昨日昼前に名古屋都市高速・小牧線にて死傷事故を起こした、あおい交通。
ついに愛知県警が家宅捜索に着手したようですね。一刻も早い真相究明が待たれます。
また、名古屋市内~名古屋空港線について、これまでのような、あおい交通だけに運行を任せっ切りなのは交通行政上、いささか無理があったのかも。
この際は名古屋市営バスの幹栄1、黒川11等の名古屋空港枝線新設や、高速系統については近隣の名鉄バスも参入させるなどの対策も望まれますね。幹栄1ならば、かつて旧72系統(金山橋~平針住宅間)にて一時的に行われていたような急行運転という手もあろう。
但し、名古屋市営バスの場合、市外区間での運賃体系をどうすべきかが課題にはなろうが。うん。
………今般のバス事故は海外でも速報され、中国🇨🇳のネットメディア“人民網”北京普通語版の日本ブースにも掲載されています。
黒川11北部市場行きは、2002年までは対キロ区間料金が市バスで唯一採用されていました。
名古屋市営バス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%96%B6%E3%83%90%E3%82%B9 より「沿革」→「年表」
「・1983年(昭和58年)3月30日:バス3イ号系統(黒川 - 北部市場間)の新設に伴う対キロ運賃設定開始
・2002年(平成14年)10月12日:市バスで唯一、対距離区間制料金を採用していた黒川11号系統が均一制料金へ変更。」
名古屋市営バス如意営業所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%96%B6%E3%83%90%E3%82%B9%E5%A6%82%E6%84%8F%E5%96%B6%E6%A5%AD%E6%89%80より 「主担当路線」→「黒川11号系統」
「かつては名古屋市営バスの中で唯一対キロ制運賃を用いていた系統で([本]のみ名古屋市外の北部市場停留所で乗降する場合にのみ運賃が変動していた)、乗車時に降車停留所を告げて運賃を支払っていた。これは運賃体系を並行する名鉄バス名犬バイパス線に合わせていたもので、2002年10月の名鉄バス廃止とともに均一運賃に変更された。」
【NEWS】名古屋市営バス 名古屋空港延伸の続報!(2011年06月14日(火)配信)
https://tetudoshonen.hatenablog.com/entry/2016/05/09/%E3%80%90NEWS%E3%80%91%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%96%B6%E3%83%90%E3%82%B9_%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E5%BB%B6%E4%BC%B8%E3%81%AE%E7%B6%9A%E5%A0%B1%EF%BC%81
黒川11北部市場行きでは乗車時に乗客が運転士に「北部市場まで」と自己申告して料金を支払い黒川11のバス停にはそれを知らせる掲示があり、車内放送では当該停留所から北部市場までの料金の案内があり、如意営業所の車両には上記ブログの画像と同じ北部市場行きの料金表が掲示されていました。
現在名古屋市営バスは全線210円均一であり、藤丘11・藤丘12・志段味巡回・ゆとりーとライン平面区間のように名古屋市外(※尾張旭市・春日井市)にある名鉄バスやジェイアール東海バスといった民営バス撤退後を継承した区間、幹本郷1地下鉄平針行きのように途中の一部区間が日進市かかり、古くから名古屋市外区間を走る名駅24系統・中村14系統大治西条行き(※大治町)、緑区各所から出ている藤田医科大学病院行き(※豊明市)も均一です。
こうした区間も均一が定着しているので、もし仮に名古屋空港行きのみが均一でなくなったらどこで料金が変わるかの線引きが非常に難しいし、市民への合意形成において市外区間を走る他系統との整合性が問われかねず、対応車両の配置と料金箱の設定・市バス料金の条例制定などが非常にややこしくなります。
市外を走る市バスでは、幹本郷1では地下鉄平針行きの日進市内区間の他、メインである猪高緑地行きで猪高緑地バス停が長久手市内の愛知淑徳大学長久手キャンパス正門前にあります。
幹本郷1猪高緑地行きは本郷からの距離が短く、長久手市内区間も猪高緑地南(※バス停は名東区内)~猪高緑地の短い1区間のみなので、ここだけを均一料金から外すのは市バスの経営上からもかえって無駄が多いし、利用客(特に一番の上客である愛知淑徳大学学生・教職員)からの合意を得るのも難しいでしょう。
空港アクセス輸送の体系に、無理があったのかどうか、検証する事が必要と思います。
まずは経路上のバス停での定時発着がどのぐらいできていたか、調べる必要があるように思います。
あおい交通 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%8A%E3%81%84%E4%BA%A4%E9%80%9A
上記ウィキペディアの「名古屋空港直行バス」の項目に
「2017年10月1日からほぼ全線で名鉄バス県営名古屋空港線と競合するようになった。」
という記述がありました。
そこで当方で調べてみましたら、下記のとおり名鉄バスも名古屋空港へのバスを運行していました。
名古屋市内-県営名古屋空港 名鉄バス
http://www.meitetsu-bus.co.jp/airport/nagoyaairport
これによりますと、栄~豊山町社会教育センター・名古屋空港・あいち航空ミュージアムの運賃は600円、栄以外からの名古屋市内からの運賃は700円となっております。
ただ残念ですが、
「・新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、2021年8月26日(木)より当面の間、全便運休とさせていただきます。」
「なお、今後の状況等により、変更が生じた場合については、ホームページでお知らせさせていただきます。」
とのことで現在は運休中であり、時刻表の閲覧はできなくなっています。
今回の事故の当該事業者であるあおい交通ですが、現在も公式HPは接続できない状態になっておりますが、なぜか採用ページは普通に閲覧できる状態です。
あおい交通株式会社 公式採用ホームページ TOP
