2025年3月2日久留米城に登ってきました。
こんなトコです。
西鉄久留米駅から出発です。レンタサイクルを考えておりましたが、天候が怪しいので西鉄バスさんに乗りました。
と、乗ってるそばから次第に雨が降って参りました。
大学病院バス停で下車。ここから数分ですが、雨が大粒です(´・ω・`)
み、見えてきました……凄い石垣じゃあないですか!?
ビックリですよ( ゚Д゚)
今はほとんど篠山神社さんが城址の大部分を占めておるのです。
雨のそぼ降る久留米城址。
冷たいですが中に入るしかないのです。
城址の表示をいただきました。
分厚いです、入り口の石垣。
そうか有馬家なんですね。
戦国以降は記憶が曖昧でした(´・ω・`)
こんな感じで城址が点在しています。
雨と戦いながら参りましょう。
鳥居を潜ります。
主祭神は有馬一族なんです。
まずは神社でお参りを。天気が良くなるように、とお願いしますが、かなえてくれませんかね?
お参り後、社務所で続日本100名城のスタンプをいただきます。
雨で滲んでます(´・ω・`)
東郷元帥の書斎を東京から移築したんですって。
移築の由来が記してあります。さすがブリジストングループの力。
城の西側からは筑後川を挟んで九州新幹線が見えます。
少し待ちましたが新幹線は来ません( ;∀;)
乾櫓です。
振り返るとこんな感じです。石垣は草で隠れておりますね。
北側から見ると崩れた石垣が残っていました。
艮櫓。
この下は普通の人家があったりしました。
初めて筑後守になった人なんですって。道君首名と書いて【みちのきみのおびとな】さん。
こちらは大伴部博麻(おおともべのはかま)さん。
この人は白村江の戦いで負けて捕虜となり、30年後に帰国したという凄い人。
東側は崖状態で石垣も保存良く見ることができます。
雨に濡れる石垣ちゃん。
月見櫓跡も水たまり状態でした。
高石垣を見下ろすのです、足がすくむのです。
滑ったら一巻の終わり(´・ω・`)
小早川秀秋ではなく小早川秀包を祭神とする小さな神社。
彼は毛利元就の最後の男子で、兄の孝景の養子になったそうですが、文禄の役で大活躍します。
ところがその間に小早川秀秋が正式に孝景の養子となってしまったため、別の小早川家を建てることになります。
しかし関ケ原で西軍につき、野望は夢と消えました。
命は取られることなく、毛利本家内で隠居したんですって。
秀包の奥様は大友家出身の桂姫、引地の君はマセンシアという洗礼名を持っています。
このお墓、アンドレアス十字が刻んであります。見えませんよね。
このバッテンに見えるのがアンドレス十字、聖アンデレ十字です。
スコットランドの国旗が使用しているそうです。
しめ縄の奥に十字の形が少しだけ見えますよ。
珍しいですねえ。
高石垣が凄い~
本当に良く組んであります。
巽櫓跡。
雨が降っていても、見事な造りにしばし感動しちゃうのです。
良いですねえ。
さあ、10時42分です。次の目的に向かいましょう。
ブリジストンの工場群が幾つかあり、久留米城の二ノ丸、三ノ丸なんだそうです。
その名もブリジストン通りを歩いて、約15分雨の中を歩いてJR久留米駅に向かいます。
東芝創業者からくり儀右衛門こと田中久重さんのからくり時計。
幕末禁門の変で活躍した真木和泉さんも久留米出身でしたね。久留米藩の人材恐るべし。
JR久留米駅です。
冷え切った身体を温めてくれると良いなあ。
でわ。
こちら側は止んだので良かったと思ってたのですが、、、
久留米城…ノーマークでしたが、良い石垣ですね!
今年、どこかで行こうかと思います。
軍議じゃー!
驚きでした。
是非晴れの日にどうぞ。
そして聖アンデレ十字もどうぞ(笑)