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リジログ 2025

いいぞ 野球は

オリンピックも練習試合も・・・

2008-08-03 23:25:18 | Weblog
ひとつの球を,渾身のチカラで投げ,打ち返し,追いかける。そしてホームに向かってひたすら走る・・・キツイ日差しが突き刺さろうと土埃が舞おうが関係ない。今日もそんな一日にしっかりと汗をかき,充実感と疲労感とともに週末が終わる。

夏の高校野球,北京オリンピック,8月は日々スポーツの話題がつきないのだろう。オリンピックで期待される種目のチームや選手の状況がTVなどから日々伝えられている。みていてそれぞれについて,共感したり,感動したり,いろいろ考えさせられたり。

今日の遠征先では,学校のプールで小学生たちの記録会を朝早くからやっていたり,体育館では中学校のクラブ活動をやっていたり,この暑さのなか,みんながんばっている。本当によくがんばっていると感じた。

そういう子どもたちを見ていてもいつも思うのは,なんでここまでかんばれるのか?ということ。簡単なようで簡単に答えは出ない。ただいえるのは,こんな身近な少年野球の練習での一球を追いかけるがんばりも,全国大会のようなひのき舞台でのがんばりも,そしてオリンピックなどの世界規模へ向けてのがんばりも,共通する何かがあるはずだ。

イチロー選手が日米通算3000本安打を達成した翌日の記事に,「日本ではなく,初めから米国で始めていたら,という思いはあるか」とのという記者の問いにイチロー選手はこう答えている。「それは言っても仕方ない。日本では安打だけではなく凡打も僕の技術を磨いてくれた」と。

凡打が技術を磨く・・・なんて勇気の出る言葉なのだろう。ヒットを打ってほしいと願う周りの人間。ヒットを打たせたいと指導する指導者。その背景にはしっかりと積んだ練習がものをいうことは誰もが疑わない。気合だけでも,ヒットは打てない。運だけでもダメ。このイチロー選手のこの答えからは,凡打を打ってがっかりするだけでは,何も生まれない。ということを学べた。

ふと思った。最近調子のいい選手や,低学年でも一気に伸びている子どもから共通するものを。それは「本当に自分のためにやっている」という気持ちが見えること。誰かがやってくれる,とか,指導者に言われるから,とか,親がうるさいから,などそんなものではなく,いいプレーをすることがどんなに自分のために,そしてチームのためにいいことなのかに気づいたように。そしてそういう子どもたちは,自らがいろんな場面で自分を主人公にしている。まわりがどうであれ,暑かろうが寒かろうがそんなことが関係なくなっている・・・。


これは誰かに言われただけで育めるものではないと思う。自らがそういうことに気づくまで,我慢することもひとつの指導法かもしれない。結局,日々のひたむきな練習,試合などでのつらい経験,その中には凡打も多くあろう。そんな中で自らがつかむしかないものだと・・・。
そういう眼でしっかり見つめ見守り,芽をつまないことが私たちの役目とするならば,まだまだ自分自身,切り替えないといけないところも多い。暑さで頭がボーっとなりながらでも,意識革新の材料をもらい,しっかりとした確信を求めていきたい。

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