マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

「〇〇であるべき」「当然〇〇」まず固定観念から改善したい話

2020-07-31 | 日々の暮らし
ある男性(サラリーマン、既婚、子ども1人)が料理をする動画が面白くて、アップされている分を少しずつ視聴しています。
1本の動画が2分から3分程度なのですが、その数分がとても楽しめて、料理をすることって楽しそうだな、と思わせてくれる動画です。
画面構成や編集がお上手なことに加えて、字幕の言葉の選び方がとても面白く、人気がある動画のようです。

ただ、とある動画に対しての一部コメントが、なんだか殺伐としていて、少しだけ残念な気持ちになりました。

動画の内容は非常に楽しいです
20代後半の男性が、家族(主に自分とパートナーの)朝食や休日にお菓子を作るだけの動画です。
時々、お子さんの食事を作る動画もアップされています。
完全主夫というわけではなく、朝食は男性が、夕食はパートナーが担当のようです(昼食はおそらくお弁当か外食)
他の家事も分担している様子ですが、ところどころ子育てが大変だと仰っているので、一日中子どもの世話をすることもあるようです。
ちなみにお子さんは、現時点で1歳くらいのようですよ。

ほんの数分ですが、とても魅力的な内容です。
男性が料理を作るだけでしたら、他にもたくさん動画があります。
それぞれ、違う魅力がありますが、この方の動画の面白いところは、ただただ朝食を作って、最後にご自身が食べて終わるところだと思います。
料理は、結婚されてから始めたそうなので、まだいろいろ勉強中のようで、たまにご自身で食べても感想に困る料理が出来上がってしまうこともあるようです(笑)

残念なコメントは似合わない動画
そんな楽しい動画なのですが、ある日の動画に寄せられたコメント欄を読んでみたところ、とあるコメントをきっかけに、何故か殺伐とした意見交換(?)大会になっていて、途中まで読みましたが、げんなりして読むのをやめました(苦笑)

その殺伐とした意見交換の内容は割愛しますが、途中から動画に対する感想とは全く関係ない、既婚男女の家庭でのあり方、家族としての在り方みたいな内容が悪い意味で繰り広げられていて、時には嫌味を言いあう始末。
読んでいると、負の感情ばかりが感じられて、世の中にはパートナーに対する固定観念や思い込みから、不満が噴出している人が多いのかな、と考えてしまいました。
せっかく、当のご本人が楽しそうに料理動画をアップしているのだから、それに対する感想だけでいいのに、リプライせずにはおれないコメントだったのでしょうね。

固定観念は改善しながらアップデートして行きたい
私にも、固定観念はあります。
こうすべき、こうあるべき、と思うことは、たびたびあります。
ただ、違った意見を見聞きすれば、そこから考えることはたくさんありますし、学ぶこともたくさんあります。
そういうときは、過去の固定観念を一度リセットして、改めて自分の考えや慣習を整理するようにしています。

特に性別に関するいろいろな固定観念は、育ってきた環境や学んできたことの違いで、全く違う観念が育ちます。
私が幼いころから、とても疑問に思っていて理不尽で不愉快だな、と思う言葉がありました。
それが「女の子なのだから、〇〇しなさい(してはいけない)」でした。
私としては、女性だろうが男性だろうが、してはいけないことは同じではないのかな、と思っていたのですが、私が育った時代背景では、女性はこうあるべき、男性はこうあるべき、という観念が、今よりもよりはっきりと蔓延していました。

今の時代は、私が経験してきた男女に関する固定観念を振りかざすと、痛い目に合う場合もありますが、それは男女で差をつける考え方を改めて、お互いを思いやる気持ちで接することが広まってきたからだと思っています。

以前は、男性が女性用に考えられたファッションを身にまとうことは、特異な目で見られることが多かったですが、最近では、その着こなしを素直に褒める人も増えてきましたし、男女の友達同士で同じ店で買い物を楽しむ人もいます。
少し前にはツイッターで、デパートの化粧品売り場の美容員(店員)が、ルージュを見ていた男性に「お試しになりますか」という言葉をかけたということが、話題に上がっていました。
私は女性なので、当たり前のようにこの言葉をかけられてきましたが、よくよく考えたら女性だからと言って、見ている本人が使うとは限りませんし、男性だって自分が使うルージュを探しますよね。

要は、イマジネーションが働くかどうかなのでしょうね。
想像力があれば、相手がどのような人物であっても、いちばんフラットな状態で接することができます。
しかしながら、これまで育ってきた環境や経験則から、どうしても固定観念に縛られて人と接してしまうことも多いですし、自分では気づかないうちに人の気持ちを傷つけてしまっていることもあります。
自分では、フラットなつもりでいても、そうではないときがあるのです。
だからこそ、いろいろな考えや意見に耳を傾けて、自分が思い込んでいたこと、固定観念をリセットして、フラットな考え方をキープしておけるように、心がけていたいと思っています。
そういう意味では、今回の殺伐としたコメント欄を読んだことは、ある意味プラスになったのかもしれませんね。


本日は、自分でも難しいことを考えてしまったな、と思いながら、ブログを綴りました(苦笑)
難しいことを冷静に考えられているのは、体調がいい証拠なのでしょう。
体調不良のときは、ネガティブな方向にばかり思考が流れてしまうので、いい傾向なのかもしれませんね(笑)
これからも、自分の固定観念を振り返って、自分自身のアップデートを続け、心身の健康を維持していきたいですね。

英語の練習を始めました(Short diary)

2020-07-30 | 日々の暮らし
私は、英語を話すのが苦手です。
しかし、それ以上にListeningが壊滅的なので、英会話が成立しません。

学校での成績は、そこそこより少し上でしたが、学校英語は教科書丸暗記しておけば点数がとれるので、正直実践的な英語は全く勉強してきませんでした。
以前から、英語で会話したい願望はあったのですが、スクールに通う時間も費用も絞り出すことが難しく、そのうちぐずぐずになって、勉強しなくなりました。

最近、やはり英語で会話ができるようになりたいと思うようになり、英語のレクチャー動画が気になり始めました。
そこで、私でもついていけそうなレクチャー動画を選んで、1日最低でも30分くらいは視聴するようにしています。
まだまだ、会話ができるようなレベルになるには程遠いですが、せめて字幕なしで洋画や海外ドラマが観られるようになりたいので、のんびりと頑張っています。

