10月16日(月)
谷村新司さんが亡くなられたと報じられた。
家内は、早すぎるとショックがっていた。
90年代の後半、息子と家内は米国から一足先に帰国して、青山学院高等部を受験。幸いにも息子は帰国子女枠で入学できた。
まもなく息子はゴルフ部に入って、「三年生の谷村さんに教えてもらっている」と息子。家内がよく聞くと、谷村さんとは、谷村新司の息子さん。ボクの息子にとっては、アリスも谷村新司もチンプンカンプンで。
そのうち、年賀状に谷村〇〇という女の子から、息子は年賀状をもらう。家内が、「この子だれ?」と問うと、同じクラスの子だという。谷村新司さんのお嬢さんだった。
息子の高等部の卒業式で。ボクは平日で、出れなかったが、家内が出席。目の前の席には、ヒゲをたくわえた谷村新司さんと奥様が座ってられた。家族席の方はたいてい背もたれにもたれて座っているのに、谷村新司さんは前のめりになって、式が進行するにつれて、感極まったのか目頭をハンカチで抑えてられた。奥様はと見ると、居眠りをされていた。と、家内の報告があった。「そりゃあ、なんでも感動するような感性を持っていなきゃ、あんな素晴らしい歌は創れないよ」とボクも言ったのを覚えている。
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
谷村新司さんの、ご冥福をお祈りします。