マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

手放したCDとDVDの買取査定額はいくら?

2020-03-31 | 日々の暮らし
先週、持っていた音楽CDと音楽DVDを手放すべく、宅配買取サービスへ買取依頼をしていましたが、昨日、査定額のメールが届きました。
今回は、CDとDVDを手放すまでの流れをおさらいしつつ、査定額を発表します。

手放したCDとDVDの数量
手放したのは、音楽関連のCDとDVDです。
終活の一環でしたので、最初は手放す予定ではなかったCDとDVDも、荷造りしている最中に心変わりして、それらも梱包してしまいました。
ちなみに、今残しているのは、映画3作品、ドラマ6作品、アニメ1作品、ファンクラブ特典DVD2枚です。
ドラマは、単発1作品を除いて、5作品はそれぞれ1クール分あるので、全て合わせると40枚に満たないくらいが、現在の手持ちDVDです。

今回手放した、CDとDVDの合計枚数は数えてはいませんが、200枚に満たないくらいだと思います。
もしかしたら、150枚くらいかもしれません。

買取業者選び
あるアーティストに特化した買取サービスにお願いすると、相場よりも少し高額で買い取ってくれるという知識はあったのですが、数名のアーティスト作品を別々の業者に頼むのは面倒だったので、まとめて頼める業者を探すことにしました。
ふと、会員になっている楽天市場は、中古の書籍やCD、DVDも売られていたな、と思い出し、「楽天買取」というサイトで探すことにしました。

検索してみると、評価の高い上位数社が表示されました。
その中には、ブックオフもあったのですが、ブックオフの場合は商品状態と販売されてからの経年数で査定されますので、私が持っているCDのほとんどは、買取不可のモノばかり。
手放すことだけが目的とはいえ、大事にしてきたCDとDVDですから、多少は作品として査定をしてもらいたい気持ちから、ブックオフは、選択肢から外しました。

残った選択肢は、上位4店舗に絞り、それぞれの買取店の条件を確認し、比較検討しました。
そして今回は、買取基準、買取不可品、送付無料になる条件、買取限度数、得意そうな分野、申込方法の手間で、選ぶことにしました。

まず、1店舗目の買取基準と買取不可品を調べたところ、3月下旬からはシングルCDはどのような作品でも買取不可となっており、この時点で選択肢から外れました。

次に確認した店舗は、非売品以外で美品であれば、買取可能で、申込時に身分証明書も画像の添付ファイルでOKだったのですが、利用者の評価を読むと、どうも書籍の買取が得意といった印象で、思いのほか高額査定だったという意見が多かったです。
書籍が得意ということは、CDやDVDは査定額としては期待できないかもしれないと思いましたが、CDとDVDの作品については、よほど汚れていたり、ケースの破損がない限りは、買取対象として査定してくれるようでした。
また、書籍をきちんと査定してくれるという評判が決め手になり、ほぼこちらの店舗に決めて次の店舗も確認しましたが、条件的には、変わりがなかったので、総合評価の高さから、ほぼ決めていた店舗『VALUE BOOKS』にお願いすることにしました。

申し込み~梱包~集荷
楽天買取内のショップなので、買取が成立した場合は、現金振り込みか楽天ポイントかを選ぶことができました(できない店舗もあるようです)
30,000円を超えると現金振り込みしかできないということでしたが、私の予想では30,000円を超えることはないという確信がありましたし、今月は使い捨てコンタクトレンズを楽天市場で購入予定で、その購入費用の足しにできたら、という考えから、ポイントでの振り込みを選びました。

梱包については、条件として箱の3辺合計が160cm以内、重量は25kg以内。
商品数は、5作品以上から送料無料(先方負担)ですが、私の場合は100枚を余裕で超えるので、難なくクリアです(笑)
1箱の重さが25㎏以内ということなので、念のため2箱に分けて梱包することにしました。
箱は、ドラッグストアの「ご自由にお持ち帰りください」とされている段ボールを2つ貰ってきました。

2箱に分けて梱包したのはいいのですが、CDとDVDが入った箱は、思った以上に重たかったです(苦笑)
一応、箱の重さを量らないといけないのですが、体重計しかないので、箱を持った状態で量った体重から、普通の体重を引いて測定する方法をとったのですが、正直腰がやられます(苦笑)
2~3日は、背中と腰が痛かったですね...

重さを確認したら、箱を布テープで閉じて、底になる部分を強化して、集荷に備えました。
月曜日に申し込みをして、集荷日は木曜日。
少し日数に余裕はありましたが、月曜日には梱包を全て終わらせて、集荷日を待ちました。

集荷日当日、午前中に時間指定していたので、家のことを早めに終わらせて、宅配業者を待つことにしていましたが、思いのほか早く集荷に来てくれたので、助かりました。
なにせ、重たくて大きな箱が2つもあったので、邪魔で仕方ありませんでしたから(苦笑)

査定額予想
梱包しつつ、査定額を予想してみました。
以前、ブックオフに50枚ほど持ち込んだ際は、1枚だけ買取であとは買取不可ですと言われた経験から、作品重視で査定されたとしても、全部で数千円かな、と予想しました。
マックスでも、1枚100円くらいで、平均50円もいかないかも?という感じです。
数量限定の初回盤DVDなどは、少し高めに査定してほしいな、とは思っていましたが、10,000円までにはならないかもしれないな、と思っていました。

ただ、もしかしたらもう少し高めに査定してもらえるかもしれないな、とも思いました。
理由は、COVID-19感染対策のために、最近いろいろなアーティストがライブを中止している影響からです。
ライブが中止になったことで、ライブDVDの売り上げが増す可能性があるかもしれないと予想し、需要が上がっているような気がしたからです。
また、2組のアーティストが、それぞれ周年を迎えて、ファンの間でも盛り上がっていたので、そのあたりの付加価値が望めたからです。

査定額の発表です(笑)
送付先は、長野県でした。
ここは福岡なので、おそらく先方に届くのは、早くても2日後の土曜日。
土日を挟むので、査定額のお知らせメールは週明け火曜日以降かな、と思っていましたが、月曜日である昨日の夕方には、メールが届きました。
仕事、早いです(笑)

それでは、前置きが長くなりましたが、査定額の発表です(笑)

 買取点数 107点
 査定金額 22,299円

以上です。
予想以上の査定額でした!(嬉)
でも、端数の9円ってなんだろう(苦笑)
1点数円のCDがあったのかな?

メールでのお知らせに対しては、買取承諾か買取なしで商品返送かを選んで返信するのですが、当然承諾しました(笑)
これで、コンタクトレンズ購入費用の大半を賄えます。

今回の査定額が、高いか低いかはわかりません。
ただ、初回限定版のCDやDVDは、割と高めに査定してくれているような気がします。
もし、今回査定して貰ったCDとDVDを、ブックオフへ頼んでいたら、おそらく5,000円を切っていたと思われます。
それを考えると、とても良心的な査定額でした。

ちなみに、査定してもらえなかった商品も数十枚ありましたが、おそらくシングルCDだと思います。
シングルCDは、あまり需要がないようで、買取そのものをしていないことも多いようです。
よほどレアな作品であれば、別かもしれませんが、基本的には査定不可で、値段が付いたとしても10円を切ってしまうのかもしれませんね。
今回の端数“9円”が物語っています(苦笑)

査定が終わって
これまで、ずっと大切にしてきたCDとDVDということもあり、手放すと決めた際は、どのような方法で手放そうかと、かなり悩みました。

大切にしてくれる人に、無料で差し上げることも考えましたが、探す手間と渡す手間を考えると、ちょっとしんどい気がしたので、最終的には一度に手放すことができる、宅配買取サービスを選択しました。
誰かにあげるとなると、ジモティのようなサービスの利用もありえるのですが、すべてを引き取ってくれるわけではないので、やはり買取サービスへの依頼か、思い切って捨ててしまうかの2択になりました。

しかし、捨てるにしても一度に全部は、重量が重たすぎて無理です。
少しずつに分けて手放せばいいのに、と思われるかもしれませんが、中途半端に残っていると、やはり手放したくないという未練が湧かないとも限りません。
また、すぐにでもスペースを広げて、終活のための片付けを進めていきたいと思ったので、一度に手放す方法に拘った結果、買取サービスがいちばん適していると思いました。

買取サービスを探す際は、少しでも丁寧に査定してくれるところがいいな、と思いましたが、ネット買取は今回初めて利用するので、正直知識が浅い。
最終的には、利用者の評価が決め手になりました。

今から大切なモノを手放そうと思っている方へ
もし、今まで集めてきた嗜好品、趣味のモノを、そろそろ踏ん切りをつけて手放そうと思っている方は、まずどのようにして手放したいのか、を決めておくことをおススメしたいです。
一度に全部手放すのか、気持ちが耐えられないから少しずつ手放すのか、をまず決めるといいと思います。
また、絶対に残したいモノだけは、別の場所に移しておくことも必要です。

手放さないモノを決めたら、何も考えずに、残りを一か所に集めてください。
保留とか、処分するとか関係なく、いちばんではないモノは一か所に。
たまに、オリンピックや世界大会などで、アスリートが金メダル以外(2位以下)は、全部同じだということがあります。
まさに、その考え方で、自分にとって一番ではないモノは、全部同じだと考えましょう。
もっとも、2位以下も全部同じように大切だから、いままで処分していないのですけどね(笑)

2位以下のモノを集めたら、今度は、それらの数量を見て、買取サービスを利用するか、誰かに譲るか、捨てるか、を決めましょう。
この時に、すべてを同じ扱いにするのか、思い入れの度合いによって、手放し方を変えるかを決めてください。
性格がきちんとしている方なら、上位のモノを買取、中くらいの思い入れのモノは譲る、もう全く未練はないと思うモノは捨てる、という選択肢もアリです。
ただ、数量が多ければ多いほど、思い入れの度合いは無視して、全て同じ扱いをした方が、体力的に楽だということだけは、伝えておきたいです(笑)

手放す具体的な方法を決めたら、次の行動は簡単です。
ただただ、集めた2位以下を箱詰め、もしくは袋詰めしていきます。
ただ、ひたすら詰め作業です。
この際、いろいろな感情が湧いてきて、やはり手放したくないな、と思う瞬間がたくさんあります(苦笑)
しかし、まだそれらは手元にありますから、とりあえず詰めましょう。
詰めたからといって、すぐに消えてなくなるわけではありませんから。

詰め作業をしているうちに、だんだんと身体が疲労してきます。
すると、なんとなく「もういいや、あれもこれも、全部おなじ箱(袋)に入れてしまえ」という気持ちになってきます。
理由は、自分の身体を疲れさせている原因が、目の前にあるからです。
好きなモノのはずなのに、いざ箱詰めや袋詰めを始めると、ことのほか疲れることに気が付きます。
その疲れに対して、モノへの思い入れの方が強ければ、再度処分を迷うことになりますが、その迷いでさえ、気のせいなのではないか、と疑い始める自分が現れます(私だけ?)
モノへの思い入れが、実はとても疑わしい感情であったりすると、この時に迷うのですよね。

もし、この迷いが出たときに、やはり大好きだから1位に昇格、と思えたら、それは本当に大切なモノだと思いますから、処分せずに、手元へ置いておきましょう。
しかし、もし、迷いが堂々巡りなのであれば、とりあえず箱(袋)へ入れちゃいましょう。
この時点でも、まだモノ自体は手元にありますから、十分取り戻すことができます。

2位以下のモノを、箱詰め、袋詰めしたら、とりあえずどこかに置いておきましょう。
なるべく、目につくところがいいと思います。
クローゼットや納戸、倉庫などに入れると、存在を忘れて結局処分できなくなりますから、そこは要注意です。
まとめた箱や袋ですが、目につくところへ置いて、数日間過ごしてみましょう。
そのうち、その箱や袋の存在が、邪魔かもしれないと思い始めたら、手放し時が来たと思ってください。
そのときが、手放す最大のチャンスです。

逆に、その数日間の間に、やはりアレだけは手放すのをやめよう、と思ったら、掘り出してください。
その手間をかけてまで、手元に残したいのなら、掘り出す価値はあると思います。
こういわれると、そこまでして掘り出したいかな?と考える人もいるかと思いますが、それで正解です(笑)
結局、いちばん大切なモノというのは、手間暇かけて、なんならお金もかけて大切にメンテナンスできるモノなのです。
それが、少しでも面倒を感じるようなら、手放してみた方がいいモノだと、個人的には思います。

