最近、東武鉄道では高性能車導入以来、急テンポで3両、5両、7両といった奇数両組成の新型電車が激増していますね。また“リバティ”こと500系は3両組成です。
1963年の8000系デビュー以来、この関東北東部の大手私鉄は名鉄にも似て、奇数両組成を基本的には造らない方針だったらしい。
しかしながら、昨今の輸送事情も熟慮したのか、地下鉄日比谷線直通用の70000系が7両組成でデビューした頃からは状況も次第に変わりつつあるようだ。うん。
間もなく野田線には80000系が5両組成でデビューしようとしていますね。
…………逆に名鉄では吊り掛け駆動の旧性能車が主役だった時代、つまり1960年頃までは3両組成も結構、多かったらしい。5両編成の列車も当時は存在していたような気がします。
AL車やHL車のほか、あの7500系でも暫定的ながらも7両組成が確かに存在していましたね。
古いモノクロ写真を見れば、常滑線や河和線で3両編成の普通列車も少なくなかったらしい。
今でも支線区では2両編成では短過ぎるけれど、いや4両編成では多過ぎる………と思えるような場合も。
具体的には今の三河海・山線とか西尾線、豊川線、竹鼻・羽島線、広見線西部、尾西線北部、そして画像の知多新線の辺りが、どうも、そのようには思えるが。
また昼間帯での弥富〜吉良吉田直通急行も3両編成の方が向いているのかもしれないね。昔の“蒲急”“碧急”みたいな2両編成では困るが。
小牧線が地下鉄上飯田線への乗り入れ計画さえ具体化していなかった1987年頃か。今にして思えば3両編成が最適だったような。元東急車の3880系が乗り入れていたらしいし、また後には2代目3300系(冷房通勤型)も何故か3両組成でデビュー。主に小牧線や各務原線の普通列車に使われていました。
中でも3880系は高速域が他のAL車よりもやや劣ってはいましたが、単独運用で3両組成の特長をフルに発揮。犬山〜豊橋の普通列車とか東岡崎〜八百津の一般特急(当時の高速)にも充当。時には3400系の代走として弥富〜刈谷〜吉良吉田の急行にも使われたものでした。
仮に今後、9500系シリーズの中で3両組成が出た場合、支線区内の都市型ワンマン運用にも向きそうな気はしますがね。またラッシュ時には前面幌を活用して、何とか6両編成の急行や一般特急としても使えそうだ。
ごく最近では金山駅ホームにてホームドアの実用化試験が行われていますが、果たして奇数両編成にも対応しているのかどうかは謎だ。
これまでも、突然に現れては短期間で消えた名鉄での3両組成。デビューしたての頃の2000系や1600系、晩年の8800系もご多分に漏れず。
これについて、今の名鉄幹部はどう考えているのかな?
…………以上、私自身の戯言でした。