もしも、満足できるくらい英語の力が付いたら、老後は海外で暮らしたいな(笑)

炊飯器を買わない理由

2020-07-29 | 日々の暮らし
我が家で、炊飯器を手放して早20年くらい?
いえ、もっと経っているかもしれません。
本日は、炊飯器を買わない、持っていない理由について綴ります。

我が家の炊飯器の歴史(笑)
私がまだ、幼稚園に入園する前くらいまでは、ガス式の炊飯器を使っていた我が家。
はっきりと覚えているわけではありませんが、結構大きな炊飯窯で、5合以上は炊けるモノだったと記憶しています。
幼児の私を含めて、家族4人分を炊くには十分な大きさでした。

当時、電気炊飯器は当然販売はされていたのですが、何故かガス式を使っていたのは、もしかしたら炊飯器の値段や光熱費を比較した結果、ガスの方が安く済んでいたからかもしれません。
ただ、ガス式だとどうしても手入れが面倒になるようで、母はずっと電気炊飯器に替えたかったようです。

幼稚園に通う頃には、我が家にも電気炊飯器が導入されましたが、大きなガス式炊飯器を使っていたので、当時の家庭用炊飯器では一番大きいサイズを購入していたのではないかと思います。
父も私も兄も、当時は弁当が必要だったので(私が幼稚園に通ってる当時、兄は中学生で、給食のない学校でした)、たくさん炊く必要があったみたいです。

その後、壊れては買い替えて、私が社会人になっても当然のように使っていました。
母は、モノを持ちすぎる人、処分できない人で、ストックも山ほど持っていないと気が済まない性質です。
家電品も、何故だか予備やストックを持ちたがり、セールをしていると、まだ現役で使っている炊飯器や電気ポットがあるにも関わらず、購入してしまっていました。

ある日炊飯器が壊れた
私が不要品を処分し始めたころから、母がムダにストックを持っていることにイライラしていたのですが、ある日炊飯器が壊れて使えなくなりました。
すぐに、ストックの炊飯器を出そうとした母でしたが、残念なことにモノが溢れすぎて、ストックしておいた炊飯器が出せません(苦笑)
仕方がないので、しばらくは鍋を使ってご飯を炊いていました。

しばらくして、母が炊飯器を買いに行きたいと言い出したので、まだ未使用の炊飯器がどこかにあるから、買わないでくれと頼んで、それは受け入れられました。
そうこうしているうちに、母がご飯は鍋で炊くから、炊飯器は要らないかも、と言い出しました。
理由はおそらく、テレビで鍋で炊くと美味しいという情報を仕入れたからだと思います(笑)
また、少し日数が経ってから、とうとう未使用の炊飯器はリサイクルショップへ持って行こう、と言い出しました。
どうも、鍋で炊く方がいろいろとメリットがあると思い始めたからのようでした。

その日以来、我が家では炊飯器は一度も買っていませんが、その代わりご飯を炊くための鍋がたくさん増えました(笑)
母は、つまらないことにこだわる悪い癖があるので、ごはんがおいしく炊けると謳われている商品を買い求めては、収納に押し込めいましたね。
まったく、呆れるほどモノを増やす人です。

鍋でごはんを炊く
母は、いろいろな鍋を買っては、試しにご飯を炊いて、気に入ればそれをずっと使っていました。
私が家事をするようになる直前まで使っていたのは、錆びない加工がしてある鉄の鍋でした。
母は、これでごはんを炊くのがお気に入りでしたが、とにかく重たい(苦笑)
私も、母がうるさいので、しばらくの間その鍋でごはんを炊いていましたが、洗うときに疲れてしまうので、家にあるいろいろな鍋を試しながら、今はコーニングウェアの鍋を使っています。

今となっては、母と私だけしか食事をしませんから、そんなに多くのごはんを炊く必要はありません。
1度の炊飯で1.5合から2合も炊けば、十分です。
以前は多めに炊いて、冷凍保存もしていましたが、冷凍保存も結構面倒くさいので、今はその日に食べる分だけしか炊かなくなりました。

鍋でごはんを炊くメリットとしては、以下のようなことがあります。

 ・炊飯中に電源コードを気にしなくていい
 ・どこにでもしまえる
 ・使い終わったら鍋を洗うだけでいい(電気は本体と中の窯を別々に洗ったりメンテナンスが必要)
 ・電気炊飯器で炊くごはんと比べても遜色なくおいしい

しかし、デメリットもあります。

 ・炊き上がるまで火加減を見ていなくてはいけない
 ・保温はできない
 ・油断すると焦げる

我が家の場合は、ごはんを炊く傍らでおかずの用意もするので、タイマーを上手に活用すれば、火加減の調整は特に問題なくできていますが、気を抜くと少しだけ行き過ぎたおこげができます(苦笑)
保温に関しては、その日に食べる分しか炊かないので、残ったら冷蔵庫に入れて、食べるときに電子レンジで温めて食べています。
メリットとデメリットを考えた上で、私は鍋で炊く方が合っているように思います。

丁寧でもミニマルでもシンプルでもない
鍋でごはんを炊くと、丁寧な暮らしをしているとか、ミニマルな生活をしているとか、シンプルライフを送っているイメージに繋がることもあるでしょうが、私の場合はただただ、電気炊飯器のメンテナンスが面倒に思えるし、何より買いに行くのが面倒に感じているので、炊飯器は買いません(苦笑)

炊飯器に限りませんが、長く使い続ける必要があるモノを買いに行く際は、利便性や機能が気になり、散々調べてから電気店へ赴くのですが、たくさんの商品を目の当たりにすると、当然心が揺れてしまいます。
もしかしたら、こっちの方が我が家には合っているのではないか、あっちの方が使いやすいのではないか、と迷いに迷って、気が付いたら小1時間は過ぎています。

そうなると、自分で下調べした時間と店頭でさんざん悩んだ時間が、すごく勿体ない気がしてきて、今後これを買って、また買い替える際に、またこんなに時間をかけて悩むのであれば、いっそない方がいいのでは?
ということになりかねないので、今なくても困らないモノに関しては、買わないこと前提で暮らしています(笑)

ただ、私がズボラで面倒くさがりで、かつ優柔不断(というより慎重に選びすぎ?)なだけで、丁寧でもミニマルでもシンプルでもないということだけは、はっきり言えます。
まあ、鍋でごはんを炊くことに関しては面倒ではありますが、そこに付属する動作を考えると、面倒なのは炊くときだけなのですよね。
だから、今後は身体的理由が発生しない限り、電気炊飯器を購入することはありません。


