マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

老後のおひとり様暮らしの参考になる記事を読む

2021-11-30 | 老後
本日、ステキな記事に出会いました。

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〈244〉夫を看取った83歳。初めてのワンルーム暮らしは淡いピンクで統一 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

マンションの扉を開けると、“83歳、ひとり暮らし”という記号から想像していた住まいとは180度異なる世界が広がっていた。当のご本人も、リフォ...

朝日新聞デジタルマガジン&[and]

 


「台所」をテーマにした連載記事のようですね。
私は初めて読む連載記事ですが、文章(記事)であっても出会いというのは必然なのかもしれないな、と思いました。
取材を受けている女性は、御年83歳。
それまで、ひとり暮らしをしたことがなかったというのですが、いろいろご苦労を経験しながらも、誰かと支えあって人生を歩んでこられたのがわかります。
そんな女性が、米寿を過ぎてからの初めてのひとり暮らし。

記事を読み進めていくと、おひとりの暮らしを満喫していらっしゃる様子がうかがえます。
私と違って、お料理を始めとして家事がお得意なので、私が目指すひとり暮らしの参考にするには、少しハードルが高いかもしれませんが、おひとりになられことで工夫したりこれまでのやり方を変えられたりしていて、参考にできる部分が多かったです。

小さなワンルームでの暮らしでは、家具の配置や台所の収納の工夫、どのようなモノをお持ちなのか、無いと困るモノ、おひとりになられてから使い始めた調理家電などが、文章や写真で紹介されています。
パートナーと暮らした家には、たくさんのモノがあったけれど、小さな部屋に引越す際にほとんど手放し、亡きパートナーが使っておられたモノは2つだけ持ってきたそうです。

この女性、おひとりになった今、これまでの幸せの形とは違った幸せを満喫しているように読み取れました。
どんな暮らしをするか、どのような心持で老後を過ごすのか、ひとそれぞれ幸せの感じ方は違うのですが、この女性のように「今」を楽しみ、明日を楽しみにしながら暮らせるのが、一番いいな、と思いました。

この連載、他にもいろいろな世代、暮らし方をなさっている方々の「台所」をテーマにたくさんの記事がありましたので、今から他の記事も読んでみることにします。

認知症患者の預金を代理出金できるようになる?話(WEB紙面記事より)

2021-02-17 | 老後
『認知症患者の預金、代理権ない親族も出金可能 全銀協案』(2/16 日経新聞電子版 有料会員限定記事)
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認知症患者の預金、代理権ない親族も出金可能 全銀協案

全国銀行協会は認知症患者の預金を引き出す場合の「考え方」をまとめた。預金を払い戻すには本人の意思確認が必要で、親族といえども預金を引き出せな...

日本経済新聞

 


早速ですが、気になったWEB紙面記事を昨夜遅く目にしたので、ご紹介します。
なお、この記事は日経新聞電子版の有料会員限定記事になっていますが、無料会員登録をすると月10本まで有料記事を無料で読むことができますので、関心がある方は無料会員登録をして全文を読んでください。

認知症になった家族の預金管理の現状
昨夜、寝る前にSNSを何気なく見ていたら、今回取り上げる記事が目に入ってきました。
忘れないうちに、ブログに書き留めておかなくては!と思い、本日は早めに投稿しています(笑)

さて、現在、認知症患者の資産・財産の管理は、たとえ血の繋がった家族親族であっても、法的な手続きを必要とします。
そのことについて、マシュマロ個人の認識や気持ちを書いた記事が以下の2つです。

『家族信託セミナーを受けてきた話』
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家族信託セミナーを受けてきた話 - マシュマロ’sエンディングノート

自分の老後の準備のため、終活を徐々に始めているわけですが、同居している母のこれからのことも考えなければいけません。現時点で、母は介護の必要は...

家族信託セミナーを受けてきた話 - マシュマロ’sエンディングノート

 


『認知症へのケア体制について考えてみる』
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認知症へのケア体制について考えてみる - マシュマロ’sエンディングノート

6月18日に『認知症施策推進大綱』が、認知症施策推進関係閣僚会議にてとりまとめられました。首相官邸公式サイトにて、議事録および大綱の全文が公...

認知症へのケア体制について考えてみる - マシュマロ’sエンディングノート

 


現在、認知症患者を含め自ら意思表示ができない状態の人の資産財産の管理は、「家族信託」か「成年後見制度」を利用する必要があり、例え管理者が何の報酬も見返りもないとしても、家族親族で勝手に口座から預金を引き出したり、資産財産を売却したり処分したりすることはできないことになっています。

できれば使いたくないのが現在認められている制度
私は、この2つの制度(民間の制度と国の制度)について、いずれにしても手続きが面倒くさい上に、利用開始のタイミングもいまいちわからないので、正直な気持ちを言うと、できればどちらの制度も使いたくないです。
「家族信託」は「成年後見制度」に比べて、裁判所を介さない分早く利用を開始できるのですが、家族信託専用の口座を開設する必要があります(現在の口座を家族信託の口座に変更することはできないとのことです)
また、当事者(自ら意思表示できない人)の光熱費や公的な支払いを本人口座支払いにしている場合は、それらの引落口座を家族信託に変更する必要も出てきますから、ただ口座を作れば解決する話ではありません。
「成年後見制度」よりは簡単に手続きできるとはいえ、条件は結構厳しいですし、必要書類の内容も必要事項が記載されていなければ無効となり口座開設ができない状況です(これは口座開設する金融機関が厳しいということです)

どちらの制度を利用するにしても、とにかくすべきことが多く、揃えるべき書類も多くて記載すべき内容も難しいので、専門家の手を借りなければいけない状況です。
専門家とは、弁護士や司法書士などの法律の専門家のことですが、当然依頼すればさまざまな費用がかかり、決して安くはありません。
家計に余裕がある家庭であれば、それも仕方がないと思えるかもしれませんが、実際はギリギリの家計でやりくりしている上に、そんな費用まで工面できない、という人も多いと考えられます。

実際、日経新聞電子版の記事中にも成年後見制度を利用しているのは「21.8万人」(2018年末時点)にとどまっている、という表現をしていますから、制度を利用せずに介護をしている人も多いということだと思います。
私も、もっと簡単に家族が正当に利用できるような制度やルールができてほしいと、常々思っていましたが、金融機関側もトラブルや相談を多く受けていたのか、ついに厳しかったルールの見直しに動いてくれるようです。

金融機関に勤めている知人の話
ここで、実際銀行の窓口対応をしている行員から聞いた話を、少ししておきますね。
銀行では現在、認知患者を始めとする自ら意思決定できない人の口座だと銀行側が認識している場合は、代理人が窓口で預金を引き出そうとしても、家族信託口座ではない場合はきっぱりと断るそうです。
それは、まあ、ルールなのでそういう対応が正しいのですが、やはり窓口でかなり揉めることもあるそうです。
亡くなった方の口座凍結に関しても同じで、死亡が確認された時点で凍結の手続きを銀行側がするそうなので、現状認められている葬儀代などの一時的な出金以外は、引き出せません。
(例外もあるようですが、ルールに則っていないケースになるので当ブログでは紹介しないでおきます)
ただ、死亡者の預金残高などが相続税のかからない範囲であれば、必要書類や手続きも少々簡易になるので、そのあたりはきちんと対応してくれるようです(私の父は預金額が少なかったので、割と簡単に口座解約ができました)

認知症患者の口座、今後の対応と管理
今回、日経新聞電子版で取り上げられた記事の内容は、これまで「家族信託」あるいは「成年後見制度」による成年後見人でなければ、預金などの引出を認めていなかったルールを見直して、必要な書類が揃い、口座の利用条件を守れば、家族親族の代理人でも出金手続きができるようにするとのこと。
まだ、詳細はこれから詰めていくのだと思われますが、私は銀行側が動いてくれて本当にうれしいです。

