遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

想いは遥か昔に戻って~郷里の学校めぐり

2024年11月22日 | 一般旅

11月16日(土)

 

▲ 道の駅・禅の里での朝

 

 

▲ 盆地で山に囲まれている

 

簡単な朝食後、9時まで待って

 

▲ 道の駅で土産物を購入

五月ヶ瀬(さつきがせ)~ ピーナッツがふんだんに入った煎餅。よく食べていたもので。

永平寺ごまどうふ ~ 家内から希望があったもので

 

高校の同窓会は、明日。今日はフリー。

まずは市内中央に出て、同窓会のあいだクルマを停めておく駐車場の下見へ。

 

▲ 1時間あたり200円というのが相場のようだ。

 

 

▲ ちと会場ホテルから離れるが、ここにしよう。

同窓会は午後2時から4時半まで。もしアルコールを飲んだら運転できない。その場合は(お得意のW)駐車場でお泊りになる。その場合でも、ここは最大750円だから。

 

明日の駐車場を決めた後は、懐かしの小中高の学校巡りを今回はやろう。今までも、クルマからチラッと見たことはあるが、一瞥だけ。中をじっくり見たことはない。おそらくこれが最後の機会となろうから。

市内中央から、ボクの実家近所に移動。

▲ 実家から一番近い、S中学校へ。昔の入り口はそのまま、まだ残っていた。新しい入口は左端に増設されていたが、この正面の建物は60年後のそのままのようだ。

 

 

▲ 運動場

もっと広いイメージを持っていたが、こんなものだったのか。

右端は体育館のはず。向こうの地震補強された建物は教室。今はコンクリート造りだが、60年前は全部木造校舎だった。

この運動場で有る日、運動会の全校・行進練習があった。ボクはふざけて脚と手を同方向にして行進していたら、顔だけ覚えのある教頭先生が近づいてきて、ボクの胸のネームをチェックしていった。ボクはもちろん直ぐにそれは止めたが。担任からのお咎めは来なかった。ボクは400人余の同学年で、定期試験でたいてい1番か2番の成績優秀者だったからだろう。あの教頭先生が運動部員を数名立たせて平手打ちをしていたのを見た事があった。今なら暴力教師ということで大問題、警察沙汰になることは必至だが、60年前なら体罰は教育の一環で全く許されていた。体罰を受けなくて良かった(笑)。すみません、アホな歩きをしまして。

 

 

▲ 左の校舎が冒頭の正面校舎。3階の一番手前が音楽室。入学後、クラブはこの中学で有名だったブラバンに入った。しかしあてがわれたのはクラリネット。やりたかったのはラッパ。続ける気が起きず、まもなく退部を申し出た。

2年時だった。ボクは小6からラジオ・テレビの英会話を聴いていたから英語の発音は良かった。それに目をつけた英語先生が、高松杯英語暗唱大会に出ないかと、1階の個室でマンツーマン(先生は女性だったが)で教えてくれた。題材は英語の教科書(ニュープリンス)に載っていた”Jhnny appleseed”。全校生の前で、訓練も兼ねてだろう暗唱スピーチをやった。して、先生と上京して、東京の本女か東女かの講堂での、多分都道府県から一人は参加する大会に出た。間違いもなく上がりもせずうまく出来たと思うが、8位内に入賞できたのかどうか??覚えてない。この機会は、その後のボクの英語を活かしたキャリアの端緒になったと今になって思う。女先生は発音を良く教えてくれた。余談だが、当時はミニスカートが流行り始めた頃で、先生のも短かかったのだろう。椅子に対面で座っていると、先生はよくスカートの裾を下へ引っ張っていた。入賞できなかったのは、ボクが集中していなかったのかもしれません。それでも、先生ありがとうございました。

 

中学校はそこらへんまでにして、すぐ近くにある

▲ ヨーロッパ軒(みゆき分店)へ

 

 

で、福井のソウルフード、元祖ソースカツ丼を注文。

▲ 並(1400円)で、ソースカツ3枚が入っている。

 

ちまたのソースカツ丼との違いは

▲ 齧ったので申し訳ないが、カツが薄いということ。厚さ7mmぐらいか。

それゆえに、ソースの衣とカツがジュワっと混ざりあって、旨いのだ。

ああ、また食べたいなあ。

 

口腔全体と腹を満たしたあとは、今度は小学校だ。

コンビニに停めて

▲ H小学校へ。今日は土曜日で生徒がいないので再訪もしやすい。

 

 

▲ 生徒の入り口玄関も同じ。

60年以上前は、左端の図書館だけモルタル造りで、あとは全部木造建てだったはずだ。

 

 

▲ 校門をくぐった直ぐに、小さな築山と池があった。

あの時はそれなりに大きかった覚えがあるが、今は小さな小さなスペースだった。

 

 

▲ それでも池のあった場所は、石垣で囲まれている。

ここに、サンショウウオが居た。

 

 