ついに、手放す決心がついたら、売却するなり、譲るなり、捨てるなりを行動に移してください。
そのころには、手放して後悔しそうなモノは、ほとんどなくなっています。
多少、勿体ないという気持ちは湧きますが、自分が持っていた所で、どの程度の価値が生まれるのか想像できないのであれば、潔く手放しましょう。
もう、この時点では、やはりアレだけは...などどは、考えないようにしてください。
ただひたすら、処分することだけを考えましょう。
この段階で、やはりアレだけは、と言って、また掘り出しても、疲れるだけですから。

2位以下のモノの処分が終わったら、改めて1位のモノを整理整頓してみてください。
とても、いとおしく思えてきて、今まで以上に大切にしようという気持ちが湧いてきますよ。
それまでは、あれもこれも大切だと思っていても、実際のメンテナンスは行き届いてなかったと思うのですが、モノを厳選したことによって、1つのモノにかけるメンテナス時間が増えて、結果いつまでも大切にすることができるようになるのでしょうね。

これって、何も趣味で集めたモノに限らず、日常生活で使っているモノも同じだと思います。
たくさんのモノがあると、メンテナンスも管理もおろそかになりますが、モノが少なければ、それを大切に使っていこうという気持ちになります。
結果、モノの寿命も延びるのではないかと思います。

私は今回、大量のCDとDVDを手放しました。
それらは、どれも大切だと思ってはいましたが、実際はずっと収納したまま、ケースに埃が付いている日も多かったです。
また、枚数が多すぎて、すべてを聴くことが困難な状態になりました。
一日は24時間しかありませんが、ずっと音楽を聴き続けるわけにも、DVDを見続けるわけにもいきません。
となると、100枚を超えて持っていても、結局月に聴くCDは数枚、DVDは見ないことの方が多くなってしまうわけですから、たくさん持っていても、ただそこに置いてあるだけの存在になってしまっていたな、と反省しきり。

もし、これが、例えばフィギュアや雑貨のコレクションだったとしても、一日中メンテナンスに時間をかけることができない限りは、数量、あるいは種類を限定して持つ方が、一つ一つを丁寧に大切に扱えると思います。
例え、メンテナンスに時間をかけたとしても、数量が少なければ、他のことをする時間も確保できます。
モノを大切にするということは、何もせずにただそこに置いておくだけではなく、きちんとメンテナンスできるか、長く使い続けることができるか、ということだと、改めて思います。

趣味のモノ、嗜好品を手放せずに、でも部屋が狭い、収納が追い付かない、と悩んでいる方は多いと思います。
でも、自分の行動を振り返ってみて、メンテナンスがおろそかだったり、きれいに並べているけれど、よく見ると埃が積もっているな、と気が付いたら、一度手放すことを検討してみてほしいな、と思います。
時間は限られています。
趣味のモノや嗜好品に癒されることは、とてもいいことだと思うのですが、すべての時間をそれに費やすことができないのであれば、自分がメンテナンスと管理ができる数まで減らすことも、大事だと思います。


CDとDVDの、買取査定額を発表するだけのつもりが、なんだかつまらない私見を、ダラダラと綴ってしまいました。
売却して、今の気持ちはどうか、と聞かれたら、後悔は全くしていないし、どの音楽も今はいつでも聴ける状態ですし、DVDも機会があったら、また視聴できるはず。
逆に、二度と見られないのであれば、最初から見られないモノだったのだと思うまで。
だって、自分で所有していても、結局視聴しなかったのですから(苦笑)
今から、CDやDVDを売却しようと思っている方に、私の今回の経験が参考になるかはわかりませんが、もし何かの間違いで私のブログを読む機会がありましたら、少しくらいは心に留め置いてもらえたら幸いです(笑)

そこにモノがあるから使ってしまう心理

2020-03-30 | 日々の暮らし
モノを管理するのに、容器を使ったり収納を工夫したりします。
しかし、自分がよかれと思って工夫していたことでも、家族にあっさりと崩されてしまうこと、ありませんか?
今回は、そんなお話を綴ります。

事の発端
10日ほど前だったでしょうか。
母を病院の定期検診へ連れていき、1ヶ月分の薬を貰ってきました。
毎日の薬の管理は、母に任せてしまうと飲み忘れてしまうため、今は私が30日分を1日3回分に分けて、アラームもセットして、行っています。
新しい薬を貰ってきた時点では、前回貰ってきた薬が1~2日分残っている状態なので、新しい薬は混ざるといけないと思い、わざと封を開けないようにしています。
しかし、今回いつもと同じように、新しい薬をそのままにしていたら、母がやらかしてくれました。

その日は、母が何やら作業を始めたので、何をしているのだろう?とのぞき込むと、新しく貰ってきた薬を全部出して、1つずつに切って、なにかの容器に入れていました。
母が、自分で薬を分けている時点で、少しゾッとしたのですが、もし処方されたとおりに分けていなかったら、とんでもないことになります。

母は、薬の種類が多いので、1回に服用する種類と数が朝、昼、夜と、全て違います。
分け方を間違えて服用してしまうと、救急車を呼ぶ事態になりかねません。
しかも、まだ前回の分が残っていますから、適当に服用されては困ります。
慌てて薬を取り上げたのですが、その際母が容器として使っていたモノが、さらに問題というか、私の工夫を崩された、まさにその瞬間でした(苦笑)

薬の収納
私が管理すると言っても、私が服用するわけではないので、間違えて母に渡してしまう可能性は十分にあります。
ですから、私が管理しやすいように、1回分の薬を小さなジッパー付き保存袋へ入れて、朝、昼、夜の分を、それぞれ1~30(31)にナバリングし、100円ショップの3段小引き出し(収納グッズ)に収納しています。
朝、昼、夜と分けて、さらにナバリングしておくと、飲み忘れに気が付きやすいので、かなり面倒くさい作業ではありますが、致し方なくしています。

よく、雑貨店や100円ショップで見かける、31日分の薬を小分けにして入れられるケース(ピルケース)がありますが、残念ながら、朝、昼、夜と、それぞれ違う薬を服用している場合は、役に立ちません。
それに、そもそも仕切られているスペースが小さすぎて、母の薬の量だと入りきりませんから、今の管理方法は、苦肉の策といったところです。
他に、もっといい方法があったら、そちらにシフトしたいところですが、なかなか思いつきません。

そんな感じの、薬管理方法なのですが、母はもっとアバウトな管理方法でした。
朝、昼、夜と、それぞれ薬の種類と数が違うと言いましたが、1種類だけ、1日3回で1回1錠服用の薬があります。
母が、まだ薬を飲み忘れることがなかったころは、この1日3回1回1錠の薬は、プラスチックの保存容器に1錠ずつに分けて、ざっくりと入れていました。
そして、食事が終わるたびに、そこから1錠出して飲む、という方法を取っていました。
ところが、飲み忘れが酷くなってきたことで、逆に飲み終わっているにも関わらず、忘れて1回に2錠飲もうとしたりすることも出てきたため、私が管理するようになってからは、毎回服用する薬もナンバリングして管理するようにしました。

そこに容器があったから
母が、勝手に薬を仕分けていた際、私は2つのことについて、イラっとしました。
1つは、薬の仕分け方。
今は、私が完全に管理しているのに、中途半端に母のルールで薬の管理を変えられると、母の健康に重大な被害を及ぼしかねません。
母が以前していた、アバウトな管理方法だと、間違いなく飲み間違えますので、それだけは絶対に避けたいのに、母があっさりと私の工夫を崩そうとしたことに、思わず苛立ちました。
わざとではないと、頭では理解していても、命にかかわることなので、そこはどうしても感情的になってしまいます。

2つ目は、実は母が薬を入れようとした容器です。
この容器、ほんの数時間前までは、私が別のモノを入れてテーブルに置いていたモノでした。

母も私も、時々のどがイガイガするので(加齢のせいです)、以前購入したリサ&ガスパールのキャンディが入っていた空きびんに、スーパーで買ってきた飴やキャラメルを入れて、テーブルの上に置いていました。
また、ムーミンショップで購入したジャムの空きびんも、ムーミンの絵柄がついて可愛かったので、スティックシュガー入れとして、使っていました。
どちらも、ガラス部分に絵が描かれていて、かわいくてどうしても再利用したかったし、テーブルの上が少し可愛くディスプレイされるかな、と思って、飴を入れたり、シュガーを入れたりしていたのです。

ところが、薬を貰ってきたその日、たまたま飴もシュガーも切れていて、びんの中は空っぽでした。
母は、認知症の診断は下されていませんが、数分前のことを忘れます(たぶん認知症ですが、脳外科以外で調べる方法が解りません)
ですから、空き容器があったら、そこに何が入っていたかなども、当然覚えていません。
そのため、空いているガラス瓶をみて、薬を入れるのにちょうどいいと思ったのでしょう。
私が、使ったらかわいいな、と思って再利用していた空きびんに、大量の薬を入れていました。
それを見た瞬間、薬を取り上げると同時に、ビンも取り上げて、すぐに資源ごみの袋へ入れていました。

イライラの原因
私がイライラした原因は、1つは母の命に係わる薬を、本人がアバウトに管理しようとしたことにあります。
自分の身体状態を、ろくに把握しようともしない母には、日ごろからいら立ちを覚えていました。
病気であるにも関わらず、偏食を改善しようとしないし、身体を動かすなどの努力も全くしようとしないため、年に一度は救急車を呼ぶ羽目になります。
私が、いくら食事の管理をしていても、結局好きな料理にしか手を付けないので、どうしようもありません。

私の中で、薬管理や食事を工夫する努力を無にされていることと、母自身が自分のことなのに他人ごとのような態度なのが、イライラを増長させています。
これは、私の承認欲求が満たされていないことが、大きな原因なのかな、と思います。

また、空きびんを私が思い描いていた用途とは別の使い方をされたのも、イライラの原因でした。
私の中で、少しでも見た目を可愛く、お洒落にして、飴やシュガーを収納したいと思っていたのに、母があっさりと可愛い空きびんを薬瓶にしてしまったことは、私のセンスを全否定されたも同然です(苦笑)
まあ、私のセンスなど、大したことないので、否定されても仕方ないと言えば仕方ありませんが...
そして、これも承認欲求が満たされなかったために抱いてしまったイライラかな、と思っています。

そこにモノがなければいいのじゃない?
母から、薬とビンを取り上げた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、

 「容器があるから、入れたくなってしまうのだ」
 「だったら、容器をなくしてしまえ!」

でした(笑)
取り上げた瞬間に、資源ごみへ入れたのは、そういう理由からです。

 モノがあるから使ってしまう
 モノがなければ使わない

ものすごく当たり前のことなのに、普段少しも意識しないことです。
必要不可欠ではないモノなのに、そこにあるから使ってしまう。
使ってしまうから、いつまでも持ち続けてしまう。
母の一件があって、そのことに改めて気づかされました。

そもそも、ムーミンの空きびんもリサ&ガスパールの空きびんも、可愛いから、お洒落だからという理由だけで、私が勝手に使っていただけで、絶対に飴やシュガーを入れて使うべきモノでもありません。
しかし、私は見た目重視で、中身ありきの収納ではなく、容器ありきで中身を選択していました。
そんな使い方をするから、母もそこに空きびんがあれば「何かを入れればいいじゃない」となるわけです。

そう、そもそも、つかわなくてもいい容器だったのに、見栄えだけのために私がいつまでも捨てずに、何かしらの理由をつけて使っていたから、今回のイライラ事件が起こってしまったわけです。

容器は、中身を使い切った時点で役割を終えています。
もちろん、エコロジーの観点から言えば、再利用してもう一度ジャムを入れたり、他の食材を保存したほうがいいのでしょうが、私はジャムを手作りしないし、他の食材保存には小さかったりするので、使わない確率が高いです。
ですから、もともとの中身がなくなったら、容器も要らないモノになっているはずなのです。
たとえ、見た目が可愛かったとしても、お洒落だったとしても、使い道をわざわざ考えないと再利用ができないのであれば、それを考える時間も勿体ないし、無意味な承認欲求も生まれませんでした。

