マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

お風呂問題は解決困難

2022-05-25 | 介護
本日の朝食(皿なし飯)


本日の昼食(一応ワンプレート)


もう、朝は面倒くさくて、今朝はぶどうパンをトーストした際に敷いていたアルミホイルが、そのまま皿です(苦笑)
一応、健康に気遣ってミニトマトを添えました。
たんぱく質は、牛乳で補充。
昼食は、見た目きちんとしているように見えますが、乗っているのは全て冷凍保存しているものばかり。
レンジで温めただけの、時短レシピ(?)です。
でも、素材さえきちんと火を通したり、きれいに洗った状態なのであれば、器や皿に乗せてレンジで温めるだけでも、立派な食事が出来上がりますよね。

さて、にしおかすみこさんの連載記事が更新されているので、リンクを貼らせていただきます。

にしおかすみこがダウン症の姉の誕生日に認知症の母と皮膚科に行った話(にしおか すみこ)

「母、80歳、認知症。姉、47歳、ダウン症。父、81歳、酔っ払い。ついでに私は元SMの一発屋の女芸人。46歳。独身、行き遅れ。全員ポンコツである」こんな書き出しで始まった...

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今回は、にしおかさんのお母様ではなく、お姉様のお話でした。
詳しい内容は、ぜひ記事を読んでください。

今回の記事で、私が共感したのは、実はお風呂問題。
私の場合は、母でしたが、家族の中でなかなかお風呂に入ってくれない人がいると、他の家族は結構悩みます。
いくら外出が少なくても、汗をかいていなくても、泥んこにならなくても、人の身体からは老廃物が常に出されている状態ですから、やはり匂いがしてきたり、皮膚の病気に罹患したりします。
母がまだ、認知症のほんの入り口程度にしか症状が現れなかった頃までは、なんとか母を説得してお風呂に入ってもらっていましたが、年齢的なことに加えて、心臓の病気や糖尿病によって疲れやすかったり、動悸息切れが酷くなったりすることが徐々に増えていたこともあって、年を追うごとにお風呂にはいることを避けるようになった母。
どうしても入ってくれないときは、身体を拭くようにさせたり、私がドライシャンプーで頭を拭いてあげたりしていました。

母がお風呂に入ってくれない理由は、他にもありました。
それは「風呂が狭い」から(苦笑)
マンションなので仕方のないことなのですが、認知症が少し進みだしたな、と感じ始めた2年前くらい(新型ウイルスが流行し始めた頃くらい)から、大きなお風呂(温泉やスーパー銭湯のこと)に行きたがるようになり、毎回「あなたは心臓が悪いからダメ」と、連れて行くのを拒否していました。
実際、2年くらい前から具合が悪くなる日が増えていたので、公共のお風呂へ連れて行くのは怖かったのもあります。
また、何度か温泉や大浴場があるところへの旅行を計画したのですが、結局直前になって母の体調が崩れたり、救急搬送する事態になったりして、結局行けなかったので、それもあって大きなお風呂には連れていけないと思っていました。

皮肉なのは、認知症が酷くなったあとに入院して院内で意識不明になるまでの間に、何度か病院のお風呂に入れてもらっていたので、それだけはよかったかな、と思っています。
しかしながら、すでに意識を失って寝たきり状態になってから、間もなく3ヶ月が経ちます。
その間、もちろんお風呂は入れていませんし、もう入ることもできません。
食べることも、お風呂に入ることもできない母を思うと、食べることにしろ、お風呂にしろ、娯楽にしろ、できるのであれば「やらない理由」や「できない理由」よりも、どうやったらできるかを考えた方が後悔せずに済むのかな、と思います。
実際、できなくてもいいのです。
ただ、やらない、できないを考えるのではなく、やることを考える。
それだけで、多分モチベーションが上がっていくのだと思うのですよね。
私は、結局母を旅行へ連れて行ってあげられなかったのですが、計画を立てている間はお互いウキウキした楽しい気持ちを持てたと思うので、それだけでも十分楽しめたのかな、と感じています。

とはいえ、お風呂に入ってくれない家族がいると、いろいろ大変ではあります(臭いとか服の汚れとか)
解決策は、私もいまだに思い付きませんが、ひとつアドバイスができるとしたら

開き直るしかない

ってことかな(苦笑)

親の言葉は子が受け継ぐ(にしおかすみこさんの連載最新記事を読んで)

2022-04-21 | 介護
本日の朝食


本日の昼食


朝食は、いつもと変わらずグルテンフリーのバナナブレッド。
でも、明日でグルテンフリーシリーズが終わります(食べ切ったから)
次の注文は、母のこともあるのでしばらくお預けです。
冷凍便になるので、母の容態が急変して私が駆け付けた際に荷物が届くと配送会社も私も困るので、冷凍便のネット注文はしばらくできません。
月に最低でも2度購入していた全粒粉のパンのセットも冷凍便なので、当分は実店舗に買いに行くことになりますが、週に2回しか営業していないので、買いそびれることが多いです(苦笑)

昼は、昨日購入したピーマンとKALDIの台湾料理(炒め物)の素を使った丼ものを作りました。
肉を入れたかったのですが、冷凍から揚げと冷凍ハンバーグと冷凍ウインナーソーセージしかないので、から揚げを一緒に炒めました。
とても美味しくいただきました。
やはり、凝った味付けは「出来上がっているもの」が一番美味しいかも(笑)

さて、毎月楽しみにしている、にしおかすみこさんの連載記事が更新されていました。

にしおかすみこが認知症の母に5時半に起こされて聞いた「大事な話」(にしおか すみこ)

「母、80歳、認知症。姉、47歳、ダウン症。父、81歳、酔っ払い。ついでに私は元SMの一発屋の女芸人。46歳。独身、行き遅れ。全員ポンコツである」こんな書き出しで連載「ポ...

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内容は、本記事を読んでいただければと思いますが、今回も笑いどころの多い記事でした(笑)

思ったのですが、にしおかさんの言葉の豊かさ、面白さ、秀逸な例え、伝え方の巧さなどは、にしおかさんのお母様から受け継いでおられるようです。
にしおかさんのお母様は、現在認知症ですが、もともと言葉や会話の内容が豊かな方だったのでしょう、ご家族からしたら「何を言い出しているのか」と感じておられるのかもしれませんが、第3者(赤の他人)の読者である私は「こんなに面白い話する?本当に認知症?」と感じてしまいました。

私の母もそうですが、認知症状が出ると突拍子もないことを言い始めることがあります。
しかし、それは決して面白いだけの内容ではありません。
時には面白いのですが(面白がって何度も質問したり、話を合わせたりしたこともあります)母はもともと、上手に話をまとめられない人なので、認知症になってもそのあたりは変わりません(今はもう話もできなくなってしまいましたが)
幻覚や妄想の会話をしていても、結局思考で捉えている事象について話をしたり説明をしたりするのは本人なので、そのあたりは「内容」が「少し変」なだけで話の伝え方やまとめ方は、認知症になる前と変わらないのですよね。

そういう視点で考えると、にしおかさんのお母様はとても言葉の豊かな方だったのだろうと感じます。
その豊かな言葉、表現を間近で見て聞いて感じて成長してきたにしおかさんが、言葉やエピソードを使った仕事をしておられるのは、なんとなく自然な流れだったのかな、と勝手に感じています(笑)
そういえば、にしおかさんのお姉さんも、言葉が豊かな方だな、と思います。
ダウン症だとのことで、おそらくコミュニケーション面で困難なこともおありだと思うのですが、たまににしおかさんの記事に登場するお姉さんの言葉に思わず笑ってしまうのは、にしおかさんの文章の巧さだけではないと思うのです。
言葉や話を魅力的に伝えることができるのは、このご家族の眼に見えない宝なのでしょうね。
素敵なことだな、と思います。