▲ 今や鉄筋の校舎。

右の校舎が一番奥にあって、2階建て木造校舎だった。

中学年・・3年生の時か、2階の教室から窓を乗り越えて、外の壁の通気口に足を乗せてぶら下がったことがあった。なんか、とにかくやってみたかったのだ。今はもう無いが左横に1階建ての校舎があって、そこが職員室だった。ボクがぶら下がっているのを職員室でみて、先生が飛んできた。

今は高所恐怖症に閉所恐怖症だが、あれは生まれつきでは決してなく30代ごろからの獲得形質だ(笑)。他にも、他の生徒は決してやらないいたずら、悪行をはたらき、先生に泣かれた。若い、キレイな先生だったが、ボクを呼んで「〇〇クンがそういうことをやると、みんなが真似するから止めて」と涙を浮かべて訴えた。ボクは単独実行役だったが、決して他に指示する指示役ではなかったのだが・・。でも、先生、ごめんなさい。

ボクは今でいうインフルエンサーだったかもしれないが、ボスとかリーダーになる気はサラサラ無かった。しかしボス的な生徒は気に食わなかったのか、

ある日下校時に、ボクのファンみたいな子だったのか、ある男の子が「そのボスが学校の正門で待ち構えている」と教えてくれた。あえて対峙する気は無いので、そのファンの子と一緒に

 

▲ これは先の一番奥の校舎。左は民家との境界。鉄筋になっても、今も赤線の非常出口はあった。この非常口から出て、学校の裏から何食わぬ顔で下校した。その後、ボスは肩透かしされて、諦めたのかどうか知らないが、何も起こらず。

 

 

▲ 小学校の校庭

ここで、模型飛行機を飛ばしたり、ゴムボール野球もよくやった。当時は、校庭の周りは全部水田が広がっていた。

 

 

▲ 60年経った今も、同じところに鉄棒がある。ここで逆上がりの練習をしたな。

 

そして、向こうに見えるジャングルジム

▲ このジャングルジムの左横に砂場が有って、背の高い鉄棒があった。

体育の授業の時に、懸垂をやらされて、みんなができた回数は数回だったと思うが、ボクだけ20回やってあきられた。特別な訓練をやってたわけではないから、腕と背筋が強かったのだろう。これは遺伝形質で、今も腰は比較的強いようだ。両親に感謝だ。ただし懸垂は1回しかもうできないが(笑)。

 

▲ 小学校の前の通り。

帰校時に、民家の家の玄関ブザー、チャイムを次々に鳴らして帰った。学校に文句が来たのか、チクった生徒がいたのか、ボクが特定されたのだろう。学期末で成績通知書を親が受け取りに行ったとき、担任の先生から親に注意があった。成績書はいつも5のオンパレードで怖くないのだが、行動所見欄に何を書かれるか、何を曝露注意されるかがいつも怖かった(笑)。協調性はずっとCランクだった。

 

 

▲ 小学校から戻るとき、田んぼを見つけた。周りは住宅街に変わっていたが、ここだけ田んぼが残っていた。ボクの小学校時代の遺構だ。

 

 

このあと、いよいよ高校へ向かった。

▲ 立派な、しかし簡素な校門。

F高校のモットーは、質実剛健 だからな。

 

 

▲ 左に玄関口と校舎

 

 

▲ 校庭

ふーん・・何も思い出さない。

 

 

▲ 貼ってあった、見取り図。

学年別の1号館2号館3号館は、元の木造校舎と同じ配置だろう。体育館はあんなに大きかっただろうか?

思い出深いのは、昼メシ、たいてい、うどんかカレーだったが、を食べに行った「新嶺会館」(昔は新明会館という名前だったと思うが。それと自転車置き場のイメージが残っている。

 

▲ 自転車置き場。

小中は徒歩で行ったが、高校は自転車で通った。ママチャリで雨の日も風の日も、ブルーのレインコートを羽織って傘を差しながら、ズボンもべたべたになって通ったよ。実家の前には、もう一つの県立高校がデーンとあるのに。(笑)

F高校は県内でナンバーワンの進学校。ここに行くことになっていた。(笑)

小学校、中学校の思い出、エピソードはごまんと有るのに、F高校を再訪して、ここには殆ど思い出さないことに気づいた。

この高校では、同級生を見る評価軸はただ一つ。勉強ができるか、できないかだけ。単一の座標軸は、何をやるべきかがはっきりしていて、確かな世界。いたずらをしている場合ではもうなかった(笑)。これが、都会の進学校ならそれでも文化祭に熱中するとか他の活動にも夢中になるのが「粋」とかの価値観もあったろうが、田舎の進学校では純粋に勉強だけの世界(笑)。余計な記憶が残っていないのも、むべなるかなと思い至った。

あ、そうそう、高校時代で絶対無視できないのは、英語勉強が昂じて高3の夏から翌夏まで、米国の高校3年に編入卒業し帰国して、またF高校で3年の2,3学期を終えて卒業したことだろう。この得難い体験を語り出せばキリが無いので止めておく。今回の同窓会は、元の学年のみんなとの会だ。

 

F高校を再訪したあとは、思った以上に時間が残ったので、福井からボクの生誕地・勝山に行ってみることにした。

To be cotinued...

 

 

小椋 佳 「さらば青春」 昭和51年

 

ラララー・・

 

 



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