なんだか、今回は思い付きで、炊飯器を買わない理由を綴りました。
最近、「私が捨てた(手放した)モノ」というテーマで配信されている動画を立て続けに目にしたので、私が炊飯器を使わない理由って、何だっただろう?
と思い、備忘録として残すのもいいかな、と思った次第です。
ただ、電気炊飯器を否定する気はなくて、家族が多いとか子どもがまだ小さくて鍋の火加減に気を配ることが難しいという人は、各家庭に合う炊飯器を使ってほしいな、と思っています。

枕を替えたらなんとなく体調が優れない気がした話

2020-07-28 | 日々の暮らし
昨日は、どうも一日中体調もグズグズした感じで、やる気も起きず、ブログの更新をサボりました。
特に忙しかったわけでもなく、体調が優れないとはいえ、何もできない状態だったわけでもなく、ただただやる気が全く起きない、そんな日でした。

体調不良の原因
特にグズグズだった体調は、頭痛と眠気。
頭痛は、酷いというよりはなんとなく思考が鈍る感じが続き、眠気はことあるごとに襲ってきて、仕方がないので自分の体調に従って、何度か昼寝をしました。

おかげで、今朝は頭痛が治まりましたが、やる気が出ないのは相変わらずです(苦笑)
頭痛の原因は、多分寝不足です。
寝ているつもりなのですが、熟睡できていないのかもしれません。
あと、数日前に枕を替えたのですが、もしかしたらそれが合っていないのかもしれません。

旧枕と新枕
替える前に使っていた枕は、10年くらい前に無印良品で購入した羽枕です。
少し軟らかめで、羽なので頭を乗せるとだんだんと沈み込んでいく感じでした。
大きめサイズだったので、寝返りを打っても枕から頭が落ちるようなことがなく、割と好きだったのですが、枕はある程度の年月が経過したら、取り替えた方がいいと聞き、今回替えることにしたわけです。
ちなみに、替えた方がいい理由は、スピリチュアルなことではなく、衛生面の話です。
洗えばいいのかもしれませんが、やはり年月が経てばたつほど、いろいろな汚れが枕の内部に蓄積されていくらしく、時にはアレルギーも引き起こす事例もあるようです。

新しい枕は、購入したわけではなく、購入してから一度も使っていなかった枕(親がしまい込んでいたモノ)を使っていますが、今まで使っていた枕よりも中身が詰まっていて、硬い感じです。
頭を乗せても、沈み込みが少なく、馴染むまでにまだまだ時間がかかりそうです。
また、サイズも今までの枕よりも一回り小さいので、寝返りを打つと枕から頭が落ちそうになります(笑)

寝不足の原因?
昼間の眠気は、夜ふかししていることが一番の原因ではあるのですが、どうも新しい枕に替えてから、あまりよく眠れていないような気がします。
今まで使っていたモノよりも少し硬いために、頭が上がりすぎているのかもしれませんね。
頭が上がりすぎていると、呼吸に影響があると聞いたことがあるので、もしかしたら寝ている間の呼吸が苦しくなっていて、熟睡できていないのかもしれません。

新規購入を検討中
もともと、私が選んで購入したわけではないので、合わなくても当たり前なのですが、寝不足の原因のひとつかもしれないと思ったら、潔く新しい枕を購入しようかな、という気に、今はなっています。
合わない枕は、容赦なく処分する予定ですが、気に入る枕を見つけるまでは、我慢して今の枕を使います。

新規購入するにあたり、低反発や頭の形に合わせたオーダー枕など、選択肢はいろいろありますが、どれにしようか迷っているところです。
以前使っていた、無印良品の羽枕をもう一度買おうかとも思いましたが、せっかくなので今まで使ったことがない枕にしようと思っています。

枕は大事
たかが枕、されど枕(笑)
家に未使用品があったからと言って、簡単に枕を替えてはいけませんね。
まあ、そもそもストックのごとくに未使用の枕が存在していたこと自体、間違っているのかもしれません。
お客様用で買っていたのかもしれませんが、モノで溢れていた我が家には、家にご招待することができませんでしたし、今はご招待するスペースはありますが、人徳がないのでやはり誰も泊まりに来てくれません(笑)

まあ、半分冗談ですが、我が家には孫などもいないので、そもそも誰かが泊まりに来るという想定が間違っているような気がします。
頻繁に、誰かが泊まりに来る家庭でしたら、客人用の寝具一式は必要ですが、めったに泊まり客が来ないような家庭には、予備の布団や枕は不要だと思いました。

しかしながら、毎日使う家人の枕は、どんなモノを使うかが大事だな、と感じています。
快適な睡眠を得たければ、枕なら何でもいいなどと、侮っていてはいけませんでしたね。
早く、快適な眠りを得られるように、自分に合う枕を早々に探し当てたいですね。


なぜか、今回は枕の話になってしまいましたが、体調不良の根本原因としては、本命ではないような気がします。
食事、運動、生活習慣などなど、気を付けなければいけないことが、まだまだたくさんあります。
気が緩むと、すぐに偏食になったり運動をサボったりしてしまいがちなので、一度気を引き締める必要もありそうですね。

パン屋に紙バッグを持参してみた話

2020-07-26 | 日々の暮らし
本日、いつも使うメーカーのトイレットペーパーが特売になっていたので、買いに行きました。
ついでに、スーパー内にあるパン屋で、マイバッグ持参で買い物をしたので、その話を綴ります。

スーパー内のパン屋
パン屋は、スーパーの売り場との仕切り板や壁がないので、陳列されたパンの側をスーパーの買い物客がひっきりなしに行き来するような環境です。

COVID-19が流行して全商品がビニールで包装されるようになるまでは、どうしても埃が気になったり、側を通る人の服の端が商品についてるかもしれないので、買わないようにしていました。
また、以前小さい子どもが素手でパンを触っているのを見たり、靴を履いたままの子どもを抱いてパンを取っている人がいて、その抱かれた子どもの足(靴を履いたまま)が、陳列されたパンの上をゆらゆらしているのを見たりしてからは、低い位置のパンは絶対に買わなくなりました。

