マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

アルバイト募集に応募してみた(2)

2019-06-30 | 仕事・労働
アルバイト募集に応募してみたの続報です(笑)

本日、面接に行ってまいりました。

アルバイトの面接なので、服装は白のビジネス風ブラウスに紺のストレートパンツ。靴は黒のパンプス。
正社員面接ではないので、ジャケットやスーツは着用をやめました。
最初は、スカートにジャケットを考えていたのですが、湿度と気温が半端なく高いので、ストッキングを避けてパンツに変更した次第。
ジャケットやスーツを避けたのも、同じ理由です。

面接と言っても何かを質問されるわけではなく、労働条件の提示と、大まかな就業規則と、業務内容の説明と、就業日数の確認でした。
今回のアルバイトは、期限付き日数指定で、年に2度募集をしているそうなのですが、今回の期限で全日数勤務が可能かどうかも確認されました。
応募動機や、これまでの経歴などには一切触れなかったので、履歴書の経歴などで採用の有無を決定するのでしょうね。
合否は、約一週間後とのことでした。

今回のアルバイト、実はかなりの人気アルバイトでして、毎年同じ時期に募集があるのですが、とにかく順番待ちだと噂に聞いています。
私の周りでも、何人かそこのアルバイトやパートをしているのですが、時給が普通のアルバイトよりも100円~250円ぐらい高いのと、期間終了時までに皆勤するとボーナスが支給されるので、小遣い稼ぎにはもってこいです。
学生でも大人でも同じ条件なので、大学生、短大生、専門学校生にとっては、かなり稼げるアルバイトです。

条件がいい故に、学生、主婦、副業で応募が殺到するようなのですが、運よくアルバイトに入れると、次回の募集にも声をかけていただけるそうです。
決まるといいけど、リピーターの方も多いらしいので難しいかもしれませんね。

また、合否結果が出たら、ブログでお知らせしたいと思います。

おひとり様の終活セミナーを受けてきた話

2019-06-30 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
以前、家族信託セミナーを受けてきたお話をしましたが、今回は終活セミナーを受講してきました。
まだ、具体的な終活をしていませんが、今回セミナーを受けたことで自分の中でぼんやりとしていた終活が少し見えてきたかもしれません。

おひとり様の定義
終活のお話の前に、今回のセミナーにおける「おひとり様」の定義を書いておきます。

おひとり様の定義…65歳以上で、未婚あるいは死別・離別した単身者(子どもや身内の有無は関係しない)

おひとり様と言うと、1人で行動することや、1人で生活していることを想像すると思いますが、このセミナーにおいては老後に単身で生活している方を(離婚した元配偶者が生存していても、独立した子どもがいても、身内が生存していても)「おひとり様」として考えていきます。

5つの制度
今回のセミナーは、活用できる5つの制度について勉強しました。

1.成年後見人制度(法的後見・任意後見)
家族信託セミナーでも出てきた制度です。
後見人制度には、法的後見と委任後見があります。

法的後見と任意後見の違いは、法的後見が後見人を裁判所が決めることに対し、任意後見は当事者の判断力があるうちに任意の後見人を指名することができます。
裁判所を通さない分、当事者が老後に判断力や意思決定能力が衰えてしまっても、さまざまな手続をする際に費やす時間や費用が抑えられます。

ただ、任意後見人を指名するための『任意後見契約書』を交わしておく必要があります。
必須事項が欠けていると、契約書として認められない場合があるのと、口約束だけでは認められません。
また、当事者の自筆のサインも必要となります。

任意後見で「誰か」に後見人をお願いする場合は、あらかじめ指名する人や身内と相談をしておく必要があります。
1人で後見人を勝手に決めて、お互いだけで納得しても、いざ自分が亡くなったときに後見人がわからなかったら、そばにいる人が勝手にお葬式や相続の手続きをしてしまうかもしれません。
混乱を避けるためにも、お世話になるかもしれない身内には周知しておく必要があります。

2.身元引受・身元保証
今の社会は、何かの契約をする際に身元保証人や身元引受人が不明だと、契約ができないことがあります。
具体例としては、介護施設への入居や入院・手術などがあります。

父も母も何度か入院を経験していますが、必ず入院の届出に保証人2人を書く欄があります。
身内や同居している家族が1人しかいない場合は、1人分の署名で大丈夫ですが、成人している家族が2人以上いる場合は2名の署名をしておいた方が無難です。

身元引受は警察にお世話になった場合を想像するかもしれませんが、そうではなくて、例えば施設や病院で亡くなった場合に誰がご遺体を引き取ってくれるのか?というようなことです。
また、転院や施設の変更なども同じように身元引受人が必要な事例かもしれません。

おひとり様の老後においては、身元保証人や身元引受人を探してお願いしておく必要があるということです。

3.遺言
世間一般の“遺言”のことです(笑)

ただ、セミナーでは
「遺産が少ない人ほど遺言を残しておいた方が、トラブルが少ない」
と仰っていました。
具体的なデータも見せていただきましたが、遺産が多い場合は何かしらの制度を利用していたり、準備していたりすることも多いらしく、比較的トラブルは少ないのだとか。

逆に、遺産が少ないと
「少ないから、遺言まで残さなくても、通常の法的手続きをしてくれたらいいよ」
と考えてしまいがちで遺言を残さない方が多いということなのですが、実は役に立たない小さな土地を持っていたとか、高価なモノを所有していたとかで、親族が始末や相続に困ってしまうとのことです。
また、負債を抱えていたり内緒のネット口座を持っていたりするのも、トラブルの元になっているようです。

直系の相続人が生存していたらまだいいのですが、相続の権利を持った身内が先に亡くなっていたりすると、面識のない親戚同士が困ることにもなるとのこと。
一例として、65歳以上、子なし、孫なし、相続人なし、土地を所有などの人は、一考しておいた方が良いとのことでした。

4.信託(家族信託・民事信託)
家族信託は、以前セミナーを受けた際に勉強しましたが、今回のセミナーでも少し触れていました。

今回は、民事信託という言葉が出てきて、おや?と思ったのですが、現在は家族信託と民事信託は同じ制度を指しているようです。
家族というと直系の家族のイメージが強いのですが、実際は家族とは死別していて、血縁としては遠縁だけど親しくしている親戚の人などと契約を結んでも「家族信託」になります。
しかし、遠縁の人と契約を結ぶと「家族じゃない」というイメージを持つこともあるようなので、民事信託という言葉で区別する場合もあるようです。
制度的には、同じです。

