遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

天覧山&多峯主山に登る

2022年11月17日 | 山旅

11月17日(水)

 

▲ 飯能中央公園第二駐車場

右膝回復チェックのため、自宅より一番近くて一番低い山に来た。

天覧山197m多峯主山271mだ。

どうだ、写真でみても十分に低いだろう。いわゆる埼玉低山の代表だ。サイテーと笑ってはいけない。手ごろで、いい山なのだよ。

 

すぐ目の前のお寺さん

▲ 能仁寺を右に回って登山口へ。

お寺は帰りに覗いてこよう。

 

 

▲ 天覧山登り口

 

 

▲ まもなく天覧山中段の広場へ

 

この奥からまた登って

▲ 十六羅漢像が並ぶ崖横へ

徳川五代将軍綱吉が重病になった時、下の能仁寺が祈願。回復したことを生母桂昌院が喜び石仏16体を寄進したことによる。

 

 

 

▲ あははーと笑っている?

病気快癒を喜んでいるのか、知らんけど。

笑う門には福来る。いいじゃん。

ではボクも、わははは

 

▲ 細い道がしばらく続く

 

 

 

▲ 石段を登る

 

 

ほどなく

▲ 天覧山頂上に到着。195mの表示。

 

 

▲ 頂上は展望台のようになっている。

 

 

▲ 展望台からは飯能の町並み、そして大東京が遠くに見渡せる

天覧山の名前の由来は、明治16年4月に明治天皇が飯能でおこなわれた軍事演習を見た時に発したことばに因る。

「山頂のお野立所にお着きになるや開口一番『ああよい景色』と仰せられた。天覧山の名はこのとき始まる」と看板に書いてある。

 

 

▲ 新宿のビル街が蜃気楼のように見える。

 

 

▲ 富士山も。これは蜃気楼でなくてリアル。

雲に隠れてちょこっとだけだが。

ここ数日の寒波で、また冠雪したようだ。

 

頂上をいったん下って

▲ 湿原帯へ出る

ずいぶん昔、昔に来た時は、右側は水があって湿地帯だったと思うが。

 

湿原を過ぎて

▲ 見返り坂を上っていく。かなり長い坂。

源義経の母、常盤(ときわ)御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り、振り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。(看板より) 常盤御前も数奇な流転をする故に、振り返り振り返りは追手の目を意識したのではと思うが、これも知らんけど。飯能には常盤御前の墓とされるのもある(Wiki)。

 

常盤御前(歌川国芳)

 

次の山へ

▲ 頂上が見えてきた。

ここは賑わっている。

 

 

▲ 多峯主山(とうのすやま)山頂 271m。

 

 

 

▲ 「ああよい景色」と旅人はつぶやいた。

 

 

 

▲ そして、お決まりのお食事「助六寿司」を食べられた。

 

 

 

▲ 登ってきたのは高齢者がほとんどだ。

会話を盗み聞きしていたら、89歳の男性の方もおられた。背は脚はすこし曲がってはいるが、矍鑠(かくしゃく)として。じゃあボクも・・という希望が少し湧いてくる。

 

では、下山としよう。少し周回する。

▲ 雨乞池

かって水の枯れたことのない池。干ばつが続くと、この池のまわりでにぎやかなお祭りをしたという。

 

下山。下に戻ってきた。

▲ 紅葉が綺麗そうだから、能仁寺を覗いてこよう。

 

 

▲ 本殿

 

 

▲ 参道

 

 

ふもとには、こんな店もできていた。昔は無かった。

 

左が 八幡屋 ~ 発酵食品のセレクトショップ&飯能マルシェ

右が Pieneピーネ ~ 野菜X乳酸菌X米麹の発酵デリカフェ

 

▲ それぞれの店内

うむ、昼食は助六寿司でなくて、ちょっと我慢して下りてきて、ここでランチすれば良かったかな。

いや、オジン一人では恥ずかしいな。

 

YAMAPを使うほどでもないのだが、

 

 

活動記録

 

平地・登り時は問題ないが、下る時に少し右膝に痛くはないが違和感が残るかな。

Harmonyもまだ戻ってこないし、ま、ボチボチと行こうか。