銀河夢急行

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名鉄の初代6000系列は終始、二軍選手的な存在に………3500系の後継車両は?

2023年06月08日 18時29分43秒 | 鉄軌道


名鉄は戦時中の一時期を除けば、6000系が1976年暮れにデビューするまでは一貫して片側2扉、クロスシートを頑なに守り続けてきましたね。
その背景には、名古屋鉄道(株)の看板車両は観光利用客誘致や見た目の高級感を強調したいという、あの土川元夫氏(鬼籍)の思惑もありました。
土川氏の他界後、後任の竹田弘太郎氏(鬼籍)はその考え方を改め、観光客と日常通勤通学客の輸送を分けて考え始め、1974年には初めて片側3扉、全面ロングシートの冷房車を16両発注する方針を決めましたが、この計画は実は当時のAL車のモ800、830、850形をタネ車にしたもので、恐らく先頭部は7300系、側面部は3780系を3扉にしたようなイメージだったのでは?
もし予定通りにデビューしていたら、3870系とか6000系と命名されていたのでは?
同時に発注されたパノラマカーの中間車12両ことモ7050形7100番代は予定通りに落成しましたが、肝心の通勤型は車体更新費の高騰や日程調整不都合から結局、東急から中古車を購入。3880系と命名され、85年3月まで活躍しましたね。
やはりパノラマカーやスーパーロマンスカーに比べれば、通勤型車両はまだまだ軽くみられていたらしい。
さすがに名鉄側は大量投入の場合、単なるAL車の車体更新ではまずいと判断したか。結局、今の6000系を多数、投入することに。
しかしながら、パノラマカーと同じ馬力を得るにはMT編成の場合、モーターは150キロワットが必要。当時の狭軌鉄道では130キロワット程度が限界とされていたようだ。
またモーター数を半減するにはそれなりの牽引力も必要。ギア比も旧国鉄113系並みの4.875から6.07と103系並みにしたため、最高時速は100キロとAL車並みのスピードに落ちてしまったような。
加速性能はアップしたとは言えども、あまり実感は湧きませんでしたね。しかしながら、コストダウンには成功したと思いますが。うん。
6000系は85年まで新造が続きましたが、AL車並みの性能なためか、岐阜〜豊橋間の一般特急・急行、ことに伊奈〜豊橋間の乗り入れ列車には充当が敬遠されていたとみられます。確かに、季節ダイヤとか不慮の代走、平日朝の輸送力列車には例外的に豊橋駅にも乗り入れ、AL車やOR車の充当だけは絶対に避けていたのだが。
後の6500、6800系は回生ブレーキを搭載させ、ギア比を5.6に。何とか最高時速を110キロに持ち上げましたが、6000系と共通運用や併結もされたためか、6000系同様、名鉄としてはお世辞にも看板車両、一軍選手とまでは言えませんでしたね。八百津や御嵩、常滑、蒲郡、碧南、津島方面など支線直通急行が活躍の中心でした。
まだまだ、5500、7000、7500、7700系が看板車両で、非冷房の初代5000、5200系もその本線特急運用を補佐していたような。
通勤型車両が看板になったのは、やはり94年3月に今の3500系が豊橋駅にも日常的に乗り入れるようになってからだろう。
3500系からはギア比5.65。モーターも170キロワットに。最高時速は120ないし130キロですね。但し、VVVF制御の三相交流誘導モーターのため、直流モーター換算ならば、ギア比4.82に相当か。

早いもので3500系がデビューしてから30年。ワンマン未対応編成はまだまだ一宮〜豊橋間の急行としても現役で大活躍中。
既にリニューアルされて各務原線や知多新線のワンマン運用に当たっているような編成は、きっと長生きしようが、それ以外のものは、そろそろ気掛かりに。あの鉄仮面型も先日にあっけなく解体されたほどだから。うん。
もしかしたら、3500系の後継車種問題もこれからは意外に早く浮上するのかもしれない。
さては、名鉄9300系とか9700系という形で、今の近鉄5800系(シリーズ21)みたいに必要に応じて即座にクロスシートにもロングシートにも容易に形を変更出来るような、新たな高級通勤型車両でも現れるのか??
但し、昨今のSiC素子が非常に安定しているため、名鉄では恐らくPMSMなんかは採用しないだろう。
まぁ、楽しみの一つではあるが、果たして日の目を見るのは、いつのことやら?
少なくとも暫くは先の話だろうね。


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