サウンドエンジニアの天童さんが、渋谷店店長の水原さんからお借りした
貴重な写真を閲覧出来るようにして下さいました。
天童さんは渋谷店時代にMILKY MAMAのデモレコーディングなどの際
にとてもお世話になった方です。今では数多くの有名アーティストの
レコーディングをされています。写真はとにかく数が多く選ぶのも大変!!
とりあえずの7枚をスライドショーにしてみました。
この中に、キーボード教室の写真がありますが、私の生徒としてのスタートです。
懐かしすぎて、涙が出ます・・・そしてバンドに出会いスタッフに出会い
思い出がいっぱい詰まってます。やっぱりこれだけじゃ足りませんので
追加予定です。そして天童さんご自身のブログで渋谷店のプチ歴史を
書いていらっしいます。名だたるミュージシャンが、出るわ出るわ。
どれだけ、この渋谷店から多くのバンド、ミュージシャンを輩出したことか。
日本の音楽の歴史にどれだけ貢献したかがわかります・・・・
それで・・・・そこにMILKY MAMAの名前が出ているではあ~りませんか!
何と言うかかんというか・・・冷や汗ですが・・・未だに現役のバンドも
数少ないですから。ちょいと抜粋させてコピペさせて頂きます。(承諾済みです)
当時のレコーディングの様子が垣間見られます。
渋谷店のLMセンターにあったマルチ・トラック・レコーダーは、TEAC 80/8 というハーフ・インチで8トラックのレコーディングが出来る機種でした。この機種はTom Scholtzのバンド「BOSTON」のデビュー・アルバムの録音で使われたこともあり、民生機ながら3M社の機種のようにパンチがあって太い音で録れたレコーダーでした。8トラックで足りるように録るのもLMセンターでの必須スキルでしたが、ミルキー・ママ、ウルトラ・ブレーカー(タメゴロー [G]と外山 明 [Dr] )というバンドの録音時にはトラック数がすぐに全然足りなくなって、2Fの売り場から80/8より新しめの8トラック・レコーダーを借りてきて、傷を付けないように慎重に扱いながら、もう一方のレコーダーへとバウンス・ミックスしながらトラックを整理して空きトラックを作って・・・また足りなくなると同じ事を繰り返して・・・1990年に出版されたBEATLES Recording Sessionという本で読むまでは「なんと原始的な方法だったんだ」と思っていたことが、ビートルズの本を読んだ時にSgt. Pepper’sまでの頃と同じ様な手法だったと気が付き、なぜか単純にとても嬉しかった記憶があります。
多くのバンド、ミュージシャンを輩出したYAMAHAの大きなコンテストについて・・・です。
1976年から1986年まで開催されていた「EastWest」というイベントでは、池袋東ショップ/吉祥寺店/渋谷店、そして横浜店や千葉/埼玉など多くの店とバンドがしのぎを削ってのし上がってきて、関東甲信越決勝大会となる中野サンプラザでの決勝に向け、各店舗/ブロック大会毎にスタッフとバンドが一体となって自分らの所から優秀なバンドが出てくるようにサポートしていた時代。EastWest期間に入ると他店との店や地域を越えた協力体制が出来上がり、東京支店を核としたSRスタッフが構成され、ブロック大会〜決勝大会までは全スタッフ混合の巨大なSRチームが構成されていました。
渋谷店からは1977年に「サザンオールスターズ」がEastWestに出て、サンプラザの決勝大会では惜しくもバンドとしては賞は取れませんでしたが、その後ビクターからデビューして活躍の様は皆の知るところですね。1980年には河村 カースケ氏 [Dr] が所属していたバンド「ぴかぴか」が決勝大会でグランプリを獲りデビュー、そして女性だけで結成されたAORロックバンドの「ミルキー・ママ」も渋谷店から生まれ、同年レディス部門でグランプリを獲得。椎名 林檎のストリングス・アレンジなどで名を馳せている作曲家の斉藤 ネコさんも「サンセット・キッズ」の活動は渋谷店を拠点としていたり、と今でも活躍する多くのミュージシャンを輩出した所でもありました。
う~んサザンの名前と共に!!光栄です。ちなみに「サンセット・キッズ」の
ドラマーのれいちさんは少しミルママのサポートをして頂いた関係で
「サンセット・キッズ」に対バンとして呼んで頂き渋谷ライブのデビュー
となったのです。思い出深いバンドです。
これはごく一部ですので、ぜひ全編をお読み下さい。
当時の日本の音楽シーンがよくわかります!
http://www.minet.jp/blog/jun_tendo/
そして、天童氏のホームページもベーシストJaco Pastoriusに関しての
お部屋?もあり興味深いのでこちらもぜひどうぞ!
http://www.asahi-net.or.jp/~ut1j-tndu/
あ~もうカウントダウン26日で閉店です。どうかこの歴史的な楽器店を
一度でも良いから、訪ねてみてくださいね!ありがとう ヤマハ渋谷店!