ただ、子どもや孫は配偶者がいたらいいのですが、自分が老後にいざ誰かと家族信託を結ぼうというときは、後見人制度と同じで、やはり親類と情報共有して、この契約を結んでくれる親類を探しておく必要があるかと思います。

5.死後事務委任(死後に係るすべてのことが対象)
今回の目玉です(笑)
私は初めて聞いた制度なのですが、制度というより民間団体や民間企業が提供しているサービスです。

読んで字のごとく、死後のあらゆることを対象に、手続きや処理をしてくれるサービスですね。
羅列していくと、

 葬儀から埋葬に係るまでのすべてのこと
 死亡した場合の役所への各種手続き
 遺品整理
 故人の各種契約の解除や清算
 遺産相続の手続き
 パソコンなどのデジタルデータの処理処分

とにかく、死後に必要となることすべてを請け負っていただけます。

コンサルティング会社のような要素もあるのですが、例えば葬儀は〇〇式で、知らせるのは誰某で、好きな〇〇を棺に入れてください、などもお願いできます。

葬儀社の互助会に入っている方も多いかと思いますが、このサービスは当事者が亡くなった時に、例えば病院で亡くなった場合の連絡先に指定しておくこともできますし、病院から葬儀社に電話する役割も含まれます。
全てのお世話をお願いしなくても、連絡係として依頼しておくこともできるというわけです。

納骨などもお願いできます。
身内がおらず、お墓はあるけど納骨をしてくれる身内がいなかったり遠くに住んでいたりすると、お願いしづらいこともありますが、こちらのサービスを依頼しておけば、少し安心です。

各種手続きもそうですが、後見人制度や家族信託を利用している場合でも、遺品の整理や葬式の細かい指示などは難しい可能性があります。
そういった場合にも、遺品整理だけや葬式の内容の指示をお願いしておくなど、自由度の高いサービスです。

それぞれの手数料や依頼料は、会社にもよりますし、依頼内容ごとに金額の設定があるようです。

すり合わせが必要
終活に関する5つの制度を勉強した、今回のセミナー。

個人的には、遺言書以外は親族とのすり合わせが必要だと思いました。
講師の先生も、決めるときは自分だけが知っていても、いざ自分が死んだら親族が混乱するから、誰に何を任せるのかをきちんと話し合って共有しておいてほしいとのことでした。

自分が1人であるがゆえに、準備しておかなければならないことがある。それを実行するには、親族との信頼関係も大事だということなのでしょうね。

今のところ、私はいとこ達とたまに連絡を取り合っていますし、仲も悪くはありません。何かあったら、協力し合えるぐらいの付き合いはしていると思います(自分が思っているだけかもしれませんが...)
いとこの子どもとも面識はありますから、誰かに自分の死後のことを頼んでおかなければいけないですね。

終活ノートについて
最後に、終活ノートのことについて書きます。

セミナーでは触れませんでしたが、講師の先生が所属している企業が作成したエンディングノートを頂きました。
参加者への特典と考えていいのかな?(笑)
自分で買うことを迷っていたのですが、もし記入する気になったら徐々に内容を埋めていこうと思います。

ちなみに、エンディングノートには法的効力は一切ないとのことですので、死後にエンディングノートが活用してもらえるかどうかは、話が別です。

でも、自分の希望を言えないまま死んでしまうより、何かの形で思い出や死後にしておいてほしいことを残しておけば、自分の心の安らぎになりますよね。
どうせ死んだ後は、誰が何をしているかは知りようがないですしね。
自己満足にしかならいとしても、それでいいのだと思います。


今回のセミナーも、自分にとっては勉強になりました。
生活費とは別にお金を用意しておくべきなのは、どんな場合なのか?を知れたことは、前回のセミナーも含め非常に参考になりました。
また、今後は本格的な老後に備えた人生設計をしていく必要があるのだとも実感しました。


余談ですが、友人の遠縁にあたる長寿のおじい様が亡くなったとき、親類が何一つ困らないように、あらゆる手続きや手配をしていたそうです。
もう、20年以上前のお話です。
そのころは、終活なんて言葉すらなかった時代です。
生前からしっかりしていた方だったらしく、誰にも迷惑をかけずに旅立つ準備をしていたのだな、と思うと、私もかくありたいと思います。

アルバイト募集に応募してみた

2019-06-28 | 仕事・労働
半年以上、無職のまま過ごしてきましたが、二日前に短期のアルバイト募集を目にして応募してみました。
本日メールにて、担当者の方から面接日時のご連絡がありました。

久しぶりだし、アルバイトとはいえ短期のほぼフルタイム。
体力大丈夫かな?
きちんと最後まで通えるかな?
職場の人と早く仲良しになれるかな?
などなど、不安は尽きません。
まだ、面接さえしていないのに(苦笑)
そうそう、面接も何を着ていこうか、50代のおばちゃんは悩んでしまいます。
ビジネススタイルのアンサンブルしか持ってなかったけど...買いに行く暇はないぞ?

私は、これまで一度も正規雇用されたことがありません。
この世代では、もしかしたら珍しい存在かもしれません。
時代的には、バブル期が終焉を迎える頃に就職活動をしていたので、売り手市場でした。
同級生のほとんどは、卒業と同時に企業や公的機関に正規雇用されました。
就職浪人もいるにはいましたが、何が何でもその職業に就く!という信念があっての就職浪人が、多かったような気がします。

そのような時代に、私は非正規で目指していたお仕事に就けたのですが、正規雇用してもらうには実力が足りなかったため、その後いくつかの職種を経験しながら、30代で派遣社員へ転身しました。

私にとっての派遣のメリットは、自分で履歴書を書かずに済むこと(笑)
履歴書って、結構面倒ですよね。私は、履歴書を書くのが嫌いです。
まあ、好きな人に出会ったこともないのですが...
あと、面談から就業までの連絡やスケジュールも、派遣会社がしてくれるので、自分で就職活動するときの煩雑さは解消されます。
もっとも、その煩雑なことは派遣会社の方がしてくれているわけですから、大変なお仕事です。

その派遣の仕事も、長く続けるとデメリットとストレスを強く感じるようになり、年齢的にも今までと同じような仕事を紹介してもらえる確率は下がることが明白だったので、派遣の仕事は昨年の10月以降はお断りしています。

無職になって、9か月が過ぎようとしているわけですが、積極的ではないにしろなんとなく仕事情報の検索は続けてきました。
何社かは、ネット応募と履歴書送付をしましたが、落ちました。
積極的ではないのが、履歴書から伝わっているのかもしれません。

半年を過ぎたあたりからは、もう体力的にも仕事勘的にもリハビリが必要だろうと思い始めて、これは週に数日のバイトやパートの仕事を探した方が良さそうだと思い、3月ごろからバイトとパートの募集に絞って求人公募を探しています。

今回の求人は、週3日~5日で選択できるので応募してみました。
まだ、面接すらしてもらっていないのに、既に通勤手段やお昼のお弁当の心配をしています(笑)
ただ、こういう先走って心配したり想像したりしていると、不採用のことが多い私です。
もしかしたら、この面接落ちるかも?

