馬鹿琴の独り言

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超意訳:南総里見八犬伝【第二十二回 浜路、密かに親族を悼む/糠助、病んで信乃に会う】

2025-02-20 01:01:20 | 南総里見八犬伝

 もう一度述べるが、大塚蟇六は信乃を迎えて、亀篠とともに愛想良く歓待しているが、それはただ外聞を飾るのみであった。蟇六夫婦は実は心に刃を研いでいるのだ。
 例えば蟇六はすでに里人たちを欺いて、番作の田畑を横領している。少しも信乃のために使われることもない。
 しかしいまだ村雨の太刀を奪うことはできないでいた。

 村雨を手に入れてから、後にあの少年を片づけてしまおう。
 そして宝刀によって、我が家はますます繁栄するだろう、また浜路には良い婿でも娶せてしまえば、老いてもなお楽しいことばかりになるはずだ。
 しかし思うにつけても、信乃の面魂は世の中の普通の童と違い、早まってことを仕損じては、その様に人の過ちを暴こうとしているうちに自分の弱点をさらけ出してしまうことになり、元も子もない。
 ただ真剣にもてなして油断させる他はない、と腹の底で思案し、妻の亀篠だけに秘密を打ち明けて、計略を話すのだった。

 この様に信乃が危ないことは、石の下に産み落とされた卵の様に割れやすく、薪に巣篭る雛鳥が潰されやすいのと同じなのだ。しかし信乃には父番作の先見の遺訓がある。
 加えてその才気勇敢は牛若丸をも凌ぎ、楠木正行にも劣らないほどの稀有の少年なので、村長夫婦の心情を見抜いていた。片時も本心から心を許さず、元の家にいた時から伯母の家に移った時も、宝刀を腰から離さず、座る時には必ずそばに置き、寝る時には枕の近くに寄せて守ることについて油断をしなかったので、盗人の出番はまったくと言って良いほどなかった。
 信乃の様子は主にその様であったため、一年あまりが経過しても、奸智の得意な蟇六ではあったが、何もできないでいた。なまじ刀に手を掛けて見とがめられてしまうと、今まで費やしてきた手間も苦労も泡と消えてしまい、自分のためにならないと思うと危ぶんだのである。
 盗み出そうという心もやや収まったが、今年はこの様に考えた。

 村雨の刀を入手できたとしても、信乃が安穏とこの村にいれば、関東管領家に進呈することができない。
 今、自分の物にならないとしても、持ち主も刀自体もここにあるのだ。我が家にあるのであれば、最後には我が物となる。急ぐ急ぐと心が早まればこそ、計略は達成できず、すべて都合が上手く行かず危ない。
 娘の浜路はまだ幼いが、今から十年待つとしても遅くはない。長く考えれば利があり、短慮は上手くいかないはずだ、とようやく思い、亀篠にもそのことを納得させた。
 しばらくの間は盗む算段を諦めて、折りを見ては額蔵に信乃の意中を探らせようとしたが、これはまた何も得ることができなかった。額蔵は村長夫婦に尋ねられる度に、表向きには信乃の悪口を言うが、重要なことは何一つ言わなかった。額蔵は聞かれたこととその返事を密かに言わないので、信乃はますます油断をしなくなった。
 信乃は表向きにも伯母を慕う振りをして、召使いの様な扱われ方をされていた。

 こうして光陰は漠然として流れていき、春は明け、秋は暮れ、月日はよどむことなく過ぎていき、文明の年号も早や九年(1477年)になった。

 この年に信乃は十八歳、浜路は二つ年下の二八の十六歳の春を迎えた。
 二人は花が燃える様な盛りの美しさを迎えており、月を前にしても輝き、柳が緑を増して春霞の間にそよぐ様である。信乃は優れた才能のある若者であり、浜路は美しい少女になった。その器量も美貌もこの村では稀なほどである。
 この男にはこの女が相応しいと、里人は皆言い囃し、村長夫婦を見掛ける度に二人の婚姻を催促する始末である。蟇六も亀篠も以前からの思惑があったため、実はこの問いに迷惑していた。信乃への悪心が再発し、密かに信乃を何とかしようと何か手立てを考えるものの、十一二歳の時でも手強かったのに、今は美丈夫になってしまった。身長は五尺八九寸(180センチ弱)、力もきっと強くなってしまっているだろう。

