ここ暫くの間は、あの名古屋市営交通100年史の市販向け版を拙宅にて閲覧していても、とかく路面電車🚊や終戦直後での地下鉄1、2号線計画、或いは今の東山線や名城線の開業当時のエピソードばつかりが、やたらに目につき、市バスの方はやや無関心になりがちでしたね。
ところで、確か本日は本年度分の市バス新車の購入落札の予定の筈だ。また、どうせ、いすゞに落札かな? 内訳は、大型車で基幹1系統向けが7台、一般路線向けが39台だったように思うが。うん。
但し、あの既にレトロカラーにラッピングされたNS-31だけは再来年1月末辺りまでは延命かもしれないね。但し、観光ルート系統兼用のNS-38、39は恐らく廃車だろう。NKS-1~7も廃車は確実だな。
…………さて、話題は変わり、昭和40年の道路制限令などで泣く泣く廃止になった通称・郡道経由路線。広く言えば、初代52の広小路車道(旧・車道)~桜通車道(旧・車道六丁目)間も含まれよう。
但し、最も有名な路線は初代48、初代46かな。
48系統は栄町~老松町(現・千早小学校)~吹上~北山~荒畑~出口~大喜~田光町~井戸田~河岸~丹八山ルートですね。昭和41年1月には東郊通経由に変わり、49年3月末にはワンマン化されていますが、ツーマン路線としては比較的に最後までボンネット車両が走っていたらしい。ワンマン兼用車両(2FR車)は終始、まず走らなかったものとみられます。
一方、46系統は郡道区間はごく僅か。栄町~老松町~吹上~北山~荒畑~南分町~杁中ルートでした。
これも同時に郡道経由を完全にやめたものと思っていたのだが、昭和45年12月現在の路線図によれば、どうも北山、荒畑東の停留所があったらしく、曙町一丁目へ抜けて南分町、杁中へ。
もしかしたら、その時はまだ郡道の北部を経由していたのかな???
昭和45年12月と言えば、初代90、91、47などもワンマン化され、60、45も栄始発の便はワンマン運行が始まり、ワNR車もようやく姿を現した頃だ。57や61などは、あれから3年ぐらいは待たされたが。
しかしながら、今は北山、荒畑東の停留所なんか見当たらず、当時の正確な経路も不明だ。私自身、名古屋市内には住んでいなかったし。うん。
まさか、あの郡道区間にワンマンカー(ワFR車)が走ったとも思えないのだが。あるいは、46はまだツーマンだったのかな?