今は、全商品包装されていますが、やはり低い位置に陳列されているパンは、取りたくありません。
そこまで販売環境が嫌なら、買わなければいいのですが、やはりその日に焼いたパンを、たまに食べたくなります。
今回は、レジ袋が有料になってから初めてのパン屋です。
袋も込みで購入するか、マイバッグを持って行くか、悩んだ結果、紙バッグを持って行ってみることにしました。

パン屋用マイバッグとして紙バッグはありか?
今回持参したのは、先日デパ地下で買い物をした資生堂パーラーの紙バッグです。
大きくはありませんが、縦の長方形でミニバタールを立てて入れることができます。
資生堂パーラーの紙バッグは、外側がツルツルに加工されているので、パンから出た水蒸気で中が多少濡れても、外側には影響が出にくいのではないか、と思って選びました。

本日購入したのは、総菜パン2個、ハチミツパン2個、ミニバタール1本です。
COVID-19感染防止の観点からか、トングはなく、個包装されたパンは手で取ってトレイに乗せるスタイルです。
ビニール越しとはいえ、素手で取るので、同じ位置に陳列されている買わないパンに、自分の手が触れてしまわないかと少し緊張しながら、ビニールの端っこをもって引き上げる感じで、パンをトレーに乗せました。

持参した紙バッグは、大きさとしてはちょうどよかったです。
マイバッグ持参の場合、自分で入れていいのか、店員に入れてもらえばいいのか迷うところですが、今日のところは紙バッグを渡して店員に入れてもらい、その間に財布からお金とポイントカードを出しました。
効率面を考えると、今回の買い方がベストかなと思いますが、マイバッグを出す際に、素早く出せるのか、という問題もあるので、なかなか難しいですね。
今回は、たまたま人が並んでいなかったので、冷静にマイバッグを出すことができましたが、混雑していたらスムーズに行動する自信がないです(苦笑)

もし紙バッグを持参する場合は
マイバッグ持参でパンを購入したのは、今回が初めてです。
たまたま、汚れていない紙バッグを入手できたのでトライできましたが、買い終わった後に自分なりに感じたのは、

 ・紙バッグや紙袋をマイバッグにする場合は、空の状態で自立する硬さのモノがよい
 ・紙の厚みがある方がよい
 ・できれば油や水分が染みにくい加工がされているモノがよい

ということです。
自立する硬さがあるとよいと感じた理由は、店員に手渡す際に、こちらが口を開いて入れやすい状態にして渡すことができるからです。
硬さがない紙だと、空の状態では自立しない場合もあり、どちらが口を開くにしても手間取るので時間がかかってしまいそうだな、と感じました。
紙の厚みは、自立するかどうかにも関係しますが、厚みがあった方が柔らかいパンを守りやすいです。
厚みがある分、人とすれ違いざまに紙バッグが当たってしまったとしても、ぐしゃっと潰れることもないですしね。
そして、油や水分が染みにくい加工については、外側に染み出てしまうと、他人の服や自分の服に当たった際に、汚れが付いてしまうかもしれないのでそういう加工が施してある方がいいかな、と思いました。

レジ袋に入れてもらう場合は、プラスチック製なので油分も水分も外に染み出る心配はありませんでしたが、マイバッグが紙や布の場合はリスクが高くなるので、考えてマイバッグを選ばないといけないな、と思います。

ちなみに私の前に会計をしていた人は
私の前に会計をしていた人は、ミニクロワッサンが複数入った袋入りを購入していて、マイバッグは出さずに、そのまま持って帰りました。

ふと思ったのですが、パンは買いたいけれど、レジ袋にお金を払いたくないという気持ちが働くと、マイバッグを持っていない場合には、どうしても1袋に数個入っている商品しか選べなくなりますよね。
難しい問題ですが、レジ袋は節約したいという気持ちと、レジ袋にお金を払ってでも好きなパンを食べて幸せな気分になりたいという気持ち、どちらを優先するかと問われたら、私は好きなパンを選んでレジ袋にお金を払うと思います。
そして、セルフで取るスタイルのパン屋の場合は、レジ袋について何か対策を考えてほしいと思った日でしたね。


今回は、パン屋に紙バッグを持参した話を綴りましたが、このスタイルはしばらく続けてみようと思います。
ただ、紙バッグはナイロンや布のバッグに比べると、耐用日数が短いので、濡れたり破けたりしたらすぐに使えなくなりますし、代わりの紙バッグや紙袋がない場合は、手持ちのナイロンか布製のバッグを使うしかありません。
最終的には、また、パン屋から足が遠ざかってしまいそうです。

小さなアクシデントが起きたらルーティンを変えてみる話

2020-07-25 | 日々の暮らし
ここのところ、ちょっとしたアクシデントが続いています。
そういうときは、自分のルーティンや暮らし方の思い込みが原因だと考えるようにしています。
それは、きっと今の暮らしに足りないことや余計なことがあるから、起きているのだろうと思っています。
本日は、そんな話を綴ります。

直近で起きた小さなアクシデント
【小さな怪我】
2日前に、小指を切りました。
切った原因は、食器乾燥機(備え付け設備のため処分が難しいので棚として活用)のアクリル扉を思いきり勢いをつけて拭いた際に、アクリル扉の角に小指を思いきりスライドさせてしまったからです。
厚みのあるアクリル板なので、皮膚の避け方がえぐれるような感じになってしまって、結構流血しました。
調理中だったこともあり、もう、そのあとの調理と食事の準備の手順がぐちゃぐちゃになり、なんとか食事を終えて、改めて指に絆創膏を貼りながら、気分がめちゃくちゃ下がりました(苦笑)

【落とした原因】
本日は、母が昼食に食べようとした天ぷら(買ってきたもの)を、皿に盛り付ける直前にパックが浮いてしまったのか、床に天ぷらを落としてしまいました。
原因は、わかっています。
母が、いつも何か作業をする際に、テーブルやデスクギリギリの端っこにモノを置いているからです。
数日前から、そのうち落としてしまうかもしれない、と思った矢先に起きたアクシデントでした。

【音を立てる】
2~3日前から、母が玄関から出る際に、傘立てをガチャガチャと音をさせるようになりました。
音がするだけで、何をしているのかは確認できていないのですが、歩くときに突いている杖を取ろうとしているのか、立てている傘や杖に手をついているのだと推測しています。
割と音が大きいので、夜に外へ出ようとしたときに、階下へ音が響くのではないかと、少し心配しています。

