された言論自由の権利を行使するためには、市民としての社会的責任を果たさなければなりません。如何なる意味においても、私の行った事に罪はありません。しかし、このことで私に罪が掛けられるとしても、恨み言は言いません。
すべての人に感謝します。