我が家は、経済的にはそこまで困っていませんが、経済的にも苦しい家庭で認知症の家族がいたり、意思決定ができない状態の人がいたりすると、今あるはずのお金が使えないというのは非常につらく苦しいことだと思いますし、明日は我が身だとも思っていて、他人ごととして考えることはできません。
また、実際介護が始まってしまっていて家族信託や成年後見制度の利用手続きが間に合わなかった家庭では、本来使いたかった当事者の年金収入などが使えない状態になっていて、困窮している事例もあると思われます。
実際に話を聞いたことがあるわけではないですが、表に出てこないだけで、ある程度は困窮した状態のご家庭があると思っています。
ですから、今回のこの全国銀行協会の動きによって、生活が助かる家庭も多く出てくると思うのです。

誰もが幸せになれる社会として
これまで、認知症患者や意思決定できない状態の人の資産財産が、家族親族や第3者に搾取されないように保護する目的で「家族信託」や「成年後見制度」の利用や手続きが推奨されてきましたが、当事者を守る目的の制度が家族親族を苦しめる結果になってしまっているのなら、一体何のための制度だろうか、と思ってしまいます。
今回、全国銀行協会がこういった動きにならなければ、年々介護に苦しむ家族が増えていったかもしれないと思うと、ゾッとします。
人は、平等に幸せになる権利を有しています。
家族だから介護は仕方ない、しかし被介護者のお金は面倒くさい手続きをしてからでないと使わせない、と突き放すばかりの制度は、今後も少しずつ時代に合わせて変わっていってくれるといいな、と心から思います。

まだまだ、介護に関する問題点や改善すべき制度はたくさんあると思うのですが、とりあえずいちばん必要とするお金に関してのルールが改善されるということで、苦しんでいる家族が少しでも助かってほしいし、自分もいつか経験するかもしれない事態を、少しでも負担少なく受け入れられるといいな、と思いました。


今回は、認知症患者の預金について日経新聞電子版の記事から、私の今思うところを綴りました。
将来、私は確実におひとり様になるわけですが、私のような人間が認知症になったら、一体誰が私の預金を面倒見てくれるのだろう、と考えてしまうことがあります。
できることなら、認知症にならないまま最期を迎えたいのですが、万が一のことを考えるとやはりいろいろな手続きや条件の緩和は急務だと思います。
今は、目の前の感染症に関する政策や東京オリンピック開催のことで、政府も大変なのはわかりますが、一日でも早く認知症患者に関する法律や条例を見直し改善してほしいと、アラフィフ女は思っています(笑)

意識を失ったときはこうなるという話

2021-02-12 | 老後
本日は、月に1度の母の診察日でしたが、診察中に母の具合が少し悪くなりました。
その様子を見ながら、ふと思い出したことがあったので、綴ります。

いつもの母
母は、どちらかというと外面がいいので、病院へ着くと急に元気になります。
まあ、元気と言っても持病の薬を処方してもらうために行っているので、健康というわけではないですが、家の中で少し調子が悪くても、病院の医師と話すときは「何も問題ないですよ」と言わんばかりに、明るく話をしだします(笑)
しかし、一歩病院から出ると病院内で頑張った分、帰宅するとダウンします(苦笑)

そんな母ですが、今回は少し様子が違いました。

病院で具合が悪くなる
いつもどおり、問診(調子はどう?と聞かれるだけです)と血圧の測定をしてもらっていると、いつもは明るく雑談を始めて自分は元気だということをアピールする母が、言葉少ない上に血圧を測定しながら

「気分が悪いかも......」

と言い出しました。
おや、今回は素直に具合の悪さをアピールしているな、と思っていましたら、血圧が少し低めに出ました。
顔色も悪かったようで、医師が

「少し(時期的には)早いけど、血液検査してみましょう」

ということで、採血することになりました。
(ポリープを切除した後、半年に1度程度採血をして貧血状態の経過観察をすることになっています)

採血をする間、母は少しうとうとし始めます。
採血が終わっても、うとうとしたままで、声をかけてやっと立ち上がろうとしたそのとき、ふらついて前に足を進めることができなくなりました。
看護師に促されて、数分間椅子に座らせていただき様子を見ていたところ、やはり少しもうろうとした感じに見受けられましたが、こちらの言うことは聞こえているし理解もできていたので、本人が立ち上がれるまで待つことに。

数分経過して、やっと立ち上がれるようになったので、待合室へ移動したのですが、そこでもしばらく休ませてもらうことになりました。
それからさらに数分、やっと自分で歩けそうだということで、会計を済ませて帰宅することにしました。

意識がもうろうとしているときの特徴
母がもうろうとした感じになったときは、赤ちゃんが眠たいのにご飯を食べようとしたり遊ぼうとしたりする姿に似ていて、どう見ても休んだ方がいいのに本人は動こうとしている状態です。
当然、足元はふらつくし、もしかしたら目も見えていない可能性があります。
行きたい方向へは進まず、明後日の方向に歩こうとしたりもしますし、回復してから聞いてみると、そのとき本人は全く自分がもうろうとしている自覚がないそうです。

足元もふらつき、身体も前後左右にゆらゆら揺れたりもするのですが、そういうときはしっかりと支えていないと、そのまま倒れてしまうことも多いです。
以前、私が外出している間に倒れた際は、おそらくこのもうろうとした状態で歩こうとして、そのまま倒れたのではないかと推測しています。

もうろうとしていても、こちらからのコンタクトに対して反応があるときは私が先回りして対処するのですが、反応がなくそのまま意識レベルが低下していくと、当然倒れてしまいます。
私の目の前でも、何度かこの状態になったので、母が倒れるパターンは大体予測がついています。

人って、意識がもうろうとしてそのまま意識がなくなると、どうやって倒れると思いますか?
私は、母が頻繁に倒れるようになるまで、人は倒れるときに防御反応が働いて前方や横向きに身体をねじって倒れるのだと思い込んでいました。
よく、ドラマや映画やアニメなどでは、倒れた後の体制が横向きだったりうつ伏せであることが多くありませんか?
でも実際、意識を失った場合は、

ほぼほぼ真後ろに倒れます。

もし、これが身体のどこかに痛みを感じた上で意識を失った場合は、人は痛みを感じる場所をかばう姿勢になるため、うつ伏せになったり横向きになったりしますが、予兆がなく(あってもなんとなく調子が悪いなどで)意識を失う場合は、何の防御もせずに後ろ向きに倒れるのです。

私は医学的な研究をしているわけではないので、100%そうだとは言えないですが、母も後ろ向きで倒れますし、以前仕事をしていた際も、私の目の前で意識を失った人がゆっくりと後ろ向きに倒れてきたので、確率としては多いのではないかと感じています。

意識がもうろうとしている人の共通点
母も仕事先で倒れた人も、突然倒れたというよりは、その直前の身体の動きに共通した動作がありました。
それは、方向感覚と平衡感覚が保てないということです。
もちろん、本人がそう感じているということがわかるわけではなく、客観的に見ていると、まず身体の向きを変えようとしたとき(あるいはこちらが変えさせようとしたとき)、向くべき方法とは違う方向を向こうとします。
身体を支えて、力を入れて向きを変えさせようとしても、身体はどんどん違う方向へ行こうとします。
おそらく、この時点で身体は惰性で動いていて、本人の意思は身体に伝わっていないのでしょうね。

次に、足元が小刻みに前後左右に動きます。
小刻みといっても、ゆっくりとした動作です。
きっと、意識はすでに失われかけているのに、身体はバランスを取ろうとして一生懸命直立態勢を保とうとしているのでしょうね。
しかし、それが逆にふらふらと身体を揺らすことに繋がっているようです。
不思議なことに、こういうときの人間ってとても力が強くて、いくら体制を正常な状態にキープさせようとこちらがサポートしても、テコでも動きを変えません。

そして、いちばん厄介なのは、意識を失いかけているにも関わらず、大体が「大丈夫、なんともない」と言うのです。
大丈夫?などと声をかければ「何が?」と返してきたりします。
しかし、それもきっと自分の意思に関係なく、無意識に返事をしている状態なのでしょうね。