【モノを落としがち】
最近の私は、モノを落とすことが増えました。
落とし物、ではなく、モノを落とすのです。
置き方や置き場所、取り出し方に問題があるのは自覚しています。

小さなアクシデントは自分への黄色信号
アクシデントが起きると、多かれ少なかれ気分が滅入りがちですが、特に小さなアクシデントに対して、気分が下がることがあります。
大きなアクシデントは、逆に落ち込む余裕がないので、割と淡々と改善策を考えますが、ちいさなアクシデントは「防げたはずなのに、どうして?」という気持ちが強くなります。

例えば、足の小指を家具にぶつけたとき。
自分がおっちょこちょいだな、と笑って済ませられるときはいいのですが、たまに「もっと離れて歩けばよかったのに、なぜすぐそばを歩いたのか?」と自分の行動を悔やんでいるときがあります。
そのようなときは、おそらく気持ちの上で何らかのトラブルが発生しているのだと思います。
仕事がうまくいっていないとき、人間関係に疲れているとき、家族との関係がよくないとき、その他自分が何かしらに落ち込んでいるときに、小さなアクシデントが多いように思います。

逆に、小さなアクシデントが増えてきたら、それは自分自身に対する黄色信号だと、最近になってわかってきました。
自分では意識していなかったことでも、実は心の奥底で気がかりだったことや、心配していることや、思い悩んでいることが、暮らしのほんのちょっとした行動に出てしまっているのでしょうね。
以前は、小さなアクシデントは、気を付けていさえすれば回避できると思っていましたが、最近は小さなアクシデントが発生したら、とりあえずアクシデントの因子を探すようになりました。

ルーティンを変えてみる
小さなアクシデントが発生した場合は、大きな改善はせずに、ひとまず今の暮らしを微調整するために、ルーティンを変えてみることにしています。

今回列挙した、小さなアクシデントに対してですが、指を切ってしまったアクリル板の角には、何かしらの防御するグッズを取り付けたら解決するはずですが、状況としてはマルチタスク中だったので、マルチタスクを減らそうと思います。
また、母が天ぷらを落とした件ですが、なるべくテーブルを広く使えるように改善すると同時に、パックで購入したモノは、買ってきた状態のまま放置せず、必ず器に移しておくことにします。
傘立ての件は、まだ手を付けていませんが、傘は別の場所に移して、杖だけを立てておくことを検討しています。
そして、私がモノを落としがちな件は、ひとまず自分の行動をゆっくり振り返って、何か余計な行動をしていなかったか、不要なモノが近くになかったかなどを、探していきます。

アクシデントは暮らしと気持ちのバロメーター
いくつかのアクシデントをとおして、暮らしの小さなルーティンや思い込みを変えると、上手くいくことが多いです。
変え方を間違えると、また違うアクシデントを引き起こしますが、何度か繰り返していくと、必ず改善します。
ということは、今までとりあえずは何も起こらなかったけど、ベストな暮らしぶりではなかったのでしょうね。
また、アクシデントが起こらなかった期間は、もしかしたら心身ともに安定していた可能性があります。

普段どおりの暮らしをしているつもりでも、環境や気持ちの変化で、普段どおりが普段どおりではなくなることもあるのでしょうね。
普段どおりができなくなったら、それは今の暮らしを少しでもいいから変えましょう、という、違う自分からのメッセージなのかな、と思います。

もし、小さなアクシデントが短い期間で頻発するようであれば、それは完全に何かを変える必要があるのだと思います。
それが何かは、わかりません。
もしかしたら、掃除の仕方かもしれないし、洗濯の仕方かもしれないし、朝のルーティンを変えることかもしれないし、夜のルーティンを変えることかもしれない。
もっと極端なことを言えば、仕事を思い切って転職してみるとか辞めてみるとか、毎日していることをいっそ放棄してみるとか、逆に今までしなかったようなことを試してみるとかも、考えられます。

ただ、1つだけ私が言えることは、小さなアクシデントほど、放置してはいけない、ということです。
大きなアクシデントは、誰でも改善策を探しますが、小さなアクシデントは、まあいいか、と思うことの方が多いです。
しかし、その小さなアクシデントこそマメに改善していくことが、暮らしを楽しくするし、充実させることができる方法なのだと思います。
今は見えていない問題点は、小さなアクシデントが教えてくれている、そう思います。


小さなアクシデントは、自分一人の問題ではなく、家族も関わっていることが多いので、なかなかうまく付き合っていくことができませんが、せめて自分が改善できることだけは、きちんと対応していきたいです。
今後は、母も思いどおりに行動できなくなることが増えるでしょうから、その時は母の行動を改善させるのではなく、まずは自分が臨機応変に行動していくことを、心がけたいと思っています。

久しぶりにデパ地下でお買い物(Short diary)

2020-07-24 | 日々の暮らし
本日は、Short diaryです。

久しぶりに、デパ地下へ行って美味しいモノをいろいろ買ってきました。
最後に行ったのが、3月頭だったので4ヶ月以上ぶりです。

購入したのは、クッキーと資生堂パーラーのお菓子とモロゾフのチーズケーキ、ローストビーフのランチボックス、総菜、天ぷら、おにぎり、一銭洋食、お高めの牛乳(笑)
本日のランチから、大体明日の朝まで食べられるくらいの分量を、購入しました。
めちゃくちゃ手抜きですが、外食も遠出もずっとしていないので、食べ物くらいはたまに贅沢してもいいですよね?

