いつも、お片付け動画や、ミニマリストの方の配信動画を見ています。
ミニマリストの方たちは、コミュニティが広がりやすいのか、お互いがインタビューをする「コラボ動画」が多く、数珠繋ぎのようにいろいろなミニマリストの方を知ることができるので、結構興味深く視聴しています。
私はミニマリストではないのですが、片付けやモノの処分と言った側面では、有用な情報を発信してくださっているので、最近はかなりのミニマリスト動画を視聴したと思います。
視聴していて、ふと感じたことがあったので、今回はそのことについて綴っていきたいと思います。
ミニマリストユーチューバーのとある共通点
動画配信をしているミニマリストユーチューバーの皆さんは、ほぼ最初はマキシマリストだったりモノが溢れる汚部屋住人だったりします。
また、ご本人は特にモノを多く持っていなくても、ご家族が溜め込む性質だという方も多いです。
モノが多い、溢れている、汚部屋になっている方が、何かをきっかけにモノを減らすというメンタルが膨らんだ結果、生活が変化していた、あるいはそこを目指した、という方が思った以上に多い印象です。
もともと、ほとんどモノを持たないで過ごしてきた、生まれつきのミニマリストの方も存在はしますが、ユーチューバーとしては稀です。
まあ、生まれつきのミニマリストでしたら、自分がミニマリストだという自覚がないまま人生を楽しんでいらっしゃるはずなので、わざわざ名乗って動画を配信することすら思いつかないというのが、本当のところだと思います。
モノが増えて減らせない人のとある共通点
一概には言えませんが、モノが増えて減らすことができない人には、とある共通点があるように感じています。
私が感じている共通点は、
・几帳面
・心配性
・少し生真面目
この3点です。
とあるユーチューバーの方の動画で、現在進行形でミニマリストを目指している方へのインタビューがありました。
ロケーションは、そのインタビューを受けている方の部屋(賃貸物件)
すでに、かなりの量のモノを処分した形跡があり、現在進行形でモノを減らしている方で、もともとはいろいろな収納を工夫して、片付けていらっしゃった様子が伺えました。
モノを減らす前の部屋の状態を見る限り、この方はマキシマリストだったのかな、という印象を受けました。
収集癖があるけれど、モノはとても大事に保管するという方にも共通するのですが、マキシマリストの方は所有物は多いけれど、整理整頓はきちんとしている印象が強いです。
このミニマリストへ移行中の方は、モノが多かったときに、アイテムごとに収納を用意していたようで、〇〇用の箱、〇〇を入れるカゴ、〇〇専用、など、細かいカテゴリーに分けて収納していて、モノが減りつつある現在も、同じように収納していました。
この様子を視聴していて、強く感じたのが、先ほど挙げた「几帳面」「心配性」「少し生真面目」の3点です。
そして、思い返してみると、今まで視聴してきたミニマリストの方たちも、そんな印象が強く残っています。
ある方は、ミニマリストは基本的に面倒くさがりで効率重視だ、とおっしゃっていましたが、それは全て、几帳面で心配性で生真面目である故の結果で、だからこそ、モノを減らし不要なモノを処分してこれたのだと思っています。
几帳面
モノが増えて減らせないのに、几帳面とはどういうことか。
私が感じるのは、几帳面な人は、モノを減らす意識よりもモノの活用方法や収納方法にフォーカスしがちだということです。
几帳面だということは、見た目が揃っていることや、規則正しい配置を好むはず。
そこに意識が集中すると、おそらく片付けや整理整頓をしている最中も、モノが多いから減らそうとか、これは不要品だから処分しようということに向ける意識がなくなるのだろうと推測されます。
そして、モノが増えた時点でも、配置や収納に意識が集中してしまうため、モノが減らずに増えていくばかりになってるのかも、と思います。
また、几帳面な人は、カテゴリーを細かく分けて収納したり、収納している中身も順番が決まっていたりします。