にしおかさんも、今は大変な思いをされているでしょうし、これからもっと大変になる可能性もあります。
いつ終わるかわからない介護で、くじけてしまいそうになることもきっとおありだと思うのですが、私はにしおかさんの記事にいつも励まされて、和ませてもらっていて、毎月更新されるのが楽しみです。
そして、一日でも多く、ご家族が和やかに過ごせる日がありますように、と思います。
それは、にしおかさんに限らず、介護や介助を必要とする家族と暮らしているすべての方々が、そうであってほしいです。

私ですか?
私は現在、家では1人なので、のびのびと好き勝手にさせてもらっていますよ(笑)

とりあえず地域包括支援センターをおススメします

2022-03-20 | 介護
本日の朝食

 ・ぼた餅
 ・みそ汁(あおさのり、フライドオニオン)
 ・コールスローサラダ(ビンのマヨネーズ使い切りバージョン(笑))
 ・いちご

本日の昼食

 ・具沢山のミルクスープ(ブロッコリー、ウインナーソーセージ、玉ねぎ、にんじん、たまご、キャベツ)
 ・おにぎり

昨日、おはぎを買ってきた話をしましたが正確には「ぼた餅」です(ただし店の方針で「ぼた餅」という名で1年中売られている商品ではありますけれど)
朝からぼた餅......キツイです(苦笑)
まあ、嫌いなのでいつ食べてもキツイのですが、空腹が限界のときに食べるのが一番いいかな、という判断で朝食にしたけれど、やはりキツイですね。
あと1個残っていますが、冷凍してあります。
数日経ってから、残りは食べます。

さて、にしおかすみこさんの連載が更新されていましたので、ご紹介します。
OGPイメージ

にしおかすみこが認知症の母のことで「地域包括支援センター」を検索した日の大事件(にしおか すみこ)

にしおかすみこさん連載「ポンコツ一家」が始まったのは2021年9月20日のこと。2020年コロナ禍に実家に帰った時、今までとは違う家の様子と...

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今回は、地域包括支援センターにはじめて連絡を入れた際のお話でした。
詳しい内容は、記事をご覧ください。

私自身が「地域包括支援センター」の名を初めて聞いたのは、確か父が入院した際に後遺症の麻痺が残るので、介護保険の申請と共に、何かわからないことがあったら退院後はそこに相談をすると適したサービスを紹介してくれます、というお話をソーシャルワーカーから教えていただいたときです。
結局、父は麻痺は残ったものの日常生活自体は自分ですべてできたので(一応障がい者手帳は所持していましたが)介護保険も使わず、何かしらの支援も受けずに過ごし、地域包括支援センターには連絡することはありませんでした。

母に対して「これはもう、認知症だろう」と感じるようになってからは、実は常に地域包括支援センターにいつ相談しようか考えていましたが、昨年12月に入院するまでは認知症状も本当にミリ単位での進行という感じで、介護保険の申請をしたとしても、要支援が受けられるか受けられないかのギリギリのラインだったので(厚生労働省や自治体のサイトで基準と照らし合わせて自己判断しました)連絡はしていませんでした。

私が初めて地域包括支援センターに連絡したのは、母が入院先を転院し、転院先から一晩で追い出された後、自宅で介護の準備をしつつ母の世話をしていた時です(強制退院から3日後くらいでしたでしょうか)
あまりにも、認知症状が一気に進んでいたことと、素人目に見ても母の健康状態がよろしくない(そもそもの入院した疾患について、まだ入院しながらの治療が必要だったという意味)ということがあったことと、母が床に座り込んで立てなくなってしまったことで、何か少しでもアドバイスになる情報をいただきたくて、連絡をしました。

その際、緊急性を感じてくださった職員の方が、ケアマネージャーを探してくださって、相談した当日に我が家へ訪問してくださいました。
私の場合、本当に入院前と退院後の母の状態があまりにも違い過ぎたので、すべてが後手後手になりましたが、そういった状況でも地域包括支援センターの方は迅速に対応してくださいます。
逆に、まだ余裕がある状態のときに相談をすれば、今すべきことや今後考えておくべきことなど、要介護も要支援も認定されていない状況でも、健康状態に不安がありなおかつ生活に支障が出ている状態であれば、受けられそうなサービスを紹介してくれたり、具体的な相談に乗ってくれるところを教えてくれたりもしますので、生活保護を申請するには条件面などでハードルが高く感じられても、地域包括支援センターへの相談であれば、何かアイデアを出してくれる可能性が高いです。

何が言いたいのかというと、誰にどういった相談をしていいのかわからない、だけど何かしらのアドバイスや助けになるサービスが必要という人は、是非地域包括支援センターに連絡をしてみてください。
地域によって対応が多少違うかもしれませんが、もし自分が求めている答えと違っても、相談するだけなら無料ですので(電話代などはかかりますが......)まずは、連絡をとってみてください。

ひとつだけ、私がはっきり言えることは

相談に真摯に応じてくださいます

ということです。
相談内容について、門前払いをしたり、くだらないと笑ったり呆れたりするような態度はないので、相談だけでもしてみてほしいです。

しかしながら、そもそもまず電話したり訪問したりすることそのものがシンドイのだ、という方もいらっしゃるかもしれませんので、まずはご自身が落ち着いて相談できる気持ちになったときに、最初に連絡をしてみてください。
私としては、離れて暮らす家族や親せき、友人などに相談する前に、地域包括支援センターへ連絡することがbetterだと感じています。
身近な人にまず相談、という気持ちはわかりますが、身近にいる方はその方の知っていることしかアドバイスしてくださいません。
しかし、地域包括支援センターの方はいろいろなサービスや公共の支援についてご存じですし、資料やデータもお持ちなので、身近な人と違ってスペシャリストに相当しますから、相談して無駄足になることはないと思います。

もし、家族や自身の介護のことや支援について、少しでも悩みや生活を危惧する部分があれば、まずは地域包括支援センターに頼ってみてくださいね。

介護保険証が届きましたが......

2022-03-15 | 介護
本日の朝食

 ・いちごとカスタードクリームの全粒粉パン
 ・紅茶
 ・みそ汁(わかめ、フライドオニオン)

本日の昼食

 ・ハンバーグ
 ・ウインナーソーセージ
 ・目玉焼き
 ・キャベツ
 ・ブロッコリー
 ・ふりかけごはん(たらこ)
 ・みそ汁(わかめ)

本日の夕食

 ・謎のサラダ(キャベツ、にんじん、オートミール、えび、えだまめ、フライドオニオン、かつお節、とろろ昆布)
 ・みそ汁(わかめ、あげ)

朝食と昼食は、見た目そのままのメニューですが、夕食(笑)
謎のサラダは、お湯でふやかしたオートミールとその他の具材をマヨネーズとマスタード(塩胡椒も少々)で和えた、適当過ぎるサラダです(苦笑)
作り終えて、なんとなくとろろ昆布とかつお節もトッピングしたくなり、見た目は完全に「お好み焼き」(笑)
味は美味しく出来ましたが、人様には絶対に振る舞うことができない料理ですね。

さて、申請していた介護保険証がようやく届きました。
要介護度3が認定されましたが、現在の母の状況を考えると、最悪寝たきりになる可能性が出てきているので、再審査を申請しなくてはいけないと思います。
今後の母の病状次第にはなりますが、施設を探すにしろ自宅介護になるにしろ、受けるサービス内容が要介護3の場合と、4と5の場合では明らかに違ってきますから、介護についてはゼロから検討する必要も出てくるでしょう。
その場合、今の病院に入院している間に再審査する機会があるかどうか、という点が気になるところです。
母の容態が現状維持で眠ったままですと、回復するタイミングによっては入院期間の限度がギリギリになりかねません。
転院できるのであれば、そうしたいところですが、もし退院となってどこか施設にということになる前に、再審査で入所できる施設の種類に目途を立てておきたいです。

