7月11日(火)
▲ 道の駅 種山ヶ原(たねやまがはら)での朝
この道の駅は人気がないのか、車中泊までした人はボクだけだ。
朝食後、昨年の秋に三陸へ向かった際に気になったスポットへ寄った。
▲ えさし藤原の郷 の入り口
9時の開園と同時に入った。(笑)
奥州平泉で藤原氏三代(清衡、基衡、秀衡)が栄華を極めたことはご存じだろう。その栄華をあの世にまで持っていきたいと極楽浄土を似せた毛越寺などを平泉に造営したことも(平泉文化)。三代目の秀衡が義経をかくまったが四代目の泰衡が売渡して藤原氏も滅亡したことも。
この地、江刺(えさし)は初代の清衡が平泉に移るまで居宅を持っていたところ。奥州藤原氏のルーツがある地で、当時の居宅等を現代に再現したのが「藤原の郷」だ。
当時が上手く再現されているため
▲ 平安後期から鎌倉時代~戦国時代のNHK大河ドラマのロケ地として何度も利用されてきた。
▲ 再現建物、敷地はかなり広い。
順に周ると、1時間半から2時間を要する。実際そうだった。
ハイライトのみご紹介。
▲ 当時の国司の政庁の再現建物。
▲ 藤原氏三代の紹介
シルエットの横に「調査データ」なるものが貼ってあって。
▲ 三代とも平泉の金色堂にミイラで保存されているため、その遺体から分析したのだろう。
これは、初代清衡の医学データ。
やはり気になるのは「死因」だろう。美味い物を食って、医療的にも最大のケアを受けた権力者がどういう死に方をするのか・・
清衡 ~73歳 脳内出血
基衡 ~ 不明50歳以上 脳内出血 もしくは脳腫瘍による急死
秀衡 ~ 66歳ぐらい 脊椎の病気で急死
▲ 清衡館
陸奥国府の官だった藤原清衡が江刺に移り住んだ11世紀半ば頃の地方豪族の一般的な館ということだ。
▲ 清衡の寝殿
▲ この階段を上がると
▲ 平泉の金色堂
平泉文化の最高傑作である金色堂を、創建当時を想定して覆堂のない姿で再現したもの。
▲ 金色堂の丘から眺める、藤原の郷の全景
夏草や兵どもが夢の跡
▲ 藤原の郷の駐車場
駐車場は広いが、観光客は殆どいなかったなあ。
出発!
北上市では再度イオンに寄って、食料調達。
して、花巻、盛岡を通過して八幡平へ入っていく手前の西根へ。
▲ 道の駅 にしね(西根)に到着。
この道の駅は八幡平、岩手山への起点として何度も来ている。一番思い出深いのは6年前にHarmonyのマフラーカバーの腐食・異音発生で、西根のトヨペットにお世話になったこと。新しいカバー取り寄せで装着で、1週間この道の駅に滞在したよ(笑)。キャンカーだからできた。
▲ 道の駅の前方には、岩手山がデ~ンと見えるのだが、雲をかぶっている。
ずっと、東北地方の天気予報を追ってきたが。
ダメ。1週間以上晴れマークが無い。
見切って、北海道へ向かおう。帰りにまた東北を通過するから、その時に山はまた考えてみよう。
給水、給油を新たにやって。
▲ 道の駅近くの おらほの温泉へ。
入浴後、西根ICから東北道に乗る。
一番手前の岩手山SAへ。ここで食事、車中泊と目論んだが・・
クサイ。
牛、放牧の匂いが漂う。
アカン。
しょうがなく、30kmほど先の花輪SAへ移動した。陽は落ちていた。
ここの食事処は松屋のみ。うむ、また牛かよ。(笑)
▲ しゃねえな。
イオンで買った八宝菜丼だ。
お疲れさん。
まもなく北海道かな。北の大地を夢見て、おやすみなさいまし。
陸奥の旅、楽しそうですね。金色堂は中尊寺の方のを一度見に行って見たいとずっと思っていますが、まずは歴史を良く知ってからと家内と二人で話しています(話しているだけで二人とも忙しさを言い訳に歴史を勉強しようという気がないからなかなか行けないのですが)。
これだけ金箔を貼るとなると相当の金箔が必要だと思います。金箔職人さんも大変だったことでしょうね・・・。
匂いがきつい環境でご飯や寝泊まりするのはちょっと厳しいですよね。
移動するのがベストですよね。
キャンカー内でのパソコンや独宴会(独宴会は僕だけかもです失礼しました)の環境はとても素敵ですね。
落ち着いて作業できそうですね(呑めそうですね)。
道中お気をつけて。
いやいや、歴史を知らなくても、歴史上で重要なスポットだということだけで見に行っていいと思いますよ(笑)。そのときの説明で、へーそーなんだということで、私なんか夏冬二回見にいってます。
>これだけ金箔を貼るとなると相当の金箔が必要だと思います~
そこなんですよね。奥州藤原氏の領地には金山があるのですよ。その金の産出が彼らの栄華を支えていました。
そんなに暑くなくて幸いとはいえ、窓は開けて寝てますから匂うスポットはパスですよ。
時間の余裕は今回はありますから、作業も好きな時にで、楽ですね。リチウムイオンバッテリーで冷蔵庫もフル稼働できますし、車内環境は今回は満足しています。