クローゼットを例に挙げると、使うアイテムごとに分けているのはもちろん、シチュエーション別や色別にも分けているような感じです。
これだと、モノが多ければ多いほど、きっと整理整頓や片付けがしんどくなってくることもしばしばあると思います。
結果、片付けや整理整頓に疲弊して、最後にミニマリストへ転じるパターンがあるのだと感じました。
心配性
心配性の人は、不安要素を解決してくれるモノがあったら、揃えておきたいと思いがちです。
なくても困らないモノも、いつか必要になるときがくるかもしれない、という気持ちは、誰しもが持ちますが、過剰になるとモノが溢れます。
私の母を例に挙げると、日用品のストックは無くなる前に十分に補充したがります。
母がそういう思考になる原因は、戦中生まれだということと、私が幼いころに住んでいた場所が、とても不便なところにあり、日用品や食料は週末のまとめ買いが当たり前という環境だったから。
とにかく、いつも使っているモノが全てなくなってしまうと、とても困ると思い込んでいるのです。
実際は、そこまで心配しなくても、数日間は大丈夫だし、私がストックなしでガチ困るのは、トイレットペーパーだけです(笑)
他のモノは、すっかり無くなってから買い足しても、十分間に合います。
洋服や靴、文房具や雑貨も、無くなったら困るかも、という心配をしがちな人は、モノを減らせません。
新しいモノを買ったり、手に入れたりしたら、古いモノは処分しても困らないはずなのですが、その新しいモノがダメになったときに、古いモノで代用するから取っておく、という思考も、心配性の特徴です。
また、モノが多いと安心するという人も、裏を返せば心配性ですね。
しかし、こういった心配をする人は、実は心配ないのだという根拠に納得した時点で、モノを減らすことができるようになります。
ミニマリストへ移行していった多くの人たちは、実は心配性な部分も強かったのではないかな、と感じています。
それに、モノが少なければ、心配の種も少なくなりますから、心配性の人がミニマリストになることは必然だったのかもしれませんね。
少し生真面目
生真面目な人は、決められたことをきちんと守ります。
まあ、決められたことを守るのは当たり前ですが、私が言いたいのは、生真面目な人は決められたことを守ることにフォーカスしすぎて、モノを処分する基準が見えなくなっている場合がある、ということです。
ごみの分別は、決まりどおりにしなければいけません。
しかし、目の前にあるモノがごみだと決める基準は、自分軸になります。
今、目の前に半分だけ使ったまま放置されているノートがあるとします。
書かれているのは、特に保管しておかなくてもいいような内容です。
半分残っているので、何かのメモに使えそうです。
ここで、生真面目な人は、この残り半分のノートを使い切ることにフォーカスしがちです。
それは、モノを最後まで使わなければならない、というしつけや言いつけがあり、それを守ろうとするから。
実際は、もう半分の使い道が思いつかないノートは、ごみと判断してもいいはずです。
もちろん、勿体ないという視点で考えると、なるべくなら最後まで使い切った方がいいですが、それはあくまでも「努力目標」です。
半分しか使っていないノートは、ごみにしてはいけない、という決まりは一切ありません。
生真面目な人は、このような思考になりにくいため、モノが減らせないし、新しく増えたモノは、大切にしながら最後まで使わなくてはいけない、という固定観念があるのでしょう。
しかし、生真面目であることで、ミニマリストに移行しやすいという側面もあると思います。
なぜなら、モノが多すぎることのデメリットや、モノを処分する基準をレクチャーした場合に、素直にそれを受け止めてくれる可能性が高いから。
モノを減らすメリットを理解しさえすれば、きっと生真面目にモノを処分していき、着地点がミニマリストというパターンもあるかと思います。
いい加減、面倒くさがり、効率重視のミニマリスト
先ほども少し書きましたが、とあるミニまりストの方は、自分がいい加減で面倒くさがりで、効率重視で行動するとおっしゃっていました。