母がもう少し健康的であれば、このような悩みもせずに済んだのに、と思いながら、最近は私自身が病気にならないように頑張らないといけないな、とも考えるようになりました。
それは、母を支えるためにとのことではなく、私自身が高齢者になったときにお世話になる介護サービスや施設選びをスムーズにするためには、できる健康維持はしておかなければいけない、という気持ちからです。
今は、食事などに気を遣うことが精一杯ですが、精神面や体力面で少しでもストレスのない生活をしていかねば、とつくづく思います。
そのために、またゆるい筋トレと散歩は復活しておこうと思い、昨日からまた筋トレ始めました(笑)
明日からは、散歩もしっかりと毎日のルーティンに入れたいですね。

紹介してくれる施設多すぎ問題(Short Diary)

2022-02-28 | 介護
本日のブランチ

 ・目玉焼き
 ・ブロッコリー
 ・オリーブとバジルの全粒粉パン
 ・ピスタチオクリーム
 ・野菜ジュース

本日の夕食

 ・白ごはん
 ・鶏むね肉ときんかんの蒸し煮
 ・ブロッコリー
 ・お茶

起床した時、10時過ぎてました(苦笑)
というわけで、本日は2食しか食べていません。
不健康......

WEBの介護施設検索サイトに登録した後、資料請求を断られ、代わりにサイト側が紹介する施設の資料をランダムに請求されたり見学予約を入れたりされた話を綴りましたが、本日もポストに資料が入っていました。
ついでに、今朝はメールに「施設から断られた」という主旨のお詫びメールが届きました。

いやいや、資料請求だけならいいのだけども、見学を勝手に入れるのは本当にやめて!(苦笑)
こっちにも都合があるし、行きたくない日だってあるんだから!
ほんの数件かと思いきや、一体どれだけの施設に資料請求や見学予約を入れてるの!?
せめて、今これだけの施設に連絡取りました、みたいな連絡くれよ......

あまりにも先方が自由過ぎるので、もう資料請求も見学予約も自分でするから今後は何もしないで、という内容のメールを返信しました(苦笑)
施設の検索サイトを利用して資料請求をする場合は、くれぐれもお気をつけてくださいね!

資料一括請求できるサイトは面倒くさい(介護施設比較サイト)

2022-02-25 | 介護
本日の3食



今朝は、NHKの朝ドラ(配信)を見ながら、全粒粉のパン(クリームチーズとオレンジピール入り)といつもの目玉焼きと牛乳をいただきました。
昼食、夕食共にあまり手をかけたくなかったので、昼は冷凍のエビグラタン、冷凍ビーフパイ、千切りキャベツにあげとかつお節を入れてマヨネーズとマスタードで和えたサラダ、そしてまたまた牛乳を(笑)
夜はレトルトのカレーに、申し訳程度に冷凍ブロッコリーをレンチンしたモノを添えました(苦笑)

さて、明日は成り行きで決まってしまった、有料老人介護施設を見学してくる予定です。
これ、決まるまでの流れがちょっと不本意で、今の今まで予定をキャンセルしようかどうか迷っていましたが、母を入所させる候補には入れなくとも、雰囲気だけでも直接見に行ってみようと思い、とりあえず行くことにしました。

不本意な流れというのはですね、実はネットで介護関連施設の資料を一括請求できるサイトで、1件だけ資料請求したのが始まりでした。
資料請求の手続きをWEBで済ませた翌日、東京から電話がかかってきました。
いつもなら、知らない番号で遠方からの場合は出ないのですが、今回たまたま出てしまいまして(笑)電話の相手は介護施設の資料請求をしたサイトの運営事務局のようなところからでした。
正直びっくりしたのですが、電話してきた理由は、私の母の状態だと請求した施設は合わないと思われるので、違う施設をご紹介したい......というものでした。
私としては、合う合わないを確認したくて資料請求したのですが、資料が届く前に拒否されるとは思いも寄りませんでしたよ(苦笑)

結局、私が資料を取り寄せたかった施設の資料はいったん白紙になり、電話の相手は違う施設を幾つか見当を付けて、ご紹介したいというので、まあそれでもいいか、とお願いしましたら、2件くらい施設見学の予約を入れておきますというではありませんか。
え~っと、新型ウイルス感染リスクのこともあるし、とりあえず見学じゃなくて資料だけ欲しいのだけど......とは言い出せず、あぁ......はぁ......と曖昧な返事をしているうちに、結局向こうが見当をつけた施設の見学予約を入れてもらうことになってしまいました。

その日のうちに、1件見学が決まったとショートメールが届き、それが明日行く施設です。
また、その翌日にもう1件見学予約をしたとの連絡が届くのですが、調べてみたところ母には合わないような気がしたので(あくまで直感ですが)、そちらの施設には早々に見学キャンセルの電話を入れました。
ただ、キャンセルした施設の方はとても親切に丁寧に、電話越しではありますが施設選びについてのアドバイスをくださいまして、その点はよかったかなと思いました。

話が少し戻りますが、今のご時世、正直見学は積極的にしたくはないのが本音です。
しかも、まだ母は介護保険の審査中なので、具体的に話を進める前にいろいろと調べておきたいから資料請求をしたわけですが、そういう事情を考慮しない感じから、資料の一括請求ができるサイトなどはたくさん施設を紹介してなんぼ、みたいなところがあるのだろうなあ、と今回のことで悟りました(苦笑)
もしかしたら、紹介ノルマとかあるのかな?
とにかく、施設見学は現状望んではいないので、資料だけ集めさせてよ、と思いましたね。
ちなみに、本日になってまた別の施設の資料が2件分届きましたが、どちらも遠いし資料に目を通してもピンとこなかったので、そっと古紙回収用の袋に入れてしまいました(苦笑)

ということで、明日は受付までは一応行くとして、パンフレットを貰ったら中は見学せずに帰ろうと思っています。
私も先方も、お互い初めて会う(あるいは足を踏み入れる)わけですから、感染リスクはそれだけで高まると思いますし、ましてや最近になって増えてきたようですが、高齢者施設で感染者が待機状態になっていて、中には亡くなった方もいるとのことですから、滅多なことでは知らない人に施設内に入ってきてほしくはないはずですからね。

今回のことは、大変勉強になりました。
ただ、全部が面倒くさいということでもないと思います。
施設を探すのに、何から手を付けていいのかわからないという方は、まずはそういった比較サイトのようなところで、どこにどれくらいの数の施設があるのか、を把握するだけでもかなり役立つ情報になり得ると思います。
その際、気を付けてほしいのは、ただひとつ、

見学予約は自分でしましょう

なんかね、人が選んで予約を入れたということが、なんとなく自分の意向をくみ取ってもらえてないような気がして、どうしてもモヤモヤしてしまうのですよね。
実際、今もモヤモヤしながら明日の見学をしようとしていますからね。
まあ、行けばそれなりに情報を得ることはできると思いますが、やはり今は施設内の見学はしたくないという思いも強いので、見学は辞退しつつパンフレットだけくださいと、勇気を出して言おうと思います(笑)

にしおかすみこさんの連載(最新がUPされています)に頷くばかり

2022-02-22 | 介護
本日の朝食

 ・Wハムチーズトースト
 ・牛乳

本日のcoffee break


本日の夕食

 ・キャベツ、玉ねぎ、ハム炒め
 ・グルテンフリーグラノーラ(いちごとバナナトッピング)

