馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

吉田郡山城に登ってきました。

2024-09-14 22:11:53 | 城攻め

2024年9月14日吉田郡山城に登ってきました。2016年以来の登城です。100名城72番目。

ってことで7時25分に広島着です。

浜田城で広島下車、岩国城で広島通過しました。何だかお馴染みになってきました(笑)

ここからJR山陽線岩国行きに乗換えます。学生さんでいっぱいでした。

2駅横川駅で下車。

横川駅はサンフレッチェ広島でいっぱい!ホームタウンっぽいです。

そう言えばサンフレッチェは、日本語3とイタリア語の矢、3本の矢の故事にちなんでいるそうな。

横川からは広電さんのバスに乗って安芸高田市役所前行きに乗ります。約1時間20分の980円のバス旅行(´・ω・`)

朝早く起きたのでバスの中で熟睡してしまいますが、何とか目が覚めて市役所前で下車します。

近くのスーパー、ゆめタウン吉田さんにコインロッカーがあり、しかも100円でカギを刺すと戻ってきます、に荷物を預け、水分補給と食料を整え、吉田郡山城を攻略します。その前に歴史民俗博物館へ寄りましょう。

ああ、標識にもバッチリ出ています。

安芸高田市歴史民俗資料館。こちらで情報入手します。

今日、大体回るコース。

時間配分も親切に書いてくれちゃっています。参考参考。

御城印と、

これは珍しい、赤色立体地図のお城カード。吉田郡山城は攻めてますね。

では、私も城攻めを開始しましょう。

通り抜けしました。

まあこれだけなんですけどね。

毛利元就が実子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に1本の矢なら折れるが、3本なら折れない、一族結束する様に、という逸話からきています。

あ、武田信玄!?違った、毛利元就です!!

だんだんと坂道を登っていきます。

毛利元就が亡くなった時に亡骸を荼毘に付したところだそうです。

日本100名城の碑。

どんどん登ります。

毛利隆元の墓所です、寄って行きましょう。

もうすぐに見えてきました。

若くして41才で亡くなった毛利三兄弟の長兄隆元さんのお墓。輝元さんの父上です。

41才は若いなあ。

登城コースに戻ります。その途中に元就のお墓がある訳です。

3分ほど歩くと……

到着してしまいました。

落ち着いた空間、神秘的さえありますよ。

複数の墓標群。これは、

左から元就の兄、毛利興元、その子幸松丸、3番目が毛利隆元夫人、4番目が興元以前の毛利家当主のお墓です。

更に階段を登って最上段には、

百万一心の碑。お城の工事の際、人柱を立てる習わしがあったが、元就はこの碑を人柱の代わりに埋めて、皆で合力すれば何でもできると言ったとか言わなかったとか……どっちやねん!

でも本当であれば良い話、ですかね?

その反対側は、

戦国時代第2の成功者、覇道の鷲、毛利元就さんです。

お参りしましたので、お城に行きましょう。本丸まで800メートルです。

登山口はお墓から繋がっています。

こんな道です。

本丸350メートル。

やっぱりまだ暑いですねえ。

御蔵屋敷跡。ここまで来れば本丸までもうちょっと。

釣井の壇の井戸跡。城内唯一の井戸なんですって。今は水がないそうです。

本丸北側の姫之丸。ここで、幕末に百万一心の石碑が見つかったらしいのです。

本丸の東側、釜屋の壇。

あ、スズメバチが1匹います、まずい、ここから逃げ出します。

本丸登り口がありました!!

崩れた石垣が転がっていました。

三の丸に着きました。

まだ登ります。

二の丸。山城だけに、ここまで来るとすぐに上に登れるのです。

今こんなトコ。もうすぐです。

アレを登ればいいのかな?

標高390メートルですって、結構登りましたねえ。

やっと攻略できました。ざっと1時間10分で登れました。

三の丸石垣群です。崩れちゃってますね。

帰りは違うコースを降りて行きます。

勢溜の壇跡という曲輪の跡です。

先に何かありますよ。

展望台です。麓の学校で運動会をやっており、賑やかですよ。

堀切!これは登ることはできません。

更に下ると景色が開けました。

右側の山に尼子家の大軍が陣取ったそうですよ。

な、何でしょう、この印。

反対側から見ると、毛利家の家紋、一文字三星紋だと分かります。

右行くと戻ってしまいますので、左へ。

日本庭園が出てきました。興禅寺跡郡山公園です。

鯉が見当たりません( ゚Д゚)

ここを進むと、清神社です。

歴史は古く、神代からあるのですって!!

サンフレッツェ広島の選手も毎年お参りするそうです。

お昼を回りました、お腹が空きましたし、暑いし、夢タウンに避難しましょう。

ふと地面を見ると百万一心のマンホール。皆で力を合わせましょう。

夢タウンで荷物を回収、お昼を掻き込んで、水分補給の後、バス停に向かいます。

安芸高田市役所前のバス停から見えた一枚がこちら。

一文字三星紋が見えます、あの上に登って降りてきたのですよ。

13時42分のバスに乗って、広島市内へ向かいます。また失神してしまいそう(笑)

でわ。

 

 


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2 コメント

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中国遠征第2段 (栗八)
2024-09-16 11:21:33
連休は、どちらを攻められているのだろうかと思ってましたら、、またまた山城攻め!スゴイ

位置が正確にわかっていなくて地図広げました。
広島からは、横川からバスというにが意外です。
赤色立体地図=国土地理院のデータかな?
厳しい地形もあって現存するのも厳しいのかな~
と思ってましたら、廃城から400年ですか…
家康の策略に…と言ってもこの時には既に元就はなくなってたわけで…
そう考えると、もったいない城、たくさんあるということか~
返信する
中国遠征 (馬鹿琴)
2024-09-16 19:26:05
栗八さんいらっしゃいませ。
行けるうちにどんどん行きたいと思っています。
秀吉時代に、輝元坊ちゃんが広島に本拠地を構えた様です。

遺構も砦もそれなりに楽しいので、興味深いところは見に行ってみることにしております。

でも、まだ暑いのです(笑)
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