それが仇となり、今までモノが増えても片付けられなかったり、整理整頓ができなかったり、不要品を溜め込んだりしていた、と言う方もいらっしゃいます。
何かのきっかけがあり、いい加減で面倒くさがりで、効率重視の自分には、モノが少ない暮らしが合っている、と知った結果がミニマリストでした、というパターンは、私にも納得できます。
いい加減な性格は、手順が多い行動を嫌っているだけで、手順が少なく単純であれば、不要品やごみは溜まらない。
面倒くさがりも、面倒になってしまう根本を改善すれば、やるべきことを最後まできちんと成し遂げるはず。
効率重視は、その二つを融合した形。
裏を返せば、もともと几帳面な側面、心配性な側面、生真面目な側面があるからこそ、少ない手順で、きちんとした分別ができて、モノのカテゴリー分けもシンプルにした結果、表面的にはいい加減でめんどくさがりで効率重視に映る、そんな気がします。
そして、部屋が片付いていて、整理整頓されていて、余計なモノを削ぎ落した空間は、その3つの側面を満足させてくれる。
その最たる形が、ミニマリストなのかもしれないな、と最近感じるようになりました。
今回は、私が思うミニマリストと、モノが溢れてしまう人のとある共通点について綴ってみました。
いや、そうじゃない、本当はそういうことじゃない、と思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、多くのミニマリストの方が、最初はマキシマリストであったり、汚部屋の住民であったりする事実を鑑みて、そこから見えてきたことが、今回の内容になりました。
とはいえ、人の性格は十人十色。
まだ、私が出会ってない思考や暮らし方をしている方もいるはずですから、この件に関しては、もっといろいろな情報を知りたいと思います。
私はミニマリストではありませんが、私が目指す人生において、参考になる考え方や工夫がミニマリズムにあります。
これからも、たまにミニマリズムやミニマリストの話をするときがあると思いますが、ゆるーい感じで読んでいただければ、と思います。
ミニマリストの方たちは、コミュニティが広がりやすいのか、お互いがインタビューをする「コラボ動画」が多く、数珠繋ぎのようにいろいろなミニマリストの方を知ることができるので、結構興味深く視聴しています。
私はミニマリストではないのですが、片付けやモノの処分と言った側面では、有用な情報を発信してくださっているので、最近はかなりのミニマリスト動画を視聴したと思います。
視聴していて、ふと感じたことがあったので、今回はそのことについて綴っていきたいと思います。
ミニマリストユーチューバーのとある共通点
動画配信をしているミニマリストユーチューバーの皆さんは、ほぼ最初はマキシマリストだったりモノが溢れる汚部屋住人だったりします。
また、ご本人は特にモノを多く持っていなくても、ご家族が溜め込む性質だという方も多いです。
モノが多い、溢れている、汚部屋になっている方が、何かをきっかけにモノを減らすというメンタルが膨らんだ結果、生活が変化していた、あるいはそこを目指した、という方が思った以上に多い印象です。
もともと、ほとんどモノを持たないで過ごしてきた、生まれつきのミニマリストの方も存在はしますが、ユーチューバーとしては稀です。
まあ、生まれつきのミニマリストでしたら、自分がミニマリストだという自覚がないまま人生を楽しんでいらっしゃるはずなので、わざわざ名乗って動画を配信することすら思いつかないというのが、本当のところだと思います。
モノが増えて減らせない人のとある共通点
一概には言えませんが、モノが増えて減らすことができない人には、とある共通点があるように感じています。
私が感じている共通点は、
・几帳面
・心配性
・少し生真面目
この3点です。
とあるユーチューバーの方の動画で、現在進行形でミニマリストを目指している方へのインタビューがありました。
ロケーションは、そのインタビューを受けている方の部屋(賃貸物件)