昨日、おつとめ品になっていた無塩せきハムを購入したところ本日が賞味期限だったので、朝食と夕食はハム消費メニューでした(笑)
朝は、洗い物が面倒くさいので、食器を使わずトーストする際に使ったアルミホイルをそのまま皿として使って、牛乳も
紙コップです(笑)
夕食で食べたグラノーラは、販売元であるショップ店主のおすすめの食べ方を試したくて、しかし朝用意するには私が覚醒していない状態なので、用意が面倒くさいため、夕食で試すことに(笑)
店主おすすめの食べ方だけあって、本当に美味しかったです。

coffee breakは、豆を挽いたコーヒーで。
インスタントも飲むのですが、現在切らしているので、毎日豆を挽いて飲んでいます。
カリタのコーヒーミルは、かなり前に百貨店で購入した現品限りの割引商品でした。
現品限りの割引商品というよりは、訳アリ商品と言った方が正しいのですが、おそらく展示品をお客様かもしくは店員がディスプレイしている商品を落としたのでしょうね、底の角が1ヶ所潰れているのです(笑)
豆を挽く分には問題がないし、自分の家で使うのですから、別に潰れていてもそれも味かな、と購入しました。
ドリッパーは、100円ショップのキャンプ用具コーナーにあった商品で、平らに潰してコンパクトに収納することが可能ですが、家で使う場合はいちいち平らにしないので、これを使っている意味はあまりないかなあ、と思っています(笑)
フィルターもセットし難いので、紙フィルターを使わないで済むドリッパーの購入を検討中です。

では、本日の本題を(笑)

にしおかすみこさんの連載が更新されていました。
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にしおかすみこ「認知症の母の通院」自転車をやめて徒歩で行った理由(にしおか すみこ)

久々に帰った実家が荒れ果てて、母親も変わっていたらどうするか。にしおかさんがコロナ禍の影響で実家に帰った時、そこで目にしたのは足元がジャリジ...

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今回の記事を読んでいて、そうなんですよ!と思わず声に出してしまった一文がありました。

「認知症とはどうしてなるのか、どうやって進行するのか。科学で分かっていることもあれば、わからないことも本当に多い。
特に認知症になった本人と近くにいる家族は、その「わからない」に翻弄されてしまうのではないか。」(にしおかさんの記事の担当者の方の文章を引用)

認知症とひとことで言っても、発症の瞬間がはっきりしているわけではなく、進行速度も人それぞれ。
私の母の場合、認知症だろうという言動はあったものの、私と一緒に住んでいることで特に生活に支障が出ていることはありませんでしたが、昨年12月の長期入院(約40日)によって一気に加速しました。
それまでは、おそらく認知症の始まりなのかな、と思ったのは、やたらとあちこちの棚の扉や引き出し、そして冷蔵庫を意味も目的もなく開けては閉める、という行為でした。
私が、埃が入るからやめて、冷蔵庫が冷えないからやめて、と何度もお願いしましたが、やめてはくれず。
今思えば、どこに何があるのかを覚えていられない、もしくは探したいモノが何なのかわからずに手あたり次第開けてみている、という焦りなども行動の一因になっていたのでしょうね。
振り返れば、そういうことだったのかな、と思いつくのですが、当時はどうしてあちこち開けて回るのかが、理解できませんでした。

今回、一気に認知症状が進んだ母は、徘徊や幻覚、妄想が始まり、せん妄も酷くなってきましたが、何故かあちこち開けて回るという行動は、一切しなくなりました。
認知症状が進んだことで、どこに何があるのか、ということに興味がなくなった、あるいはそういう思考にも認知症状が影響したのだと思っています。

認知症状のひとつとして、昔のことを鮮明に思い出すけれど、つい最近のことや直前のことは忘れてしまっているということがありますが、母は退院してから再入院するまでの間、びっくりするほど「子ども返り」をする時間が多くありました。
そういうときは、決まって自分の姉(私の伯母で故人です)か自分の母親(私の祖母)を呼んでは、何かしらの要求というか我儘を言って泣き叫んだり、たまにウソ泣きもしていました(笑)
その時に、私が思ったのは

「この人、子どもの頃にこうやってウソ泣きして同情を買っていたのかしら?」

でした(苦笑)
母は、私の知る限り姉である伯母とは、そこまで仲良くはなかったのですが、もしかしたらそれは幼少の頃に姉が自分を構ってくれなかったという気持ちから、疎遠にしていたのかもしれませんね。
本当は、伯母に優しく接してほしかったのかもしれません。

認知症状が進む前は、やたらと私の父のことを思い出しては「いい人だった」と繰り返していました。
父は、母に対して少し亭主関白なところもありましたが、実際は母のことを気遣う場面も多かったですし、母はいろいろな部分で父を頼り切っていましたので、夫婦としてはwin winの関係だったのだろうと思います。
しかし、認知症状が一気に進んだ後は、父がすでにいないことを忘れてしまっていたり、そもそも自分が結婚して子どももいるということすら忘れてしまっている時間も増えました。
たまに、助けを求めたいときに「お父さん」と叫ぶのですが、それが私の父のことなのか、祖父のことなのかが全くわかりません(苦笑)
そういうときは、仕方がないので「あなたのお父さん?それともあなたの旦那のこと?」と聞くことにしています(笑)
母の中で未婚時代の設定になっているときは、旦那というキーワードにきょとんとして、結構面白かったです。

こんな風に、おもしろがっていられるときはいいのですが、さすがに一晩中家の中を徘徊した上に、それが数日続いたときは、私も睡眠不足で笑っていられなくなりました。
そして、こちらがイライラしたり憔悴しきっている状態を見計らったように、一番ひどい状態の認知症状になってしまうのは、一体何なのでしょうねえ?(苦笑)
そういう部分でも、本当に認知症というのは「わからないこと」が盛りだくさんなのですよね。

母が子ども返りをした際に呼んでいた姉(私の伯母)も、晩年は認知症でした。
その時のことをいとこに聞いたのですが、まだ自力歩行ができていたときには、病院から抜け出してしまったということもあったそうです。
また、母と同じように子ども返りをすることや、大きな声で叫んだりすることもあったそうです。
こういった行動は、認知症の特徴的な行動のようですが、なぜそうしてしまうのか、という部分は、おそらく人それぞれ違うのだろうと思います。
私の母も、再入院する前日に家から出て行ってしまいましたが、マンションのエントランスで立ち往生していたらしいので(自分がどこに行きたいのか、何がしたいのかがわからず、エントランスで立ち止まっていた)病院を抜け出した伯母とは、外出した目的が違っていたのだろうと思います。
母が外に出た理由は、もともと認知症状が進む前は、リフレッシュするために外廊下に出て往復したり、外を眺めるのが好きだったので、その習慣がまだ身に沁みついていたのでしょうね。

今となっては、その時その時の行動に理由や目的があったのだろうな、と思うのですが、こちらが冷静な判断や分析をできない状態のときには、ただただ母の行動が理解できない、どうにかしてやめさせたい(放置すると危険な場合は特に)という気持ちばかりが先行してしまうので、認知症の家族を介護するのはかなり大変だと感じます。

もしも、認知症がない状態で他のことが原因で介護をすることになっていたら、今とは全く違った状況だったのではないかと思います。
意思疎通ができるかできないかで、介護する側の心的ストレスは変わってくる気がします。
そういえば、父は何度か1ヶ月以上の入院を経験しましたが、認知症状が出ることはありませんでしたね。
年齢なりに物忘れすることはたまにありましたが、それ以外は本当に何も変わりませんでした。
それも、母に対する父なりの気遣い(認知症で苦労をかけたくないという気遣い)だったのかな、と勝手に解釈しています。

認知症は、まだまだ分からないことの方が多いのかもしれません。
予防方法はいくつもありますが、それをしていれば認知症にならないということでもありませんから、難しいところです。
ただ、介護する側からしたら、もっとデータがあったらもう少しなんとかできそうな気もします。
そういう気持ちからも、なんとなく母の言動や行動をブログに綴っていくことには、少しは意味があるのかな、と感じています。
私の応対が正しいか間違っているか、もっとこうしたらいいのではないか、と誰かが感じてくれるだけでもいいと思うので、これからも母のことは機会があればたくさん綴っていって、誰かと共有出来たらいいな、と思います。

