FRIARS'N'SNIFFERS

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

宇多田ヒカル / 桜流し

2012-12-02 21:55:00 | inoue


photo by yahoo


やっぱこの人は別格ですね。



休業中のはずの宇多田氏ですが、ヱヴァンゲリヲンは特別ということで単発リリースとなった”桜流し”。


映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」公開から3日間だけフルヴァージョンが Youtube に公開されたみたいですが、期間中の再生回数は350万回とかなり話題に。



こちらはショートヴァージョン↓








それから、この曲作りの裏側について興味深いことを Twitter でつぶやいておいでです。













映画の展開に関係なく曲を作ってほしいという庵野氏、ネタバレするのがイヤだから脚本はあまり目を通してないという宇多田氏。


天才は言うことややることが違いますね。







映画公開5日後のつぶやきをみると「まだ見てないんかいっ」って言いたくなります。



でも、この人が曲をリリースすると売れるからおもしろい。


しょうもない曲が多すぎりゃあしませんかいってことを物語ってるみたいで・・・。


CDが売れないとか言われてますが、いいものを作れば売れるってことでしょうね。






そういやあ、ヱヴァというと十数年前、旧劇場版のテーマソングをなぜか購入してループしまくってた記憶が・・・・。


原作もアニメも、この映画すら見てないのに何で買ったのか未だにわかんないんですよね。




でもいい曲です。




『The End Of Evangelion / Komm Süsser Tod』










ヱヴァQ、早く地上波で放送されろっ。





LR ベース


回想4

2012-12-02 04:59:00 | 亮一
2000年
晴れて高校1年生となった私。持病の脚の病気もあまり気にならない程度に回復していたのでサッカー部に幼なじみの高橋兄弟(twins)と入部した。ちなみにこの弟の方は後にLAST REJECTION 2代目ベーシストとして加入することになる。その話は後程。関係ないので深くは書かないが、このサッカー部、くせ者を寄せ集めたようなチームでかなり思い出深い。隣の部室に小便撒き散らすわ、喧嘩になった相手チームの選手の背中に助走付きのカンフーキックかますわ(試合中)、 スーパーの中でで惣菜食ったあとに金払うやつとか(笑) そんな環境でサッカーをしながらもよりパンクに傾倒していったのである。この頃の話をするのに欠かせないのはJOHNNY THUNDERSなのである。LAMFは何回聴いた事か。 狂ったように毎日聴いたものである。この頃楽しかったのは高橋兄弟も一緒にパンクどっぷりであったこと!三人でCDや洋服を交換しながら楽しんだのだ。イケてたかイケてなかったかは知らん。10代の純粋さは垢抜けなくとも全て眩しいのである。 そう思いたい。


ライブハウス通いも楽しみにしていたのだが、内容につまらなさを感じる事が多くなり、ほとんど喧嘩をしにいっていたような状況だった(笑)
なんとなく、俺がバンドはやった方がエエの出来るんやないーん、みたいな調子こいた考えがあった。なんも楽器できんくせに(笑)


で、そうそう。私には2つ下の弟がいる。この頃中学2年生。どこでどうなったのか、すでにロンズデールにブリーチジーンズ、ブレイシーズ。もちろん坊主頭。彼が買ってきたSHAM69やCOCKNEY REJECTS、4-SKINSなどにも心踊らされたのである。名前を関野雅満と言います。



ああ、眠たくて文章があっちゃこっちゃ行きよるわ。初めからか(笑)
明日時間があればまた!次回は「ヤンキー化が止まらない!!」の巻!

回想3

2012-12-02 03:23:00 | 亮一
1998年
めでたく2年生になった私はファッションもパンク色の強いものになっていました。DOLLを初めて読んだのもこの頃でしょうか。パンク色が強いって言っても、きちんとしたアイテムは無理して買ったジョージコックスくらいで、だって、パンクショップなんかもちろんないですし、いや、小倉にUNが存在したがそのときは知らなかった。インターネットなんかそんな普及してないし、鋲ベルトですらヤンキーショップで手に入れたのである(笑) DOLL の後ろの方に広告載せてた名古屋のエレクトリックに行きたくて行きたくて…。各お店、カタログ取り寄せが出来ると知ったのはその数年後で…。そんなエレクトリックに行ったことのあったイカした従兄弟のみっくん。当時、みっくんにも多大なる影響を受けたのである。「そのパーカーの絵の人等は何なん?」 「これはSMALL FACESてモッズのバンドよ」 SMALL FACESを知ったのも彼のお召し物からである。即、CDを買いに行った。また、訳のわからん国内編集盤であったが(笑)