使い道が思いつかなかったら処分することを徹底する
使い道が思いつかなかったら、処分をするということは、モノを増やさない、減らす、片付けるの基本です。
なのに、私は可愛い空きびんを、いつまでも取っておいて、無理やり使ってしまっていました。
使っていると、それがないと困ってしまうのではないか、という気分にすり替わっていきます。
最初は、使い道を思いつかなかったのに、無理やり使ってみたら、それが当たり前のような錯覚を起こします。
しかし、実際はなくても全く困らないモノですし、そもそも再利用が実用的か、効率的に使えるか、と考えると、特にそのようなこともないわけですから、最初に使い道が思いつかなかったモノは、何も考えずに即処分が、妥当な行動です。

私が、可愛い空きびんを再利用したり、可愛い雑貨をつい買ってしまっていたのには、見栄も少しありました。
友達に、可愛いモノ、ステキなモノ、お洒落なモノが大好きな人が、何人かいます。
また、拘りを持って、雑貨や食器やキッチンツールをラインで揃えている人もいます。
そういう人たちが、私の家へ来たときに、恥ずかしくないような見た目にしておきたいという気持ちが、以前の私にはありました。
そのため、可愛い容器やお洒落に見える容器は、中身を使い終わっても、洗って取っておく癖がついていました。

しかし、我が家に友達を呼ぶことは、ほとんどないし、そもそも自分の暮らしは、人から褒めてもらうためにしているのではありませんから、見た目を重視した暮らしをして、心地悪くなるのであれば、無意味ですよね。
今回は、たかが空きびん2つのために、つまらないイライラ事件を起こしてしまったし、考えたらテーブルの上の掃除も、結構面倒くさかったです(笑)

見た目がお洒落だったり、可愛かったりすることは、自分が満足できてイライラしないのであれば、実行してもいいですが、少しでもイライラすることが起きるようであれば、それは自分の暮らしに見合っていないということ。
無理やり使っているモノは、自分の心のどこかで、不要品だと認識していながらも、使っているから必要なモノである、と変換してしまっているので、イライラは不要品のバロメーターであると、再認識した今回のイライラ事件でした(苦笑)


モノを持ちすぎていると、無理やり使っているモノも、案外多いです。
なにも、それを使わなくたっていいじゃない、と思うモノは、人から指摘されたり、違う使われ方をして、ようやく気付くこともあります。
生活をしていると、見落としがちなことですが、たまに掃除をする際に、一度保存方法や使用方法をリセットする時間を作ると、こういった違う意味での「ムダ使い」(ムダな労力を使うこと)をなくすことができるのでしょうね。
今日は、私の捨て曜日ですから、今回は不要なモノの中でも「不要なのに使ってしまっているモノ」を中心に探して、処分してみようかな、と思っています。

頭痛と戦う一日

2020-03-29 | 日々の暮らし
昨日は、一日中天気が悪く気圧が低かったためか、頭痛に悩まされました。
そんな日は、なるべく何もしない日、全力で手抜きをする日にしています(笑)

朝から不調
低気圧の日の朝は、寝起きの時点で結構きついです。
そのような日は、さっさと頭痛薬を飲んで、しばらく安静にしておきたいところですが、なぜか昨日の私は朝食を作り終えてから、薬も飲まずに洗濯と掃除を始めました(笑)

それがいけなかったようで、掃除を終えて洗濯ものを干し終えて、休憩に入ろうとしたら、どっと疲れが出て、頭痛が酷くなってしまいました。
「これは、いかん」と思い、お昼近くまで仮眠。
昼は、電子レンジで温められるものと、冷たいまま食べられるものにして、準備時間わずか5分。
そのあと、ブログを更新して、また仮眠を取りました。

とにかくあちこち怠い
頭痛の度合いにもよりますが、昨日の私は、頭痛が納まらないだけではなく、身体がとにかく怠かったので、もしかしたら貧血も起こしていたかもしれません。
肉料理を、もっと多めに食べておいたらよかったなあ、などとぼんやり考えながら、午後はずっと横になってうつらうつらしていました。

こういう症状の日は、パソコンやテレビ画面を見るのが辛いですね。
調べたいことや、視聴したいチャンネルがあったりしたのですが、みていても集中できずに内容が頭に入ってきません。
もし、これが仕事の最中だったら、と思うと、私はこれまでどれだけ我慢をしながら、仕事をしていたのかな、と考えてしまいます。
多少の体調不良くらいで休むのは、よくないことだと、若いころから刷り込まれていましたが、体調が悪いときは回復するまでは安静にするか休息を取った方が、絶対にいいですね。
たかが一日、仕事が滞っても、次の日に元気だったら、十分取り返せますからね。

身体の怠さは、寝る間際まで続きました。
お風呂に入りたかったのですが、お風呂の中で倒れたら嫌だなと思い、入るのをやめました。
いつもだったら、夜には回復していることが多かったのですが、昨日は一日中という言い方がぴったりはまるほどの、体調の悪さでしたね。

夕飯はサラダチキンとごぼうサラダ
ご飯を炊かないと、主食がない状態だったのですが、たまたま1膳分だけ冷凍が残っていたので、母には、冷凍ご飯とごぼうサラダと揚げ出し豆腐を用意して、私は主食抜きでサラダチキンとごぼうサラダだけ、という夕食になってしまいました。
ちなみに、揚げ出し豆腐は電子レンジで温めて作るチルド食品なので、手間は一切かかっていません(笑)

本当は、夕方に体調が戻れば、弁当でも買いに行こうと思っていたのですが、回復しなかったので、このような夕食になってしまいました。

この週末、首都圏では不要不急の外出自粛要請が出されていますが、体調不良のときも外出ができないことを考えると、ある程度は食品の備蓄を考えながら、日々の買い物をしておかなければいけないな、と改めて思いました。
本日は、天気が良くなったおかげか、体調も戻りました。
ブログを更新したら、まず買い物へ行こうと思っています。

インスタント、レトルト、缶詰
最近、あまりインスタント食品やレトルト食品は、買わないようにしていました。
買ったとしても、ほんのわずか。
今回のように、体調が悪くて食事の用意がままならない日に消費してしまえば、あっという間になくなる数しか買ってきませんでした。
普通のときなら、それで十分だと思うのですが、我が家には高齢の母もいますし、簡単に素早く作れる食品は、ある程度多めに備えておく方がいいのかもしれません。

かといって、一度にたくさんの保存食を買うのも、どうだろうか、と思うので、気が付いたときに少しずつ増やしていこうかと思っています。
その方が、消費期限もバラつくので、消費期限ぎりぎりになって一度に消費するような事態も回避できますしね。

年齢と体調に上手く合わせていくこと
若い時とは違って、回復力も衰えてきていますし、今まで出てきたことがなかった症状が出るときもあり、自分の年齢と体調に合わせて、上手く行動していくことが、これからは大事になってくるな、と改めて思いました。
低気圧の日に頭痛がするようになったのは、40代後半から出始めた症状で、その前までは、天気が悪いと体調が悪いという人のことを、いたわることはできても、理解することはできていませんでした。
しかし、自分の体調不良が天候に左右されているのでは、と疑い始めてから、いろいろ調べてみると、低気圧と体調の変化は、関連性がしっかりとあることがわかってから、対策を講じないと結構辛いのだということが、わかりました。

体調が悪くなる原因は、天候だけではありません。
最近は、ちょっとしたことで、すぐに疲れが出てしまうこともあります。
少し長めに外出したり、身体をいつもよりたくさん動かしたりすると、若いころは少し休憩したら回復していましたが、今は半日かけて回復する感じです(苦笑)
日ごろから、きちんと鍛えておく必要があるというのは、頭ではわかっていても、実行に移すことがなかなかできないでいます。
なんとか、毎日続けられる運動をいろいろ考えてみるのですが、やはり一番手っ取り早いのはストレッチ運動でしょうか?
どうせ一日中家にいるのだから、ストレッチや軽い運動をレクチャーしてくれるテレビ番組を、意識してみるようにしてみようかな。


今回は、また自分の体調不良の話になってしまいました。
これから先、このような内容も増えていくと思います。
老いに向かって暮らすということは、そういうことなのだと思いますが、昨日は少しでも元気な時期を続けられるよう、工夫しながら暮らしていかなければ、と思った昨日でした。

冬に使っていたモノを片付けて模様替えを計画中

2020-03-28 | 日々の暮らし
もう、寒くなることはないかな、ということで、冬に使っていたモノを片付けて、ついでに自室の模様替えを計画中です。

と思ったら、この土日はまた気温が下がるとか?(汗)
関東地方は、雪の予報も出ていましたね。
これじゃあ、冬に使っていたモノの片付けは、週明けの方がいいのかもしれませんが、計画を立てるだけなら大丈夫(笑)
ということで、計画だけ立てようと思っています。

冬に使っていたモノ
片付ける予定のモノは、

 ・毛布
 ・冬用のベッドパッド
 ・冬服(アウター)

以上です。
少ない(笑)

自室で使っている扇風機は、温風も冷風も出せるので、梅雨時期くらいまでは稼働しませんが、部屋に出しっぱなしにしておきます。

片付けの順番
まず、毛布を洗います。
洗った後、乾かしたらブラシをかけて押し入れにしまいます。
いつもは、秋になって寒くなってきたら、冬用の布団を出して毛布は使っていなかったのですが、今シーズンは暖冬だったこともあり、夏布団を継続して使い、寒さには毛布で対応してみました。
まあ、寒さは大丈夫だったな、という感じですが、布団を干したり毛布にブラシをかけたりするのが、結構面倒に感じましたね。
来年の冬は、冬用の布団に戻そうと思いました(苦笑)

毛布をしまったら、次は冬用のベッドパッドです。
パッドと言っても、柔らかい素材なので、家庭用洗濯機の毛布モードで洗えます。
毛布と一緒には洗えないので(容量オーバー)、毛布が片付いてから冬用のベッドパッドを片付けます。

次に、使っていた冬服(アウター)ですが、自宅で洗濯できるモノは自宅で洗います。
本日、福岡は雨なので、来週あたりにまとめてクリーニングモードでお洗濯ですね。
コートだけは、クリーニングに出さないといけないので、こちらは割引の日に出しに行きます。
基本的に、冬服と言っても、オールシーズン兼用の服もあるので、来年の冬まで使わない服は、アウター2着とパンツ1着の計3着です。
他の服は、秋から使える素材なので、秋まではお休みです。

春から使い始めるモノ
冬用のベッドパッドを片付けるので、夏用のベッドパッドを出して使います。
夏用と言っても、最近流行りの「ひんやり素材」ではなくて、パイル生地の汗取りです。
私、基本的には暑がりで寝汗をかきやすいため、使用しています。

模様替えの計画
冬に使っていたモノが全て片付いたら、部屋の模様替えに取り掛かる予定です。

計画としては、現在縦置きで使っている棚を、横置きにして使ってみようかと思っています。
どうも、視界に入ってくる情報がごちゃつくので、目線よりも下方にまとめてみようかと思います。
大した高さではないのですが、高さが1mを超えると、なんとなく圧迫感が増しますからね。
この棚を横向きに使うことで、デスクの場所を移動しなければいけないので、動線が心配ですが、今よりすっきりした印象になるなら、いいかな。

それから、本は段ボールでできた収納箱を利用して、本棚がわりにしているのですが、これも使い方を変えるか、もしくは本を違う場所へ移して、段ボール素材の収納箱を処分するかしたいです。
以前、説明したかもしれませんが、段ボール素材の収納箱を本棚として利用しているのは、捨てやすくするためです。
本格的な本棚を買ってしまうと、どうしても処分したいときに粗大ごみになってしまいますからね。
あと、段ボール素材の収納箱に入れておくと、そのまま箱ごと持ち上げて移動させることができるので、使っています。
ただ、見た目がいまいちだということに関しては、いまだに解決できない問題です(笑)

本は、ちょっと見えない収納にチェンジして、部屋の見た目をすっきりさせた方がいいかもしれないな、と思い始めているので、今回の模様替えで、無い知恵を振り絞ります(苦笑)