面接受けたら、また改めてブログにその時の心情など書いてみようと思います。

そういえば、面接日は天気が悪くなる予報でした。
天気も面接も、荒れる予感しかしません(苦笑)

雨予報だったので掃除機をかけた

2019-06-27 | 日々の暮らし
手抜き掃除を、自分自身に推奨しています(笑)

本日は、週一でしている掃除機がけをしました。
使う頻度が少ないので、ダストカップに溜まったごみを捨てるのは、大体1か月に1回程度です。
「次回使ったら、ダストカップをきれいにしないと」
というタイミングの時は、なるべく雨の日を選んでいます。

雨の日を選ぶ理由は、湿気でホコリが舞い散りを最小限にできるからです。
我が家はマンションなので庭がなく、ダストカップの中身を出そうと思ったら、ベランダか浴室じゃないとできません。
しかし浴室だと、出したゴミから舞い散るホコリを吸い込みやすく、咳やくしゃみを連発してしまうので、なるべく雨の日にベランダでダストカップをきれいにしています。

さて、今日は雨の予報だったので、張り切って掃除機をかけたのですが、かけ終わってダストカップをきれいにしようとした頃から、日が差し始めました(苦笑)
もう少し、早く掃除機をかければよかった...

今使っている掃除機は、数年前に買い替えしました。
以前使っていたのはダイソンの掃除機だったのですが、吸引力は抜群だったものの、音が大きいし、サイズも少し大きくて小回り利かずに使いづらい!
壊れてはいませんでしたが、掃除効率が下がるので小回りが利く日本メーカーの掃除機に変更。

今の掃除機を数年使用してみて、小回りは利くし吸引力も引けを取らない上に、ボディが小さ目なので収納スペースも狭くて済む。
ダストカップの容量が少ないけれど、大きすぎてもカップをきれいにするときに面倒くさいので、以前の掃除機よりは使いやすいです。

ただ、最近になって小さ目のボディですら、収納時に少し邪魔に感じるようになってきました。
かけている最中でも、ボディを移動させるのが面倒に感じたり、コードが絡まるのもたまにストレスに。
将来、身体が思うように動かせなくなった場合は、今の掃除機はおそらく使い勝手が悪くなります。

まだ壊れていないので、買い替えは先になると思うのですが、コードレスのスティッククリーナーが最近になってほしくなってきました。
狭い場所にどれだけ対応できるかが問題ですが、収納スペースも今よりは狭くていいだろうし、何よりも本体をずるずると床を移動させながらよりも、楽に掃除機をかけられそうな気がします。

もし、スティッククリーナーを買ったら、今使っている掃除機は下取りか廃棄処分の予定です。
家電売り場や量販店にいくと、不審者のごとく掃除機をなめまわすように見てしまいます(苦笑)
理想的なスティッククリーナーに出会ったら、即交換したいのですが、なかなか理想的な掃除機には出会っていません。
せめて、消費税増税前に理想のクリーナーに出会いたいものだと思うのですが、そう上手くはいきませんよね。

お掃除ロボットも一時期考えてはいたのですが、段差に弱かったり耐用年数が短かったり、床の材質によっては傷めてしまう場合もあるようなので、購入は保留しています。
ただ、音声機能が付いていて大阪弁を話すというお掃除ロボットは、一度だけ使ってみたいですが、まだ、売ってるのでしょうか?(笑)


掃除機もいろいろな種類があって、何が自分のやり方に合っているのか見極めるのが難しいですね。
そんなことを考えながら、今日もまたいつもの掃除機で掃除をした私なのでした。

自分の衰えを自覚するとき

2019-06-26 | 老後
50歳を過ぎると、身体のあちこちに不調が出てきますね。

衰えを強く感じるようになってきたのは、40代後半から。
若い頃は全く感じたことがなかった不調が、なにかと身体を襲ってきます。

気圧の変化による不調
中でも一番つらいのが、気圧が低い雨の日やどんよりした曇りの日や寒い日の不調。
頭痛と眠気がひどいです。
今は仕事をしていないので、不調を感じたらすぐに横になっていますが、働いていたころはそうするわけにもいかず、頭痛薬を服用して凌いでいました。
おそらく、更年期障害も出始めているのでしょうね。

眼の衰え
視力は、かなり前から老眼らしき症状が出てきているので、コンタクトレンズの度か種類を替える時期かもしれません。
私は、使い捨てのソフトコンタクトレンズを使用しています。
手元の文字がはっきりしているときと、ぼやけるときがありまして、パソコンやスマホの影響でぼやけているのか、ソフトレンズが合わなくなってきているのかが自分で判断できないので、無職の間に一度眼科検診に行こうと思っているところです。

若い頃はハードレンズを使っていたのですが、カーブが合わなかったため、ソフトに変更しました。
その際に、ソフトは乱視が出やすいよ、と眼科の医師から言われていたので、もしかしたら乱視も出ていてぼやけの原因の一端になっているかもしれません。

月経不順とPMS
PMSに関しては、衰えというよりは体調不良の種類が年齢とともに変化してきました。
若い頃は、とにかく月経痛とそれに伴う腰痛がきつかったです。

予防で鎮痛剤を服用していたら少しは楽だったはずですが、私が10代~20代の頃は
「鎮痛剤を飲むのがクセになるから飲まない方が良い」
と言われていた時代で、ひたすら我慢していました。
しかし、働き始めて数年して、ある考えに至ってからは積極的に鎮痛剤を服用するようにしました。
ある考えというのは、
「苦しみながら仕事効率落とすぐらいなら、鎮痛剤を服用していつもどおりのコンディションで仕事した方が捗る」
でした。
やだ...社畜の思考(笑)今なら、堂々と生理休暇か有給休暇取って休みます。

30代の頃に月経痛は全くなくなりましたが、月経前の浮腫と眠気がひどかったです。たまに頭痛もありました。
40代後半からは、月経前の浮腫と眠気に加えて貧血がひどくなり、歩いている最中に一瞬だけクラッとする時もあり現在も続いているので、貧血を予防するサプリメントを飲んでいます。