すでに、かなりの量のモノを処分した形跡があり、現在進行形でモノを減らしている方で、もともとはいろいろな収納を工夫して、片付けていらっしゃった様子が伺えました。
モノを減らす前の部屋の状態を見る限り、この方はマキシマリストだったのかな、という印象を受けました。
収集癖があるけれど、モノはとても大事に保管するという方にも共通するのですが、マキシマリストの方は所有物は多いけれど、整理整頓はきちんとしている印象が強いです。
このミニマリストへ移行中の方は、モノが多かったときに、アイテムごとに収納を用意していたようで、〇〇用の箱、〇〇を入れるカゴ、〇〇専用、など、細かいカテゴリーに分けて収納していて、モノが減りつつある現在も、同じように収納していました。
この様子を視聴していて、強く感じたのが、先ほど挙げた「几帳面」「心配性」「少し生真面目」の3点です。
そして、思い返してみると、今まで視聴してきたミニマリストの方たちも、そんな印象が強く残っています。
ある方は、ミニマリストは基本的に面倒くさがりで効率重視だ、とおっしゃっていましたが、それは全て、几帳面で心配性で生真面目である故の結果で、だからこそ、モノを減らし不要なモノを処分してこれたのだと思っています。
几帳面
モノが増えて減らせないのに、几帳面とはどういうことか。
私が感じるのは、几帳面な人は、モノを減らす意識よりもモノの活用方法や収納方法にフォーカスしがちだということです。
几帳面だということは、見た目が揃っていることや、規則正しい配置を好むはず。
そこに意識が集中すると、おそらく片付けや整理整頓をしている最中も、モノが多いから減らそうとか、これは不要品だから処分しようということに向ける意識がなくなるのだろうと推測されます。
そして、モノが増えた時点でも、配置や収納に意識が集中してしまうため、モノが減らずに増えていくばかりになってるのかも、と思います。
また、几帳面な人は、カテゴリーを細かく分けて収納したり、収納している中身も順番が決まっていたりします。
クローゼットを例に挙げると、使うアイテムごとに分けているのはもちろん、シチュエーション別や色別にも分けているような感じです。
これだと、モノが多ければ多いほど、きっと整理整頓や片付けがしんどくなってくることもしばしばあると思います。
結果、片付けや整理整頓に疲弊して、最後にミニマリストへ転じるパターンがあるのだと感じました。
心配性
心配性の人は、不安要素を解決してくれるモノがあったら、揃えておきたいと思いがちです。
なくても困らないモノも、いつか必要になるときがくるかもしれない、という気持ちは、誰しもが持ちますが、過剰になるとモノが溢れます。
私の母を例に挙げると、日用品のストックは無くなる前に十分に補充したがります。
母がそういう思考になる原因は、戦中生まれだということと、私が幼いころに住んでいた場所が、とても不便なところにあり、日用品や食料は週末のまとめ買いが当たり前という環境だったから。
とにかく、いつも使っているモノが全てなくなってしまうと、とても困ると思い込んでいるのです。
実際は、そこまで心配しなくても、数日間は大丈夫だし、私がストックなしでガチ困るのは、トイレットペーパーだけです(笑)
他のモノは、すっかり無くなってから買い足しても、十分間に合います。
洋服や靴、文房具や雑貨も、無くなったら困るかも、という心配をしがちな人は、モノを減らせません。
新しいモノを買ったり、手に入れたりしたら、古いモノは処分しても困らないはずなのですが、その新しいモノがダメになったときに、古いモノで代用するから取っておく、という思考も、心配性の特徴です。
また、モノが多いと安心するという人も、裏を返せば心配性ですね。
しかし、こういった心配をする人は、実は心配ないのだという根拠に納得した時点で、モノを減らすことができるようになります。
ミニマリストへ移行していった多くの人たちは、実は心配性な部分も強かったのではないかな、と感じています。
それに、モノが少なければ、心配の種も少なくなりますから、心配性の人がミニマリストになることは必然だったのかもしれませんね。
少し生真面目