そして不要品は処分する
模様替えすると、必ずと言っていいほど同時に不要品がたくさん出てきます(笑)
模様替えとなると、収納していたモノを一度全部出してしまう必要があるので、不要品が見つけやすい状況が生まれるのでしょうね。

片付けや不要品の処分は、全部出しが基本とは、よく言われていることですが、模様替えや家具の入れ替え時には、同時に不要品を処分することも考えながら進めると、モノが溜まらなくていいですね。


今日は、朝から雨が降っていて、低気圧による体調不良で、頭痛がします。
あまり、いろいろなことを考えられないので、午後はゆっくり過ごす予定です。

いつもの暮らしを維持したくてもできないときがある

2020-03-27 | 日々の暮らし
COVID-19の感染者数が増えつつある首都圏で、今週末の外出自粛と、都内への往来自粛要請が出されました。
数日間、外出できないことから、首都圏の一部飲食品販売店では、保存ができる食品が品薄になっているのだとか。
少し前に、デマ情報によるトイレットペーパーやティッシュが店頭から消えていた時期がありましたが(今は少しずつ元に戻りつつありますね)、今回の皆さんの行動は、デマ情報に惑わされたわけではないだけに、複雑な心境です。

福岡県内福岡市外に住んでいる私の場合
私は、福岡県内の福岡市以外の場所に住んでいます。
福岡は、ここ数年で移住者が増えている地域でもありますが、私の住む地域は移住者というよりは転勤族が多い印象です。
関東に本社がある企業も多いので、関東方面間の移動(帰省や出張など)をする人も多いように思います。
実際、感染者も数人確認されていますから、県外への移動をしていなくても、感染するリスクは上がってきたと思います。
ただ、まだ首都圏のような外出自粛要請は出されていませんので、スーパーへ買い物へ行けば、普段どおりの客数のように感じます。

私も、いつもどおりの生活をしています。
スーパーまでの距離が近いので、ストックは最小限しかしていませんし、食料品のまとめ買い頻度は少なくて、必要な食料品がなくなったら、都度買いに行くというスタイルです。
特に、生鮮食品はパックされた入り数が多い場合は、冷凍などをしてストックしますが、基本買ったその日に消費するようにしています
もし、たった今から外出を制限されたとしたら、ギリギリ10日間くらいまでは過ごせるかもしれません。
たまたま、2日前に米を4キロとインスタントラーメンを購入していたので、米を炊く際に雑炊やおかゆにしたら、もう少しもつかもしれませんね。
でも、あくまでも想定の話なので、実際に県や政府からの要請が出されたタイミングで、果たしてどれくらいのストックがあるだろうか、と考えると、当然不安にはなるのですよね。

買い占めは無意味だが、まとめ買いは意味がある
東京都は、流通はストップしないので過剰な買い占めはやめましょう、といったメッセージも出しています。
しかし、私のような普段ストックをあまりしない家庭も、今回の外出自粛を受けて、スーパーや量販店へ出かけたのではないでしょうか。

今回は、デマとは違って、正式な要請が出されたことによる行動です。
私は、飲食料品店が休業されない限りは、おそらく買い溜めをすることしませんが、世の中には平日は忙しく、仕事帰りに買い物ができないため、休みの日にまとめ買いをする人も多いです。
また、家族が多くて数日おきに買い物をしたとしても、都度大量の食品を買わなければならない家庭もあります。

そういった、まとめ買いが通常運転の家庭に加えて、今回はストックを最小限しか持たない家庭も、まとめ買いをした結果、店頭の商品が品薄になったのだろうと思うのですが、いつもはしないまとめ買いをする気持ち、少し理解できます。

まとめ買いは、ある程度の期間、買い物ができないことを想定したことによる、暮らしの工夫です。
状況は個々で違いますが、今回のように知事からの要請で外出を控えるとなると、飲食料品や必需品の買い出しはしてもよい、と言われても、外出すること自体リスクが高いと思い、飲食料品の買い出しも憚られますよね。
となると、やはりいつもは毎日、あるいは数日おきに買い物へ行っていた家庭も、当然外出機会を減らしたいので、いつもはしないまとめ買いを、1週間分くらいはしておこうかな、となると思うのです。

ネットスーパーやコープのような、宅配サービスを利用することも、ひとつの工夫ですが、すべての人が宅配サービスを利用できるわけではないので、どうしてもお店で直接まとめ買いをする人が、一定数増えると思うのです。
首都圏だと、ひとり暮らしをしている人の数もかなり多いと思うのですが、もし、普段は外食だけで済ませていたり、毎日コンビニやスーパーで弁当や惣菜を、食べる分だけ購入しているのであれば、そういう方たちも保存できる食料品をまとめ買いをしておこうか、となりますよね。

このように、普段はまとめ買いをしない人でも、今回のように外出を控えなければ、ということを優先した結果、都内の飲食料品販売店の品薄状態を招いたのかな、と思います。

SNSでは、買い占めをやめましょう、と呼びかける人も見受けられますが、買い占めているわけではなく、必要数を数日分計算した結果、多くの飲食料品を買う結果になっただけかもしれません。
私個人としては、「買い占めをやめましょう」というメッセージは、心に響きにくいと思います。
だって、これらは自分勝手な行為ではなく、生命維持のための計画的な飲食料品購入の可能性が高いですから。
むしろ、外出自粛要請の具体的な説明を、曖昧な「不要不急」という言葉ではなく「飲食料品購入や病院受診などは、これに含みません」など、具体的な例を出して説明してくれたほうがいいですよね。
逆に、徹底的に控えてほしいことも、具体的な例で説明してくれたら、もっと冷静な行動をとることができたのではないでしょうか。

本当はいつもどおりの買い物がしたいはず
いつもはしないはずのまとめ買いをしている人は、本心ではしたくないと思っている可能性が高いですよね。
普段、余計なストックを買っていない家庭だと、冷蔵庫が小さかったり、パントリーがなかったりするでしょうから、きっとまとめ買いをしても、置く場所に困ると思うのです。
しかし、数日間の外出自粛となると、やはり自宅で飲食することにならざるを得ないかもしれないので、やはりいつもよりは多めに購入しておこうか、となります。

正直なところ、いつもはまとめ買いをしない、ストックを持たない家庭は、いろいろと悩んでいると思います。
また、まとめ買いが日常だという家庭も、いわれのない白い目で見られたりすることもあるとのことなので、いつもどおり行動している人たちが、今回の外出自粛要請でいちばん困惑している人たちだと思います。

たしかに、誰だってウイルス感染はしたくないので、防止しなくてはいけません。
今現在、そこに最大限の神経を向けておきたいです。
でも、それに伴って違うことにも神経を向けなくてはいけないのは、とても疲れるし、心も疲れてしまいます。
だから、私は「買い占めをしないで」ではなくて、なるべくいつもどおりの暮らしが途切れることのないように、もう少ししても大丈夫なことと、絶対にしてはいけないことを、はっきりさせてくれたらいいのにな、と思っています。


こういった話題は、とてもデリケートなので、本当は触れずにおこうかな、とも思ったのですが、私はこういう状況だからこそ、普段どおりの暮らしを維持したいと思って、今回の内容を綴ってみました。
もし、この先福岡県でも首都圏と同じような要請が出たら、いつもどおりの暮らしは難しくなるのかもしれませんが、心の負担だけは増やしたくないというのが、今の心境です。
今日も、午後からいつもの買い物へ行く予定にしています。
ただ、最近の買い物はいつもよりも早足で店内を回るし、商品を選ぶ時間も短くなるように心がけています。
決断力が試されているな、と実感します。
決断力の増強は、思わぬ副産物かもしれません(笑)
このウイルス感染、早く終息宣言が出されることを願いつつ、今日もいつもどおりに過ごそうと思います。

CDとDVDの集荷完了と過去を整理する話

2020-03-26 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
予てより、このブログにて申しておりました、音楽CDと音楽DVDの買取集荷が、本日完了。
そのお話と、恒例の捨て曜日に処分したモノや、今から処分するモノについて、本日は綴っていきます。

CDとDVDの集荷
今回、買取を申し込んだのは「VALUE BOOKS」という、楽天買取にあるショップです。
私が出したのは、CDとDVDですが、本の買取に力を入れている印象を受けました。
送料は、買取希望数が5点未満の場合は送料がかかりますが、5点以上であれば、送料は先方負担となっていました。
なお、セット品(DVD BOXやCDとDVDのセット品)などは、1点としてカウントするとのことです。

私が今回出した点数は、実は数えていないのですが、200点近くはあったかもしれません。
とにかく、手放すなら未練が復活しないうちに!という思いから、ガシガシと箱詰めしたので、数えることを失念していた、というのが正しいかもしれません(苦笑)

集荷時間の指定は、午前中(9時~13時の間)にしていたのですが、宅配便の人が朝一で集荷に来てくれたので、そのあとの時間は、不要品処分に時間を割くことができ、とても助かりました。

さて、査定額は如何ほどになるのでしょうね?
査定結果は、後日またお話しします。

CDとDVDを手放した今の心境
自分では、最大限大切にしてきたCDとDVD。
手放すと決めるまでは、当然葛藤もありました。

買取を申し込んだのが、月曜日で本日が木曜日。
4日間、どういった想いで過ごしたかというと

 梱包した箱が邪魔(笑)

いやいや、自分の好きなアーティストのCDとDVDだよ?
ずっと大切にしながら聴いてきた、モノだよ?
邪魔って、どういうこと?

と、自分でも思いましたが、CDに関しては全てiTunesに取り込んでいますし、DVDは最後にもう一度だけ見ようと思いましたが、10枚超えたあたりから、頭に入ってこなくなっていたので、残りは見ずに処分することにしましたから、物体そのものに対する未練は、全くと言っていいほどなくなっていました(苦笑)

ただ、1本だけ未開封のままのDVDがあり、それだけは見ようかな、と思いつつも、新品だと査定額が少々アップする可能性もあるかな、と思い、そのまま出すことにしました。
他は、一度は見ているはずなので、内容は覚えていないけれど、まあ覚えていないのなら、その程度にしか興味がなかった証拠ですから、手放しても問題ないのだと思います。

もう、集荷は完了したので、手放したDVDは二度と見る機会がないはずですが、それでもいいと、今は思っています。
それよりも、これから先に、好きなアーティストの素晴らしいパフォーマンスが見られることに期待するほうが、なんだか楽しい気がしていますし、もし縁があれば、どこかで手放したDVD映像に出会うこともあるかもしれませんから。

CDとDVDを手放したことで変化したこと
手放したモノが、ジャンルで集めていたモノであれば、何十年も持ち続けることはしなかったと思うのですが、私が持っていたのは、大好きなアーティストのCDやDVDでしたので、手放す気になることもないだろうと思っていました。
しかし、自分の中で、好きなのは楽曲そのものなのだから、CDという形にとらわれなくてもいいのではないか、と思えるようになったので、今回やっと処分するという行動をとることになりました。

大好きなモノを手放すというのは、とても勇気が必要です。
勇気というのは、自分の中に生まれる負の感情に対して持たなければなりません。
つまり、自分の負の感情との戦いになります(笑)

日々暮らしている中で、少しでも多くの喜びや楽しみ、幸せを感じていたいので、明らかに負の感情が湧くであろう行動は、避けて当たり前です。
大切に思ってきたモノが、もしなくなってしまったら?と考えるだけで、悲しい気持ちが想像できますし、悔しさや怒りだって、時には感じるかもしれません。
それが解っているので、手放したくないのですが、いざ、手放してみたら、案外平気なのだな、と思えるようになったのは、私が歳を重ねてきたこともあるでしょうけれど、形ではなく自分の気持ちがどこに向いているのか、を理解できるようになったからだと思います。

今回は、好きなアーティストのCDとDVDですが、私がこれらを購入した本当の気持ちは、常にこの人たちの音楽を聴いていたいからで、形は何でもよかったのです。
今は、スマホひとつあれば、いつでもどこでも音楽が聴けますし、音楽を楽しめるコンテンツもたくさんあります。
つまり、私の好きな音楽は、違う形になっても楽しめるし、幸せを感じさせてくれるモノだということに気が付けたので、手放すと決めたときから躊躇がなくなったのだと思います。

音楽の他にも、私には好きなモノがたくさんあります。
本を読むこと、漫画、プロスポーツ観戦、好きな選手もいます。
それらに関連したグッズがあれば、これまでは、いろいろと買い集めていました。

