バドエルの全盛時代は・・・これか?
バドエルは1971年生まれの38歳。20歳前後でのデビューが
当たり前になってきている昨今のF1では、突出して高齢といえます。
彼は国際F3000のチャンピオンを最年少で獲得した肩書きを持つドライバーで
93年のF1デビュー当時は新進気鋭と期待されていたのですが、
チームに恵まれずパッとした戦績を挙げる事もなく数年で引退してしまい、
それから現在に至るまでフェラーリのテストドライバーを努めてきました。
その後の彼はフェラーリ史上最高の黄金時代を支えた功労者である事はもちろん、
トリノオリンピックの開会式ではドーナツターンで五輪を描く大役を任されたり
(実はそういう”余りにイタリアらしい”演出だったんですが、気が利かないカメラワークで台無し)
それなりに充実したテストドライバー人生を過ごしてきたと思います。
恐らくはバドエル最後の勇姿になるでしょう
そんな10年以上レースをしていない割には経験豊富なF1ドライバー、
バドエルがフェラーリの名に恥じない走りが出来たのかというと、
2戦を戦って全セッション”突出して”ビリ、ペナルティ5回、クラッシュ2回。
この複雑な時代に分かり易いまでの散々な成績と言えそうです。
(ちなみに相方のライコネンは3位と優勝)
図らずもF1は誰が乗っても同じなのかという長年の議論に
フェラーリが大枚を叩いて結論を出したのが、一番の成果でしょうか。
恐らく今回の件を見てシューマッハは二度と復職すると言わないと思います。
ただし、バドエルの参戦は失敗だけだったと片付けられるのかといえば
私はそんな事はないと思います。
先ずは彼が全セッションビリだったという事が大きなポイントです。
ビリという事は完走しているという事ですから、
これだけでバドエルが並外れた超人である事が証明されます。
分かり易い実例を挙げると、F1のブレーキング時の減速力は
30km/h程度の追突事故相当の衝撃が加わるそうです。
鞭打ちには十分な速度と言えますし、基本、現代の車では廃車になる速度です。
そしてF1で良く言われるコーナリング時の旋回Gの高さも尋常ではありません。
私もささやかながらレーシングカートに乗ってみて思ったのは、
レーシングカーを走らせるという事は苦行だという事です。
どういう事かというと、スピードが上がるにつれて体力的な限界もあるのですが、
骨が折れそうなくらいに(実際、肋にヒビが入りましたが)体が軋み始めるのです。
コンマ何秒を縮めるという作業は、腕も気合いも腕力も必要ですが、
自分の体を虐める覚悟があるのか、という事なのではないかと思いました。
当然ながらその何兆段も上の段階で突然猛者の中に放り込まれたバドエルが、
ちゃんと300キロを走り切ったという事実だけで、
実は超人的な偉業を成し遂げていたのではないかと言えるかもしれません。
そしてテストドライバーらしくラップタイムの粒が揃っていた事も特筆出来ます。
今シーズンは実走テスト禁止という厳しいルールがあるので、
データ収集にはとても役立ったと思います。
(もしかして、バドエル車には通常の倍以上のセンサーが付いていたりして)
彼にとってこの挑戦は失敗だったのか・・・
結果が結果だったので、言われても仕方ない部分はあるのですが、
それにしても今回のバドエル出走に対して、
メディアの弱い者虐めの様な論調は如何なものなのかと思いました。
しかも内容がいつもに増して余りに稚拙。
プロなら見たままではなくて伏線を踏まえて欲しいものです。
F1は分析と仮説を積み重ねて理詰めで進める、至って欧州的なスポーツなので
何故散々な結果で終わってしまったのか、本当に良い事は無かったのかであったり、
一人ぐらいはバドエルの挑戦をバドエル目線で書けなかったのかと思います。
折角、滅多に起こらない機会を迎えたのに、見たままの事しか表現出来なかった
大多数のジャーナリストの方々、残念でした。
最後にバドエルは今回の挑戦は満足だったかという(不躾な)質問に対して
”フェラーリで戦った2レースを、子供たちに語り続ける事が出来るだろう”と、
素晴らしいコメントで締めくくっていました。
(実は、コメントには続きがあるのですが・・・まぁ、止めておきましょう)