少しでも様子がおかしいと感じたら
目の前の人にいる人が、見た目はなんともない状態でも、少しでも身体に異変があるような気がしたら、気を付けてあげてください。
意識を失わなくても、客観的に見ている人が異変や違和感を感じたら、それは気のせいではありません。
こういう場合、一番わかっていないのは本人だと思って、過剰反応だと思われてもいいので、救護室へ付き添ったり、人を呼んだり、救急車両の手配をしたりしてください。
おそらく、大げさではない可能性の方が高いです。
そして、真後ろに倒れることも念頭に置いて、倒れかかっているときにはどのように身体を支えるか、考えておくといいと思います。
真後ろに倒れる、という事例を見たことがなくても、その可能性を心の隅に置いておくだけで、対処時にスムーズな行動ができるはずですから、意識しておいて損はないと思います。


本日は、母の体調不良時の話と、意識を失ったときの人の様子について綴りました。
まあ、情報共有というよりも、私自身がこのことを忘れないようにしておきたいと思い、今回のブログネタとしました。
もしかしたら、全く当てはまらない人もいるでしょうが、少しだけ参考にしてもらえたらいいな、と思っています。

午前中のスーパーは高齢者が多い話(老後の食事情)

2021-01-16 | 老後
本日は、体調が芳しくなく、日中ほとんど横になっていました。
寝不足もあるのですが、起床時から頭痛が続いていたので、更年期症状か気圧変化によるものかもしれません。
あるいは、もしかしたら久しぶりの月経前の症状の可能性もあります。

体調不良の日は
本日は、朝から調子が悪かったので買い物へ行くのを迷っていたのですが、もしPMSによる体調不良だと生理用品のストックがないので、今日のうちに用意しておこうと、午前中に買い物へ。

体調不良時は、なるべく外出しないようにしています。
万が一、外出先で具合が悪化したら自分も困りますし、もし救急搬送などされてしまった日には、母を呼ぶことも困難ですし(母ひとりの外出が難しいので)、入院となったら母の食事を用意できないので飢えてしまいます。
ですから、なるべく体調の悪い日は引きこもるようにしていますが、今回は油断していたこともありましたので、仕方なく買い物へ行くことになってしまいました。

若い頃は、多少体調が悪くても出かけるくらいなんともなかったのですが、自分も50代に入り母も高齢なので、少しくらいは大丈夫だろう、という考えはやめて、万が一を考えるようになりましたね。

午前中のスーパー
私が住む地域は、全国でも高齢者が多いとされています。
若い家族も住んでいますが、共働き家庭が多いので、平日の午前中にスーパーへ来る人は高齢者が多いです。
また、本日は土曜日ですがもしかしたら学校が午前中だけ授業をしていて、家族連れや若い人が買い物で出かけるのは午後からが多いのかもしれないですね。
私は現在、家事手伝い状態なので、買い物へ行く時間は自由にしていますが、なるべく空いている時間帯を考えていくようにしています。

午前中に買い物へ行く日は、午後から母を病院へ連れていく日だったり、自分自身がのんびりしたいときですね。
あるいは、家の片付けをしていてうっかり昼食の準備ができなかった日も、弁当や総菜を買いに昼前までに行きます。
午前中にスーパーへ行くと、買い物客のほとんどは高齢の方たちで、そのほとんどがおひとりです。
そして、総菜コーナーと見切り品コーナーで、ひとり分だけをかごに入れている姿をよく見かけます。

昼前のレジも高齢者が多く、かごの中にはお弁当や総菜が入っていて、おそらく今から家に帰ってそのお弁当をたべるのだな、とぼんやり考えたりします。
そして、自分の老後をなんとなく妄想したりもしています。

老後の食事情
私の世代は、おそらく年金の支給額が今よりも少なくなる可能性があります。
加えて、私は非正規でずっと働いており、国民年金の期間も長いので、おそらく何かしらの収入を得ながら年金を受給することになると思います。
幸い、今住んでいるマンションはローンを完済しているので、固定資産税と毎月の管理費を支払うことができれば、賃貸物件に住むよりも年間出費が抑えられます。
1人暮らしになれば、光熱費や水道代も今より抑えられますから、がつがつと働かなくても大丈夫かとは思いますが、年金だけで暮らしていくのは、少し難しいと思います。

働く体力があるうちはいいとして、もし働くことが難しくなって、年金だけで暮らすことになったら、食事は心配事のひとつになると思います。
まあ、年齢的にたくさん食べる必要はなくなるでしょうが、バランスを考えた食事を自分で用意することは面倒くさくなってしまうだろうと思います。
歩く力があれば、現在スーパーで見かける高齢者の皆さんのように、総菜や見切り品を利用して食費を抑えることも可能ですが、もし自力では外出できなくなったら、その時はどのような方法で食事を用意したらいいのでしょうね。

今考えているのは、食材の定期購入やコープ会員になることです。
インターネットが使えるうちは、好きな食事を好きなときに頼んでもいいかな、と思いますが、費用がかかってしまうので頻繁には無理ですよね。
ネットスーパーも、スーパーで直接購入するよりは単価が高いので、考えて購入する必要があります。
しかも、生鮮食品を1人分だけ購入するのが難しい現状があります。
魚の切り身1つだけとか、にんじんとじゃがいもを1個ずつとか、そういった買い方がなかなかできないですよね。
どうしても、1パックや袋単位で買うことになるので、食品ストックがなかなか消費できないような気がします。

もしかしたら、これからの高齢化社会に合わせて、少ない数量での買い方ができるようになる可能性もゼロではありませんが、今のところそういったサービスは、私の周辺では見かけないです(スーパーに行けば1個売りもありますが)

いろいろ考えると、自分も歩けるうちはスーパーで総菜や弁当、見切り品を毎日や何日かおきに買いに行くのだろうな、と妄想しながら、もしもう少し贅沢ができるのならば、外食がいちばん楽な気もします。
老後の生活って、食事以外のことは何とか工夫できそうな気がしているのですが、食事だけは悩みそうな気がします。
もし可能であれば、少し多めの収入源を得て、家政婦を依頼して買い物と食事の用意をしてもらえたらいいのですが。


本日は、スーパーで買い物をしながら、老後の食事の心配をした話を綴りました(笑)
まだ、もう少し先になるでしょうが、十数年はあっという間に過ぎてしまいます。
気が付いたら、私も毎日見切り品が並ぶ時間を狙って、あるいは夕方に総菜の値段が割引になる時間帯を狙って、買い物へ行っているのだろうな、と想像すると、スーパーまで歩く体力だけは、しっかりと保っておかなければいけないと思った日でした。

漫画家・野間美由紀先生のミステリー作品が大好きです

2020-05-15 | 老後

gooニュース『漫画家・野間美由紀さん 虚血性心疾患のため59歳で急逝 現在も連載中だった』


昨日、この訃報をツイッターで知り、悲しくて切なくて未だに落ち込んでいます。
突然の旅立ちに、動揺しています。

野間先生の作品を初めて読んだのは、中学生の時で『パズルゲーム☆はいすくーる』の初回でした。

1度読んですぐに好きになった漫画
当時、漫画雑誌『花とゆめ』をよく友人たちと一緒に読んでいました。
社会人になってからは、漫画雑誌を読まなくなったので、最近の傾向は知らないのですが、当時『花とゆめ』は他の少女向け漫画雑誌とは路線がかなり違っていて、新鮮かつ斬新な内容が多かった記憶があり、読んでいてとてもワクワクしたのを覚えています。

そんな漫画雑誌で、ある日始まったミステリ漫画。
もともと、ミステリ小説が好きだったことと、当時はミステリを題材にした漫画はありましたが作品数が少なく、全くのオリジナルストーリーのミステリ漫画が始まり、『花とゆめ』を買うのがますます楽しみになりました。

『パズルゲーム☆はいすくーる』の魅力は、ミステリーとしてしっかりとしたストーリーでありながらも、舞台が高校なので、謎やトリック、犯行の動機が意外なほど単純で高校生らしかったりするのですが、それがかえってリアリティに結び付いているところでした。
また、ストーリーとはあまり関係なく、主人公の2人(大地と香月)のラブラブなシーンが描かれているところも、思春期だった私には適度な刺激(笑)と同時に、なぜ今ラブラブなシーン???となり、斬新なラブコメ感が大好きでした。