月経不順は、50歳になる直前から始まりました。
それまで周期が乱れたことがなかったのですが、4か月くらい月経がないことがあり、まあ更年期だからだろうな、と思いつつ病気かもしれないからと、女性専門クリニックで診察したところ、遅れているだけでした。
その後、順調だったのですが、今年に入ってから周期が定まらない状態になりました。

歩くスピード
足腰が弱ってきています。
運動をしていないのも原因ですが、長時間歩いたら疲れ方がひどいし、疲れてきたときの歩く速度がめちゃくちゃ遅くなってきました(苦笑)
若い頃は、疲れていても早く家に帰って休みたくて、最後の力を振り絞って頑張って速く歩けていたのに、今は最後の力を振り絞れないです(苦笑)

老化予防対策
つい忘れがちなのですが、スクワットを一日に30回以上と軽いストレッチをするように心がけています。
ただ、体調が悪い日はしないので、しない日が続くと歩いているときにかなりの違いを実感します。
スクワットを続けている間は、歩くのが楽に感じられるのですが、お休みしている期間が長いと、歩くときに重たい感じがあります。

歳をとった証拠なのかな?と思います。
なぜなら、若い頃は運動した後にヘトヘトで身体が重く感じられていたのに対して、今は運動しない方が身体が重く感じられるのですから、脂肪が付きやすかったり筋肉が弱るスピードが速いのだろうか?と思います。

これからも、頑張ってスクワットと軽いストレッチは続けていきたいと思っていますが、整体師の資格を持っている知人からは、ラジオ体操を全力でやるといいよ、と教わりました。
マンションなので、ラジオ体操を全力ですると階下の住人から苦情が来そうで難しいのですが、できる範囲で全力ラジオ体操を始めてみようかと思っています(笑)


これから、年々身体の衰えを実感しながら暮らしていくのでしょうが、少しでも健康な状態を長く続けていきたいですね。
長生きしたいというよりは、いつまでも自分で動ける身体でいたいです。
私の身体を人様に持ち上げてもらうのは、魂が旅立った後の身体だけで済むように。

思いついたら捨てる、感情的なときに捨てる

2019-06-25 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
ふと思い立って、タオルとシールを捨てました。

タオルは、大事にとっておいた?つもりのライブツアータイトルロゴ入りのモノ。
シールは、好きなスポーツチームのロゴをデザインしたモノ。

タオル
以前家中のタオルを出して、きれいな状態のモノだけ残して汚れてヘタったモノは捨てたのですが、自分が大事にしたくて別に保管していたタオルがあったのを思い出しました。

使ったのは1回だけ。ライブの最中に首にかけて、曲に合わせて振り回したり汗を拭いたり。
しかし、ライブというのはそのとき限りで、以降同じタイトルでツアーを回ることってまずないです。
ロゴが入っているし、ライブの思い出だと思ってそのまま所有して、最終的に忘れていました。

忘れていたのだから、たいして思い入れもないし、タオルを手に取って思うことは
「意外と良い触り心地だけど、大きさも長さも半端で、実用性がないなあ」
ということでしたので、思い切って捨てました(苦笑)

シール
シールに関しては、おそらく20年以上前に購入して大事に取っておいたモノです。
封も切らずに、全く使っていない状態。
シールに限らないのですが、私はとても物持ちが良いです。
シール類はクリアファイルに入れて保管していたので、状態も良好。

購入当時は、どこかに貼ろう!と意気込んでいたと思うのですが、いざ貼ろうと思うと貼れる場所が意外と少ない。
貼れる場所やモノが見つかったら貼ろう!とも考えていたのですが、そのチャンスにはめぐり合っていない。
結局、これから先どこかに貼ろうと思っても、モノを減らすことはするけれど、増やすことはしないように心に決めているので、もう二度と貼れる場所は見つからないでしょう。

だから、シール捨てました。

そういえばTシャツも
あと、首回りがヘタって真っ白だった生地がややくすんだ白に変色したTシャツも、ごみ箱へ。
服に関しては、市のリサイクルBOXがあるのですが、今回のように色褪せやヘタリが目立ったモノや汚れとほつれがあるモノは対象外なのです。

最近になって、胸元に大きくロゴが入ったモノが似合わなくなってきたかな?と思うようになりました。
年齢に因るものだとは思うのですが、シンプルなTシャツの方が着回しも利くし自分に似合っているかもしれない?と思うようになってきたので、今後新しく買うTシャツはシンプルな無地を購入します。

意外とごみ袋が埋まる現実
こうやって少しずつ日常のごみと一緒に捨てていても、意外とごみ袋はいっぱいになるし、重量も増してくるしで、やはりモノが多いというのは体力と労力が必要ですね。捨てるのもそうですが、保管するのにも場所を選別して保管状態を考えて、虫干して手入れをして...と、考えているだけで疲れます。

たまに、丸一日潰して不要品を捨てるのですが、何回やってもごみ袋10枚前後は使うのですよねえ。
これまでに不要品を捨てるために使ったごみ袋は、数百枚はあるかと思います。数えてないのでわかりませんが...
気合を入れて不要品をあぶりだしたら、ごみ袋10枚は確実に使うはず、という思いこみがあるので、不要品処分デーの前日は必ずごみ袋を買いに行っています(笑)

捨てるのは感情的なときに捗る法則
私の場合、激昂しているときや、やや興奮気味なときは捨て作業が捗ります(苦笑)
もう少し詳しく言うと、普段気にかけておらず、捨てる際に目に入っていない不要品が、激昂しているときには猛烈に邪魔に思えて、怒りにまかせて捨ててしまうのです。
八つ当たりです(苦笑)
不思議なことに、自分が捨てたくないと思っているモノは感情的になっていても全く邪魔だと思わないのですが、少しでも「もう、要らないだろう」と思っているモノを見ると、スイッチが入ってしまうようです。

ちなみに、怒りにまかせて捨てて、やはり捨てなければ良かった!と思ったモノは、ひとつもありません。
それだけ、不要品が身の回りに多いということなのでしょうね(苦笑)


存在を忘れていた不要品を捨てると、不思議と他の不要品も見えてきます。
こういう時はチャンスです。捨てる意欲が湧いてきます。
なぜなら、一刻も早く捨てたいという感情になるから(笑)
また後日、時間をつくって見えていなかった不要品を捨てて、身も心も少々スッキリしようと思います。

こんなサービスがあったらいいな

2019-06-24 | 日々の暮らし
本日は、朝から母をかかりつけの医院へ連れて行き、採血してもらいました。
血液検査の結果は、次回の受診時にいただく予定です。
持病が悪化していなければいいのですが、80歳手前ですので何があってもおかしくはない。
検査結果が出るまで、少しドキドキです。