動画のススメ

2022-02-13 | 介護
本日の昼食

 ・クルミパン
 ・冷凍エビグラタン
 ・野菜ジュース(幼児用)
 ・ブロッコリー
 ・アールグレイ紅茶

母に食べてもらおうと購入した、エビグラタンと野菜ジュースをランチにしました。
母は、今頃きちんと病院食を食べているだろうか、と毎日心配しています(偏食家の母なので、そこが一番心配なのです)

さて、約10日弱でしたが、認知症が一気に進んでしまった母を介護してきて、いろいろなことを考えたり思ったり、経験したりしました。
例えば、高齢の親の介護や元気でいても一人暮らしなどをしていて心配だという時には、まずは地域包括支援センターに相談してみること。
緊急ではない場合は、今後の選択肢を教えてくれたり、現状に即したアドバイスやサービスの情報を提供してくれたりしますし、私のように何の準備もないまま介護を始めなくてはいけない状況になった際には、手続き上時間がかかることでも、早めに取り組むことができるように、ご尽力くださいます。
また、介護保険申請が完了していて、すでに介護保険を適用できる場合は、ケアマネージャーの方に相談をすれば、その時々に適した介護サービスなどを紹介してくれたり、緊急の場合には介護用品の手配なども手伝っていただけます。
こうしたことは、結果として民間や公的機関が運営するサービスや支援と私をスムーズにつなげてくださったわけなので、とても感謝していますし、今後も母が入院療養を終えた後にも、さらにご協力とご支援をお願いすることになります。

しかし、そういった支援やサービスとは別に、今回私が親を持つすべての人に「可能であればしてほしい」と思うことがあります。
それが、

親を動画で撮影してあげること

私の母は、もともとカメラ嫌いというか写真や動画に自分の姿を納めることを嫌うタイプの人でしたから、ここ十数年は1枚も写真を撮っていませんし、もちろん動画も撮影していません。
最後にスナップ写真を撮ったのが、今から20年ぐらい前だったと思います。
父と母と3人で雲仙に旅行した際に、記念に有田焼に写真を焼き付けてくれるサービスで撮影したのが最後でした。
当時は、携帯電話はありましたが私が使っていた携帯電話は動画撮影ができないタイプだったので、写真しか撮れませんでしたが、もしあの頃から動画を日常的に撮れる環境があったら、楽しい思い出として残せたかもしれませんね。

そんなカメラ嫌いの母ですが、先日役所の方が介護保険の調査に来られた時、食事の様子を聞かれたらうまく答えられない気がしたので、母が昼食を摂る姿を数分間撮影しました。
結果として、この数分間が母を撮影した最初の動画で、もしかしたら最後になってしまうかもしれません。
ただ、この動画は母の動作を中心に撮影したため、母の顔が映っているのはほんの少し。
後になって見返したときに、顔が映るように撮影してあげればよかったと、後悔しました。

もしも、親と会う機会があるのなら、ぜひ今からでも遅くはないので時間があるときに動画を撮影してください。
子どもがいる家庭だと、常に子どもを動画撮影したり画像を撮ったりしていると思いますが、親となるとなかなか撮影する機会もないし、機会があったとしても「よし、親をメインに動画を撮ろう」と考える人は、多くはない気がします。
しかし、私のようにある日突然親が入院して、長期間会うこともままならない環境で認知症が進んでしまうと、別人のようになってしまい、気持ちに受けるダメージは想像以上です(それでも、いずれは認知症になるだろうということは予想していたので、私の場合は覚悟できていたと思います)

ほんの数分間だけ撮影した母の動画を見返しながら、認知症が酷くなって帰宅した母の姿を思い返すと、少しでも元気でいた頃の認知症になっていない頃の母の姿を残しておいたら、私の気持ちは少し救われたのではないかと感じています。
もしかしたら、逆に辛くなってしまうこともあるのかもしれませんが、少なくとも私はもっと母の写真や動画を撮っておきたかったと、強く感じました。
それに何の意味があるのかなんて、私には説明できません。
ただ「今」の親の姿を、少しずつでも残しておいた方が、子どもとしての気持ちが救われるような、そんな気がしています。

私の親の世代は、カメラも結構高級品だった時代に親になっているので、父は質流れの中古カメラを購入して、私の兄や私を写真に撮ってくれました。
父と母にとっては、そうやって残した子どもの姿を見返すのは、幸せで楽しい時間となっていたと思いますし、現在子育て中の方々もそうだと思います。
では、大人になって子どもが親の写真を見返す時、何を思っているのかと言えば、自分の知らない親の顔、知っている親の顔、楽しそうに幸せそうに笑っている親の顔を、幸せな気持ちで見ているのですよね。
そして、そこには幸せと同時に安心感や親に大事に育ててもらった思いを感じ、自分の子どもの写真を見返すのとは違う感情が存在していると思います(私には子どもがいませんが、きっとそうだと思います)

でも、親の写真って子どもの写真よりも圧倒的に少ないことに気が付きます。
環境や職業などで違いがあるかもしれませんが、撮影機器の進化はめまぐるしくて、今はだれでも気軽にスマホで動画や画像を撮影できる時代ですから、子どもや友達の画像はおそらく何万枚にもなっていますよね?(笑)
でも、そんな気軽に簡単に撮影できるのに、親がメインに映っている動画や画像って少なくないですか?
それでも、ほんの少しでも動画や画像が残っていればいいですが、私のように母がカメラ嫌いであると、今回のように何もメモリーに残っていないという状況になり、寂しいという気持ちよりも、親が私の姿を残してくれたように、私も親の姿を残してあげたかった、という気持ちになりました。

動画に残したからと言って、それが何の意味があるのかはわかりませんし、もしかしたら必要ないのかもしれませんが、少なくとも私は母との時間を思い出せる動画を、きちんと撮っておくべきだったと後悔しました。
もし、これまでの親子関係を振り返って、動画や画像に親がほとんど残っていないという人がいたら、今から少しずつ撮影することをおススメします。
意味や理由なんていりません。
ただ、撮ってください。
撮って後悔することは、絶対にないはずです。
撮らないでいると、後悔します。
だから、今親と過ごしている人がいたら、すぐにでも動画の撮影ボタンを押してほしいです。
そうすることで、きっと自分自身が救われる日が来ると思います。

想像を超えていた認知症の進行度、そして母を再入院させました。

2022-02-11 | 介護
昨日は、これまでに重なってきたいろいろな出来事と母の入院の準備で疲れ切ってしまい、更新ができませんでした。
結果として、母は精神科と内科の治療をしていただける病院へ入院することとなりました。
その経緯も含め、ここのところの母の認知症状について綴ります。

強制退院させられた日
12月下旬から1月いっぱいまで入院していた病院での治療(心不全による肺水腫)がほぼ終わり、あとは日常生活を送れるようになるまでの身体機能の回復を目的としたリハビリをしながら、入院のきっかけとなった心不全による肺水腫の状態も経過観察も行うために、転院をすることになったのが2月1日でした。

ところが、転院先の病院で母の認知症状による深夜の行動(大声を上げるなど)が手に負えないと、転院したその夜深夜0時過ぎた頃に、電話がありたまたま深夜勤務をしていた主治医が退院を示唆しました。
その数時間後の早朝、再度主治医から電話がかかってきて、今度は完全に退院を迫ってくるようなことを私に言うので、私ももともとそりが合わないと感じていた主治医に対して「退院でいいです、退院させてください」と啖呵を切ってしまいました。
しかし、母の容態から言うとその時点での退院→自宅療養は、実はあり得ないことでもあったようだと感じたのは、その後しばらくして病院を再受診したときでした。