つい最近、野間先生のnoteを読んで、なるほど、だから唐突にラブシーンになるわけか、と納得しました(笑)
ミステリと恋愛の要素の振り分けというか、バランスのとり方が独特なのだな、と私なりに解釈しました。
この記事、とても面白いので、是非読んでいただきたいです。
もちろん、野間先生の他の記事もお勧めですよ。

野間先生の巻末エピソード漫画で知ったこと
多くの野間先生のファンは、かの米米CLUBがライブハウスなどで活動しているころから知っていて、いよいよメジャーデビューとなったときも、野間先生の漫画で知ったのではないでしょうか?
というか、私はそうです(笑)
確か『パズルゲーム☆はいすくーる』でバンドが出てくる回は、米米CLUBのビジュアルがモデルになっていましたよね(と、ファンの方がこのブログを読んでいることを想定してみる)

『パズルゲーム☆はいすくーる』がコミック化されたとき、巻末に掲載されるエピソード漫画で、米米CLUBのことを最初に描かれたのは、まだメジャーデビューする前の米米CLUBで、たしか当時マイナーでのCDプレスはしていた記憶があります。
いま、もうコミックを手放してしまったので、詳細を覚えていないのですが、確かそうだったと思います。
特に、私が記憶に残っていたのは、シュークリームシュ(米米CLUBメンバーでダンスユニット)のMINAKOさんのこと。
野間先生はお気に入りだったらしく、漫画からもかわいらしい女性ダンサーなのだろうというのが、伝わってきました。
メジャーデビューして、メディアに出るようになってから、初めてきちんと姿を見たのですが、想像どうりのかわいらしい女性で、野間先生は見る眼があるなあ、と生意気にも思ってしまいました(笑)

あと、印象に残っているエピソードで、有名な某宝石店で起きたトラブルのお話があるのですが、私は基本的にアクセサリーに興味がなかったので、そこで初めて〇ァ〇ドー〇青山を知りました(笑)
以来、百貨店のジュエリー売り場を通るたびに、その宝石店ブランドが目に入ってしまうようになりました(笑)

野間美由紀先生が好きな理由
社会人なると、少しずつ漫画を読む機会が減り、野間先生の『パズルゲーム』シリーズも、途中で読まなくなってしまいましたが、野間先生はデジタル機器やSNSなどをいち早く利用しておられて、作品は読んでいなかったのですが、SNSはフォローして、いつも更新を楽しみにしていました。

SNSが普及していない時代から、野間先生の暮らし方や仕事に対する姿勢に、憧れるし尊敬もしています。
巻末のエピソード漫画などで、趣味である編み物やお料理のお話が出てくると、この方は今でいう「丁寧な暮らし」を、何の気負いもなく実践されているのだな、連載を持って忙しいはずなのに、凄いな、と。
そして、私もこんな風に器用で丁寧に暮らせる人になりたいな、と何度も思いましたが、私には無理だと知り、時短、効率化、手抜きが大好きな人間になってしまいました(苦笑)

SNSが普及してからは、野間先生がアップする画像やつぶやきを見るのが大好きになりました。
丁寧な暮らし方をしていて、それなのにお仕事にはいち早くデジタル技術を取り入れて、背景の有料配布なども積極的にされていて、ガジェット類も最新のものを導入して、古い習慣を大事にしつつも、新しいモノでご自身の役に立つモノは積極的に取り入れる姿勢は、本当に尊敬しています。
また、そのお姿がまったく押し付けがましくないところも、大好きなところです。

野間先生の作品はもちろん、野間先生のお人柄や暮らし方が、大好きです。

また読み始めよう
野間先生は、旅立たれる前に連載がスタートしていました。
たしか、コミックの最新刊も2月ごろに発売されています。

私はここ十数年、野間先生のコミックは購入していなかったのですが、『パズルゲーム』シリーズは何らかの形で未読分を読みたいと思っていました。
しかし、まさかこんなに突然に旅立たれてしまうとは思いもしなかったので、なぜもっと早くに読もうと思わなかったのか、と後悔しています。
この後悔が、いったい何なのかはわかりません。
ただ、ご存命中に読んでおきたかった、ただそれだけなのです。

『パズルゲーム☆はいすくーる』は、全作品読み終えてますが、派生したシリーズは未読がほとんどです。
全て集めてしまうと、本棚がなく保管場所に困ってしまうので、デジタル化された作品を少しずつ購入しようと思っています。


野間先生が考えるミステリ作品、本当に大好きです。
野間美由紀先生、いままでステキで面白いミステリ漫画を、ありがとうございました。
もう、新しい作品はこの世界では読めないけれど、もし、私が旅立ったときに同じ世界に行けたなら、その世界で新作を読みたいです。
野間先生の作品があるだけで、きっとその世界をたのしく過ごすことができるから。
私は、野間先生に安らかにお休みくださいとは言いません。
次の世界でも、暮らしとお仕事を楽しんでください、と言いたいです。
いえ、もうすでに次の世界で、有意義なときを過ごし始めている、そう思っています。

母の退院と「仮想おひとり様の老後」のトライアル終了の話

2019-12-16 | 老後
母の退院が、明日に決まりました。
まだ、健康面での不安があるので、しばらくの間は母のフォローに時間を費やしそうですが、ある程度まで回復する見込みがあるのならば、本人にも頑張ってもらいましょう(笑)

母が退院したので「仮想おひとり様の老後」トライアルを終了します
母が入院している間は、ひとりになるので、老後のおひとり様暮らしを想定して生活することにしていました。
自分なりに、おひとり様になると、このような感じかな?ということを想定して、以下のことをトライアル前に決めていました。

 ・電気湯沸かしポットの利用をやめる
 ・食器乾燥機の使用をやめる
 ・使う食器の数と種類を限定する
 ・食品の買い置きをやめる(長期間保存できる非常食は除く)
 ・料理の作り置きをやめる
 ・食材は袋入りを買わずに、1個ずつか入り数の少ないモノを買う

今回のトライアル期間は、母が入院した翌日からカウントして、16日間。
母の退院で本日終了なので、明日からは、また二人暮らしに戻ります。

ひとりの間は、決めていたことを意識しながら生活していたのですが、試しているうちにいろいろな課題も見えてきました。

「仮想おひとり様の老後」トライアルで上手くいかなかったこと
トライアル期間16日だと、いちばん想定どおりにいかなかったのが、買い物と料理。

特に、食材の1個買いと入り数の少ないモノを買うというルールは、食材の幅が狭まってしまい、結局袋買い(例えば玉ねぎ6個入りなど)をしたり、多めに入っている食材を購入していました。
金額的な部分も大きくて、母が退院するまでは十分賞味期限がある食材が特売されていると、ついそれを買っていました。
買い物に関していえば、二人暮らしと一人暮らしでは、消費スピードが全く違うので、16日間では少し難しかったです。
本格的な「おひとり様」になったら、大量買いよりも少量買いの方が節約につながる場合もありますから、今後はいろいろとシミュレーションしていく必要があると思いました。

料理については、作り置きをせずに、一人で食べ切れる量を作るのが難しかったですね。
自分が予想したよりも、嵩が増してしまった料理もあり、結果同じおかずを2度食べることもありました。
私の嗜好の問題もあるのですが、同じ料理が続くのはあまり好きではありません。
毎回バリエーションを変えて、飽きずに食べられるように工夫して、なおかつ一人分を料理するのは、実はとてもハードルが高いな、と実感しました。

「仮想おひとり様の老後」トライアルでそこそこの結果だったこと
トライアル中に、これは“あり”だと思ったことは、食器乾燥機の使用をやめたことです。
期間中は、水切りに洗った食器をしばらく放置して、水滴がある程度落ちたら、キッチンペーパーで拭き上げて食器棚へ片付けていました。

この方法だと、キッチンペーパーを毎日2枚以上は消費することになるので、環境面だとか費用的な面だとかで迷いがあるにはあるのですが、一人暮らしで使う食器も少なければ、楽ではあると感じました。
ただ、少し凝った料理を作ったり、和食に拘って作ったりすると、調理鍋も食器も数を使ってしまい、結果洗い物が増えて、拭き上げる手間も増えてしまったので、まず調理をするところからの見直しが必要ありそうです。