採血だったため朝食抜きだった母。私も、起きてすぐは食欲がないので、母と一緒に遅めの朝食を頂くことに。
食事をしたのは、うどん店。朝からうどん?
そのうどん店は朝早くから営業していて、うどんはもちろんありますが、朝定食のメニューが10時までいただけます。
うどん店ですが、私は朝定食を、母は夏限定メニューのそうめんを頂きました。

食事が終わった後は、同じ敷地内にあるスーパーで買い物。
今夜の食事用に出来合いの総菜を購入して、今日はノークッキングデーです(笑)

介護や支援サービスのことを考えるとき
前回の投稿では、認知症のケア体制について少々お堅い話をしてしまいました(苦笑)
今回は、母の病院送迎や外出にお供しながら、時々考えていることをお話してみようと思います。

高齢者への介護や支援に関連するサービスというと、思い浮かべるのが

 入浴介助
 トイレ介助
 食事介助
 家事代行
 送迎
 いこいの場、趣味の場の提供
 自宅訪問型の診療、診察

などです。これらは、介護や支援を必要とする方と直接かかわるサービスです。

間接的なサービスとしては、

 介護、介助用品のレンタル
 消耗品の定期宅配サービス
 介護食や病気に配慮した食事の定期宅配サービス
 介護、支援に関する情報提供サービス
 見守りサービス

などが思い浮かびます。

まだ勉強中ですので、他にもいろいろなサービスがあるかもしれませんが、手元に資料を置かずに思いつくのは、以上のようなサービスです。

普段の生活でこれらのサービスを意識することはないのですが、母の様子を見ていると時々思い浮かべることがあります。

母と父のこと
以前も少し触れましたが、母は食事、入浴、トイレ、着替え、すべて自分でできます。料理も、短時間で仕上げられるメニューは作ります。
しかし、持病の影響で身体に多くの負担がかかるとすぐに疲れますし、運動は厳禁で発作の危険性もあります。足腰も弱ってきていて、今は杖を使って自分で歩きますが、ゆっくりとしか歩けません。
ですから、外出の際はいつ発作が起こるかわからないので、必ず私が一緒に行動しますし、通院や必要な場所への送迎と付き添いは必須のフォローです。

母は趣味がないので、一日中テレビを見ています。
たまに、マンションの周辺を散歩しますが、調子が少しでも悪いと外出もしません。
白内障の影響もあり、読書もしません。
趣味がたくさんある方には、なんておもしろくない過ごし方だろう!と思うかもしれませんね。
ただ、母はお買い物が好きなので、調子がいいときはデパートへ一緒に買い物に行ったりします。

亡くなった父は、母と違って多趣味でした。
読書、書道、絵画(水彩画)、カメラ、美術館や博物館などでの鑑賞、映画鑑賞、スポーツ観戦(テレビ中継)...
テレビも好きで、自分の趣味に関係ある番組、バラエティ、ドラマ、ドキュメンタリー...
仕事を引退してからは、趣味のことをして一日中過ごしていましたし、趣味に関連して外出も多かったです。

亡くなる原因となった病気を発症してからは、左半身に少し麻痺が出たので外出は一人ではできなくなり、通院や外出する際は私が送迎していました。
ただ、今の母と同じで、介護や介助の必要はありませんでした。歩行も、杖をついて自力でできていましたが、いつ病気の影響で倒れるかわからない状況だったので、外出時は付き添う必要がありました。

こんなサービスを妄想しています
現在の母の状況も、亡くなる前の父の状況も、公的サービスや民間サービスを受けるまでには至りません。
なぜなら、“とりあえず人の手を借りずに自分のことができる”からです。
とりあえず自分ではできるのですが、介護じゃないし支援でもないもっと曖昧なサービスがあったら、亡くなった父も、今の母も、もう少し生活を楽しめるのではないのかな?と、時々考えます。

介護はしていないけれど、フォローはしている私の視点になりますが「こんなサービスがあったらいいのにな」と思うのが、高齢者の目線で考えられたサービスを提供してくれる複合エンターテイメント施設です。

最近になって、ゲーム、室内でプレイするスポーツ設備、大入浴場、映画館、ショッピングエリア、フードエリアなどが一つの敷地内に集中した複合施設が増えています。場所によっては、小さな遊園地やプールがあったりもします。
若者から年配の方まで、さまざまな年代の人が楽しめる場所です。
私も、数回利用したことがあります。楽しいですよね(笑)
でも、このような施設は各々が自己責任で楽しむ空間です。元気である程度健康に支障がない人が利用する前提で運営されています。

私が妄想するのは、少しだけフォローが必要な人(高齢者ではなくても可)が、気軽に利用できる施設です。

例えば、ホテルのベルサービスやドアサービスのような存在。
行きたい場所に、一緒に付き添って案内してくれるとありがたいな、と思います。

それから、施設利用者に身に付けて貰う見守り用のセンサー。
身体に異変があったら、管理センターに繋がって救急搬送などの手配をしてくれるサービス。
特に運動中や入浴中は大活躍してくれると思いますし、手遅れになる前に処置できると思います。

簡易な健康チェックができる設備。
少し気分が悪くなったときに、セルフで血圧を測ったり体温計で熱を測ったり、場合によっては近隣の病院を紹介してくれるサービスがあると助かります。

趣味の講座開講や図書館や資料館のような文化的な設備の併設。
趣味のことを楽しんだ後に、フードコートでお食事して、お風呂にも入れたら楽しいだろうなあ。

高齢の方や、既往症で身体が疲れやすい方が休憩できる空間。
健康な方は、椅子に座れば疲れはとれます。しかし、横になって疲れをとらなければならない既往症をお持ちの方もおられるでしょう。ご高齢の方も、横になりたくなる場合があると思います。
そういう場合に、時間制限があってもいいので、少し横になれる空間があったらいいと思っています。

スロープ付き送迎バスの運行。
スロープは、車いす利用の方だけではなく段差に弱い方にも必要だと思っています。定刻運行してくれたら、好きな時間に利用できます。施設利用者限定の定期券などがあったら、利用しやすいでしょうね。
年間フリーパスがあったら、なおいいかもしれません。

サービスを考えだしたら、キリがないです(笑)
今の私が「あったらいいな」と思うサービスばかり列挙しましたが、今ある娯楽施設やエンターテイメント施設にほんの少し足すだけで、いろんな状況の方が気軽に利用できるようになると思うと、どこかしらに提案していく意義はあるのかな?と思ったりもします。
残念ながら、まだどこにも提案はしていませんが...