強制退院をさせられた日、強制退院させられた病院から、他の病院へ転院するなり受診するなりするなら紹介状を書くが、もといた病院への紹介状でいいか、といわれ、一度引き受けた患者を差し戻すような感覚で言うので、それもきっぱりお断りし、別の循環器科がある病院への紹介状を書くように言いました。
別の循環器科では、検査の結果自宅療養しても問題はなさそうだとの判断が下り、そのまま母を家へ連れ帰りました。

しかし、その夜の母は一晩中大きな声を上げて、じっと寝ていられないような状況で、横になっては起き上がり、起き上がっては横になる、という状態が続きました。
そして、私との会話は半分以上は辻褄が合わず話のキャッチボールができない、幻覚を見て話をしている、妄想している、という症状がみられました。
病院を受診している間も、そこにはないベッドに横たわろうとしたり、目の前にトウモロコシがあると言って食べようとしたり、大声を上げた瞬間も少しありました。
もう、周囲を気にして行動するということが出来ずに、大声を上げたり意味不明の行動をする母をみて、長期の入院中にここまで症状がひどくなっていたのだな、と実感しました。

実は、この日の夜の時点で、母にはまだ病院で観察してもらう必要がある体調だったわけですが、私にはそれが判るわけではなく、最後に受診した病院では数値が安定していたので、自宅でも大丈夫ではないかという判断でしたが、それは一時的に服薬で安定していただけの数値でしたので、退院してきた夜からおそらく母は徐々に心臓状態と肺水腫の状態が悪化していったのだと思います。

立つ、座るを繰り返す
翌日、前日の疲れ(強制退院後の別の病院受診)が一気に出たらしく、日中は時折トイレに起きるだけで、ずっと眠っていた母ですが、そうなるとやはり夜は眼が覚めてしまうだろうな、と思っていたら案の定でした。
この日、日中に目覚めているときに話しかけたときは、きちんとした会話が成立していた時間もあったのですが、夜になると、幻覚や妄想が強くなってきて、この日の夜は静かに横になったり座ったりすることが苦痛だったようで、何度も立ち上がる、座る、横になる、を繰り返していました。

そんな中、母をトイレに連れていくことが何度もあったのですが、その際に歩けそうにないのにどうしてもトイレへ行きたいというので、連れて行って用を足したあと、トイレから出る際に例の一瞬の意識が飛んで全身脱力する症状がでてしまい、ゆっくりと膝から崩れ落ちてしまった母。
そうなると、母は自力では立ち上がれないし、私も母を立ち上がらせることはできませんから、いろいろ手を尽くしながらたまたま母がソファに上がることができましたので、そのままソファに寝てもらったのもつかの間、今度は私が目を離した隙に、ソファから転げ落ちました。
途方に暮れ、最初は地域包括支援センターへ、次に消防署に母をどうにかソファまで運びたいという内容で相談し、心優しい消防隊員の方々が来てくださいました。

その際、消防隊の方には民生員などに相談したほうがいいとアドバイスをいただき、その前に電話した地域包括支援センターの方からは、翌日の朝に今の状況を相談するようアドバイスをいただき、最終的には地域包括支援センターからケアマネージャーを紹介していただいて、母の介護に関するいろいろなことを助けていただけることになりました。

そして新たに徘徊が始まった
ケアマネージャーの方を紹介してもらい、その時にしていただける支援をしていただいた夜、少し先が見えてきて気持ちとしては頼れるところができて、ホッとしていたのもつかの間、その日の夜に母の徘徊が始まり、一晩中家の中を歩くようになりました。
それでも、時々眠ったりもしていたので、明日も明後日もこの調子なのかな、と少し不安になりながらも、でも少しは眠ってくれるし、その間に私は少し息が抜けるからなんとかなるかな、と高を括っていたのですが、それは大きな間違いだと気が付いたのは、さらにその翌日でした。

徘徊が始まった2夜目。
深夜0時ごろから、翌日の15時過ぎ?16時過ぎ?まで、母は一睡もせずに家の中を徘徊し続け、私も途中うとうとすることはあったものの、眠れずに母に付き合わされることになってしまいました。
この時点では、ケアマネージャーの方のご尽力で介護ベッドと車椅子をトライアルでお借りすることができていたので、母に介護用のベッドを使ってもらっていたのですが、一晩中歩き続けた母は、介護用ベッドを使う時間はほとんどありませんでした(苦笑)

徘徊が始まったと同時に、母が「普段の母」に戻る時間が減っていきました。
徘徊をしている間は、母はまるで子どものようになり、我儘を言ったり自分の思い通りにならないと大声で雄たけびを上げたりするようになりました。

母が夜に徘徊を続ける中、私が気が付いたのはどうも苦しそうに息をし始めると、徘徊が始まるらしいということでした。
そして、何日目だったでしょうか、母が明け方に苦しいから救急車を呼んでほしいと言います。
ただ、私の経験上そういった場合に救急車を呼んでも、結局点滴などで状態が安定すると家に帰るだけになるので、あまり呼びたくなかったので、早朝に時間外受診をすることにしました。

はっきり言って、認知症の母を病院へ連れて行くのは大変です。
車椅子があったので、なんとか病院までは到着することができましたが、外来で行くと救急搬送された患者が優先されるため、検査や診察が後回しになります。
母は、診察前の検査までは受けられたのですが、その後医師の診察を受けられるのは2時間後だとことで、その時点で処置室で大声を出して、ベッドから降りようとし、点滴を外そうとし、とてもではないけれど母には2時間が長すぎると感じた私は、結局診察をさせずに帰宅しました。

徘徊の末の骨折か?
今から2日前、夜に徘徊していた母はしりもちをつきました。
そこにないはずの椅子に、座ろうとしたようです。
一度しりもちをついてしまえば、母は立ち上がれないし私も立ち上がらせることはできません。
私は、すでに諦めの境地だったので、とりあえず以前に椅子に座らせるところまでは成功した方法で、母を椅子に座らせました。
直後、トイレに行きたいというので、再び立ち上がらせようとした瞬間、また床に崩れ落ちる母。
もう、どうしていいのかわからない私は途方に暮れていましたが、母が足が痛い、折れている、というので(今思えば、痛みを大げさに言ったかもしれません)これは救急車を呼ぶチャンス(母を床から持ち上げられるチャンス)と思った私は、骨折の可能性を救急に伝えて、救急搬送してもらうことにしました(実際骨折していてもおかしくはないので、半々の判断ではありました)

救急搬送の結果、足も他の身体部分も骨折はなく、頭を打ったと訴える母の言葉から脳のレントゲンも撮ってもらい、異常なしで帰宅することになりました。
この時も、母は処置室で痛み止めの点滴を施されていたのですが、点滴を外せ、早く帰る、トイレへ行かせて、立ちたい、歩きたい、起きたいと、ずっと何かを大声で泣き叫ぶかのように訴え続けました。
ほんの1時間も耐えられない母。
実は、心臓と肺水腫の再発に苦しんでいたようで、少しの苦痛も我慢できない状態だったようです。

徘徊が激しくなった翌朝から
話が前後しますが、家の中を徘徊するようになったので、ケアマネージャーの方に相談をしたところ、精神科を受診してなおかつ循環器の入院治療もしてくれる病院を探したらどうか、とアドバイスをいただきました。
その言葉を受けて、いくつか候補に挙げていただいた病院の1つに連絡を入れたところ、満床のため受け入れができないと言われましたので、別の病院へ問い合わせたところ入院していた病院の主治医から紹介状を送ってもらうようにしてくれとのこと。
今回最初に入院していた病院の主治医に連絡を取って、紹介状を作成してもらい送ってもらい、その後受け入れてくださると連絡をいただきました。