https://job-gear.net/aoikomaki/
>幹栄1ならば、かつて旧72系統(金山橋~平針住宅間)にて一時的に行われていたような急行運転という手もあろう。
私は幼稚園入園直前から中学1年生まで約10年ほど「72」の経路上にある「菊園町4丁目」バス停の近くに居住しており、当時の私にとって最も身近な路線でした。
以下、私が「72」に関して記憶していることを列挙します。
この系統は天白と御器所両自動車運輸事務所の共同運行であり、瑞穂運動場東口折り返しも多く運行していた。
地下鉄新瑞橋開通&市電完全廃止と同時に金山橋~山下通に縮小、御器所の単独運行になった。
当時は幼かったため、これくらいしか覚えていませんが、天白の日産ディーゼル車の強烈な音はなぜかはっきりと覚えております。そしてこの系統の急行運転というのは全く覚えておらず、銀河さんのコメントで初めて知りました。
(バス停や車庫の名称は当時のものです)
UD2ストエンジン音
https://www.youtube.com/watch?v=kWdTFhJNUuo
上記は当時の天白車と同タイプの2サイクルディーゼルエンジンを搭載したボンネットバスの一例です。エンジンの音に注目してみて下さい。
系統もツーマンでした。
昭和48年春頃には新道が開通し、まずは72、次に57がワンマン化されましたか、84だけは朝夕は混雑していたせいか、ワンマン化は後回しに。但し、平日の朝夕数本ずつは例外的にワンマン運行されていましたよ。
金山橋~平針住宅間の急行運行は後の基幹1、2系統のための試行の色彩もあったように思います。今にして思えば45、60の名古屋駅前直通便とか57についても急行運行が欲しかったようにも思いますが。その方がワンマン運行もしやすかったのではなかろうか?
“なごや 街と交通の一世紀”では、荒池(今の農業センター北)や島田住宅に初めて市バスが乗り入れたモノクロ写真もあり、91のツーマン時代の姿を初めて拝見。どうやら、その頃には天白車庫前に向かう路線もあり、島田住宅から旧道経由で原付近に出て植田方面に向かっていたのだろうね。90も、恐らく天白車庫前行きがツーマン時代の頃には存在していたのかも?
名鉄百貨店の社長も務められたこともあり、まだまだ前途が期待されていたようだ。
名鉄百貨店の社長も務められたこともあり、まだまだ前途が期待されていたようだ。
今回亡くなった乗客の方は、
「1980年4月に名古屋鉄道に入社、2006年から広報宣伝部長に就いていました。2010年から名鉄産業取締役、2014年から同常務取締役。2015年5月からは金沢名鉄丸越百貨店取締役社長。」
という経歴だそうです。この方が社長をつとめていた「金沢名鉄丸越百貨店」は2021年3月31日に名鉄グループを離脱、社名を「金沢丸越百貨店」に改め、店舗名も「めいてつ・エムザ」から「金沢エムザ」に変わりました。
全文は下記サイトを参照してください。
死亡乗客は出勤中の「名古屋空港ビルディング」社長 名古屋高速バス炎上 前方に座っていたが後方で遺体見つかる
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a0cdcb536eccccd1b2d36fff26ae445a56109b0
下記名古屋空港ビルディングのHPには亡くなられた方の名前が代表取締役社長となっており、2018年6月に就任とのことです。
名古屋空港ビルディング株式会社について
https://nagoya-airport.jp/company.html
この方が社長であった百貨店については下記を参照してください。
金沢丸越百貨店 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E4%B8%B8%E8%B6%8A%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
名鉄百貨店 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%89%84%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
【石川】エムザ 名鉄が撤退 百貨店、ホテルは継続 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/214861
>出勤途中で、まさしく殉職ですね。
通勤途中の災害による死亡の場合、一部の場合などを除いて労災の」対象になりえますが、殉職とは言わないと思います。
通勤災害について 厚生労働省東京労働局
https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/rousai_hoken/tuukin.html
下記ピクシブ百科事典には、
「一般企業などに勤める人の場合でも、工事現場などでの死亡事故などにおいては「殉職」に該当する場合もある。
こちらの場合でも、直接職務と関係しない場合(通勤途中の交通事故など)は該当しないことも多い。」と記載があります。
殉職 ピクシブ百科事典
https://dic.pixiv.net/a/%E6%AE%89%E8%81%B7
私は当時の事情をリアルに知りませんが、「名古屋市営交通の100年」の1970年12月の路線図では島田住宅と原、植田を結ぶ路線は見当たらず、下記サイトで1970年当時の地図を見ても島田住宅~原~植田の路線にするにはかなり不自然な迂回を強いられるように思うのですが、銀河さんは当時の路線を克明に記憶しておられるのでしょうか?
おそらく銀河さんとしては「なごや 街と交通の一世紀」の189ページの写真の日野RB10の側面方向幕の表示が「天白車庫前」になっていたためと思われますが、鶴舞線がなかった当時、これだけ多くの乗客が朝の始発から天白車庫前行きのバスに乗るとは思えませんので、方向幕は車掌さんが回している途中なのではないかと思います。また、バス停にも栄行きとしか書かれていません。
ウェブで過去の地形図や空中写真を見る (Leaflet版)
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/lmap4.html?data=history