この連休中は『GOTOキャンペーン』で、遠出をしている人たちもいるかと思いますが、私はデパ地下が精いっぱい。
母の身体のこともあるので、しばらく遠出は無理そうですが、たまに美味しいモノを買って、贅沢な食事を楽しみたいと思っています。

モノがある幸せとモノがない幸せ

2020-07-23 | 日々の暮らし
本日は、ふと考えたことを綴ります。

モノが少ない部屋
私の自室も、過去に大型の家具を処分し、昨年から今年にかけて、趣味のモノも大半を処分し、昨日は処分はしていないけれど、自室からハンガーラックを撤去し、かなりの余白ができました。
本日は、捨て曜日だったので、何か処分するモノはないか?と考えながら、部屋を眺めていると、家具とモノが30年前とは比べ物にならないくらい少なくなっていることに、改めてホッとした気持ちが湧いてきました。

まだまだ、生活には不要なモノはあるのですが、今のところ現状維持で行こうかな、と考えています。
もともと、あまり見える場所に使うモノを置くことが嫌いだったので、見える場所にあるのは、もっぱらインテリア系と頻繁に使用するモノだけでしたが、収納家具を駆使して、見えない場所にたくさんのモノを詰め込んでいました。
思い返すと、そんな部屋で過ごしていて、私は心底幸せだったのだろうか?と、つい自問してしまいました(笑)

今、自室に入って目に入る家具は、ベッド、折り畳みデスク、父の手作りラック、1人用スツールボックスの4点。
家電品は、ダイソンピュアホット&クール、テレビ、DVDプレイヤー、ケーブルテレビのトップボックスの4点。
壁には、好きな野球選手のポスターが1枚、思い出の写真が1枚、壁掛け鏡が1枚、小さなカレンダー1つ、今の季節は帽子もすぐ手に取れるように、通気口の取っ手を利用して壁にかけています。
小物は、ラックの中に漫画と今から読む予定の小説と見返したい本、デスクにはラップトップと手帳(日記代わり)、ボールペン1本、鍵と小さなライトを入れているトレイとメガネを置いていて、ベッドには枕と布団以外に抱き枕があります。

このように書き出していくと、まだまだモノがたくさんある印象ですね(笑)
それでも、部屋に入れば何がどこにあるかは一目瞭然。
家具に圧迫されていた頃は、自分では把握できていましたが、もし誰かに何かを取ってきてほしいと頼んだら、探すだけで数十分かかっていただろうな、と思います(苦笑)
今の部屋であれば、部屋の中に何があるかはすぐにわかりますから、誰かに何かを取ってきてと頼んでも、数分で見つけられるでしょうね。
部屋に余計なモノを置かないことは、自分だけのためじゃないのだと、最近は考えるようになりました。

モノがたくさんある部屋
家具を処分しても、しばらくはクローゼットにモノが詰め込まれていたし、昨年までは自室にローチェストも置いていたので、ほんの1年前ですが、今よりも窮屈な部屋で過ごしていたな、と思います。
家具とモノがたくさんあった部屋で、当時私はどんな気持ちで過ごしていたのだろう?と、少し振り返ってみると、当時は当時で、今とは全く違うことを思いながら過ごしていたことを思い出しました。

私がモノを思い切って処分し始めたのは、20代後半からです。
最初は、自室の四方を陣取っている収納家具(キャビネットや本棚など)を処分したのですが、当然中に入っていたモノを先に処分しています。
処分する家具の中に収納していたモノは、たくさんの書籍、未使用の食器、さまざまな雑貨、大切な書類やカードなど。
家具を処分するために、書籍の半分以上と食器のほとんどは売却し、雑貨は躊躇なくごみ箱へ(笑)
そして、何度か同じことを繰り返し、今の状態があるわけですが、最初の頃は本当に処分する決心をするまでに、時間がかかったことを覚えています。

そもそも、なぜそんなにたくさんのモノを持っていることを、疑問に思わなかったのだろうか、というと、20代って社会人になって数年しか経っておらず、自分の稼いだお金を使うことに喜びを感じているようなところがありました。
給料を稼ぐまでは、親からのお小遣いで買ったモノと親が買ってくれたモノを使って生活していましたが、中には親に気を遣って使っているモノもあったわけです。
それが、自分で自由に使えるお金が手に入るようになり、そのお金は何に使っても、何を買っても自分自身で決めることができる喜びは、結構大きかったように思います。

また、20代はまだ未来に希望がたくさんある時期でもあります。
結婚する未来も考えていたし、仕事で昇格してバリバリ働く未来も思い描いていたし、たくさんの旅行や、いずれ会社を辞めて自分で店を持ったりフリーランスで働くことを妄想したこともあります。
とにかく、20代は自分がこうであったらいいな、と思う姿に備えているようなところがあり、そのためにいろいろなモノを買ったり準備したりしていることそのものが、楽しかった気がします。

モノがある幸せとは
モノが溢れていた当時の、私の部屋を肯定的に表現すると「未来への準備をする部屋」だったのだと思います。
自分にどんな未来が来ようと、準備さえしていたら、きっと幸せな日々を送れるだろうと、本気で考えていました。
実際、モノに押しつぶされてしまいそうな圧迫感を感じるようになるまでは、モノがたくさんあることを楽しんでいたし、幸せだと思っていました。
好きなモノを揃えて、収納が窮屈になっても、いつか今よりも広い部屋や家に移り住んで、図書室を作ろう、趣味の部屋を作ろう、キッチンは大好きな食器と道具で埋め尽くそう、と妄想する瞬間もとても楽しかったです。

そんな自分の20代の頃を振り返ると、若いときにモノをたくさん持つことは、決して無意味ではないかもしれないと思っています。
結果として、ほとんどのモノは手放してしまいましたが、モノがあったことで、自分に合っていることや苦手なことを、はっきりと自覚することもでき、未来への準備も「何か違うぞ」と感じることができたと思います。

ただ、若くてもモノが多いことで暮らし辛いことがあったり、モヤモヤやイライラを感じてしまうようになっているのであれば、思い切ってモノを処分することをおススメしたいです。
仕事や家庭が上手くいかないときに、モノに当たってしまうことがありますが、きっと大切にしているモノには当たったりしないと思うのです。
つまり、モノに当たることや、モノのメンテナンスにイライラするということは、その対象になっているモノが不要だからですよね。
だから、誰かに貰ったとか、思い出が詰まっているとか、まだまだ使えるなど関係なく、モノに負の気持ちをぶつけてしまう瞬間に、それは手放した方が気持ちの整理も付きやすいのかな、と思います。

モノがない幸せ
なんだかんだ言っても、まだ私の自室には人様から見たら不要なモノがたくさんあります。
ただ、私はそれらのモノに負の感情を抱いていないので(むしろ好きだし見ていて幸せでもあります)、気持ちが変わるまでは持っていようと思います。

しかしながら、現在は人生の中でも一番所有物が少ない状態であり、そのことは決して嫌ではありませんし、部屋にある空間が増えることに比例して、スッキリした気持ちも増しています。
20代の頃の私には、きっと感じることができない、心地よさかもしれません(笑)