そう、思い出した。初めてライブハウスに行ったのもこの頃のはず。学校のちょっと悪い先輩はみんなコピーバンドをやっていた(ハイスタンダードとかブルーハーツとか) 初めて生で聴くバンドの音に心奪われた。あんまり演奏とか細かく聴いてなかったと思う。いや、聴いてもわからんかったんか(笑) ただ、ひたすらみんなハイスタとブルーハーツで弱冠面白くないなと…。言えんかったけど(笑)

回想2

2012-12-02 02:40:00 | 亮一
同1997年
相も変わらず奇怪なファッションが横行する私の周辺。ファッション雑誌のチェックは日課であった。仲間内でも多くの人間が愛読した某雑誌には毎回ストリートスナップが掲載されており、その人のコメントも一緒に掲載されていたのだが、何故かその頃は皆、好きなブランドと好きなバンドを載せるのが定番となっていた。そして、そのなかでビジュアル系バンドに混じりながら、圧倒的に興味を引くバンド名。そう、SEX PISTOLSである。いや、バンド名だけに興味をもちまして。だって見たことも聴いたこともないし。ボンテージのねーちゃんが乳振り回しながら唄うくらいに思っていたのだろう(笑) 正直、すぐにCDを買ったかどうかは定かではない。覚えていない。ただ、最初に買ったのはシリーズもののベストアルバムであった。そして、帯には「みんなピストルズで大きくなった」と書いてあった(笑) これ言うと、逆に狙ってるみたいに思われそうなんで嫌ですけど、マジで、びっくりしたのであります。わからん、何故か、これだと思ったのです。97年時にはすでに20年前の音楽、決して重たくない、速くない。黒夢の方が速い(笑)歌詞やろ、多分歌詞や。そう考えると、訳のわからんジャパンオンリーの編集盤を買ったのは正解だったのである。訳詞つきですから。

回想1

2012-12-02 01:17:00 | 亮一
今晩は。ドラムの亮一です。毎回井上君のブログを楽しみにしており僕の出番は必要ないかと思っておりますが、たまには書かせてもらいます。刺激的な音楽の紹介は井上君がプロフェッショナルな文章を披露してくれていますので僕は、生い立ち、なれそめ、出会い、別れ、裏切り悲しみをテーマに書きます。しかし、何で井上君、ラスリジェのときなんも披露してくれんかったんや…。まあ取り敢えず、振り返ってみます。

1997年
山口県の田舎町ですくすくと育った私、関野亮一は中学一年生でした。時代はビジュアル系バンド全盛期。私の地元の田舎にさえ、その手のファッション、音楽は影響を及ぼし、私も少なからず興味を持たされました。その頃の先輩の方々の服装は、今みたら目も当てられんど!!フロントのボタンが27個くらいついたシャツ(着るの15分くらいかかる!) どっから脚出すんや!叫ばずにはいられないズボン(ポコチン入れる筒みたいなんついたのあったな…) いや、まじで、そんなのがイケテるとされた時代…。時代って恐い。そして、私も少なからず憧れをもって実践したという揺るぎない事実。そして、その頃の中でも不良の先輩が崇拝した音楽はピストルズでもストーンズでも矢沢でも、もちろん、リップクリームでもない。そう、「黒夢」である!もう、ハンパない影響力である。どうやこれ、知っちょるか、ってアホみたいな顔してアルバムCD を見せられたものである。アホみたいな顔してから。いや、ほんと、アホみたいな顔しとったな。そして、いままで触れたことのないやかましい音楽と、今聴くとわざとらしいこと山のごとしな歌詞に私も惹かれたのである!多分アホみたいな顔してから。

しかし、その影は新たな出会いにより次第に薄れていくことになるのである…。