この間、実は在宅診療をしてくださる病院探しも同時進行していて、母の状態が悪くなければ在宅診療でこの先介護を続けるつもりでいたのですが、徘徊が激しくなったことで事態は変わりました。
ただ、在宅診療の相談をしていた病院も、今度入院した病院も、相談窓口の方々と院内のスタッフの方々がとても親切に丁寧に対応してくださったので、最初から転院を精神科のある病院にしていただくべきだったと反省しつつも、強制退院を迫った病院とは全く違った対応をしてくださったことが、とても嬉しく思いました。

もし、認知症でありながら入院治療を必要とする病気が判明した場合、最初は専門科がある病院への入院でいいと思いますが、もしこの先転院をという話があったら、迷わず精神科がメインの病院へ転院できるように依頼したほうがいいと思います。
私と同じように、何をしていいかわからないという方は、選択肢の最初に精神科メインの病院への入院や転院を検討してみてください。
精神科というと、気持ちの上でハードルが高いですが、治療すべき病気を優先するなら少しでも精神面で安心を得られる精神科の存在は大きいと感じます。

それでも母は我が道を行く
2月9日、問い合わせていた病院から明日(2月10日)に入院が可能かとの問い合わせがあり、もちろん大丈夫だと告げて入院することが決まりました。
しかし、その日の夕方の陽が落ちる少し前、うっかり転寝から瞬間的に熟睡してしまった私は、母が玄関を開けて外に出たことに気が付きませんでした。
よほど疲れていたのだと思いますし、実際酷い寝不足でもありました。

ふと気が付くと、玄関チャイムが鳴ったような気がしました。
瞬間「しまった!寝入ってしまった!」と飛び起きて、廊下に出るとトイレの電気がついていて蓋が上がっています。
夜は、母をトイレへ連れていくために電気をつけっぱなしにしますが、トイレの蓋は必ず閉めていたので、母が1人で用を済ませたのだと気が付きましたが、次の瞬間ハッとしました。
家の中に、母の気配がありません。
寝ているから気配が薄いのだと、自分に言い聞かせながらも本心では「外に出たのでは?」と焦ります。
そしてベッドを覗くと、母はいません。
他の部屋にも母はいません。
そして、玄関に目をやると、鍵が開いてチェーンが外れていました。

全身血の気が引きました。
多分、生まれて初めてです、全身の血の気が引いたのは......
ビックリして、慌てて玄関へ向かいドアを開けると、同じマンションの方と同じ階に住んでいる方に付き添われて歩いてくる母が見えました。
薄っぺらいカットソー1枚で(家では暖房を点けているので薄着です)寒そうにしていました。
付き添って母を連れてきてくださったお二人にお礼を言いつつも、母が一体どのくらいの時間、薄着のまま外にいたのかわからない私は、早く母を家の中に入れたくて、ろくなお礼も言えずに家の中に入ってしまったと思います。
その時は、本当に気が動転してしまっていましたが、母が入院した昨日、改めてお礼を言いに伺いました。

やっと入院が決まった前日に、この騒ぎ。
昨日お礼に伺った際に聞いたのは、母がマンションエントランスにある掲示板を薄着でじっと眺めていて、様子がおかしいと感じてくださったマンションの住人の方が声をかけると、自分がなにをしているのか(何がしたいのか)わからない、というようなことを言いながら掲示板を見ていたそうです。
母は、心臓のこともあってあまり長距離を歩くことは体力的に難しいです。
ですから、もし万が一外に出て徘徊したとしても、そう遠くへ行かないうちに倒れてしまって、救急車を呼ばれるだろうなと考えていましたが、実際は掲示板にロックオンしてしまって、身動きが取れなくなってしまっていたのですね。
もしくは、マンションの入り口の自動ドアが出入口だと認識できていなかったのかもしれません(壁だと思い込んでいた可能性があります)

入院前にもうひと騒動
初めての屋外徘徊(といってもマンションの敷地内ですが)を経験した母と私。
母は、どこ吹く風といった感じで相変わらず徘徊や幻覚や妄想を繰り返します。
入院当日、病院から必要な物を教えてもらい、午前中に準備を始めますが、これがまた一筋縄では行きません。
何故なら、その朝もずっと母の徘徊が止まらないからです。
それでも、あれこれと荷物に詰める物を出すところまではなんとか1人でできましたが、それをカバンや紙袋に入れる作業が母の徘徊を制止したり見守ったりしていると、遅々として進まない。
しかも、予想以上に荷物が多い(パジャマのレンタルなどがない病院なので荷物が嵩張るのです)
これは、1人で母を連れて行くのはかなり大変だし、そもそも支度が出来ていない......とうとう、いとこにヘルプを出すことにしました(たまたま仕事を退職して暇をしていたらしいので)

いとこに来てもらって、母を見守ってもらいつつ私は入院荷物の準備を進めました。
準備が整ったまではいいのですが、今度は母を外に連れ出すという一番難しいミッションがあります。
母は、機嫌のいいときは素直に外に出てくれますし車にも乗ってくれますが、この日は微妙に機嫌悪そう。
車椅子に乗るまではよかったのですが、車に移動する際に乗りたがりません。
おそらく、眠たかったかあるいは体調が下がり始めたときだったので、動きたくなかったのではないかと思っています。
なんとかかんとか母をなだめすかして車に乗せましたが、病院に着いてから降ろすのがまた大変そうだな、と思いつつ入院先の病院へ向かいました。

ちなみに母には、薬を貰わないといけない(もうすぐなくなる)ので、病院に一緒にいくよ、と言い(かかりつけ医に行く際は、必ず言っていた言葉なので素直に聞き入れてくれるのです)病気が悪くなっていないかお泊りして調べてもらうからね、と入院という言葉は使わずに「お泊り」と言っておきました。
今の母、何を言っても聞いていないように見えても、案外こちらが言った言葉が頭に入っていて、その言葉をずっと後になってから言い出すことがあります。
例えば、今日雨が降るんだって、と言ったとしてその時は何も応答していないのに、しばらく経ってから「今日は雨なの?」という具合に反応してきます。
そんな感じだったので、あまり本人がネガティブになる言葉はうっかり言えない状況でした。

さて、そんな母が入院先の病院に到着しましたが、まず新型ウイルスに感染していないかの抗原検査を受けることになりましたが、その時点で母のご機嫌が最悪(苦笑)
病院についても、抗原検査の結果が出るまでは中に入れません。
時間にして、10分程度だったような気がしますが、母はその間大きな声を出しながら車の中で立ち上がったり、フロントガラスから外に出ようとしたりしていて、はたから見ていて少し面白かったです(お母さん、ごめんね)
ちなみに、私の車は軽のボックスカーですから、背の低い大人なら身をかがめて立ててしまうのです。
もし、普通乗用車だったら母はどうしていたのかな?(笑)

抗原検査の結果で陰性となった母は、いよいよ病院内へ入ることに。
入院前の本人聞き取りや、付き添い家族への説明などが予定されていたようですが、当然母本人は聞き取りができる状態ではないので、私と同席して私が代理で答える形になりました。
その準備(各担当ごとに説明があるので、その順番調整など)を待つ間、いとこがうっかり「あと1時間ぐらいかかるのでは?」と言った瞬間に母は「やだー!1時間も待てないー!」と(苦笑)
いとこはこっそり言ったつもりでしたが、しっかりと母の耳に入っていました(笑)

その後、帰りたい、歩きたい、立ちたい、座りたい、寝たい、という要求を繰り返す母をなだめながら、聞き取りに受け答えし、入院に関する説明と、母の現在の病状を説明してもらい、約2時間後に母は無事病棟へ入り、私(と待ってたいとこ)は病院を後にしました。