モノが少ない部屋は、余計なことを考えなくて済むので、自分に何か悩みがあったりしても、その悩みに集中することができます。
モノが多いと、片付けやメンテナンス、掃除のときの手間、モノの出し入れにかかる手間に時間を費やしてしまうので、集中しなければいけないときに、気が散ってしまうのですね。
仕事を家でする人も、モノが多い部屋よりはモノが最小限しかない部屋の方が、きっと集中力は増すと思います。

また、モノが少ないことで、ケガをすることが少なくなりました(笑)
年齢的にも、若いころに比べて足腰が弱くなったり、視力が変化してきたりしているので、若いころのような家具で狭くなった部屋では、ぶつかったり引っかかったりして、ケガが絶えなかったかもしれません(苦笑)
まあ、それは、自分がおっちょこちょいなだけなのですが、モノが少なくなった部屋は、臨機応変に使える空間が多くなり、体操やストレッチをしたり、何かの作業をするにも楽だったりするので、行動面から言うとメリットしかありません。
部屋にモノがないことは、部屋を広く使えるということ。
そうすると、自分の行動が効率的になりますし、余計なことをしないで済むので、時短にも繋がりますし、モノがないおかげで、手順を省略する術も身に付きます(笑)

そして、部屋にあるモノが少なくスッキリしていると、感覚が研ぎ澄まされて、今まで集中して聴くことがなかった、朝の鳥の鳴き声や、小さな自然の音を聞き取れるようになり、穏やかな気持ちを持つ時間が増えました。
これは、自分でも意外な結果でしたね。
モノが少ない部屋は、殺風景で寂しそうだしつまらなさそう、と感じる人も居るかもしれませんが、モノが少ない分、情緒が豊かになることはあるのだと、私は実感しています。

無理をしないことが一番
モノをたくさん持つにしても、モノを減らしてスッキリ暮らすとしても、一番重要視しなければいけないことは、無理をしないことだと思っています。
いくら、誰かが、モノは多い方がいいと言ったり、モノは必要最小限だけ持っていたらいいと言ったりしても、自分自身が何かに無理をしているのなら、他人の言葉をむやみに実行してはいけないな、と思います。
無理をすることは、必ずストレスになり、それを長く続けると心身ともに壊れてしまう可能性があります。
もし、モノを処分しなければいけない、と追い詰められていたら、モノが減っても幸せを感じることはできないだろうし、もし、モノが多すぎて暮らしをモノの存在に合わせてしまっているのなら、それも幸せではないですよね。

以前、私は友達の影響でウエッジウッドのピーターラビットの食器をシリーズで揃えていたことがありました。
しかし、よくよく考えたら、食器以外のモノでピーターラビットのグッズは、一切持っていませんでした。
そして、数は少ないですが、ある程度まで食器を集めた時点で、そこから先、ピーターラビットの食器を増やしていくことに、辛さを感じるようになってきました。
当時は、一応給料も人並みに貰っていたので、他のモノを買わなければ、正規の値段でまとめて購入することもできたはずですが、他にも欲しいモノがあり、アウトレット店まで足を運び、なるべく安く手に入れる努力をしていました。
ところが、ある時期から、わざわざアウトレット店まで足を運ぶことが億劫に感じられるようになり、ちょうどそんな時期に、家具を処分しようと思い始めたこともあって、結局それまで買い集めたピーターラビットの食器は、全て売却してしまいました。

今思えば、自分で自分の苦労を水の泡にしたような感じなのですが、当時は友達に影響されて無理をしていたのですね。
お金も、買いに行く労力と時間も、自分に言い聞かせながら捻出していた気がします(苦笑)

今は、誰かに影響されてモノを集めるということはやめました。
また、自分が好きなスポーツ選手やアーティストやアイドルのグッズも、買うのをやめました。
少し前までは、無理して買わないのは逆にストレスを溜めてしまいそうだな、と思っていましたが、少しだけ我慢するようにしてみたら、意外と早い時期に買わなくても気にならなくなりました。
結局、他のファンの人たちと同じように行動しようと、グッズ系を無理して買っていたのかもしれないですね。
しかし、これもモノを最小限に持とうとしなければ、気が付けなかったことでしたね。


モノをたくさん持つ幸せと、モノを少なく持つ幸せを、単純に比べることはできません。
ただ、今の自分の暮らしにしっくりくるモノの数量というのは、常に変化しますので、もし不都合がないのであれば、減らしたり増やしたりすることを、積極的にしたらいいのだと思っています。
今の私は、モノが少ない今の方が、心穏やかに過ごせます。
モノを増やすか、減らすかは、今の自分の暮らしと向き合うきっかけなのかもしれませんね。

ハンガーラックを移動してみた話とクローゼットのプチ模様替えの話

2020-07-22 | 日々の暮らし
今回は、自室にあったハンガーラックを移動したいきさつと、クローゼットの中を少々変更した話を綴ります。

ハンガーラックの移動歴
このハンガーラックは、もともと私と母が1つずつ使っていて、たしか福岡へ引っ越してきて間もなく購入したモノです。
ですから、もう40年近く使っていますね(笑)

大学生くらいまでは、このハンガーラックを使っていたのですが、母が服へ散財するようになり、収納が服で満杯になってきたころに、あまりにも酷い状態になっていたので、私が使っていたラックも母に使うように言いました。
そのあと、私はクローゼットの扉に、一度着たアウターなどをかけられるフックを取り付けて、ラックに下げていた服を下げていました。

しかし、最近になって自室の壁収納やインテリアを片付けてしまった後、クローゼットの扉にかけている服も気になり出し、外すことにしました。
そうなると、アウターやすぐには洗濯できない服を下げる場所がなくなります。
そのころは、母も着なくなった服は全て処分していたので、ラックは1つあれば十分な状態でしたので、母に使わせていたラックのひとつを私の自室へ戻して、アウターなどをかけるようにしました。
それが、昨年の秋から冬にかけてのことです。

ところが、そのラックの存在が、昔使っていた頃に比べて、やたらと圧迫感があったのですよね。
そこで、もう一度、母が服を置いている部屋に移動させることにしました。

アウターはどこへ?
母の部屋へラックを移動させてしまったので、一度着たアウターを下げておく場所が、自室にはなくなりました。
一応、無印良品の壁に付けられる家具という商品の購入を検討しているのですが、壁をスッキリさせておきたい気持ちもあり、少々葛藤しております(苦笑)