次に、電気湯沸かしポットの使用をやめたことについてですが、これもまあまあな感じがしました。
パーフェクトではない理由は、季節がら暖かい飲み物を頻繁に飲みたくなるので、ガスでお湯を沸かす頻度が多くなってしまったからです。
しかも、カップスープや即席みそ汁、カップ麺を作るときには、さらに沸かす回数が増えます。
手間としては、そこまで嫌ではないのですが、電気代を消費する電気湯沸かしポットとガス代を消費する湯沸かしと、どちらが一人暮らしに適しているのか、今は判断しかねる状態です。

「おひとり様の老後」を軌道修正するとしたら
この16日間のトライで、まず考えたのは、食事はデリカテッセンや外食をメインに考えた方がよさそうだということです。

例えば、私が70歳くらいでも、しっかりとしていると想定すると、家事全般を自分でしているはずです。
しかし、いくらしっかりしていても、料理にかける手間が億劫になっていることが考えられます。
食費は浮かせる必要がありますが、自分としては70歳にもなったら食欲自体がそこまで旺盛ではないと思うので、デリカテッセンや外食と言っても、少量で十分満足できるのでは、と考えます。
ヘタに調理をして、余らせてしまうと、食品ロスが増えそうですが、デリカテッセンで一人分だけを購入すれば、ごみは増えるかもしれませんが、食品ロスは少なそう。

食品ロスの視点で、同じく食材のストックは、ほとんど不要かもしれません。
むしろ、おつまみ系の日持ちする食品を買っておいて、そのまま食べてもアレンジしてもOKなモノを揃えておく方が、自分も飽きずに食べられそうです。

デリカテッセンも外食もおつまみ系の食品も、単価はたしかに高いのですが、食品ロスを出してしまったら、おそらく金額的な差はほとんどなくなってしまうでしょう。
老後のおひとり様は、無理に料理をしない方が、暮らしやすいのかもしれません。

この流れで考えると、使う食器や調理器具もほとんど必要なくなりそうですね。
茶碗と汁椀とお皿が1つずつあったら足りるような気がしますし、調理器具も片手鍋かフライパンがあったら足りそう。
となると、電子レンジやオーブントースターはどうでしょうね?
冷凍食品やチルド食品を買うと、どうしても温める必要が出てきますから、どちらかは必要な気がしますが、後々のことを考えると、オーブントースターだけは欲しいところです。
理由は、最近はコンビニだけでなく、スーパーにも電子レンジは置いてありますから、基本的には買ったらすぐに温めたらいいのかな?と(笑)
しかし、焼いてから食べる必要がある食品は、やはりオーブントースターでおいしく頂きたいですから、まあ、それほど大きいものでもないですし、持っていてもいいかもしれません。

電気湯沸かしポットですが、これも少し悩みどころです。
ティファールの電気ケトルで、都度お湯を沸かすのもいいのですが、果たして老後の私がこまめにお湯を沸かすだろうか?と考えると、少し場所は取りますが、電気湯沸かしポットで常に熱いお湯が飲めるようにしておく方がいい気がします。
ちなみに、最近設置しているご家庭も多いウォーターサーバーですが、ボトルの水がなくなった際の取り換えができないと思うので、選択肢には入れません。
あのボトルの重さは、おひとり様の老人にはきつい(苦笑)

「おひとり様の老後」掃除と洗濯と買い物
トライアル中に考えたことは、他にもあります。
掃除や洗濯、そして日用品などの買い物。
モノが減った状態であれば、掃除機は要らないような気がしています。
クイックル〇イパーシリーズで十分ですよね?
洗濯機は、近くにコインランドリーがあったら要らない気もしますが、洗濯ものを持って出かける体力が、老後の私にあるでしょうか?
これも、結構悩ましい問題ですね。

買い物も、ある程度までは宅配サービスを使いたいのですが、そのころには現金での支払いができない時代になっているかもしれません。
注文も、ネットが当たり前になりつつありますから、スマホやパソコン(タブレット)は手放せないかもしれないのですが、老後の私がそれを使いこなせているのか、正直不安ですね。
そうなってしまったときに、どこまで自分で出向いて買い物ができるのか。
想定できないことが、結構多い老後ではあります。


老後のことを考えると、本当にいろいろな問題や課題が思い浮かんできます。
今の自分にできることは、せいぜい生前整理くらいですが、残りの人生を快適に暮らしたい気持ちもありますから、そのバランスが難しいですね。
少ないモノで暮らすことは、実はいちばんいいバランスを生み出してくれるのかもしれませんね。

おひとり様の老後に必要なモノとは

2019-12-08 | 老後
おひとり様の老後に、最小限必要なモノとは、一体どんなモノでしょう?
今回は、なんとなくそんなことを考えてみました。

必要最小限の基準を探すとき
自分にとっての必要最小限は、一体何をどれくらい持てば成立するのか。
1人で考えていると、どうしても思考が滞ります。
所有物の引き算をしても、途中で要不要の基本的な軸がズレてくることが、多々あります。

そんなときは、ネット検索をして、必要最小限のモノで暮らす人々が発信している、ブログや動画やコラムを参考にすることにしています。
大体は「ミニマリスト」「ミニマリズム」などのキーワードで検索すると、たくさんの方々が必要最小限のモノで暮らしている様子を知ることができます。

発信者は若い人が多い
そんな風に、ネット検索をしていて、ふと考えたのが、おひとり様の老後を必要最小限で暮らしている方が発信するブログや動画は、あまり見かけないな、ということでした。

まあ、理由は多々あるかもしれませんが、まずおひとり様の老後を現在進行形で過ごしている年代の方には、インターネットそのものに触れていない方が多いのかもしれないということ。
また、インターネット環境はあるけれど、自分の暮らしを大勢の人に発信するという発想が、そもそもないのかもしれません。
もしかしたら、年齢を公表するのが恥ずかしいから、ぼやかして発信している人も、居そうです。
そして、なにより必要最小限のモノで暮らしている方の人数が、もともと少ないというのがあるかもしれません。

逆に、20代から40代くらいの世代は、ミニマリストと名乗ったり、ミニマリズムを取り入れた暮らしを発信している方が多いように感じています。
特に、人気があるブロガーやユーチューバーの方は、20代や30代の方が多い印象です。

ミニマリストの暮らし例
必要最小限という定義ですが、暮らしていくうえで絶対的に必要なモノ+個々人が必要と感じているモノで成り立っているかと思います。
例えば、お金はどんな暮らし方をいていても絶対的に必要で、自分は自給自足でお金は必要ない、という方でも、国へ税金を支払っているはずですし、直接ではなくても間接的にお金が動いていることで、暮らしを確保しているはずです。

しかし、お金以外のモノは、結構人によっても年代によっても違うのだな、ということを実感するようになってきました。
以前にも、少し触れたことがありますが、例えばホテル暮らしをしていて、レンタルできるモノはすべてレンタルしてしまえば、現在の日本では、もうほとんどモノを持たなくていいはずです。
もっとも、そんな人はかなりのお金持ちだと思うので、少数派だと思いますが。

現実的に、ミニマリストの方の場合は、基本的にはワンルームトイレ付物件にお住まいのことが多いです。
バスルーム付の物件以外にも、シャワーのみ付いている物件や、近くに銭湯などがあるという理由で、バスルーム無し物件にお住いの場合もあります。
家電品に関しては、自炊をするかしないかで変わってきますが、外食中心でたまに中食(買ってきた総菜などを家で食べること)をする程度の方は、電子レンジもトースターも持ちませんし、炊飯器や鍋、食器すらないことも。
飲み物を頻繁に飲む方は、湯沸かしケトルをお持ちですが、電気湯沸かし保温ポットはお持ちではない方が多いです。
洗濯機もコインランドリーを利用している方は、持っていません。
ただ、照明器具だけは皆さんお持ちのようですね。
照明器具は、夜になるとどうしても必要になりますからね。
そして、家電品の中でもエアコンは重要なアイテムだと思うのですが、最近の賃貸物件は冷暖房エアコン付きが多いので、ミニマリストの方は、そういった物件を好んで選んでいらっしゃる気がします。