バドエルは1971年生まれの38歳。20歳前後でのデビューが
当たり前になってきている昨今のF1では、突出して高齢といえます。
彼は国際F3000のチャンピオンを最年少で獲得した肩書きを持つドライバーで
93年のF1デビュー当時は新進気鋭と期待されていたのですが、
チームに恵まれずパッとした戦績を挙げる事もなく数年で引退してしまい、
それから現在に至るまでフェラーリのテストドライバーを努めてきました。
その後の彼はフェラーリ史上最高の黄金時代を支えた功労者である事はもちろん、
トリノオリンピックの開会式ではドーナツターンで五輪を描く大役を任されたり
(実はそういう”余りにイタリアらしい”演出だったんですが、気が利かないカメラワークで台無し)
それなりに充実したテストドライバー人生を過ごしてきたと思います。
恐らくはバドエル最後の勇姿になるでしょう
そんな10年以上レースをしていない割には経験豊富なF1ドライバー、
バドエルがフェラーリの名に恥じない走りが出来たのかというと、
2戦を戦って全セッション”突出して”ビリ、ペナルティ5回、クラッシュ2回。
この複雑な時代に分かり易いまでの散々な成績と言えそうです。
(ちなみに相方のライコネンは3位と優勝)
図らずもF1は誰が乗っても同じなのかという長年の議論に
フェラーリが大枚を叩いて結論を出したのが、一番の成果でしょうか。
恐らく今回の件を見てシューマッハは二度と復職すると言わないと思います。
ただし、バドエルの参戦は失敗だけだったと片付けられるのかといえば
私はそんな事はないと思います。
先ずは彼が全セッションビリだったという事が大きなポイントです。
ビリという事は完走しているという事ですから、
これだけでバドエルが並外れた超人である事が証明されます。
分かり易い実例を挙げると、F1のブレーキング時の減速力は
30km/h程度の追突事故相当の衝撃が加わるそうです。
鞭打ちには十分な速度と言えますし、基本、現代の車では廃車になる速度です。
そしてF1で良く言われるコーナリング時の旋回Gの高さも尋常ではありません。
私もささやかながらレーシングカートに乗ってみて思ったのは、
レーシングカーを走らせるという事は苦行だという事です。
どういう事かというと、スピードが上がるにつれて体力的な限界もあるのですが、
骨が折れそうなくらいに(実際、肋にヒビが入りましたが)体が軋み始めるのです。
コンマ何秒を縮めるという作業は、腕も気合いも腕力も必要ですが、
自分の体を虐める覚悟があるのか、という事なのではないかと思いました。
当然ながらその何兆段も上の段階で突然猛者の中に放り込まれたバドエルが、
ちゃんと300キロを走り切ったという事実だけで、
実は超人的な偉業を成し遂げていたのではないかと言えるかもしれません。
そしてテストドライバーらしくラップタイムの粒が揃っていた事も特筆出来ます。
今シーズンは実走テスト禁止という厳しいルールがあるので、
データ収集にはとても役立ったと思います。
(もしかして、バドエル車には通常の倍以上のセンサーが付いていたりして)
彼にとってこの挑戦は失敗だったのか・・・
結果が結果だったので、言われても仕方ない部分はあるのですが、
それにしても今回のバドエル出走に対して、
メディアの弱い者虐めの様な論調は如何なものなのかと思いました。
しかも内容がいつもに増して余りに稚拙。
プロなら見たままではなくて伏線を踏まえて欲しいものです。
F1は分析と仮説を積み重ねて理詰めで進める、至って欧州的なスポーツなので
何故散々な結果で終わってしまったのか、本当に良い事は無かったのかであったり、
一人ぐらいはバドエルの挑戦をバドエル目線で書けなかったのかと思います。
折角、滅多に起こらない機会を迎えたのに、見たままの事しか表現出来なかった
大多数のジャーナリストの方々、残念でした。
最後にバドエルは今回の挑戦は満足だったかという(不躾な)質問に対して
”フェラーリで戦った2レースを、子供たちに語り続ける事が出来るだろう”と、
素晴らしいコメントで締めくくっていました。
(実は、コメントには続きがあるのですが・・・まぁ、止めておきましょう)