介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母死亡の経緯 その8-そしてモニターは

2013-04-25 12:32:12 | 日記
相変わらず2月22日の出来事の続きです。


・午後8時10分ごろ
 母に対する「脳死」宣告を聞いた従兄Cは自分宅へ電話するために一旦病室を出ていたが戻ってきた。
 そこで入れ替わりと言うわけではないが、今度は私が病室を出て、午後6時に駅で別れた叔母宅へ電話を入れる(別れた駅からであれば1時間30分~2時間で叔母宅へ着く)。だが、未だ帰宅していなかったので、一旦電話を切り、仕事に出かけているその息子である従弟Eの携帯に電話を入れ『お母さんの携帯電話の番号を知らないので、伝えて欲しいのだけど・・・今、病院から呼び戻された。連絡できる状態になったら私の携帯電話(仕事用なんだけどね)に電話を入れて欲しい。』と伝言を依頼。
 病室に戻ると、モニターに映し出されている「呼吸」(と推測していた)の波形がイビツになっていたので、『しっかり呼吸してね。ユックリとでいいからね。いびきみたいな音は出さないでよ~』と声を掛けながら、リズムを取りやすいように母の左肩を軽く叩くと、身内の贔屓目かもしれないが波形が多少綺麗な振幅を描き始めたが・・・長くは続かず、波形がフラットになる瞬間も何度かあった。


・午後8時40分だったかな?
 連絡が取れなかった叔母が病室に駆け込んできた。
 私から午後6時30分以降の出来事を聞き終えた叔母は母の枕元へ行き「何で、ここで頑張らないの」と声を掛けるが・・・モニターに映し出される波形は乱れたまま。
 一寸落ち着きを取り戻した叔母は、病院へ戻ってきた経緯を話してくれた。私が午後7時一寸前に連絡した従兄Bが叔母へ連絡をしてくれ、叔母は総武線の亀戸駅に到着する寸前に連絡が来たので、直ぐに電車を乗り換えて駆けつけた。又、従兄Bと従弟Eが夫々の仕事が終わり次第こちらに来ることになっていることも教えてくれた。


・午後9時 一寸前
 主治医が再び病室を訪れ「脳CT画像の読解が未だ出来ておりません。(瞳孔反応を確認して)やはり脳死状態と判断できますので、残念ですがお母様は何も感じておりません。」とのダメ押し。
 主治医が病室を出て行った後・・・叔母のみが見ていたのですが・・・母の目から一筋の涙が流れ、これを境にしてモニターに表示される数値および波形はドンドン悪化。


・午後9時10分
 ハートマークの表示値が「ゼロ」に。
  ⇒右手の人差し指につけていたセンサーで拾っていた脈拍数です。
 多分「心電図」と思われる波形が右下がりの直線を描いてフラットに。
  ⇒「突然にフラットになって『ピー』と音がする」ということは
   生じませんでした。
 私が『あっ!死んじゃった』と言ったら、モニターを見ていた叔母がモニターの表示が何を示しているのかを理解して、「◎◎チャン、何しているの医者を呼んで来て」と取り乱す。
 多少躊躇していると・・・ナースステーションから看護師が来て「主治医を呼んでもよろしいでしょうか?まだ来ていない方が居られるのでしたら、主治医を呼ぶのは後ほどにいたしますが?」と淡々と説明。
 従兄B達がこちらに向かっている筈なので、死亡宣告は1時間ほどずらしてもらう事にした。
 もうこの病室でやるべき事は無くなったので、社長へ電話を入れて母が死亡したことを伝える。
 叔母は息子(従弟E)へ「もう病院へは来なくてもいい」と連絡を入れる。


・午後9時30分ごろかな~
 突然に従兄D夫婦が病室に来た。仕事用の携帯電話に従兄Bからの連絡が入ったので、仕事(造園業)を切り上げて来てくれたとのこと。
 少ししてから従兄Bも到着。


・午後9時54分
 医師による死亡宣告。


・午後10時30分ごろ
 連絡を入れておいた葬儀社が到着したので、全員で病院を後にして我が家へ。


・午後10時50分ごろ
 自宅近くのコンビニで信号待ちをしていたら、ふと『1日前のこの時間、ここを通っていたけれど・・・その時は生きていたんだよ』と言うなんとも表現できない想いが頭に浮かぶ。


・午後11時一寸すぎ
 母無言での帰宅。
 葬儀社の方々が母を介護用ベッドに安置する準備をしているのを居間で見ていたら、ふと40年以上前、私の一番下の妹が死亡した日の夜の光景を思い出す。
 遺体安置作業中に従弟Eが我が家へ到着。
 

母死亡の経緯 その7-早く、そして速く・・・飛んで行きたい

2013-04-12 19:31:27 | 日記
暫らく間が開いてしまいました。

未だに2月22日です。

先ずは、取って付けたような事を追加記載いたしますが・・・一寸、時間を戻して午後6時05分頃~30分迄の間は電車に乗っていました。
乗っている最中に『今夜が生死の分かれ目だよな~。今回は無事に乗り切れるかな~。大丈夫だよ。ウン、大丈夫と信じよう。』等と考えていましたが、悪い事は言い当てる物ですね。


・午後6時30分
 電車が自宅の最寄駅に到着したので電車を降りると、それを待っていたかのように携帯電話が突然なる。ディスプレーに表示された電話番号は知らない番号だけど、一応、出て見たら病院からだった。
 病院 「××病院ですが、◎◎さんですか?」
 私  『はい、そうです』
 病院 「少しお待ち下さい。今、病棟の看護師と代わります」
 病院 「お母様の容態が変わりました。これから来ることはできますか?」
 私  『今、××駅ですから(どのくらいかかるかな)』
 病院 「そうすると1時間くらいで来れますね」
 私 『はい、電車が△△分にこの駅を出ますので、そのくらいで着けると思います』
 病院 「では、夜間受付口からそのまま3階に上がって、ナースに声をかけてください」