デビュー前のサザンを!それは貴重ですね。
>今やメディアが発達しすぎて、本当によいものをリスナーは自分で判断できなくなっちゃっていると思います。
そうですよね。ちょっと関係ないかもしれませんが渋谷店に行くと有名ミュージシャンがさらっと試奏したり、お客でいたりもザラでした。
YMOの曲をデモ演をしてたら、細野さんが
見ていたとか、私はカシオペアの神保さんに
見られてました。(笑)そんな刺激もありました。
私も細々ながら続けてまいります。
LMセンターはもうとっくに新しいところで12/1から稼働しているけど、Doin'は12/26の最終日に福田 重男さん等のライヴで幕を閉じます。これが正しい事かも知れません。
Doin'で立ち会った数々のライヴ、LMセンターで立ち会った数々のバンド、そのどれも記憶に残っています。全ての経験は私の骨肉となっています。
先日12/15に1977-1980頃のヤマハ渋谷店OB/OG先輩達の集まりに参加させてもらい、1/19のライヴのこともお話ししてきたんですが、私が何をやっているというわけでもないのに、何故か皆さんから感謝されてお礼を言われました。
聞くと、自分も渋谷店のために何かやりたいけれど、参加したいけど窓口が見つからず参加できていない・・・(結局皆さん同じ様なんです)・・・そこへたまたまTwitterで、ほんと、たまたま、エンジニアだと言うだけでコンサート実行委員会の方へ参加させてもらっていて・・・その動きに感謝してくださって、胸がジ~~~~ンと熱くなる思いでした。下手な映画より先輩皆さんの渋谷店に対する気持ちに感動しています。
そして、その熱き思いは世代を超えて後輩にもしっかり引き継がれています。
渋谷店のDNAは「音楽に対する熱意」それが私の原点にもなっています。
商売より先に素晴らしい音楽を・・・が渋谷店のモットーでした。
その結果、LM楽器が嘘のように売れて、渋谷店は発展しました。
川上 源一さんの理想とする楽器店でもあったわけです。
私はまず、12/26の閉店と共にDoin'での最期のライヴを観てきます。
OB/OG会に参加されてた元SASの大森さんも「なんで俺に声かけてくれないんだよ~・・・只でなんでもやるのにさ~・・・」渡辺 香津美さんへもお声がけされていない・・・様々な声を聞きながら、渋谷店OB/OGだけではなく、渋谷店が音楽の原点だった人たちと、今は渋谷店の最期を看取って、新しい種が芽生えるのを見守りたいと思います。
(今の私に権力と地位が有れば大森さんも渡辺 香津美さんにも出てもらいたい気分ですが、如何せん、権力と地位に屈するしかないのが自分にとっての悔しさです)
今後は渋谷店の流れを、渋谷店をよく知っているスタッフが居る銀座店がキッチリ引き継いで行くそうです。その為にも私に出来る限りのことをやっています。渋谷店のDNAが混じって発展して欲しいと願うばかりです。
一時の感傷から脱して、今は、この後の事に尽力を向けたいと思います。
ヤマハ渋谷店は(長嶋茂雄風に)「永遠に不滅です!」・・・
なんか寂しいですね。
渋谷店にはほとんど縁がありませんでしたが、「閉店」と聞いた時、また自分の中の「昭和」が消えると思いました。
当時のブランズウィックビル(現スポルト池袋)にあった池袋東ショップ(現ミュージックアベニュー池袋)同様、大切な思い出になりそうです。
初の書込みありがとうございます。そして詳細なども教えて頂いて、嬉しいです。渋谷店に対する熱い思い…
でもそれだけではなく、前に進んで行かねばですね!
私はメジャーな道を歩んでいませんが、これからも
細々と活動しますので、今後ともblogを読んで頂ければ
幸いです。
特に関わっていなかったかもしれませんが、池袋店にせよ
渋谷店にせよ、昭和という時代をつくりあげた場所。
今になって、それを実感しています。
もう無いのかな....エンジニアのあきやまさんが居た。
初めまして?(面識があったらごめんなさい)
書き込みありがとうございます。
この投稿も6年前となります。
どうやって辿り着かれたのでしょうか?
渋谷店DOINは小さなライブスペースで
数々の有名なミュージシャンのライブが
あり私も楽しみました。私もイベントなど
で出たことがあります。
渋谷店が無くなったので
もちろんDOINもありませんね~
私の音楽の原点である渋谷店。
書き込んで頂いたおかげで又渋谷店
を振り返り、感慨深いです。
改めてありがとうございました。