気軽に行けない状況があるから
健康で身体的な不安がないか、介護、介助、支援が絶対必要で福祉サービス利用ができる人は、何かと利用できる設備や施設があります。
しかし、ほんの少しのフォローだけが必要な場合は、完全な介護、介助、支援をしていただける施設や設備は利用しにくいし、普通の施設や設備は不便を感じて足が遠のくこともあると思うのです。

その、ほんの少しのフォローをしてくれるサービスがあったら、きっと楽しく過ごすことができるのにな、と思いますし、自分の老後にそんな場所があったらステキだな、と考えています。


自分勝手な妄想ばかりしていますが、もし機会があれば、こういう内容のことを「お客様の声」みたいなアンケートに書きこんでいけば、どこかで実現してくれるかもしれません。
もし自分が大金持ちだったら、妄想を実現したいのですが、残念ながら毎日を生きるのに精いっぱいの蓄えしかないので、妄想にとどめるしかないのです(苦笑)

認知症へのケア体制について考えてみる

2019-06-23 | 老後
6月18日に『認知症施策推進大綱』が、認知症施策推進関係閣僚会議にてとりまとめられました。
首相官邸公式サイトにて、議事録および大綱の全文が公開されています

ざっくりとではありますが、大綱の内容に目を通してみました。

大綱を読んでみた理由
私の母は現在79歳。私も50歳を過ぎました。
母のこともさることながら、私が先に認知症を発症する可能性もあります。
また、私が認知症を発症しなくても、脳梗塞などで身体に麻痺が出て介護ができない状況になることや、最悪命を落とすことも可能性としてあります。
私が介護できない状況になったときに母が認知症を発症した場合、さまざまな支援を想定しておく必要があり、今回初めてこの大綱を読んでみる気になりました。

読んでみて思ったこと
大綱ですから、具体策が書かれているわけではありません。
施策の中には、既に自治体等で実施されている支援やサービスの実施率を上げるための目標値が設定されていたり、新たに認知症に特化した支援やサービスや制度の充実を目指した提案がなされたりしています。

この中に、以前私が家族信託セミナーを受講した際にセミナー内容の中で触れられていた成年後見人制度についての記述や、認知症を発症した本人の預貯金や不動産のことに関する制度のことにも触れている箇所がありました。
この中で、少し気になったのが成年後見人制度についての記述です。

「成年被後見人等の利益や生活の質の向上のための財産利用・身上保護に資する支援ができるよう、成年後見人等に対する意思決定支援の研修の全国的な実施を図る。また、「任意後見」「補助」「保佐」制度の広報・相談体制の強化や、市町村等による市民後見人・親族後見人への専門的バックアップ体制の強化を図る。」(『認知症施策推進大綱』認知症施策推進関係閣僚会議 令和元年6月18日 より抜粋)

一体、どのような専門的バックアップ体制を強化してくださるつもりなのかな?

成年後見人制度は、私個人は現時点で利用したくない制度です。
できれば、これに替わる制度が早期に制定されて欲しいと思っています。

※成年後見人制度よりも負担が少ない『家族信託』がありますが、この制度もまだ改善の余地があると個人的には思っています。

できれば利用したくない制度を推してくる?
成年後見人制度を利用した場合、後見人は裁判所が選定し、選定までの申し出や手続も煩雑で時間がかかります。
後見人が専門職者(司法書士や弁護士)に決まった場合は毎年報酬を支払わなければなりませんし、都度の預貯金の出金も後見人にしてもらう必要があります。
なにかの契約や、自治体に何かしらの手続きをする場合も、すべて後見人に依頼するか許可を得る必要があります。
死後の資産の処分や贈与や遺産分配についても、必ず後見人を通して手続を行い、手続き費用とは別に後見人への報酬も別途発生します。

対象者(ここで言うなら認知症になった家族)が生存している限り後見人に報酬を払い続け、死後もさまざまの費用に加えて報酬も発生する。
これ、お金をいくら用意しておく必要があると思いますか?

金融庁が公表した、老後の資金が1人当たり2,000万円不足するかもしれないという報告書(批判を受けて報告書は受理されませんでした)ですが、介護を受けて成年後見人制度も利用していたら、とてもじゃないけど不足するのは2,000万円どころじゃない、と思いました。

対象者の年金と預貯金だけで賄えるのであれば問題ありませんが、手続きに時間が割かれ煩雑な制度で、なおかつ終わりが想定できない費用負担です。身内が費用を立て替える日がくることも、可能性としてあります。
そのような制度、私がもし資産家であったとしても利用するのに躊躇してしまいます。

今のままの成年後見人制度だと、政府が制度の利用促進するための施策の一つとして専門的バックアップ体制を強化しても、当事者とその近親者の負担が軽減されない限り、私だったら利用しなくて済む方法を必死に探します。

あくまでも主体は認知症当事者...だけど
今回の大綱は、認知症の方がよりよく社会生活を送るためにまとめられていますから、介護者や支援者に配慮した内容はありません。
しかし、実際は介護者や支援者の負担を軽減しないと、認知症の方も幸せに暮らすことが難しくなると思います。
民間のサービスが充実しても、国が制定する支援制度が充実強化されても、実際の負担者に対してデメリットが多く、サービスや支援に従事する人も現在不足している現状を考えると、大綱全てをすんなり受け入れることができませんでした。

現実を見れば見るほど、対象者とその近親者や支援者が利用しやすい制度を政府には考えてほしいと思いますが、今後どうなっていくのか、不安ばかりが募りますね。

我が家はどうしたらいいのだろうか?
家族が認知症になったら、どうすればいいのだろう?と、誰しもが考えると思うのですが、自分ひとりで考えていても知識や情報が少ないと、思考が堂々巡りになってしまいます。

まだ介護についてのことや認知症の事を勉強し始めたばかりですが、まずは相談窓口をきちんと知っておく必要があると思っています。
以前、親の介護が必要なる可能性が高いけれどどうしたらいいかを相談したくて、役所の窓口を訪れたことがあります。

失敗でした(苦笑)

窓口の係員は
「必要な状態になってから介護保険の申請に来てください。申請すると有効期限が2年間で期限が切れたら更新の必要があります。確定していないのなら介護保険は申請しない方がいいです...」
ああ、介護保険の仕組みの話しかしないのか...とガックリした覚えがあります。この回答だと、相談でもなんでもないですよね。“説明窓口”です(苦笑)

私が知りたかったのは、いくつかのパターンに則した介護サービス制度の利用方法や、民間サービスとの連携状況だったのですが、返答がこんな感じでしたので、役所の窓口はたとえ“相談窓口”と書いてあっても、相談してはいけないのだ、ということを勉強しました(笑)
真剣に“相談”するなら、民間と医療機関の連携がしっかりしている相談窓口やサービス提供窓口を探すことをお勧めします。