ベッドを持たない方も多くいらっしゃいます。
布団を上げ下げして使う方が、ワンルームを有効活用できるからだそうです。
服は、人それぞれですが、一番少ない人で10着を下回ります(下着はカウントに入っていません)
靴は、1足だけしか持たない人もいれば、ワーキング用とプライベート用で、5足くらいを使い分けている方もいました。

そして、皆さん共通しているのは、固定電話を持っていないこと。
今はスマホや携帯電話があるので、固定電話は必要ではないし、意外と電話機はスペースも占領しますから、ミニマリストの方には、邪魔に感じるかもしれません。

掃除機は、スティッククリーナー、自動掃除機、クイック〇ワイパー系が3大掃除用具のようで、いずれかを皆さんお持ちでらっしゃいますね。

あとは、それぞれが必要としている消耗品や仕事道具をお持ちになっているだけで、本当にシンプルで必要最小限のモノで暮らしていらっしゃいます。

おひとり様の老後とミニマリズム
現在、母が入院しているのですが、入院には必要最小限のモノしか持っていきませんよね。

パジャマはレンタルを利用しています。
紙おむつは、購入したモノを持っていきますが、こちらもレンタルできるモノなので、無理に持っておく必要はありませんし、病状が回復すれば、不要になります。
他は、飲み物を飲むためのコップ、歯をきれいにする用品(母は入れ歯をきれいにする用品)、目が悪いので眼鏡、カトラリー(割りばし、スプーン、フォーク)、綿棒、ヘアブラシ、ボディソープ、シャンプー、コンディショナー、ウェットティッシュ、紙おむつが不要になったときの下着、タオルもレンタルできるのですが、今回は持たせています。
トイレやお風呂は院内にありますし、食事も出ます。
家電品も必要ありません。

しかし、今回の入院でふと過ったのが、老後に必要最小限のモノの中に、車椅子を必要とする日が来るかもしれない、ということでした。
また、車椅子とまではいかなくても、何かの動作をするときに補助する道具が必要になる可能性もあります。
そういう場合は、おそらくベッドも必要な状態だと思われますから、最小限の中に補助具とベッドが加わります。

介護を受ける場合は、お世話してくれる人が不便を感じないように、いろいろなモノを用意しておく必要があると思いますが、おひとり様でも暮らしていける場合は、どんなものが必要になってくるのでしょうか。

例えば、先ほども書きましたがベッドが必要になる可能性は高いです。
実際、私はベッドを使っていますが、今後も手放す気はありません。
壊れても、買い替えてベッドを使います。
理由は、腰痛持ちの私にとっては、寝た姿勢から立ち上がるときに楽だから。
床から立ち上がる場合、案外腰にも力を入れる必要があるということを、20代で腰痛を発症したときに知り、以来ベッドで寝ています。
足腰が弱くなったら、今の私と同じように床から立ち上がれなくなると思いますので、その時はベッドが必要です。

また、老後には歩行の補助具が必要になる可能性もありますね。
杖、歩行用の押し車(荷物入れになっているタイプが多いですね)もそうですし、四肢が自由に動かせても、持病のフォローをするために、外からは見えない器具を装着することもあるでしょう。

家電品も、実を言うと若い方よりは、年配の方の方が必要としているかもしれません。
私の母は、家事の中でも掃除と洗濯は体力的になかなかできませんが、簡単な調理はできる状態で、電子レンジをフル活用しています。
母と同じ状態で、おひとり様の場合は、電子レンジは必要最小限品ですし、鍋や食器も必要になるでしょうね。
買い物難民(スーパーや商店まで買い物へ行けない状態)となってしまった場合、移動スーパーか食材や食品の宅配システムを利用する必要が出てきます。
そうした場合、鍋や食器を利用して加熱する食品を買わざるを得ない状況も出てくるでしょう。

同じ理由で、洗濯機についても、コインランドリーへ行く体力がない場合は必要でしょうし、消耗品は無くなる寸前に買いに行くことができないかもしれないので、ストックを多めに買っておく必要もありますね。
消耗品も、もしかしたら尿漏れパッドやパンツ型紙おむつが必要になると、ストック品が増えることは避けられません。

見守りシステムやヘルパーの導入も、おひとり様には特に必要な気がします。
家族が近くに住んでいたらいいですが、身内が一人もいないおひとり様だと、見守りサービスを受けていたほうが、何かがあったときにケアやフォローを素早くしてもらうことができますし、ヘルパーを頼って家事をしてもらった方が楽ですよね。
健康面での心配が大きい方は、検討すべきことかと思います。

このように、いろいろ考えていくと、老後のおひとり様は必要最小限のモノが増えていく傾向にあるかもしれません。

逆に、もしかしたらお風呂を必要としなくなるかもしれません。
というのも、要支援や要介護の認定を受けた場合、デイサービスの利用が可能になりますが、その際に入浴ができる場合があるからです。
また、家具や雑貨類、服や服飾品も、あまり多く持ちすぎていても管理に困るので、必要最小限だけ持ち、きちんとした服などはレンタルを利用したほうがいいかもしれませんね。

必要最小限のモノで暮らす老後の理想形
思い付くまま、おひとり様の老後に必要になりそうなモノを考えましたが、理想としては、最期の時を迎えるまで、元気に歩いて、おひとり様でもアクティブに外出して、家事もある程度こなし、それを踏まえた上で、いろいろなサービスも利用したいですね。

例えば、食材・食品や消耗品の宅配サービス。
料理をすることは楽しいのですが、おそらく老後は作ることが億劫になってしまうと思います。
また、掃除と洗濯もヘルパーを頼めるのならば、そちらの方がいいような気がします。
もし、自分でできる状態だとしても、身内が完全にいなくなった場合を考えると、何らかの形で他人との接点が必要だと思いますし、いつどうなるかわかりませんから、元気なうちにそういったサービスを受けることで、その後に繋がるのでは?と思っています。
もし、サービスを受ける必要がないくらい元気で健康だった場合は、何かしらのコミュニティに参加したいので、やはり家事にかける時間は省きたいです。
そのための手抜きや時短の方法は、積極的に取り入れていきたいですね。


今、母が入院しているということで「仮想おひとり様の老後」にトライしている最中ですが、身体が自由に動くので、結構ムダな動きをしていることが多いです。
しかし、老後はきっとここまで動くことはできないだろうな、という思いも過ります。
一番考え直したいのは、食事の用意ですが、つい少し頑張った食事を作ろうとしてしまいます。
母は、あと10日くらいは確実に入院生活が続くので、この間に少し修正を加えて、老後の参考にしていきたいですね。

自分の衰えを自覚するとき

2019-06-26 | 老後
50歳を過ぎると、身体のあちこちに不調が出てきますね。

衰えを強く感じるようになってきたのは、40代後半から。
若い頃は全く感じたことがなかった不調が、なにかと身体を襲ってきます。

気圧の変化による不調
中でも一番つらいのが、気圧が低い雨の日やどんよりした曇りの日や寒い日の不調。
頭痛と眠気がひどいです。
今は仕事をしていないので、不調を感じたらすぐに横になっていますが、働いていたころはそうするわけにもいかず、頭痛薬を服用して凌いでいました。
おそらく、更年期障害も出始めているのでしょうね。

眼の衰え
視力は、かなり前から老眼らしき症状が出てきているので、コンタクトレンズの度か種類を替える時期かもしれません。
私は、使い捨てのソフトコンタクトレンズを使用しています。
手元の文字がはっきりしているときと、ぼやけるときがありまして、パソコンやスマホの影響でぼやけているのか、ソフトレンズが合わなくなってきているのかが自分で判断できないので、無職の間に一度眼科検診に行こうと思っているところです。

若い頃はハードレンズを使っていたのですが、カーブが合わなかったため、ソフトに変更しました。
その際に、ソフトは乱視が出やすいよ、と眼科の医師から言われていたので、もしかしたら乱視も出ていてぼやけの原因の一端になっているかもしれません。