・午後6時33分頃
 電話を切って、改めて電車の時刻と到着予想時間を確認していたら、別の考えが頭に浮かびました。
  『もしかして一刻を争う事になるかもしれない。』
  『だったら、電車を待っているよりは車の方が早い?』
  『でも、道は混んでいるからどうなんだろう?』
 グタグタ思い悩んでいる場合ではないので、先ずは近所に住む従兄C(早朝、私が叩き起こそうとした相手)へ電話を入れる。
 父の死亡の経緯を読んでくださった方は覚えていると思いますが、従兄Cは持病があるために薬を飲んでしまうと眠気が生じるので自動車の運転できないのですが・・・病院からの電話の内容を伝えると、車を出してくれる事になった。
 今居る場所は地下のホームなので、とりあえず電場状態がよいであろう地上に出る。


・午後6時37分よりは後
 従兄Cが自宅からこの駅前まで来るのには10分~15分程度掛かると判断。悪い予想が当たっていたら大変なので、待っている間に今日来てくれた親戚へ電話を掛ける。
 ◎叔母
  普通に考えて、今は電車の中。
  それに携帯の電話番号を知らなかったからパス。
 ◎従姉A
  「今日はご苦労様でした。明日は病院に行って付き添いをするからね。」
   (私が、病院から呼び出されたことを言うと)
  「えっ!急にどうなっちゃったの?ゴメンナサイ、おばあちゃんの面倒を
   見てくれる人が居ないから、今日は行けないのよ。
    ⇒明日来てくださると言っていたので、とりあえず連絡だけは入れておこうと
     思って電話をしたと言うことと、来られない事情は判っているので気にしないで
     下さいと言って電話を切った(と思う)。
 ◎従兄B[奥さんが電話に出て来た]
  「お疲れ様でした。おばさんの容子はどうですか?今、お父さんは作業小屋の方に
  行っているから、携帯の方に電話すれば出ますよ。」
  (掛け直していられないので、病院から呼び出されたことを伝えると)
  「えっ・・・直ぐ、お父さんに話しに行きますから。」
    ⇒もしかしたら大した事ではないかもしれないけれど、私はこれから病院へ
     向かう事を伝えて電話を切る。


・午後6時50分
 従兄Cから「今から、駅に向かう。10分程度で着く。近くまで来たら又電話を入れる。」との連絡が入る。
 スイマセンがこれを聞いて心の中で『何やってるんだよ!(ピィ~)』と思ってしまいました。冷静に考えれば、携帯電話に連絡を入れたのだから自宅に居たとは限りませんし、農作業で汚れた服を着替えたりと色々とあるのだから、15分経過での自宅出発は頑張ってくれた方なのだと思います。


・午後7時00分 ~10分経過してるよ~
 駅前のロータリーは送迎バスや送迎の車でごった返していますが、駅に至る道は空いています(見渡せる範囲内では)。どこかで見たような車[乗用車で来るのか、軽トラで来るのか不明なので]が到着する度に、私の姿が確認できるように近寄りますが・・・別の方を送迎するための車です。


・午後7時20分頃
 やっと電話が来ました。
 ロータリーでの待ち合わせ場所を確認。
 「あと数分で着く」と言っていましたが・・・到着したのは7時35分


・午後7時50分
 従兄Cは裏道を使って走ったので、乗ってから病院へ着くまでに要した時間は信じられないほど短かったです。
 救急の受付前に居る警備員に事情を話して、入館手続きをせずに病棟へ上がり、ナース詰め所に声を掛けると「いま、お母様は病室に戻られていますから、そのまま病室へ入ってください」と、こちらの期待もあったと思いますが明るい声で看護師が教えてくれた。そこで、従兄Cと二人で病室に入ると、母は酸素マスクをしているけれど規則正しい呼吸(モニターを見ると)をして寝ています。『な~んだ。処置が上手く行って、大丈夫なんだ』と安堵していると、別の看護師が・・・「お母様の状態が急に悪化しましたので、お電話を入れました。(ナンタラ カンタラ)。今、先生をお呼びしていますのでお待ち下さい」との説明に来る。


・午後8時00分ごろ
 主治医から脳死の宣告。
  ⇒正確には、「ただ今、脳CT画像データを脳の専門の先生に見てもらい、
   脳死かどうかの判断をしてもらうように依頼しています。
   しかし、瞳孔の反応が無いので、脳死だと考えてください。」
 意外にも『このやぶ医者!』とは、思わなかった。寧ろ、医師も言っていましたが『このままユックリと何も感じることなく死んでいくんだ。心臓が止まるのを待っているだけなんだ。やっぱりあの時が最後の別れだったんでね』と納得していた。

今日も遅くなってしまったので(ただ今、勤務先)、ここで一旦終わりにします。

ご無事でしょうか?

2013-04-08 12:54:52 | 日記
先週の土曜日から今週月曜日にかけて日本列島を吹き荒れている暴風および雨。
皆様はご無事だったでしょうか?

わがボロ家はどうにか無事でしたが、降雨が土曜日の夕方~夜半だったため、暴風による砂埃が家の中に入ってきてしまいました。
次の日曜日には四十九日の法事で親戚がこのポロ家に集まるので、何も無ければ2日間掛けて大掃除を行う心算でしたが・・・「どう致しましょう」状態です。