 幼い二葉のころに摘んでしまえばよかったのに、とうとう斧を使わなければ切ることができない、などと言うのだ。早く殺してしまえばよかった、そうすればこんなことにはならなかったと悔しがるのだ。
 とほぞを噛んでも、その甲斐はなく、ああした方が良いか、こうした方が良いかと苦心して考えているところに、近隣で騒動が起こり、不慮の合戦が始まってしまった。

 合戦の原因は武蔵国豊島郡の領主に豊島勘解由左衛門尉(としまかげゆさえもんのじょう)、平信盛という武士である。
 大した大名ではないが、志村、十条、尾久、神宮(かにわ、神谷のことかも)など幾つかの郷の領主であり、その弟、練馬平左衛門倍盛は練馬の館にいた。他にも平塚、円塚(まるつか)の一族が大きく広がって、栄えた旧家でもある。
 信盛と倍盛の兄弟は当初は鎌倉の両管領に従っていたが、何かのことで恨むことがあって、遂には疎遠になってしまった。
 しかしこの頃、管領山内上杉家の老臣だった長尾判官平景春が越後と上野の両国を支配して、自立しようという野望を持っていた。豊島勢を仲間に引き入れると、信盛はすぐに同意し、管領に対して反旗を翻した。
 対して山内上杉家、扇谷上杉家の両管領は密かに軍議を重ねて、敵の勢いが小さいうちに先に豊島を討とうと考えた。1477年文明九年四月十三日、巨田備中介持資(おおたびっちゅうのすけもちすけ、太田道灌)、植杉刑部少輔(うえすぎぎょうぶしゅうゆう、上杉朝昌)、千葉介自胤(ちばのすけよりたね、千葉自胤)たちを大将にして、軍勢およそ一千余騎を集めて不意に池袋まで押し寄せてきた。
 豊島方は油断しており敵の出現に驚いたが、一族はすべて近くにいるためか、鎧を急いで着込んで、馬に乗って走り回ってあちこちから集まって来た。総大将を信盛の一陣は、練馬、平塚、円塚の軍勢は合わせて三百余騎で、江古田、池袋に向かい、鬨の声をどっと挙げて矢を放った。

【豊島の一族、管領家の三将と池袋で戦う】
練馬平左衛門倍盛
植杉刑部少輔
千葉介自胤

矢が降る雨の様に放たれております。

続いて練馬氏関連地図。

大塚とは本当に眼と鼻の先なんです。

 

 両軍は入り乱れて、槍を交わし、撃ちつ撃たれて、火花を散らして半日あまり戦った。豊島は小勢だったが、千葉勢、植杉勢を切り崩して、しきりに調子に乗ってしまった。不用意なことに腰兵糧を用意しなかったため、次第に飢えていった。
 撤退しようとすると、今度は寄せ手の大将である巨田備中介持資が軍配を振って味方を励まして、急激に攻め立てた。これには豊島方も辟易して、討ち取られる兵の数を知らない。千葉と植杉たちもこれに気を良くして、魚鱗の陣形で十文字に駆けて敵兵を散らし、息をつかせず揉み進んだ。
 豊島の士卒は算を乱してしまい、ことごとく切り伏せられ、あまつさえ信盛と倍盛兄弟も乱軍の中で討たれてしまった。
 哀れなことに豊島と練馬の二人の大将は、一時の恨みによって大勢も分からないままに、一族郎党すべて壊滅し旧家はたちまちのうちに滅んでしまった。

 これによって世間はしばらくの間騒がしく、巣鴨、大塚の里でも人々の心は穏やかではなかった。
 また蟇六と亀篠夫婦はこれ幸いとばかりに、この様子では子供たちの婚姻は今年は準備できない、明くる年に波風が治まったら必ず浜路を娶せて、信乃に村長職を譲ると里人に話して、まずはその場を切り抜けたのである。

