ファイトまさちゃん!

今日も一日、笑顔でガンバ!

天国のお父ちゃん

2007-06-06 01:28:38 | Weblog
もうすぐ父の日、今日はまさちゃんを、一番可愛がってくれたお父ちゃんを思い出したい。

まさちゃんの兄妹は、兄貴二人が年が離れていて、末っ子の女の子だから、父には随分可愛がられたマイホームパパの父は小さい頃から日曜になると、家族みんなでどこかへお弁当を作って出かけたり、そんなあったかい思い出や写真がたくさん作ってくれた。出かけるって言っても、車ないから、みんな自転車で走るんよ~

前にも書いたけど、字がとっても上手だったから、戦争中うえの人に重宝がられて、事務の仕事を任され、戦地に行かなくてすんだらしい

とにかくお人よしで、人が大好きだったから、よく人のお世話をしてた。決して裕福な方ではなかったけど、とにかく手先の器用な人だったから、よくなんでも手作りで私達を楽しませてくれたよ。

小さい頃、大きな板に緑のペンキを塗って、立派な卓球台まで作って我が家の裏庭で兄貴達と卓球の試合を楽しんだりもした。その頃、ほとんど外食なんてしなかったから、なんか鉄板をどこかからもらってきて、家族で食べれるお好み焼きの台を作ってくれたりもした。

京都の町中で知り合った母を遠く離れた田舎の家まで、大恋愛?の末連れてきた父は、母が大切で大切で、戦後何もないから自分で針金を細工して、カーラーを作り母が寝ている最中に髪を巻いてくれたって、、、母が言ってたよ

まさちゃんが実家から車で四時間もかかる所に嫁いだから、きっと
寂しかっただろうな~と今になって思う。自分の娘が大きくなって、親の気持ちが分かるようなったからね。

結構、年をとるまで毎年二度ほどは、まさちゃんの所へ来てくれた。大きくのない車に積みきれないほどのお土産や荷物を載せてね。少しもじっとしてない父で、よく働く人だったし、まさちゃんちに来ても庭の草を抜いてくれたり、障子を張り替えたり、そこらじゅうの窓ガラスふいてくれたりして汗かいて手伝ってくれてた。

そんな父が、「なんか足が地面にくっつくみたいで、歩きにくいんや、、、」っていうようになり、マメに葉書をくれてたけど少しずつ手が震えて、かつてのいかにもキチンとした父の字が崩れていった。

今ではよく耳にするけど、当時はまだ聞きなれない難病の『パーキンソン病』にかかっていた。あんなに、よく動いていた父が思うように動けなくなり、まさちゃんの所へ電車でくるのもだんだん来れないようになってしまったんよ。

まさちゃんちに来る予定にしてた春、早くから父は靴を磨いて心待ちにしてたらしい。でも、だんだん体が動かなくなり不安になって「やっぱり行くの今回はやめにするわ、、、」って電話がかかってきた時は寂しかった。お父ちゃんはもっと寂しかったやろうね。

家族を精一杯愛してくれて、一生懸命働いてくれたお父ちゃんはお酒が大好きやった。きっと天国でも好きなお酒楽しんでるやろう。
寂しいやろけど、お母ちゃんはもうちょっと連れていかんといてな、、
まさこも、頑張ってるから心配せんでいいよ

こうして考えてみると、お父ちゃんってごく普通の人やったけど、たくさんたくさんの愛情を残していってくれたんだな~って思う。『お父ちゃん、ありがとうあなたの娘だから大丈夫、頑張るよ』ずっとずっと見守っててくださいね