月経不順とPMS
PMSに関しては、衰えというよりは体調不良の種類が年齢とともに変化してきました。
若い頃は、とにかく月経痛とそれに伴う腰痛がきつかったです。

予防で鎮痛剤を服用していたら少しは楽だったはずですが、私が10代~20代の頃は
「鎮痛剤を飲むのがクセになるから飲まない方が良い」
と言われていた時代で、ひたすら我慢していました。
しかし、働き始めて数年して、ある考えに至ってからは積極的に鎮痛剤を服用するようにしました。
ある考えというのは、
「苦しみながら仕事効率落とすぐらいなら、鎮痛剤を服用していつもどおりのコンディションで仕事した方が捗る」
でした。
やだ...社畜の思考(笑)今なら、堂々と生理休暇か有給休暇取って休みます。

30代の頃に月経痛は全くなくなりましたが、月経前の浮腫と眠気がひどかったです。たまに頭痛もありました。
40代後半からは、月経前の浮腫と眠気に加えて貧血がひどくなり、歩いている最中に一瞬だけクラッとする時もあり現在も続いているので、貧血を予防するサプリメントを飲んでいます。

月経不順は、50歳になる直前から始まりました。
それまで周期が乱れたことがなかったのですが、4か月くらい月経がないことがあり、まあ更年期だからだろうな、と思いつつ病気かもしれないからと、女性専門クリニックで診察したところ、遅れているだけでした。
その後、順調だったのですが、今年に入ってから周期が定まらない状態になりました。

歩くスピード
足腰が弱ってきています。
運動をしていないのも原因ですが、長時間歩いたら疲れ方がひどいし、疲れてきたときの歩く速度がめちゃくちゃ遅くなってきました(苦笑)
若い頃は、疲れていても早く家に帰って休みたくて、最後の力を振り絞って頑張って速く歩けていたのに、今は最後の力を振り絞れないです(苦笑)

老化予防対策
つい忘れがちなのですが、スクワットを一日に30回以上と軽いストレッチをするように心がけています。
ただ、体調が悪い日はしないので、しない日が続くと歩いているときにかなりの違いを実感します。
スクワットを続けている間は、歩くのが楽に感じられるのですが、お休みしている期間が長いと、歩くときに重たい感じがあります。

歳をとった証拠なのかな?と思います。
なぜなら、若い頃は運動した後にヘトヘトで身体が重く感じられていたのに対して、今は運動しない方が身体が重く感じられるのですから、脂肪が付きやすかったり筋肉が弱るスピードが速いのだろうか?と思います。

これからも、頑張ってスクワットと軽いストレッチは続けていきたいと思っていますが、整体師の資格を持っている知人からは、ラジオ体操を全力でやるといいよ、と教わりました。
マンションなので、ラジオ体操を全力ですると階下の住人から苦情が来そうで難しいのですが、できる範囲で全力ラジオ体操を始めてみようかと思っています(笑)


これから、年々身体の衰えを実感しながら暮らしていくのでしょうが、少しでも健康な状態を長く続けていきたいですね。
長生きしたいというよりは、いつまでも自分で動ける身体でいたいです。
私の身体を人様に持ち上げてもらうのは、魂が旅立った後の身体だけで済むように。

認知症へのケア体制について考えてみる

2019-06-23 | 老後
6月18日に『認知症施策推進大綱』が、認知症施策推進関係閣僚会議にてとりまとめられました。
首相官邸公式サイトにて、議事録および大綱の全文が公開されています

ざっくりとではありますが、大綱の内容に目を通してみました。

大綱を読んでみた理由
私の母は現在79歳。私も50歳を過ぎました。
母のこともさることながら、私が先に認知症を発症する可能性もあります。
また、私が認知症を発症しなくても、脳梗塞などで身体に麻痺が出て介護ができない状況になることや、最悪命を落とすことも可能性としてあります。
私が介護できない状況になったときに母が認知症を発症した場合、さまざまな支援を想定しておく必要があり、今回初めてこの大綱を読んでみる気になりました。

読んでみて思ったこと
大綱ですから、具体策が書かれているわけではありません。
施策の中には、既に自治体等で実施されている支援やサービスの実施率を上げるための目標値が設定されていたり、新たに認知症に特化した支援やサービスや制度の充実を目指した提案がなされたりしています。

この中に、以前私が家族信託セミナーを受講した際にセミナー内容の中で触れられていた成年後見人制度についての記述や、認知症を発症した本人の預貯金や不動産のことに関する制度のことにも触れている箇所がありました。
この中で、少し気になったのが成年後見人制度についての記述です。

「成年被後見人等の利益や生活の質の向上のための財産利用・身上保護に資する支援ができるよう、成年後見人等に対する意思決定支援の研修の全国的な実施を図る。また、「任意後見」「補助」「保佐」制度の広報・相談体制の強化や、市町村等による市民後見人・親族後見人への専門的バックアップ体制の強化を図る。」(『認知症施策推進大綱』認知症施策推進関係閣僚会議 令和元年6月18日 より抜粋)

一体、どのような専門的バックアップ体制を強化してくださるつもりなのかな?

成年後見人制度は、私個人は現時点で利用したくない制度です。
できれば、これに替わる制度が早期に制定されて欲しいと思っています。

※成年後見人制度よりも負担が少ない『家族信託』がありますが、この制度もまだ改善の余地があると個人的には思っています。

できれば利用したくない制度を推してくる?
成年後見人制度を利用した場合、後見人は裁判所が選定し、選定までの申し出や手続も煩雑で時間がかかります。
後見人が専門職者(司法書士や弁護士)に決まった場合は毎年報酬を支払わなければなりませんし、都度の預貯金の出金も後見人にしてもらう必要があります。
なにかの契約や、自治体に何かしらの手続きをする場合も、すべて後見人に依頼するか許可を得る必要があります。
死後の資産の処分や贈与や遺産分配についても、必ず後見人を通して手続を行い、手続き費用とは別に後見人への報酬も別途発生します。

対象者(ここで言うなら認知症になった家族)が生存している限り後見人に報酬を払い続け、死後もさまざまの費用に加えて報酬も発生する。
これ、お金をいくら用意しておく必要があると思いますか?

金融庁が公表した、老後の資金が1人当たり2,000万円不足するかもしれないという報告書(批判を受けて報告書は受理されませんでした)ですが、介護を受けて成年後見人制度も利用していたら、とてもじゃないけど不足するのは2,000万円どころじゃない、と思いました。

対象者の年金と預貯金だけで賄えるのであれば問題ありませんが、手続きに時間が割かれ煩雑な制度で、なおかつ終わりが想定できない費用負担です。身内が費用を立て替える日がくることも、可能性としてあります。
そのような制度、私がもし資産家であったとしても利用するのに躊躇してしまいます。

今のままの成年後見人制度だと、政府が制度の利用促進するための施策の一つとして専門的バックアップ体制を強化しても、当事者とその近親者の負担が軽減されない限り、私だったら利用しなくて済む方法を必死に探します。

あくまでも主体は認知症当事者...だけど
今回の大綱は、認知症の方がよりよく社会生活を送るためにまとめられていますから、介護者や支援者に配慮した内容はありません。
しかし、実際は介護者や支援者の負担を軽減しないと、認知症の方も幸せに暮らすことが難しくなると思います。
民間のサービスが充実しても、国が制定する支援制度が充実強化されても、実際の負担者に対してデメリットが多く、サービスや支援に従事する人も現在不足している現状を考えると、大綱全てをすんなり受け入れることができませんでした。

現実を見れば見るほど、対象者とその近親者や支援者が利用しやすい制度を政府には考えてほしいと思いますが、今後どうなっていくのか、不安ばかりが募りますね。

我が家はどうしたらいいのだろうか?
家族が認知症になったら、どうすればいいのだろう?と、誰しもが考えると思うのですが、自分ひとりで考えていても知識や情報が少ないと、思考が堂々巡りになってしまいます。