それらも、少しずつ処分をしてきたのですが、今回CDとDVDを手放したことで、他のモノに対する気持ちにも変化がありました。
まず、グッズ系ですが、今まで処分をしてこなかったモノは、この機会に何らかの形で処分することにしました。
購入した時は、思い出だからとか、記念品だからとか、数量限定だからといった理由で、惜しげもなくお金を支払っていました。
しかし、購入した本当の理由は、私はこの人が好きですよ、このチームのファンですよ、この作品を読んでいますよ、という自己アピールと、好きな人や作者の収入につながるのなら、という、パトロン気分が混ざっていたようにも思います。
ただ、残念なことに、アピールする相手はいないし、お金を支払ってグッズ購入したところで、見返りがあるわけでもありません(グッズがそのまま見返りという捉え方もありますが)
だとしたら、楽しんでいるのは自分一人で、その自分が十分満足したのなら、手放しても大丈夫なのではないか、という気持ちが、とても強くなってきました。

今、ちょうどその気持ちがピークになっているのでしょうね。
これ、まだ持っておきたいな、と思っていたモノも、すんなりとごみ袋へ入れることができました。
そして、まだ残っているモノを、もしもある日突然、すべて失ってしまったら、と考えてみたときに、以前の私は、アレもコレもなくなったら嫌だ、と思っていたのですが、今は、お金と命さえ助かったら、それでいいと思うようになってきました(まあ、実際は必需品だけ残ってほしいですが)

そうだ、過去も処分しよう
お金と命さえ残ればいい、と思えるようになって、グッズや本などの嗜好品以外にも、これはもう思い切ってクリアにしてしまおう、と思えてきたのが、過去の私に関係があったモノです。
具体的に言うと、派遣会社時代に取り交わしてきた契約書的なモノや、ハローワークに通っていたころの資料、そして、効力を発揮することなく持ち続けていた、資格証や証明書の数々(パスポートや運転免許証などの身分証明書は別です)

つい、一年前までは、もう一度派遣会社にお願いして、仕事を紹介してもらおうと考えていたのですが、今はなんとなく、スーツやオフィスカジュアルで仕事をすることに抵抗を感じ始めていて、履歴書を作ることにも、嫌気がさしています。
そもそも、かっちりした服装が苦手なので、求職活動にスーツを着ることが苦痛です。
かといって、この先ずっと無職でいるわけにもいかないので、何か考えないといけないのですが、何かの役に立つかもしれない、と思い込んでいた仕事や再就職関係の資料などを、一度全てクリアにしてしまえば、もっといろいろな可能性が見えてくるのではないか、と思えてきました。

思うに、今まで働いてきた形跡や取得した資格を活かすことを優先して、仕事を探していましたが、逆にそれに縛られて、自分で自分を決めつけていたかもしれません。
そういえば、以前ハローワークでお世話になっているときに、就職アドバイスを受けるサービスを利用していましたが、その時の担当者が、教員免許を持っていることを知るや、教育関係に就職先を絞ったらどうですか、と言われたことを思い出しました。
当時、正直言って教師が余っている時代で(今となっては考えられない状況ですね)、資格だけ持っていても簡単に就職できる状況ではなかったので、あえてジャンルの違う職種を探していたのに、そのアドバイスです。
そのとき、私は教員免許が邪魔だな、と始めて思った気がします。

今となっては、その教員免許も全く不要になっている状態ですが、今まで何かの役に立つのならと、ずっと持っていましたが、今回、心境に変化があったので、仕事関係の役に立っていない資格証は、きっぱりと全て処分することにしました。
これで、自分自身を資格で縛り付けることもなくなると思います。
今後、何を始めるかは全くわかりませんが、まずは自分の価値をゼロにして、そこから足していけるモノ、私が本気で取り組めるものを、探したいと思っています。

まるで、まだ希望に満ち溢れている若者が言う言葉ですが、あと10年もしないうちに還暦を迎えますから、キャリアを初期化してしまうのには、いいタイミングだと捉えて、老後までの時間に備えたいと思います。


CDとDVDを処分すると決めてから、日に日に自分の心境が変化しています。
今も、もうアレも要らない、これも不要だ、と、頭の中で次々と浮かんできています(苦笑)
それがいいことだとは、正直なところ思いません。
なぜなら、それだけモノをムダに手に入れていたことになりますから。
そして、そのことに何十年も気が付かずにいた自分に対しても、残念な気持ちが湧いてきます。
これからは、本当に必要だと思えるモノを見極められるように自分を鍛えて、ムダなモノを手に入れないようにしないといけないですね。

吊るす収納と見せる収納について考えさせられた話

2020-03-25 | 日々の暮らし
美しい暮らしの空間プロデューサーである、安東英子さんという方がいらっしゃいます。
福岡ローカル番組では、かなり有名な方で、もともとは建築方面のお仕事(新築、増築、リフォームなど)をされていた方ですが、それだけにとどまらず、DIYのアドバイスや、模様替え、片付け、整理整頓など、いわゆる片付け収納アドバイザーのお仕事も合わせて、空間プロデューサーとして、ご活躍されています。

さて、つい最近になって、安東先生がYouTuberとしてデビュー(?)されたことを知り、早速チャンネル登録をしました。
もともと、チャンネルは開設されていたのですが、最初の方はお仕事に関連したPR動画が数本アップされたまま、しばらく更新されていませんでした。
しかし今回、満を持して、安東先生が本格的にYouTuberとして、お片付けや家のことで悩みを抱えている方々に向けての、具体的なアドバイス動画を発信してくださることになりました(喜)

私は、安東先生が好きで、彼女が出る番組は、なるべく見るようにしますし、視聴できない場合はYouTubeのアーカイブ(民放ローカル局)などを利用していましたが、やっと安東先生が自ら構成された内容で、動画を見ることができるようになったので、大変ありがたいと思っています。
今後の更新が、とても楽しみです。

こちらのチャンネル、本格的なアドバイス動画はまだ少ないのですが、アップされている内容で、私が特に気になった動画が、吊るす収納と見せる収納についてでした。

キッチンの吊り下げ収納? 本当に便利?

キッチンの見せる収納は、本当に便利でしょうか。

※チャンネルのURLは、こちらです。
安東英子【EIKO ANDOU】

※情報発信は主に公式ブログでされています
*安東英子の素敵な暮らしの扉*片付け~収納~家づくりのブログ!

是非動画をご覧になってから、私の投稿を読んでいただきたいのですが(いや、何でしたら私の拙い文章は読まなくてもいいいです(笑))、今回は、私の経験談を交えながら、この気になった動画の吊るす収納と見せる収納について綴っていきます。

私の吊るす収納
安東先生の動画では、キッチンのコンロ周辺の「吊るす収納」の危険性についてお話しされていますが、我が家も一時期だけ、レンジフードへ片手鍋とフライパンを吊るしていました。
理由は、置く場所がなかったから(自爆案件)
我が家のキッチンは、収納力は並だと思うのですが、なにせモノが多すぎて、どこに何をしまっているのかわからない状態が数十年続いていましたから、すぐに使う調理道具は、すぐ手に取れる場所へ置く必要がありました。

シンク上に、キッチンラックはあったのですが、母はそこにいくつもの鍋やフライパンを重ねて収納し、使いたい鍋を出すのに、上に重なった鍋をいちいち持ち上げて取り出していて、いざ私が調理をするときに、非常に面倒くさいと思い、妥協案で、レンジフードの下に、使用頻度の高いフライパンと鍋を吊るしました。

安東先生は、調理中にコンロ奥の壁に吊るしているモノを取るときに、取りそこなったモノが鍋の中に入って、熱せられた油や沸騰した汁が飛び散ったら、大変なことになるとおっしゃっていますが、私の場合、調理中に他の鍋を取り出すということは、性格上していなかったので(笑)、そのような危険な場面に遭遇したことはなかったのですが、まあ、幸いでしたとしか、言いようがないです。

実際、私もあまり好きではない収納方法でしたが、その当時のキッチン収納事情から考えると、いちばん時短で効率的な動線だったのです。
その後、キッチンの不要品を次々と処分したおかげで、やっとキッチン上ラックを利用できるようになったので、鍋とフライパンの吊るす収納は、やめました。
ちなみに、吊るしていたのは、鍋とフライパンだけで、その他の調理器具や調味料などは、引き出しの中や食器棚の中に収納していました。
毎日使う鍋とフライパンは、外に出していても比較的大丈夫なのですが、基本的に調理器具は埃や汚れが付かないように、清潔にしておきたい家系(?)なので、昔からシンク周辺の引き出しや食器棚に収納していました。
ですから、安東先生が動画でおっしゃっていること全てに「うんうん」と頷いています(笑)

キッチン以外でも、吊るす収納はしますよね。
安東先生の動画では、コンロ周りの吊るす収納は危険だからやめた方がよい、とおっしゃっていますが、他の部屋に関しては、吊るす収納をアドバイスされることもあります。
私も、是非参考にしたいところなのですが、どうも、私は雑貨類の吊るす収納が、あまり好きではないことに、最近になって気がつきました。

吊るす収納は最終手段で
自室のクローゼットは、洋服をかけるポールはありましたが、壁などにはモノを吊るすことができませんでした。
ですから、すべてを服かけ用のポールに吊るすか、平置きするか、クローゼット内に置くタイプの収納引き出しを置くかしないと、モノが納まらない状態でした。

私自身は、モノが部屋のあちこちに放置されている状態が嫌いだったので、部屋に入った瞬間は、片付いたきれいな部屋だったようです(友人談)
しかし、それは裏を返せば、すべての収納家具や収納場所に、モノがぎゅうぎゅうに詰まっていた状態だとも言えましたね(苦笑)
ですから、モノを取り出すのに時間がかかっていたことは、否定しません。

そんな感じで、クローゼットの中もかなりモノがぎゅうぎゅうに入っていたので、頻繁に使う小さなモノは、吊り下げて収納しようというアイデアが浮かび、扉の裏側にDIYで細いポールを取り付け、S字フックを使うことにしました。
そんな状態で、つい先月まで過ごしていました(笑)

今月に入って、まだまだ不要品があると思い、クローゼットの中の、こまごましたモノを処分しているとき、ふと吊り下げ収納していた小物雑貨や服飾雑貨を見て、

「これ、もう吊るさなくてもいいのでは?」

と思い付き、試しに吊り下げていたモノを一度全部外してみたら、やはり全てどこかしらに無事に収納することができ、吊るしていたフックが不要になりました。
今クローゼットに吊るしているのは、服とバッグと帽子、それから長さのあるマフラーやストールです。
服については、下着と靴下以外は全て吊るしているのですが、今はバッグと帽子を吊るしても、まだ余裕があるくらい、服、バッグ、帽子の量を減らしました。

吊るす収納をしていた時は、格段にモノが取り出しやすくなった、という実感は正直なところありませんでした。
むしろ、他のモノに引っかかる確率が高いので、すぐに取り出すことが目的なのに、すぐに使えないという事態になったりもして、イライラすることがありました(苦笑)
しかし、今は吊るすアイテムを限定しているので、非常にモノが取り出しやすくなりました。
わかっていたら、もっと早くに吊るす収納はやめたのになあ(苦笑)

クローゼットにしても、レンジフードの下にしても、私の場合は、モノを収納しきれなくなった結果、最終手段で吊るす収納を使っていたのだと思います。
実際、吊るす収納で便利なのは、服(下着と靴下以外)とバッグと帽子だけでした。
ストールやマフラーは、もともと数が少なく、逆に引き出しに入れると埋もれてしまいかねないので、洋服と一緒に吊るしていますが、吊るさなくてもいい雑貨は、わざわざ吊るす収納にする意味がないのかもしれません。

私の見せる収納
今からお話しするのは、ディスプレイして楽しむ雑貨やインテリア以外のモノについてです。

現在の自室には、引き出しに入れずにむき出し状態で使っているモノが、いくつかあります。

 ・筆記具(メモ帳、ボールペン、筆ペン、シャープペン、消しゴム)
 ・文具(カッター、ハサミ、ペーパーカッター、ものさし、糊)
 ・箱ティッシュ
 ・綿棒
 ・ニベア
 ・ヴァセリン
 ・爪切り、体温計、眉ばさみ、甘皮やささくれをケアする道具、目薬、ヘアゴム、ヘアピン(全て同じケース内)
 ・鍵
 ・眼鏡類
 ・懐中時計
 ・ピアスケース
 ・イヤホン
 ・UBS充電コード(電源アタッチメント)