以前、私が利用できそうなしっかりした相談窓口を一か所教えてもらったので、いずれ時間をつくって訪れてみようと思っています。
そこは知人の紹介で、その人も親の介護を始めるときにいろいろ相談したところ、親身になって丁寧にアドバイスをしてくれたとのことでした。
また、介護用品のレンタルサービス店のリストなども揃っており、介護の情報を得るならばそこが最適だろうとも教えてくれました。


介護は認知症の方だけを看るわけではありませんが、認知症だと身体は元気でも社会生活に支障が生まれる可能性が高いです。そうなった場合は、介護、介助、補助、支援なども少し違った角度からアプローチする場面も多くなると思います。
認知症になったら、本人も家族もきっとショックを受けます。精神的な負担は計り知れません。
そんなときに、本人を中心にしたケアと一緒に、介護する側の心が折れたり疲弊したりしないような制度やサービスをあらゆるカテゴリーで考えていただけたら、幸せな老後に一歩近づけるのではないかな、と思っています。

カベの汚れが気になって

2019-06-22 | 日々の暮らし
かなり前から、カベの汚れが気になっていました。
普段はあまり気にならない位置の汚れなのですが、しゃがんで見たときや電気の明かりの角度によってはとても目立っていました。
ああ、汚れを拭き落とさないと...と、見れば思うのですが、他の事をしているうちに忘れてしまいます。

昨日、手元にあったマイクロファイバークロスで、なんとなくふき取ってみました。
最初は、専用洗剤か手作りのセスキソーダ水じゃないと落ちないかな?と思っていたのですが、マイクロファイバークロスを濡らして固く絞って汚れの部分を強めに擦ったところ、割と落ちました!
おそらく、汚れそのものがまだゆるいのだとは思いますが、もしかしたらマイクロファイバーって有能ですか?というくらい、落ちました。
細かいところは少し汚れが残っていますが、そこは専用洗剤かセスキソーダを改めて使ったらよさそうです。
今回は一か所しかふき取っていませんが、後日汚れが気になっていた場所は全部ふき取ってみます。

カベだけじゃなく、他のところも汚れが目立つ箇所はありますが、日常生活に支障がないためついつい後回し。
掃除のとき、ついでにふき掃除をすればいいだけなのですが、ずぼらな私は掃除機をかけるときは掃除機だけ、水回りを掃除するときは水回りだけ、ふき掃除のときはふき掃除だけ、すべてを一緒にはしません。
理由は、掃除に時間を取られたくないから。
全部を一緒に取りかかると、半日かかりきりになってしまいます。

全部やってもそこまで時間はかからないよ?という方は、お掃除が上手なのだと思います。
私は掃除が嫌いなのですが、やり始めたらとことんきれいにしないと気が済まなくなります(苦笑)
手早くささっときれいにする技術がないのだと思います。
効率化を目指しても、結局とことんきれいにしたくなってくるため全く効率よくないです。
時間をかけない方法として、私の場合は1回の掃除で1つのアクションしかしないようにしています。

今回のカベ掃除はマイクロファイバークロスを試したかっただけなので、すぐにやめてしまいましたが、近いうちに家中の汚れが気になるカベを拭いて回ってみます。

しかし、いままで汚れを放置していたカベを、我が家に来たお客様はどう思ってらっしゃったことか(苦笑)
我が家の室内は一応整理整頓できているような見た目ですが、カベの汚れが原因できれいにしている印象はなかったかもしれませんね。

汚いと言えば、キッチンに敷いている絨毯も汚いです。経年による汚れやシミのほか、食品や飲み物をこぼした時に取りきれなかった汚れのシミが付いていています。
取り換えたいとは思っているのですが、なかなか気に入る絨毯に出会わないためにほったらかし。
これも、お客様にはどのように思われていたのか...

お客様に嫌な印象を与えないためにも、今後は少し気合を入れて家の中の汚れパトロールをする必要がありそうです。

やめて心を軽くする

2019-06-21 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
“終活”で真っ先に思う浮かんだことは、物理的実質的な整理です。
家にある不要品の処分(物理的な整理)、遺産相続時の法的手続きを円滑に進めるための準備、葬式資金の準備、自分が意思決定できなくなった場合に保有する資産管理をどのようにするか(社会的整理)

同時に重要なのが心の整理、思考の整理だと思っており、今回は気持ちの上で“やめる”ことを中心に書こうと思います。

心や気持ちは処分できない
物理的実質的な整理は、簡単だと思っています。
不要品を処分する、必要なモノを使いやすく整理整頓しておく、この2つの行動を実行するだけです。
社会的整理は、法律を理解する必要があったり、手続そのものが複雑で時間がかかったりするので、専門家の手を借りる場合もあります。
残される人たちにとっても、これは放置してよいことではなく最優先すべき整理です。

ところが、心の整理となると心や気持ちを捨てたり仕舞ったり処分したり...などということはできません。心がある限りは、いつか思い出したり行動に影響が出たりします。きっぱり忘れたつもりでも、心の奥にはいつまでも残っていますし、気持ちは常に変化していきます。
それは、人間として生きていれば仕方のないことです。完全に忘れてしまったとしたら、それは記憶障害を有する何かしらの疾病が考えられるので、すぐにでも医療機関を受診する案件です。

ただ、完全に心から取り去ることができなくても、気持ちの上で穏やかになるためにやめられる思考や行動はあると思います。
それが、心を整理することだと思っています。

やめたこと
気持ちの上で、すでにやめていることがあります。それは、人目を優先しないこと。

最近、忖度という言葉が流行語のようになっていた時期があり、まるで悪いことのように認識されていますが、本来の意味は「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。」(「デジタル大辞泉(小学館)」より)です。
相手に対して忖度することが大切な場面は、日常的にあります。しかし、それは人目を気にすることとは違います。
忖度は、相手に対する配慮から生まれる気持ちや行動です。人目を気にするということは、他人から良く思われたい自分本位の気持ちです。

若い頃は、人目を気にしてファッションを選んでいたし、行動にも気を付けていました。自分の評価を上げるためです。
ところが、意識していたファッションや行動はあまり人から高評価を得られません。むしろ、無意識に行動していたことや、自分の好みを優先したファッションの方が、人から褒められます。
それでも、自分のことを評価してほしくて、あまり似合っていないファッションを選び、いやいや行動することも多々ありました。
その結果、なんだか暮らし辛いし、行動も規制されている感じでつまらないしやる気も出ない。
年齢を重ねた今は、自分で自分を縛りつけていたのだとわかりますが、当時はそうすることが大事だと思い込んでいたようです。