まだ介護についてのことや認知症の事を勉強し始めたばかりですが、まずは相談窓口をきちんと知っておく必要があると思っています。
以前、親の介護が必要なる可能性が高いけれどどうしたらいいかを相談したくて、役所の窓口を訪れたことがあります。

失敗でした(苦笑)

窓口の係員は
「必要な状態になってから介護保険の申請に来てください。申請すると有効期限が2年間で期限が切れたら更新の必要があります。確定していないのなら介護保険は申請しない方がいいです...」
ああ、介護保険の仕組みの話しかしないのか...とガックリした覚えがあります。この回答だと、相談でもなんでもないですよね。“説明窓口”です(苦笑)

私が知りたかったのは、いくつかのパターンに則した介護サービス制度の利用方法や、民間サービスとの連携状況だったのですが、返答がこんな感じでしたので、役所の窓口はたとえ“相談窓口”と書いてあっても、相談してはいけないのだ、ということを勉強しました(笑)
真剣に“相談”するなら、民間と医療機関の連携がしっかりしている相談窓口やサービス提供窓口を探すことをお勧めします。

以前、私が利用できそうなしっかりした相談窓口を一か所教えてもらったので、いずれ時間をつくって訪れてみようと思っています。
そこは知人の紹介で、その人も親の介護を始めるときにいろいろ相談したところ、親身になって丁寧にアドバイスをしてくれたとのことでした。
また、介護用品のレンタルサービス店のリストなども揃っており、介護の情報を得るならばそこが最適だろうとも教えてくれました。


介護は認知症の方だけを看るわけではありませんが、認知症だと身体は元気でも社会生活に支障が生まれる可能性が高いです。そうなった場合は、介護、介助、補助、支援なども少し違った角度からアプローチする場面も多くなると思います。
認知症になったら、本人も家族もきっとショックを受けます。精神的な負担は計り知れません。
そんなときに、本人を中心にしたケアと一緒に、介護する側の心が折れたり疲弊したりしないような制度やサービスをあらゆるカテゴリーで考えていただけたら、幸せな老後に一歩近づけるのではないかな、と思っています。

家族信託セミナーを受けてきた話

2019-06-15 | 老後
自分の老後の準備のため、終活を徐々に始めているわけですが、同居している母のこれからのことも考えなければいけません。
現時点で、母は介護の必要はありません。ただ、何故か薬の服用を忘れてしまいますので、時間になったら教えています。
道に迷う、無意味に徘徊する...などはもちろんありませんし、買い物(金銭のやりとり)もします。意味の分からないことを言うのは、寝ぼけているときだけです(笑)

しかし、アルツハイマーや寝たきりの状態にならないとは言い切れません。そうなった場合、母との暮らしをどうしていくべきか?は、今から真剣に考えなければならない問題です。

少し前に、NHKの『クローズアップ現代+(プラス)』という番組で、家族信託を取り上げていた回がありました。その日の内容は、他の目的でネットをしているときに、たまたま情報が目に入ったという感じです。
ただ、漠然とではありましたが、母とのこれからの暮らしを考える上で、必要な内容だということだけはわかりました。おそらく、私が老後や終活に関する情報に対して、アンテナを張っていたからだと思います。

そして先日、たまたま見かけた無料情報誌に、無料の家族信託セミナーの受講者を募集する記事を見つけました。これは、自分の耳で専門家のお話を伺う良い機会だ!ということで、早速申し込みをし、本日受講してきた次第です。

家族信託ってなんだろう?
初めてこの言葉、というより制度を知ったときは、どういうことだろう?と、想像がつきませんでした。
調べてみると、判断力がなくなったり意思決定が不可能な状態になったりした、家族や親族が所有している財産(預貯金や不動産など)を、他の家族が本人に代わって管理や処理処分をしていくことが可能になる制度でした。

わかりやすい例を挙げると、親がアルツハイマーになってしまったとします。
介護をしたり本人の生活を支えたりするために、行政や民間のサービスを使ったり、本人に必要だと思う身の回り品をそろえたりと、何かとお金が必要になります。
そうなったとき、本人の預貯金や年金が振り込まれている口座から引き出して使おうとしても、そのような状態になった場合、口座が凍結されてしまいます。
そうなると、本人の預貯金を引き出すどころか、引き落としていた公共料金も引き落とせなくなり、年金の受け取りさえできなくなります。
また、不動産を売りお金を作ろうと思っても、売買契約は本人以外できません。家族が代理人として売買契約を交わせるのは、親に意思決定と判断ができる状態のときだけです(たとえば、寝たきりだけど自分の資産運用に関しては、十分理解できていて自筆のサインができる状態)

想像すると、少し怖いですよね...あるはずのお金が、まったく使えない状態になるだけではなく、何かの支払いが滞ってしまう可能性もありますし、不動産の処分もできない。
もし、他の家族が資産を十分に持っていて、凍結されても金銭的な援助は問題ないのならば、そういった心配はしなくてもいいかもしれません。しかし、現状はそうもいかない人が、ほとんどだと思います。

そんな、怖い状態にならないように、本人が意思決定でき、判断力があるうちに、資産を他の家族と共有しておいて、いざというとき(意思決定できなくなり、判断力がなくなったとき)に、家族が代理で資産の管理運用、処分処理をできるように契約書を交わし、金銭に関しては共有の預金口座を作っておきましょう、ということのようです。

まだ、私も調べ始めたばかりなので、説明が合っているかどうか不安ですが、おおむねそんな感じの制度です。

セミナーを受講して
前述の内容は、ざっくりとではありますが、セミナー受講の前から予備知識として入っていました。
そして、実際プロ(司法書士)のセミナーを受講して、改めてきちんと考えて、検討しておく必要がある課題だと認識しました。
セミナー内容としては、私が把握していたことを補ってもらった感じです。

そもそも、家族の資産を管理する制度として、成年後見人制度がありました。しかし、こちらの制度は手続きも煩雑で裁判所の判断を必要とし、後見人に支払う費用も毎年かかります。
おまけに、裁判所への(収支や使途などの)報告義務も発生します。
なおかつ、本人が亡くなっても裁判所が選定した後見人が資産の処分や処理をしなければならない制度なので、親族であっても勝手に遺産をどうこうできず、相続の手続なども後見人に委ねる必要があります。
しかし、毎年費用がかかる上に、相続手続の際にはさらに費用がかかります。
想像するだけで、なんだか頭が痛くなるし、トータル費用も見えてこないし、疲労困憊してきます(苦笑)

そんな、煩雑で費用もバカにならない成年後見人制度よりも、もう少しゆるい縛りで、資産を管理運用、処理処分できるような制度として、最近になって家族信託を始める方が増えているそうです。

セミナー後は無料相談していただきました
家族信託セミナーで、内容について少しだけ詳しくなれたかな?とは思うものの、では、自分の場合はどうすればよいのか?となります。
ものすごく困っているわけではないけれど、今の私と母の暮らしや資産状況をざっくりとお話して、アドバイスいただきました。
結果、やはり家族信託だけでは解決しない部分が浮き彫りに(苦笑)
最初は、自分の場合はこんな感じで大丈夫ですか?というような、子どもみたいな質問を用意していたのですが、実際いろいろ思いついたことをお話したら、「ああ、この部分は解決できないのか」となり、頭を悩ませているところです(苦笑)

セミナーは可能な限り受講した方がいい
以前から、興味のあるテーマのセミナーは、有料無料にかかわらず受けることがありました。
しかし、終活を始めた今、自分に必要なセミナーは積極的に受けて、相談する機会があれば、つまらない質問でもいいからしていくべきだと思いました。
漠然と自分だけで考えているだけでは、なかなか解決方法や改善方法がわからなかったことでも、人に話をしているうちに気づけることもあります。

今回は、母のことを想定してのセミナー受講でしたが、将来は自分も誰かに資産(といっても少ししかない)を管理運用、処理処分してもらう必要がでてくるでしょう。
そのとき、少しでも周りに迷惑が掛からないようにしておかなければいけません。
また、母も自分も何かあったときに利用できる制度やサービスを、しっかり把握しておく必要性も強く感じています。

先のことを考えると、ゆっくり老後を過ごすには、まだまだ課題が多いですね(苦笑)