アクセサリー以外は、日ごろよく使うモノばかりです。
この中で、あえて「見せる」ために出しているのは、懐中時計だけですね。
あとは、以前小引き出しを処分した関係で、収納場所がなくなったため、むき出し状態(と言っても、それぞれ小さい入れ物へ入れていますが)になってしまったモノが、ほとんどです。

現在、試行錯誤中ですが、いずれはむき出し状態で使うモノは、眼鏡類と筆記具とニベアくらいにしておきたいです。
ちなみに、スマホもむき出し状態ですが、家の中でも持ち歩いたりするので、含めていません。

見せる収納センスがない(苦笑)
かなり昔の話ですが、服をたくさん持っていた頃は、セーターやTシャツ、トレーナーなどは、きちんとたたんで収納していました。
あるとき、だんだん引き出しに入らなくなってきて、見せる収納にトライすることにしました。
思い描いたのは、洋服屋さんのディスプレイ。
まるで、売っているかのように、服をたたんで並べることを目指してみました。

結果「洗濯物を取りこんだ後に、たたんだ状態で放置している感」が、半端なかったです(爆笑)
思いましたよね、私には見せる収納のセンスがないって。
ですから、見せる収納はわずか一日で終了しましたよ(苦笑)

見せる収納に失敗して以来、本来のスタンスである、しまえるモノはしまう、ということを実践するようになったのですが、外に出しておかないと使い辛いモノというのは、案外多いですね。
筆記具は、なるべくすぐに取りたいので、目につく場所に置いています。
ニベアとヴァセリンもそうです。
手が荒れてたら、すぐにでも使いたいので、外に出しておく方が都合がいいです。

そういうモノを、お洒落に置いておいたら、ステキな部屋に一歩近づくと思うのに、センスがないため、どうしても「出しっぱなし」という印象から脱却できずにいます(笑)
今は、とにかく不要なモノを処分して、物量的なスッキリ感を追及しているので、センスは二の次なのですが、全部が片付いたら、センスある部屋にしたいですねえ(できるかなあ?)

見せる収納のデメリットとほんの少しのメリット
安東先生の動画では、吊るす収納と同じように、キッチン周りの見せる収納について、アドバイスされています。
たしかに、キッチンでの見せる収納は、私も好きではありません。
基本、口の中(身体の中)に入れる料理を作る道具は、常に清潔である必要があると思っています。

私は、毎日使う鍋とフライパンはキッチン上のラックに置いているのですが、実を言うと取り出しやすい場所への収納に悩んでいるため、仕方なくすぐに手を伸ばせる場所に置いてしまっています。
「見せる収納」というより「見えてしまう収納」です(苦笑)
あともう少し、キッチン下収納を改善したら、他のモノを移動させつつ、出しっぱなしの鍋とフライパンも収納できそうなのですが、なかなかしっくりくるマッチングができないでいます。

「見えてしまう収納」もとい「見せる収納」は、メリットとしては、すぐに手に取ることができる、すぐに定位置に戻せる、という面があります。
一見、効率的で時短で、私にはもってこいの収納に思えます。

しかし、安東先生もおっしゃっていますが、外に出しているということは、それだけ埃や汚れが付きやすい環境下に置いている、ということにもなります。
特に、コンロに近い場所だと、油跳ねなどでベタベタになる可能性も高いです。
我が家の場合、レンジフードに吊るす収納さえしなければ、構造上キッチン上のラックに置いておいても、埃だけケアしておけばいい状態ですが、それでも、毎回棚を拭いておく必要があります。
これが、デメリットです。

モノを収納する際、私は葛藤が生まれます。
ここに収納したら、ワンアクションで素早く使いたいモノが取り出せて、なおかつしまうときもワンアクションで済むけれど、それを継続するためには、その収納場所を常に清潔できれいな状態にしておく必要がある。
さて、収納場所のメンテナンスに手間をかけて出し入れを楽にするか、出し入れの手数が少し増えるけど、収納場所のメンテナンス回数が少なくて済むようにするのか。

しかし、もう少しイマジネーションを働かせると、キッチンでの見せる収納だと、場所のメンテナンス以外に、使う道具自体も使う前に軽くふいたり洗ったりしないと、気持ち悪くありませんか?
そんなことしないよ、という方もいるのかもしれませんが、申し訳ないです、そういうお家へお邪魔して、何か手作りのお料理をごちそうになりたくありません(まあ、招待されることもないのですけど)
でも、大体の方は、使う前に軽く洗ったりすると思うのです。
ということは、例えばフライパンとフライ返しを見せる収納にしていた場合、使う前と使った後に洗って、なおかつ収納場所も清潔に保つとなると、すごく手間ではありませんか?
私は、今とても手間を感じています(苦笑)
まあ、私の場合は、小さいフライパンと片手鍋だけなのですが、それでも、やはりどこか家事動線に都合のいい場所へ、早く移したいです。

このように考えると、私にとって「見せる収納」は、デメリットの方が大きいし、精神衛生面でもきつくなってくると思うのです。
まあ、キッチン上下の収納や引き出しが、常に清潔かと言われると、そうではないかもしれませんが、埃が付いてしまうリスクは、格段に減ると思いますから、やはりキッチンで使う道具は、扉が閉まる場所や引き出しのような場所へ収納することが、ベストだと思っています。

キッチンには、吊るす収納にも見せる収納にも向いてない?
吊るす収納も、見せる収納も、どちらもきっと便利でかつお洒落な見た目になるかもしれない、という期待感から、実施されている人が多いのだと思いますが、私はキッチンに関してだけは、向いていないと思います。

最近、シンク下やコンロ下の収納に扉がない、むき出しになっている物件が増えましたよね。
一見すると、どこかのカフェやレストランのキッチンを彷彿とさせるデザインです。
画像や動画での、キッチンツアーなどで見ると、とても雰囲気が良くてセンスがあってお洒落に見えるのですが、私の家には絶対に導入したくないキッチンです。

一見、カフェやレストランに見えるということは、そういった感じを意識したデザインであるはずなのですが、カフェやレストランの収納に扉が付いていないのは、単純に動線の関係と時短と効率化を図るためだからです。
決してお洒落だけで、そういうデザインになっているわけではありません。

レストランの厨房などは、下の収納には扉が付いてるけれど、腰から上の収納はむき出し、という場合もあります。
いずれにせよ、むき出しになっている場所へ収納している理由は、一日中常にそれらを使用しているからです。
飲食店では、次から次へと料理を作る必要がありますので、料理を1品作り終えたら、また次の1品を作らなければいけませんよね。
つまり、常に大量の鍋やフライパンを始めとして、キッチンツールが使われ続ける状態です。
ということは、洗った後にむき出しの場所へ収納しても、埃をかぶる暇もなく再度使い始めるので、普通の家庭のように、むき出しで収納していたモノを、使う前と後に洗うという手間は、発生しないのです。

しかし、一般家庭では1日3食以下、あるいはおやつを作ったりすれば4食ですが、常に料理をしている状態にはなりません。
なのに、カフェやレストランのキッチンのようにしても、結局自分の負担(収納場所を清潔に保つ)が増えてしまうような気がするのですよね。

同じように、キッチンの壁などに、吊るす収納ができるような工夫が、最初から施されている物件もあります。
しかし、私からしてみたら、キッチンの壁は思った以上に汚れる場所です。
水や油や作った料理の汁の飛び散り、何故付くのかわからない正体不明の汚れ、埃が付着してできたくすみなど、毎日夕飯の片付けが終わった後に、拭いておかないと、結構ヘビーな状態になる場所です。
そんな場所に、最初から吊るす収納用のフックやらポールやらが付いていたら、それだけで掃除が面倒になります。
安東先生も同じようなことをおっしゃっているので、私のように感じている人は、案外多いと思います。

このようなことを考えると、少なくとも一般家庭のキッチンは、吊るす収納も見せる収納も、しないことがベターなのかな、と思えてきます。
見た目のお洒落は、それだけメンテナンスも複雑になりがちですが、キッチンは見た目よりも、まず動線の確保、そして家事効率のよさが優先されるべきで、見た目のセンスの重要度は、後回しの方がいいのかもしれませんね。


本日は、午前中にいろいろと用事があったので、ブログの更新が夕方になってしまいました。
しかも、ちょっと長くてくどい内容(苦笑)
安東先生が、YouTubeデビューされたので、ちょっとテンション高めなのかもしれません(笑)
これから先、安東先生のアドバイス動画が増えていくと思うと、楽しみで仕方ありません。
安東先生の動画を励みに、頑張って不要品を処分して、家の中を整えていけたらいいな、と思います。

処分したいCDやDVDが大量な人へ

2020-03-24 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
モノが家中に溢れているけれど、全て処分してスッキリしたい、と思っている人で、特にCDやDVDや書籍(全ジャンル)が大量にある人に、これだけは言っておきたいことがあります。
それは、

 たった今から少しずつ手放せ

私、この記事を書いている時点で51歳なのですが、あと1ヶ月ほどで52歳になります。
その52歳の私が、今回大量のCDとDVDを処分することにしたのですが、まあ、それはもう大変でした(苦笑)

今回は、私が感じた処分することの大変さを、お届けします(笑)

CDとDVDを処分することにしたきっかけ
これまで、ちらちらとCDとDVDを手放すことにした話をしてきましたが、ここで一度、処分する気持ちになった経緯を振り返ります。

もともと、性格がミーハーなので、ジャンル関係なく好きなアーティストのCDを始めとして、DVDグッズ、出版物などを集める、いわゆる収集癖があります。
ですから、好きなアーティストが30周年だの35周年だのを迎えるほど活躍年数が長いと、それなりにCDその他のモノが、年数経過とともに増えてきました。

しかし、この一年間ぐらいで、もうグッズなどは持っている必要はないだろう、という気持ちになることができ、それらのモノは、一部まだ残っていますが、ほぼ処分しました。
必要ないと思えるようになったのは、単純に気持ちの持ち方を変えたからです。

活躍しているアーティストのグッズを持っていることは、ファン同士の間ではステイタスになります。
また、グッズを持っていることで、私はファンですよ、という証明書になったりもしますので、同じアーティストのファンの方とは、初対面でもスムーズにコミュニケーションをとることができます。
そして、何よりも、CDとグッズを正規ルートで購入することは、アーティストの生活と活躍を支えることになるので、ファンは惜しみなく購入し続けるわけです(笑)

私も、もちろんそう考えて、今まですべてのCDを購入してきましたし、ライブグッズや出版物なども、自分の懐が許す範囲で揃えてきました。
ただ、昨年くらいから、母が着ていない服や使っていないモノを処分し、1年弱で大型収納家具を8台を手放し、不要品の処分に勢いが付き始めて、家の中が徐々にスッキリし始めて、自分の中でも変化が起き始めました。

私は、他人に厳しく自分に甘いところがあり、好きなアーティストのCDやDVD、グッズなどは、持っているだけでも幸せだと思っていたので、処分しなくても、まあよしとしよう、などと思っていました。
しかし、母のモノを処分して、共有のモノ(いわゆる生活用品)も、どんどん間引いて、ふと気が付くと、自室がいちばんモノが多い状態になっていたことに、気がつきました。

そうなると、母には処分するように説得したくせに、自分は何なのだろう?という気持ちが湧いてきて、次に、そもそも今この部屋の中を、いちばん占領しているのは、何だろう?
と考えたときに、趣味で集めたモノで溢れかえった部屋であることに気がつきました。

これでは、いかん!
と、気が付いた日から、とにかく趣味のモノひとつひとつと向き合いながら、いろいろと考えた結果、どうせ私が旅立ったら、赤の他人が捨ててしまうのだから、まだ気持ちがあるうちに、自分で手放そう、と考えるようになりました。
そして、現在の自室の状況は、部屋の角に趣味のモノがこじんまりと納まる程度まで、減らすことができました。
まだ、残っていますが、これらも近いうちに手放せるように頑張ります(笑)