生真面目な人は、決められたことをきちんと守ります。
まあ、決められたことを守るのは当たり前ですが、私が言いたいのは、生真面目な人は決められたことを守ることにフォーカスしすぎて、モノを処分する基準が見えなくなっている場合がある、ということです。
ごみの分別は、決まりどおりにしなければいけません。
しかし、目の前にあるモノがごみだと決める基準は、自分軸になります。
今、目の前に半分だけ使ったまま放置されているノートがあるとします。
書かれているのは、特に保管しておかなくてもいいような内容です。
半分残っているので、何かのメモに使えそうです。
ここで、生真面目な人は、この残り半分のノートを使い切ることにフォーカスしがちです。
それは、モノを最後まで使わなければならない、というしつけや言いつけがあり、それを守ろうとするから。
実際は、もう半分の使い道が思いつかないノートは、ごみと判断してもいいはずです。
もちろん、勿体ないという視点で考えると、なるべくなら最後まで使い切った方がいいですが、それはあくまでも「努力目標」です。
半分しか使っていないノートは、ごみにしてはいけない、という決まりは一切ありません。
生真面目な人は、このような思考になりにくいため、モノが減らせないし、新しく増えたモノは、大切にしながら最後まで使わなくてはいけない、という固定観念があるのでしょう。
しかし、生真面目であることで、ミニマリストに移行しやすいという側面もあると思います。
なぜなら、モノが多すぎることのデメリットや、モノを処分する基準をレクチャーした場合に、素直にそれを受け止めてくれる可能性が高いから。
モノを減らすメリットを理解しさえすれば、きっと生真面目にモノを処分していき、着地点がミニマリストというパターンもあるかと思います。
いい加減、面倒くさがり、効率重視のミニマリスト
先ほども少し書きましたが、とあるミニまりストの方は、自分がいい加減で面倒くさがりで、効率重視で行動するとおっしゃっていました。
それが仇となり、今までモノが増えても片付けられなかったり、整理整頓ができなかったり、不要品を溜め込んだりしていた、と言う方もいらっしゃいます。
何かのきっかけがあり、いい加減で面倒くさがりで、効率重視の自分には、モノが少ない暮らしが合っている、と知った結果がミニマリストでした、というパターンは、私にも納得できます。
いい加減な性格は、手順が多い行動を嫌っているだけで、手順が少なく単純であれば、不要品やごみは溜まらない。
面倒くさがりも、面倒になってしまう根本を改善すれば、やるべきことを最後まできちんと成し遂げるはず。
効率重視は、その二つを融合した形。
裏を返せば、もともと几帳面な側面、心配性な側面、生真面目な側面があるからこそ、少ない手順で、きちんとした分別ができて、モノのカテゴリー分けもシンプルにした結果、表面的にはいい加減でめんどくさがりで効率重視に映る、そんな気がします。
そして、部屋が片付いていて、整理整頓されていて、余計なモノを削ぎ落した空間は、その3つの側面を満足させてくれる。
その最たる形が、ミニマリストなのかもしれないな、と最近感じるようになりました。
今回は、私が思うミニマリストと、モノが溢れてしまう人のとある共通点について綴ってみました。
いや、そうじゃない、本当はそういうことじゃない、と思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、多くのミニマリストの方が、最初はマキシマリストであったり、汚部屋の住民であったりする事実を鑑みて、そこから見えてきたことが、今回の内容になりました。
とはいえ、人の性格は十人十色。
まだ、私が出会ってない思考や暮らし方をしている方もいるはずですから、この件に関しては、もっといろいろな情報を知りたいと思います。
私はミニマリストではありませんが、私が目指す人生において、参考になる考え方や工夫がミニマリズムにあります。
これからも、たまにミニマリズムやミニマリストの話をするときがあると思いますが、ゆるーい感じで読んでいただければ、と思います。