-写真の部屋-

奥野和彦

本屋

2010-03-04 22:57:40 | 写真
100304
デジカメになってライトボックスを使う事が
無くなったので、分解して飼育用の蛍光灯に
付け替えて使っている。

仕事場に早く着きすぎて本屋で時間をつぶす。
目についたタイトル、装丁のものを取って少しめくって
みる。このことについてのこういった内容だったら
自分で考えてみるからいいや、と思ってしまって
本屋に1時間ぐらいは平気でいるけれど何冊手に取っても
いつも買って出ることはない。
良くない性分だが、自分をとりまく小さな世界と、
それに対する自分の考え、答えが一番面白い「オレオレ」な
人なのでよっぽど自分で文章を書こうかとさえ思う。
もちろん人に読ます為に書くのではなく、自分の考える事を
客観的に把握する方法として、漠然と思うのだろう。
多分「若い人」の性質を代表していると思う人がいるだろう。
(若くないのだが)「視野」が狭いことだ。という人が
いるだろう。

でも自分で答えを導き出したいだけなのだ。
早くたどり着く必要もなし、一生、「過程」であれば良い。

でも、文章を書く能力はないので
写真でやろうとしている。未だに。

そういえば、カメラ雑誌等ではその昔、写真家が
作品を見せ、カメラはこういう物を使い、フィルムは
これを使い、さぁ貴方もやってご覧なさいと
「楽しい写真ライフ」をすすめ、カメラや感材が売れ、
それでもどうしてか写真家のような「作品」は作れなかった
から「どんどん撮りましょう。一日一枚です。」と乗せられて
また材料が売れていたが、デジタルカメラが出来、パソコンが
普及してもはやその垣根はなくなった。
「写真家」を羨望していたアマチュアの方が、はるかに
「楽しく自由な写真ライフ」を獲得し、写真における
作家性などはとっくに無くなっている。表に出ないだけで
個々に素敵な、それこそ歴史に残るようなモノを作っている
に違いない。それを発掘することなど批評家にももう無理で
いつか誰かが言った「本当の写真は家族のアルバムの中にある。」
というのをまさに具現している。
それでも、手に取ってもらう写真を作ろうと言うことは
本屋で、レジまで持って行ってもらえる本を書くのと、
な~んだ、同じぐらい難しいことか…。