さて、グッズ類は減らしたモノのCDとDVDと出版物が、まだ大量に残っていました。
出版物については、割と未練なく処分できましたが、問題はCDとDVDです。
処分をためらっていた理由は、自分の音楽を聴くスタイル。
デジタルデータ音楽専用の携帯用プレイヤーを持っていない私は、CDそのものをプレイヤーにセットして聴くことが習慣化していました。
といっても、持ち歩くわけではなく、車で音楽を聴く際に、わざわざCDを持ち出しては、車の中で聴いていました。
なので、いざ車中で音楽を聴きたいときに、CDがないと聴けないわけです。
わざわざ、プレイヤーを買うのは面倒くさいし、スマホは容量が小さいモノを使っているので、持っているCDを全てインストールするのは無理なので、ずっとCDを直接聴くという習慣を変えられずにいました。

このような理由で、ずっとCDは手放せないな、と思い込んでいたのですが、先日ふと、車中で音楽を聴いていない自分に気がつきました。
というのも、仕事をやめて車通勤しなくなり、家ではわざわざCDを取り出して音楽を聴くことをしなくなっていたのです。
かといって、音楽を聴きたくなくなったのかといえば、そうでもないので、どうせ聴く機会は家の中だけだ、と思った瞬間から、持っていたCDを全てパソコンへ取り込むことにしました。

取り込みが全て済んだ時点で、さて、本体を処分しなくては、と思うのですが、やはり迷いが出てきました。
そして、さんざん考えて至った結論が、配信サービスから購入しても、アーティストの応援はできるし、きちんと売り上げにも貢献できるから、あとは自分次第だな、というところでした。
そして、ついに、全て手放しても私は大丈夫、音楽が配信されている限り、今手放してもまた手に入れる機会はある、だから一度全て手放そう、と思える状態になりました。

CDとDVDの処分方法
前置きが、長くなってしまいました(苦笑)
それだけ、今回CDとDVDを処分するに至るまでの苦悩が自分なりにあったので、お許しください。

さて、CDとDVDの処分を決めてから、今回はただ捨てるのではなく、宅配買取サービスを利用してみようと、少し前からこちらのブログでも書いてきましたが、昨日の捨て曜日に、やっと申し込みをして、CDとDVDを箱詰めしました。

DVDに関しては、最初全部一度見直してから処分する、と言っていたのですが、2日ほど前になぜか
「もう、みないで処分してしまおう」
という境地になりました(笑)
理由は、全部視聴するには、時間がかかりすぎるから(苦笑)
どうも、DVDを視聴する時間よりも、今テレビで放送している番組の方を優先してしまうし、そもそも今まで見ようともせずに、ずっと置きっぱなしにしていたのに、いまさら視聴時間を取るのは、習慣的に難しかったようです。
最初の10枚ぐらいまでは、懐かしさやライブへ行った際の記憶が甦って、楽しかったのですが、中断して他の用事に取り掛かることが徐々に増えて、20枚ほど消化したあたりで、次のDVDに手が伸びなくなりました。

この時点で、よし!今が宅配買取サービスに申し込むチャンスだ!と感じ、昨日ドラッグストアにある段ボールを貰ってきて、午後から箱詰め作業に取り掛かることにしました。

ちなみに、ドラマや映画のようなストーリーDVDは、残しました。
私、ライブDVDを鑑賞するよりも、ストーリーの方が好きみたいです。

CDとDVDとの闘い
数えてはいませんが、CDとDVDは合わせて200枚以上はあったかもしれません。
主に、2組のアーティストのアルバムやシングルですが、数枚違うアーティストのモノも混ざっていました。
それらも、すべて処分です。
ただ、買取不可品だけは送れないので、それを確認するところから始めました。

処分すると決めてから、保管は収納スツールにして、クローゼットの中に入れていましたが、まず、クローゼットの中に入れるときが、結構重たくて大変でした。
今回は、出したわけですが、当たり前のように重たい(苦笑)
それを今度は、送付用の段ボール箱へ詰め替えなければいけません。

もうね、スツールから段ボール箱へ移すだけでも、イレギュラーサイズのパッケージに悩まされて、うまい具合に納まりません。
何度も試行錯誤しながら、なるべく隙間ができないように、詰めていきます。
1箱25キロオーバーは、引き取ってくれないそうなので、重量オーバーにならないように、2箱に分けることにしたのも、上手く納まらない原因のひとつです。

いろいろと頭を悩ませながら、最終的には緩衝材にするチラシやフリーペーパーで都合をつけて、やっと詰め終わりましたが、今度は1箱の重量を、念のため確認しなくてはいけません。
我が家には、荷物を量るための秤はないので、箱を持って体重計に乗り、そのあと箱を持たない状態で体重を量り、メモリの差で重量確認。
結果、1箱14~15キロでしたが、まあその15キロ弱の荷物を持ちあげることが、まず大変でした。
体力も腕力もない51歳、そんな重たい荷物を持ち上げるだけでも、身体にかかる負担は半端ありませんよ(苦笑)
これが、若いころだったら、もっと楽々持ち上げられてたと思うのですが、寄る年波には抗えませんでした。

荷物の重量を量り終わったら、足腰腕に疲労感が広がり、もう何もしたくなくなりましたね(苦笑)
しかし、まだやることが残っています。
それは、詰め終わった箱を、宅配集荷日まで邪魔にならない場所へ移動させておくこと。
重たすぎるので、箱は玄関に一番近い私の自室に置いてありますが、すごく邪魔(苦笑)
おかしな話です。
好きなアーティストのCDとDVDが入っているのに、箱に詰めて処分する状態にしたとたんに、邪魔に感じるなんて。
結局、私が満足したかったのは、その音楽そのものであって、形(CDやDVD)ではなかったのだな、としみじみ実感しております(苦笑)

処分する際は少しずつがおススメです
今回、私は一度に全部手放そうとしたので、重たさと荷物の大きさに悩まされていますが、もし、ゆくゆくはスッキリさせたいかな、と思っている方がいらっしゃったら、悪いことは言いません。
少しずつ、手放すようにしてください。

今回、私が利用する宅配買取サービスでは、買い取り品5点以上から、送料が無料(先方負担)になります。
私のように、大量に持っている場合は、最低ラインの作品数だけを、数回に分けて送った方がよかったな、と後から思いました。
まあ、早く部屋の中をすっきりさせたいという気持ちが強かったので、一度に全部出すことにしたのですが、おススメする方法は、とにかく少しずつです。

これは、出版物にも当てはまりますが、20個くらいを境に、CDもDVDも急に重たさを感じるようになります(笑)
体力的な自信があったらいいですが、そうではない人もいると思いますし、なにより重たいモノをあちこち移動させるのは、体力があってもしんどいです。
持ち込みするにしても、ごみに出すにしても、重たさは普遍的ですからね。
どういう方法を取ろうが、CD、DVD、書籍類は、自分が持ち運べる程度に溜まってしまった時点で、手放すことを検討したほうがいいと思います。

そして、手放すと決めたら、新しいCDやDVDは、もう買わないと決めた方がいいです。
買ってもいいですが、20枚を超える前に、手放すことをおススメします。
もう、本当に大変なんですよ、大量のCDとDVDを処分するのは(苦笑)

まだまだ残っているモノ
ドラマや映画のDVDを残したと言いましたが、漫画や小説も、まだ残っています。
趣味で集めたグッズも、一部残っています。

書籍に関しては、ある程度時間が経過したら、ブックオフに持ち込むと決めているので、あまり張り切って処分することは無くなったのですが、他のモノは自分の気持ちが固まり次第、処分したいと思っています。
それでも、なかなか手放す決心がつきません。

ただ、最近になって思い入れって結局何だろう?と考えるようになりました。
あと少しで、自分の中で答えにたどり着けそうなのですが、たどり着けたら、きっと思い入れのあるモノも処分できるようになると思います。
そのチャンスが、来るまで、とりあえず思い入れのあるモノは、そのままにしておこうと思います。


今回は、話がめっちゃ長くなってしまった割には、結論が当たり前すぎて自嘲しています。
CDやDVDを処分したいと思っている人に、私のススメが届くといいのですが(苦笑)
とにかく、モノを処分する際は無理せずに、まず自分の身体を思いやってあげてほしいです。
私も、今後は無茶をしないように、気を付けたいと思います(笑)

モノの処分に向いている時間帯について考えてみた

2020-03-23 | 日々の暮らし
明日は、家庭ごみの収集日なので、本日は捨て曜日です。
朝、少しだけこまごましたモノをごみ袋へ放り込みましたが、午後から本格的に不要品を出す予定です。

最近は、昼夜問わず不要品を探しては処分している毎日なのですが、朝と夜ではなんとなく不要品の感じ方が違うように思えます。
夜、捨てられたなったモノが、朝になるとあっさり捨てられたりするので、不思議です。

朝に捨てる
ここ2~3日は、朝起きて朝食を済ませたのち、朝のティータイムを過ごしながら、処分できるものがないか、何を処分しようか、と考える毎日でした(笑)
今朝も、ゆっくりと紅茶でも飲もうと思っていたのですが、昨夜に処分を迷っていたモノを、やはり処分しなくては、と思い直して、結局ティータイム返上で、不要品を処分していました(苦笑)

朝というか午前中は、判断力が冴えているのか、それとも睡眠をとったことで潔い気分になりやすいのか、結構モノを処分する作業が捗ります。
午前中に掃除や洗濯をした方がいいというのは、一日のスケジュール的な事よりも、メンタル部分や脳や身体が活性化しているときの方が、捗るからなのかもしれませんね。

昼間に捨てる
昼は、買い物などを含めて、外出する機会が多いので、満足のいく不要品の処分ができない時間帯です。
何時までに、何処其処へ行かなくてはいけない、あれこれ作業しなければいけない、とタスクの消化に追われるので、正午以降から夕方までの時間帯は、がっつりと片付け時間を確保しておかないと、不要品の処分は捗りません。

本日は、近所のスーパーへ段ボール箱を貰いに行こうと思っています。
売却するCDとDVDを入れる、段ボール箱です。
昼食を摂ったら、早速作業を始める予定です。

夜に捨てる
夜は、朝ほど捗りませんが、私の場合は結構思い切りよく、不要品を処分することができる時間帯です。
一日の疲れが出て、夕食後にはのんびりしたい気持ちもあるのですが、不要品のことが気になると、後回しにしたくないので、つい作業を始めてしまいます。

夜は、身体も脳も疲れているので、体力も判断力も鈍ってくるのですが、これが割と不要品処分には向いている状態だと思っています。
理由は、私の性格的なことが影響しているようです。

私は、とても面倒くさがり屋なので、少しでも面倒だと感じると、その面倒を取り除きたくなります。
不要品に関して言うと、そこに在るだけで邪魔だったり、使っていてイライラしたりすると、すでに頭の中で処分することを考えます。
夜になると、まずメンタル部分でイライラ感が増しやすい状態になっています。
例えば、夕食の片付けをしているときなどは、すでに一日の疲れが出始めている時間帯なので、そのときに、洗いにくい道具や、多すぎる食器を見ては、イライラして
「捨てなければ」
という気持ちになりやすいです(苦笑)

夜、ぼんやり過ごしているときに、何かしらのよろしくない状況が出てくると、まずモノを減らすことを考えます。
モノの配置や、収納方法よりも、まず減らすことを考えてしまうのは、それがいちばん手っ取り早いからです。
モノさえなければ、そもそも悩んだりイライラしたりすることもないわけですから、部屋や道具の使い勝手が悪かったら、まず何かを減らすこと。
減らすことで、モノと状況に対するイライラが一度に解消できますし、何よりも他の理由で溜まったストレスも一緒に解消してくれるので、夜の不要品処分は、片付けというよりはリフレッシュ活動なのかもしれません(笑)

ただ、疲れた身体が、どうしても動かないときがありますので、モノを処分することだけ決めて、行動には移さないことも多いです。
そういう日の翌朝は、より一層不要品の処分が捗ります(笑)

思い立ったら即行動
モノを処分するために、いつするか、ということも大事ですが、いちばん逃したくない機会が「思い立った瞬間」です。
この瞬間を逃すと、先延ばしになる確率がぐんと上がります(苦笑)
少しでも先延ばしにすると、その分ストレスが溜まってしまったり、作業効率が悪くなったりしますので、処分したいモノがあったら、最近ではすぐに行動するようになりました。