 さて蟇六の養女浜路は、八九歳のころから両親の口から、
「信乃は夫になるのだ、お前は妻になるのだ」
 と言い囃したてられた言葉を本当のことと信じて、ものごころついたころから、信乃のことを恥ずかしくも喜ばしく思う様になった。それとはなしに信乃が話すことが何でも楽しくなり、心を込めて接する様になった。
 しかし蟇六と亀篠は、浜路に対して、実は養女であるということを告げることも知らせることもなく、実の子の様にしていたが、密かに言う者がいた。
 実の親は練馬の家臣の何某という者で、兄弟一族がいることを浜路がわずかに伝え聞いたのは、年齢十二三のころである。
「このことから考えると、今の両親は人様の前では私を愛してるかの様に見受けられるけれども、口と心には表裏がある。近くに人のいない時には小さいことでも罵って辱め、私が小さい時にはさすると見せかけてつねられることが良くあった。育てていただいた恩は決して浅くはないけれど、本当の親子ではないことほど、悲しいことはない」
 浜路はつらつらと考える。
「本当の親は練馬殿の家臣の何某という人。兄弟もいると言う。私に取っては兄か弟か、姉に当たる人か、それとも妹なのか、いるのかいないのか」
 それ以上のことを聞く手立てはなくて、義理の親には涙の袖を見せず、実の親を思う。故郷はたった三里(約12キロ)足らずの距離にあると聞く。しかし自分にとっては、清少納言が随筆に書いた通り、鞍馬寺のつづら折りの様に近くて遠いのだ。
 春になると収穫されて馬の背に乗ってやって来る土大根も、練馬のものが有名だ。練馬と聞けば何でも恋しくなり、思い掛けなくも憂いが増して、
「今年、練馬家は滅亡し、一族は豊島、平塚はもちろん、兵士までみんな討ち取られてしまった」
 と聞いた。
 浜路は哀しさやるせなく、
「きっと、私の本当の親兄弟も逃げることはできなかっただろう。母上はどうなさったのであろうか。戦場でも婦女子は助けられるとも聞く。身を寄せるところもないだろうに」
 浜路はまた嘆いた。
「納得できないのは、私の義父母たちだ。私に実の父母がいることをはっきりと言わなかった。赤子のころから養われた温情も愛情も無下にはできない。知らなかった時節はどうしようもない。実の親兄弟があることをわずかに聞き、名前も知ることができず、またその討死の跡も弔うことができないのは、この身一つに掛かる宿世の悪報なのでしょうか。私はいったいどうしたら良いの」

 浜路は泣き、袖の涙を乾かすことにかこつけて、泣き顔を他人を見られまいとした。直した化粧も、朝霜が解けて落ちる様にまた涙が流れていった。

 思案の果てに浜路はつくづくと考えた。
 心の憂いはしかたがないが、右を見ても左を見ても相談をする人がいなかった。
 私のためには犬塚様だけ、まだ婚姻こそしてはいないが、幼いころから両親の許しをいただいた夫になるべき男だ。
 その心ざまは甲斐甲斐しく、浮いたところはまったくなく、本当に頼もしい人と思っている。だからこそこの身の悩みをすべて告げて、その知恵をお借りしたい。本当の親の姓名も生死も分かれば実家が滅びてしまった後の菩提をも私が弔うことができるから、と考えた。

 どうやってそれを信乃に言おうか、と密かに余人がいない折りを窺っていると、ある日、信乃が部屋に籠って、独り机に肘を寄せて、訓閲集(きんえつしゅう)という軍学書を読んでいる。

【木枯らしは また吹かねとも 君見れば はつかしの森に 言の葉もなし 信天翁】
浜路
犬塚信乃

あ、信乃さんだ、話し掛けちゃおうっと的な浜路さん

 

 浜路は密かに喜んで、足音を消して近づき、話し掛けようとしたその瞬間、急いでこちらへ向かってくる者がいた。
 浜路は思わず、ああっと叫んで、走って行く。信乃はようやくそこで足音に気づき、顔を上げて、見たのは後からやって来た亀篠である。

 信乃は机を押しやって亀篠を迎え入れようとしたが、当の亀篠は障子を開けたまま中には入らず、走って逃げていく浜路の背中をいぶかしげに見送った。そして、
「信乃よ、お前も前から知っている通り、糠助おじさんが長い病気に患っていて、昨日今日は危篤で、薬湯も咽喉を通らない状態であると、近くの人から今聞きました。昔はお前の家の隣にいて、親しくしていました。息のあるうちにもうお前と一度会いたいと言っているそうです。お葬式のことか医者への薬代のことか分かりませんが」
 亀篠の言葉には思いやりがなかった。
「いずれにしても、貧乏人に優しくしても得にはならないでしょう。無益なことだと思いますが、放ってもおけずに伝えました。見舞いに行こうと思うなら早く行きなさい」
 と言われたので信乃は驚いて、
「それは不愉快なことです。前に安否を尋ねた時、そういう風に見えませんでした。年齢が六十路余りの人の流行り病であれば心配です。急いで行って戻って参ります」
 と返事をして、刀を持って立ち上がった。それを見た亀篠は納戸の方へ赴いていく。

 畢竟、つまるところ糠助は犬塚信乃に会って何を言い残そうと言うのか。
 それは次の巻で明らかになる。

(続く……かも)

コメント (2)
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