今では、人目よりも自分の気持ちを最優先することにしています。ファッション選びも、流行よりも自分に似合っていて必要だと思うモノを選びますし、行動も自分の心を優先しています。

やめた結果
自分の心を優先した結果、友人知人が減りました(苦笑)
心に従って行動すると、表面的にしか仲良くしていなかった人達と、自然と距離を取るようになりました。
お互いの気持ちを素直に言い合っても大丈夫な友人だけが、最終的に付き合いが続いている、ということなのだと思います。

友人知人が減ると、気持ちの上でのメリットが大きいです。
気乗りがしない飲み会や食事会に行かなくても済みますし、お祝い事で品物を贈る必要もなく経済的に助かります。
お付き合いがなくなっても、特に残念だとも思っていません。所詮、表面だけのおともだちでしたから。

人目を気にしなくなったら、芋づる式にやらなくなったこともあります。
化粧と美容院選びです。

1年前ぐらいから、スキンケアはニベアだけにしています。最近は美白クリームを使い切った段階でやめました。アイメイク道具もアイブローもファンデーションも口紅も、数年前から買っていません。
化粧をやめてスキンケアを簡単にしたら使える時間が増え、精神的にも時間に追われる感じがなくなりました。
ただ紫外線リスクは怖いので、日焼け止めだけは使っています。

美容院選びは、時間とお金をかけると確かに素敵なヘアスタイルにはしていただけるのですが、それを維持していく体力がなくなってきました。
見た目はどうでもいいから、セルフケアのしやすいヘアスタイルで、施術時間が短いことが最優先と考えるようにしてから、カットのみで1,200円~の店舗で、カットだけしてもらうようになりました。
パーマもカラーも、セルフメンテナンスができないのでやめました。白髪は目立ちますが、人目を気にするのをやめているので何の問題も感じません。

これからやめること
自分の心を優先しすぎると、厄介なことが起こりやすいです。それは、物欲です(笑)
あくまでも、優先する心はメリットが大きい場合。優先結果が所有物の増加に繋がったら、意味がありません。
所有物が増えたら、今度は処分や整理に手間取り、邪魔なものが増え、結果としてイライラしてしまうので、物欲は抑えなくてはいけません。

たまに、心の安定を求めて買い物に走ってしまいそうになることがあります。そういう時は、自分で決めた買い物の基準を思い出すようにして、購入を思いとどまります。

 同じ用途のモノをすでに所有していないか?
 本当に好きなデザインや色や形か?
 使い道が決まっているか?
 揃えることが目的になっていないか?
 使い勝手は自分好みか?
 そもそもそれが絶対必要か?

一度立ち止まって考えると、不思議と購買意欲が下がりますね。人は考えることが大事ってことでしょうか?
これを繰り返すうちに、物欲が消えてくれたらいいのですが...

物欲とは別に、やめても大丈夫じゃないか?と思う、心の行動があります。
それは、神社の護符や御守の購入とおみくじ引きです。
毎年、神社への初詣とおみくじ引きと御守の購入をしてきました。また、旅先で観光名所の神社に立ち寄っても、同じことをしていました。
心のよりどころとして、また身代わりなどの力を信じて、御守、護符を買いおみくじを引く人がほとんどだと思います。
私もそういうつもりで、長年御守を買いおみくじを引いていました。

ところが、おみくじは神社の木に結んでくるのでいいのですが、御守はいつも身に付けていないと意味がないと思い、なるべく持ち歩くようにしていた結果、邪魔に感じるようになってしまったのです。
神様や神社でお勤めされている方々に対して、非常に失礼な心持ちだとは思うのですが、御守の御利益よりも物質的な存在にイライラするときがありました。
ならば、身に付けずにどこかにしまっておけばいいか?とも思ったのですが、そもそも私自信が御守や護符の存在を、心のよりどころとはしていませんでした。単なるグッズになってしまっていたのです。

なにかの困難や悩みが起きても、まず自分が何をすべきかを考えて解決方法を探せば、大体のことは解決してきました。御守に願いを掛けたことは、人生でたった一度ありましたが、それも実際は自分が行動を起こすことで解決しました。
それは御守のおかげだよ、と仰る方がいるかもしれませんが、私の気持ちとしては御守に願いをかけていなくても、心が限界に達した時には人って意外と行動に移すことができると実感していますし、そもそも行動に移す時には御守の存在は忘れていました(苦笑)

そんなこともあり、御守が邪魔になる気持ちも改善しないので、今後は神社へ寄った際はお詣りだけして、御守や護符は買わず、おみくじも引かないことにしました。その分、お賽銭を多くしようと思っています。
そもそも、神社へのお詣りをやめても良いような気がするのですが、建造物として興味を持っているためスルーできない自分がいます。
お詣りする意味は、神社を今から見学させていただきます、という意味を込めて、お賽銭は見学料だと思って、続けていきたいと思います。

心がザワザワして気分が下がることもやめる
物欲にしても、お詣りにしても、心を落ち着かせるために行動している部分が大きいですが、社会生活をしていると自分が望まないのに心がザワザワする出来事が起こります。
例えば、人から言われた言葉にひっかかりいつまでも引きずる。理不尽なことで注意されたり怒られたりする。自分が思っていたのとは違う結果にモヤモヤしたりイライラしたりする。不愉快になる行動言動をする人がいた...
こういったことは、なかなかコントロールできずに溜め込みがちです。

そんなザワザワした気持ちは、とても損をした気分にもなります。
損をした気持ちにならないためにも、こういった気持ちを回避する、あるいは浄化する方法があれば試したいのですが、今のところお寺で修行するぐらいしか思いつきません。
なので、自分ができる範囲で、心がザワザワしそうな場所に行かないようにしたり、人に会わないようにしています。非常に消極的な行動です。
しかし、今は自分の心を穏やかにする訓練をしたいので、その準備と考えて消極的な行動も良しとしています。

消極的な行動をしていても、特に気分が下がったことはありません。むしろ、自分のために費やせる時間や集中できる時間が増えたようなきがします。余計なことを考えたり、つまらないことに付き合ったりしなくて済むようになったからだと思います。


“やめる”ということは、簡単なように見えて実は難しいのだと思いますが、幸せになるためであれば、思い切ってやめるのはありだと思っています。
今後も、心の整理としてやめたいことが出てきたら積極的にやめて、10年ぐらい経ったら少しは心が軽くなっているといいのですが...