また、一瞬でも処分したいという気持ちが湧いたモノは、数十分後も数時間後も数日後も、そればかりが気になってしまうようにもなってしまったので、これは不要品への向き合い方が、変わってきた証拠かな、と思います。
これまでは、処分しようか、まだまだ持っておこうか、という迷いがたくさんありましたが、最近は処分しようかな、と考えている瞬間から、処分方法をシミュレーションしています(笑)

捨て曜日に処分するモノ
まだ、具体的に何を処分するかは、今から確認していくのですが、今朝は文具や郵便セット(切手やはがきなどをひとまとめにして保管しています)を入れていた収納道具を処分するべく、使っていなかったポーチに移しました。
これで、使い辛いと思っていた収納道具を処分することができます。

また、粗大ごみなので、すぐには処分できないのですが、木製キッチンワゴンを手放すことに決めました。
ずっと、ポットを置いて使用していたため、天板が水滴を吸ってボコボコになっている部分があり、塗装も剥げているので、正直みすぼらしい(苦笑)
モノを一時的に置いたりするには、便利に感じることもあるのですが、場所もとるので、もう要りません。
もし、手放した後に不便を感じたら、また買いなおしたらいいですし、次回は木製ではなく、もう少し軽くて動かしやすいワゴンを買います。
でも、多分買いなおしはしません(笑)

食器の間引きも、また少ししようかな、と思っています。
かなり減らしたはずですが、やはり使っていない食器があるのですよね。
なので、今回は自分が気に入っていない食器を中心に、間引きしていこうと思います。


ということで、本日は捨て曜日。
前に説明したかもしれませんが、これは「捨てよう!」の日、ということで「捨て曜日」という言い方をしています。
捨て曜日は、自分自身を鼓舞する意味もありますので、このように名付けました(笑)
言葉って、言い方次第で人の行動を左右しますよね。
「捨て曜日」の設定、お片付けが苦手な人には、結構おススメの不要品処分術かもしれません(笑)

不要品の金銭的価値について考えてみた

2020-03-22 | 日々の暮らし
モノを減らして処分するために、仕分け作業が必要になります。
仕分けの前には、所有しているモノが自分にとって(あるいは家族にとって)の必需品なのか、なくても困らないが使っているモノなのか、不要品なのか、を判断します。

その際に、ついつい頭を過ってしまうのが「モノの金銭的価値」です。
少し前に、モノの価値を考えるよりも、自分の暮らしを優先して考えることにした話を綴りましたが、今回は少し違う視点で、お金に換算して考えたときに、自分はどう判断しているか、を綴ります。

それ、いくらでしたか?
持っているモノには、お金を支払って購入したモノと、無料で貰ったモノ(おまけやノベルティ、路上配布物など)、懸賞などで当たったモノ、頂きモノなどがあります。
あるいは、親や親族から譲り受けたモノもありますね。

自分でお金の支払いをした場合は、モノの価格を細かく憶えていなくても、大体の金額は憶えていますが、そのほかのモノは、もしも売っているとしたらこのくらいの値段かな、という感じになりますよね。
そして、いざ不要品処分する際に、どうやって処分しようかと考えて、覚えている購入金額やなんとなく考えている金額を思い浮かべると「売却」をしてみようか、という気持ちになりがちです。

売却をするとなると、今度は売却方法を考えることになりますが、自分で値段をつけるフリマサイトやオークションサイトを利用するのか、買取ショップで査定してもらうのか、で悩みます。
通常、買取ショップでの査定金額よりも、自分で売却金額を設定するほうが、少し高く売ることができます(価値ある古美術品などについては別ですが)
しかし、自分で金額設定する方法は、売却に関する作業のすべてを自分で請け負うことになり、買取ショップへの持ち込みと比べて、手間が少しかかりますし、梱包材を新たに購入しなければいけない場合もあります。

そのあたりも踏まえた上で、目の前にある不要品の金銭的価値を考える際は、自分なりの金銭的基準を設定しておく必要があると思っています。

金銭的価値の決め方
買取ショップや質屋には、査定のプロがいて、大体のルールも決まっているので、同じ状態の同じ商品を、複数の人が別々に持ち込んでも、同一の値段でしか買取をしません。
その点、フリマサイトは自分で金額設定できますし、オークションは見込んだ落札価格よりも高値がつく場合があります。

悩ましいですよね(笑)
少しでも多くのお金に換えたいと思うのは、人の心理として正しいと思います(笑)
しかし、現実はそう甘くはないし、そもそも、よほどの価値があるモノ以外は、通常の販売額よりも低い金額でしか売却することはできません。
ですから、少しでも自分が納得できる金額に近い状態で売却するしかないわけですが、さて、目の前にある不要品に、一体いくらの値段を付けたらいいのでしょうか?

お片付け動画で、不要品かどうかを判断する基準として、よく目にするのが

 ・使っているか(長い間使っていないモノは不要)
 ・今後使うか(使う時期やシチュエーションが決まらない場合は不要)
 ・デザインが流行遅れではないか(定番以外は流行が過ぎたら不要)
 ・汚れ、シミ、破れ、破損がないか(手入れしてまで使うつもりがないなら不要)
 ・使い辛くないか(使いにくいモノは不要)
 ・重複していないか(同じ用途のモノはどちらかが不要)
 ・ときめくか(笑)←私は、ときめきに頼ったことがないのですが、一応入れます(苦笑)

こんな感じです。
これらの基準で処分を決めるところまでは、誰にでも実行可能だと思うのですが、処分方法をどうするかまでは、この基準には入っていないのですよね。

そこで、たまに目にする基準がヒントになります。
それは、

 ・今の自分が、お金を払って入手したいモノかどうか(お金を払いたくないなら不要)

という基準です。
この基準、金銭的価値を決めるのには必要だと思います。
所有物に値段をつけて売却する際に、これくらいだったら買ってくれるかもしれない、といった視点で値付けをする人は多いと思いますが、自分が買うとしたら?と考えると、ほとんどのモノは買いたくないはずです。
何故なら、自分にとっての「不要品」ですから(笑)
それは基本中の基本で、少しでも不要品だと思って処分したモノを再度買いたいと思うことは、ごく稀だと思います。
もし、もう一度買いたくなってしまうのならば、それは単なる判断ミスですから、モノの金銭的価値を考える際には想定しない方がいいと思います。
考え出したら、不要品の処分基準と価値設定がブレてきますからね。

私は、今の自分がお金を出して買いたいモノかどうか、で判断するとして、さらに次のことを考えてから、売却するのか何も考えずに処分するのかを判断しています。
それは、

 売却する手間暇を手数料に換算すること

これを考えてみると、売却するほうがよさそうなモノが見えやすくなってきて、仕分けの後押しになります。

手間暇を手数料換算する基準
手数料換算する項目としては、以下の3点を考えています。

 ・運搬料(ガソリン、公共交通料金)もしくは送付料
 ・梱包材の購入費
 ・梱包作業費(梱包の手順の複雑さと作業に費やす時間)

これらの費用が先方負担ではなく自己負担になった場合に、本体の値段設定が重要になってきます。

もし、値段は関係なく、欲しいと思う人に格安で譲りたいと思っている場合は、これに当たりません。
そういう考えの人は、迷わずに所有物をフリマサイトやオークションサイトに出品しますので、この限りではありません。
それよりも、ここではどうしても、ただ捨てるだけでは勿体ない、高かったから手放すのが惜しい、しかし、不要だから手放したい、と思う場合に限られます(笑)

私や私の家族の所有物は、そこそこ値段が高かったモノもありますが、高級品は数個の宝飾品くらいで、あとは売却しても二束三文のモノばかり。
しかも、すでに梱包を解いてしまい、裸の状態で未使用というモノも多かったので(過去形なのは処分済みだから)、フリマサイトやオークションサイトに出品したとしても、リサイクルショップの査定額に少しだけ上乗せできる程度です。
ですから、私の場合はフリマサイトやオークションサイトを利用しても、実際にかかるシステム料と自分で設定した手数料の基準を考慮すると、リサイクルショップに持ち込んでも、ほぼ変わりがありませんでした。
ですから、これならばリサイクルショップの買取基準を満たしているだろう、と思われるモノだけを選び、売却することにしています。

とはいえ、いま所有しているモノに関しては、梱包されたまま未使用のモノがありませんから、もうリサイクルショップへ持ち込むモノは、ほとんどありません。
ですから、不要品を処分する方法の選択肢は、捨てるか無料のリサイクルボックスへ持ち込むかの2択となっています。

大基本は「自分にとっての無価値品」と認識すること
モノの金銭的価値を、どれだけ考えたとしても、今の自分に不要なのであれば、購入金額も市場価格も関係なく「無価値品」です。
それに値段をつけて、売却しようというのですから、そりゃ手間暇もかかるし値段設定に頭を悩ますよね、と自虐的に笑うことが今までどれくらいあったか(笑)

ただ、私はそこを悩む時間さえも勿体ないと思ってしまう性質ですから、売却か捨てるかリサイクルか、の判断は、比較的早めだと思います。
ほんの少しでも、運搬が面倒だとか、梱包に手間をかけたくないだとか思ってしまえば、自ずと行動が決まります(笑)

今、音楽CDとDVDの売却を計画しています。
それは、自分がお金を払ってでも、もう一度買いたいモノかと問われれば、はっきり言います。

「買います」(笑)

しかし、それはおそらく楽曲やアーティストに対してお金を払いたいのであって、CDやDVDという物体に対しての価値とは違うということに、最近になって気がつきました。
ですから、音楽そのものを残して、本体を手放す決心もついたのです。
要するに、CDやDVDという形に対しては、価値を感じていないということなのだと思います。

今回売却する気になったのは、捨てて誰の手にも渡らないよりは、同じように楽曲やアーティストに対して価値を感じてくれている人の手に渡ってほしい気持ちが、勝ったからです。
おそらく、査定価格は低いでしょう。
梱包の手間も、もちろんかかります。
ただ、一度に全て手放せるという点と、宅配買取サービスに依頼するつもりなので、基本的には送料がかからないという点で、利用してみることにしました。
そして、今回売却したら、今後はもう売却することはしないつもりです。
理由は、今後販売される新曲については、全て配信サービスから購入するつもりだからです。

このように、モノ全体の価値ではなく、自分がそのモノの何に、どこに、価値を感じているかも、処分するときのバロメーターにできると思います。
ただ、モノが溢れている、汚部屋で判断力が鈍っている、という状況の人は、処分を迷うモノは保留しておいて、あとからゆっくり考えたらいいと思います。
モノが減ってくると、自然と判断力が養われますし、新しい価値観にも気づきやすくなります。
そうなると、モノの金銭的価値も決めやすくなってきますので、まずは「自分にとっての無価値品」を認識するところから始めたらいかがでしょうか?

片付けに着手する際の、心の順番としては

 1.「自分にとっての無価値品」を掘り出して処分する
 2.迷うモノは保留でいい
 3.モノを減らすこと以外考えないようにして作業する
 4.部屋と心に余裕を感じ始めたら保留したモノの価値を考える

この順番を実行すると、当然ムダにモノを捨ててしまうことがほとんどになってしまいますが、そもそもそれを手に入れた自分の責任や家族の責任というモノがあります。
その責任を放棄しようとしているのに、お金を稼ごうとか、エコロジーがどうとか、ちゃんちゃらおかしいです(笑)
まあ、価値あるモノを売ることが悪いわけではないし、エコロジーな考え方は正しいですが、まずは自分が手に入れたモノに対して、責任をどうとるか、を考えるべきかな、と思っています。


今回は、不要品の金銭的価値について、思うところを綴りましたが、価値観は本当に十人十色です。
私の価値観は、私だけが持っているのであって、共感する人がいたとしても、まったく同じ考えかどうかは、話が別。
価値観が多様だからこそ、売却方法によって査定金額も変わってくるわけですから、結局は自分自身が決める価値観をしっかり持っておくことが大切なのかな、と考えています。
そんな自分の価値観に従って、本日もまた何か不要品を掘り出そうと思っています(笑)