さて、今は夏なので、アウターと言っても重ね着したワンピースやUVカット仕様のジップパーカーのみですから、ラックがなくてもそこまで不自由はしていないのですが、数か月後には秋が訪れ、アウターが活躍する季節に突入します。
そのころまでには、アウターをかけておく場所を確定したいのですが、今は仮置き状態で、クローゼット内を簡単に洗濯済みの服とは分けて、下げています。
ただ、今の季節ですから、汗が多少なりともついているアウターを、脱いですぐにはクローゼット内に入れられません。
結局、椅子の背もたれにかけたり、クローゼットのドアに取り付けているバーがあるのですが、そこに引っ掛けてクローゼットを開けっ放しにしておいたりしていて、正直使い勝手が悪すぎます(苦笑)
ですから、無印良品の商品か、あるいは別のメーカーの商品の購入は、早めにしようと考えています。

クローゼット内を模様替え
ずいぶん長い間、洋服を取り出す動線を考えて、下げる服は左半分に、その他の雑貨などは右半分に収納していましたが、今回、一度着たアウターを下げるために、左右の収納を入れ替えてみました。
まだ、慣れておらず、間違えて扉を開けてしまいますが、まあ、特に悪くはないです。
かといって、使いやすくもないです(苦笑)
一度着たアウターを下げる場所が確定したら、またクローゼットの中を変更するかもしれませんが、とりあえずこのまま続けてみようと思います。

クローゼット内を模様替えしている最中に、中で使っている引き出し収納の中身も、見直すことにしました。
結果、通帳ポーチが1つ不要になり、また念のため持っておいたスラックスハンガーも、処分することにしました。
このスラックスハンガーは、二つ折りや三つ折りにして下げる仕様で、下げるときに結構面倒くさいです。
見た目はたしかにスッキリするのですが、使い勝手がよろしくないので、処分します。

通帳ポーチは、自分が管理すべき通帳や小さな書類を入れていたのですが、見た目や収納ポケットの仕様が好みではありませんでした。
ただ、気に入る通帳ポーチも見つけられなかったので、仕方なく使っていたようなところがありました。
今回、他のモノを入れていたポーチ(こちらも通帳ポーチだと思われるモノ)に、大事な通帳や書類をまとめることにして、気に入っていなかったポーチを処分できるように、頑張りました(苦笑)
結果、移動先のポーチが少々肥満気味ですが、見た目のデザインはまあまあなので、しばらくはこれで行きます。

他に処分するモノ
スラックスハンガーと通帳ポーチの他にも、処分することにしたモノがあります。
それは、小物収納もできるティッシュケース。
これは、実は処分するつもりでいたのですが、ふとケーブル収納に使えそうだと思い付き、1ヶ月ほどケーブル収納ボックスとして使用していました。
しかし、やはり使い難いし、見た目もよろしくないので、処分することにしました。

ちなみに、ケーブル問題はもうむき出しでもいいか、となっています(苦笑)
本当は、スッキリさせた方がいいのかもしれませんが、何かいいアイデアが思い浮かぶまでは、むき出し状態にしておこうと思います。


明日は、捨て曜日です。
まだ、処分したいモノはありそうなので、朝から不要品パトロールをすることになりそうです(笑)

根っからのテレビっ子です。

2020-07-21 | 日々の暮らし
本日は、更新が大幅に遅くなってしまいました。
理由は...
好きなテレビ番組に夢中になってしまったから(苦笑)

いつも、新番組が始まると可能な限り1話からみます(笑)
新番組が重複してしまったら、仕方がないので内容と演者で決めています。
バラエティよりもドラマが好きなのですが、特に好きなのは推理モノや職業系です。
職業系の中でも、警察関係や医療関係は国内国外問わず、面白いと思います。
リーガル系も好きですが、こちらは海外ドラマの方が好きかもしれません。
また、好きなチームのスポーツ中継も逃したくないので、シーズン中は忙しいです(笑)

本日は、ケーブルテレビで放送中の『CSI:科学捜査班』のシリーズ全話放送と野球中継と『私の家政夫ナギサさん』です。
『CSI:科学捜査班』は、日本で最初に放送されたときからみていて、大好きな海外ドラマの1つ。
再放送があると、時間の許す限りみてしまいます。
おかげで、他のことがおろそかになります(苦笑)
シリーズ全話放送なので、これからしばらくは、これに時間を割いてしまいそう。
とはいえ、家のことはしなくてはいけないので、テレビを点けっぱなしで家事をすることになります(笑)

そういえば『科捜研の女』も大好きで、シリーズが始まると木曜日が楽しみになりますね。
もう何年も前ですが、火曜サスペンス劇場という枠があって、その中で放送された『警視庁鑑識班』シリーズも大好きでした。
鑑識や科学捜査のような、小さな証拠も見逃さずに犯行を裏付けていく様子が、職人の技を見ているようで、好きなのですよねえ。

ドラマが特に好きではありますが、バラエティも好きな番組があります。
最近でしたら『激レアさんを連れてきた。』ですね。
この番組に出てくる「激レアさん」の人生が、下手なドラマよりも面白くて、つい見入ってしまいます。
特に好きなのは、波乱万丈の人生を歩んでいるにもかかわらず、「激レアさん」が楽しそうに自分のことを語っているところですね。
人生を笑いながら語ることができるって、素晴らしいですよね。
私も、老後は笑いながら自分の人生を語っていたいです。

クイズ番組は、以前は好きだったのですが、今はあまり好きではありません。
なんとなく、面白くないと思ってしまいます。
構成が、好みではないのかもしれませんね。
ただ『世界ふしぎ発見!』だけは、大好きです。
世界のことを知ることができる番組は、クイズに限らず大好きなので、海外のことをテーマにしている番組は、時間があればみていますね。
子どもの頃は『なるほど!ザ・ワールド』が大好きでした。

テレビについて語りだすとキリがなくなるくらい、たくさんのテレビ番組をみてきた根っからのテレビっ子なので、たまにテレビに夢中になりすぎて、ブログの更新が遅れてしまいます。
いえ、更新そのものを忘れてしまっています(苦笑)
なので、更新が遅い日は、体調が悪い日か、忙しい日か、テレビに夢中になっている日です(笑)

もし、私のブログを毎回読んでくださっている方がいらっしゃるのであれば、更新が遅い日は「テレビでもみてるのかな?」と思っていただければ、たぶん正解です(笑)

ということで、今回は私のテレビっ子ぶりを綴りました。