この時、医師が再度母を診察したところ、やはり母はまだ退院すべき体調ではなかったようで、また肺の水が増えていたそうです。
原因は、自宅での塩分摂取制限ができていなかったこと。
つまり、母が退院後に自宅でいつも苦しそうにしていたのは、私が用意する食事が直接の原因だったということです。
まあ、そうですよね。
食事(の作り方などの)指導も受けず、追い出されるようにして退院させられたわけですから、私もどの程度の塩分で食事を作っていいのかわかりませんし、栄養士ではないので、母が食べられるような美味しい食事をつくるのは無理というものです。
そして何より、強制退院させられた時点では、本当は自宅療養などすべきではなかった状態だったということらしいです。

今回入院した病院の循環器科の医師は、少し変わった人ではありますが、説明だけはとても詳しくしてくださって、今後どういった治療をしていくかも、丁寧に教えてくださいました。
そして、肺の状態が改善するまで精いっぱい治療に当たりますとも言ってくださいました。
強制退院させた病院の主治医とは、大違いだと思いましたよね。
今度の入院で、母の状態がどのようになるのかは見当もつきませんが、今回の入院は認知症状の治療も同時に行うので(といっても徘徊や声を出すなどは治らないそうです)私としては、最近いつも身体のあちこちが痛い、胸がくるしい、息が苦しいと言っていた母の痛みが、少しでも和らぐようになってほしいです。
病気の完治は無理だとわかっているので、せめて穏やかに過ごせる時間を取り戻させてあげたい気持ちでいます。

今後の自宅介護再開はないと思います
徘徊は治まらないとなると、もし母が退院できる体調にまで回復したとしても、私はもう母を1人で介護するのは無理です。
そう思うのは、入院前日に母がいつの間にか外に出てしまっていた一件があったからです。
私も疲れ切ってしまい、母の行動に気が付けなかったし、そのために母が寒い思いをし、もし長時間誰にも気づかれることがなく過ごしていたら、熱を出したり肺炎を起こしていた可能性だってあります。
私のうっかりした行動が母の命を脅かすくらいなら、母本人は望まないかもしれませんが(家が大好きな人なので)介護のプロフェッショナルが揃った施設等への入所がベストだろうと考えています。

入院は、1ヶ所に90日間しかできません。
私が介護保険の申請を先延ばしにしていたせいで、介護度が正式に決まるのは早くとも1か月後です。
私としては、ギリギリの90日間の入院をお願いして、その間入所できる施設を探すつもりです。
もし見つからなければ、同じく精神科メインで内科も診ていただける別の病院への転院もお願いするかもしれません。
できることなら、同時に仕事も探して入所施設の利用料を賄えるようにしたいと考えていますが、当面は母の入所先を探すことに専念するつもりです。
順調に事が運ぶことは、この先ないと思いますが、できる限りのことは手を尽くさないと、と思っています。


本日は、長々と文章を綴ってしまいました。
途中、読み飽きた方が何人もいらっしゃったかもしれませんね。
申し訳ないです。
しかし、最後まで読んでくださった方には、改めて感謝いたします。
私の綴った文章の中に、誰かの参考になるような事柄があって、ほんのちょっとした気持ちが共有できたらいいな、と思います。

今後の母の様子は、不定期にはなりますが引き続き綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

やっておいてよかった、たったひとつのこと

2022-02-09 | 介護
本日は、急に介護生活が始まった今、私が「やっておいてよかった」と思ったたったひとつのことを綴ります。

それは、

不要品を容赦なく処分したこと

私が不要品を徹底的に処分して(それでもまだ、生活する上では不要なモノは持っていますが)最終的には不要品を処分して空になった家具や収納まですべて処分し、家に備え付けの収納(クローゼット、押し入れ)でさえ余裕どころかモノが少ししか入っていない状況にまでしたのは、ただただ自分の人生の終わりに必要最小限のモノだけで過ごしたいという気持ちからでした。

最初のうちは、もっとスッキリとさせて、モノを探したり所持品のディスプレーを考えたりメンテナンスする手間を軽減して、ストレスフリーな生活をしていきたいという思いの方が強かったのですが、モノを処分していくうちに、将来もしも母を介護するときがきたら、介護しやすい環境を整えなければならないから、モノはなるべく少ない方がいいという別の思いも加わってきました。
そして、結果としてこれ(不要品の処分)だけは

やっておいて本当によかった!

と、しみじみ思っています。
中でも、使わない家具をすべて思い切って処分したのは、介護生活を始める段階で大きいポイントとなりました。

現在、トライアルで母は電動介護用ベッドとベッド用のテーブル、そして車椅子をレンタルしていますが、家具が少なくなっていたおかげで、電動ベッドの搬入、組み立て、設置にさほど頭を悩まさずに済みました(壁から離すか完全にくっつけるか、テレビを見るから向きはこっちしようか、くらいの悩み)
電動介護用ベッドは、金属でできており普通のベッドに比べて足まわりが頑丈にできていますから、総重量がかなり重たいです。
数人がかりで、組み立てや移動設置をする必要がありますから、作業がしやすい状況を作るという意味でも、家の中の家具と不要品を処分しておいたことは大きかったと感じています。
そして、何より設置後のベッド周りの整理整頓もほぼ不要だったので、次の動作や行動が、とても楽にスムーズに進みました。

もちろん、細かい修正は必要なのですが、その際も家具やモノを少なくしておいたことで、不要なわけではないけれど、介護生活をする上で移動させた方がいい家具やモノをどこに置こうか迷っているときに、一時的に置いておける何もない部屋があるというのは、私の行動と気持ちに余裕を与えてくれていると実感しています。
そして、意味のない想像かもしれませんが、もしも家具や不要品の処分をいまだにできていなかったら......と考えると、ゾッとするくらい悲惨な介護生活の始まりだったかもしれません。

同居家族や身内の介護は、ある日突然やってくるかもしれないし、徐々に迫ってきているのが判る場合もあります。
私の母の場合は、徐々に迫ってきているけれど加速度はそこまで速くないな、と感じていた矢先の急激な認知症状の悪化でしたから、ちょうど半々の気持ちや状況になりました。
徐々に迫ってきているのを感じ始めたときから、ざっくりとはしていましたが介護についての情報を以前より詳しく集めるようにはなっていたので、そういう点ではまだよかったのかもしれませんが、まさかの認知症状の急激な悪化については普通の病気とはアプローチする方向がだいぶ違いますので、結構戸惑っていますし手間取ってもいます。
認知症に関係なく、母の病気のことと年齢的なことを考えて、結構前から在宅診療の利用ができないかと考えていたので、その点については結構早く決断できて、今度一度外来で在宅診療・在宅医療をしてくれる病院を受診することが決まっていますが、認知症状の急激な悪化については、どこから手を付けるべきなのかが全くわからず、ケアマネージャーの方から入院治療をしてくれる精神科が中心の病院を探して、入院前提で受診したいと相談していきましょう、とアドバイスをいただき、現在病院を探している最中です。
そして、今週に入ってからの架電地獄(笑)
実は、家の掃除も洗濯も思い通りにはできないのですが、この辺だけ掃除機をかけよう、と思いついたときに家具や不要品がないって、本当に素晴らしいな、と実感しています(笑)

介護が始まると、家の中のこと、家事、その他雑多な作業に集中できなくなりますが(現になっていますが)思い付いたときにふと掃除機をかけることができる環境って、実はとても重要だったのですね。
だから、もしも将来自分や配偶者の親を介護するかもしれない可能性があったり、そもそも家族に万が一何かがあって、介護や介助を必要とする可能性が1ミリでもあれば、部屋や家の中に溢れかえっている不要品や家具を、思い切って処分することは検討してください。
実際できなくても、思い入れが強くて大きい家具やモノが多くても、何を優先するかをじっくり考えると、なんとなく似たような答えにたどり着くのではないでしょうか。