相変わらず2月22日の出来事の続きです。
・午後8時10分ごろ
母に対する「脳死」宣告を聞いた従兄Cは自分宅へ電話するために一旦病室を出ていたが戻ってきた。
そこで入れ替わりと言うわけではないが、今度は私が病室を出て、午後6時に駅で別れた叔母宅へ電話を入れる(別れた駅からであれば1時間30分~2時間で叔母宅へ着く)。だが、未だ帰宅していなかったので、一旦電話を切り、仕事に出かけているその息子である従弟Eの携帯に電話を入れ『お母さんの携帯電話の番号を知らないので、伝えて欲しいのだけど・・・今、病院から呼び戻された。連絡できる状態になったら私の携帯電話(仕事用なんだけどね)に電話を入れて欲しい。』と伝言を依頼。
病室に戻ると、モニターに映し出されている「呼吸」(と推測していた)の波形がイビツになっていたので、『しっかり呼吸してね。ユックリとでいいからね。いびきみたいな音は出さないでよ~』と声を掛けながら、リズムを取りやすいように母の左肩を軽く叩くと、身内の贔屓目かもしれないが波形が多少綺麗な振幅を描き始めたが・・・長くは続かず、波形がフラットになる瞬間も何度かあった。
・午後8時40分だったかな?
連絡が取れなかった叔母が病室に駆け込んできた。
私から午後6時30分以降の出来事を聞き終えた叔母は母の枕元へ行き「何で、ここで頑張らないの」と声を掛けるが・・・モニターに映し出される波形は乱れたまま。
一寸落ち着きを取り戻した叔母は、病院へ戻ってきた経緯を話してくれた。私が午後7時一寸前に連絡した従兄Bが叔母へ連絡をしてくれ、叔母は総武線の亀戸駅に到着する寸前に連絡が来たので、直ぐに電車を乗り換えて駆けつけた。又、従兄Bと従弟Eが夫々の仕事が終わり次第こちらに来ることになっていることも教えてくれた。
・午後9時 一寸前
主治医が再び病室を訪れ「脳CT画像の読解が未だ出来ておりません。(瞳孔反応を確認して)やはり脳死状態と判断できますので、残念ですがお母様は何も感じておりません。」とのダメ押し。
主治医が病室を出て行った後・・・叔母のみが見ていたのですが・・・母の目から一筋の涙が流れ、これを境にしてモニターに表示される数値および波形はドンドン悪化。
・午後9時10分
ハートマークの表示値が「ゼロ」に。
⇒右手の人差し指につけていたセンサーで拾っていた脈拍数です。
多分「心電図」と思われる波形が右下がりの直線を描いてフラットに。
⇒「突然にフラットになって『ピー』と音がする」ということは
生じませんでした。
私が『あっ!死んじゃった』と言ったら、モニターを見ていた叔母がモニターの表示が何を示しているのかを理解して、「◎◎チャン、何しているの医者を呼んで来て」と取り乱す。
多少躊躇していると・・・ナースステーションから看護師が来て「主治医を呼んでもよろしいでしょうか?まだ来ていない方が居られるのでしたら、主治医を呼ぶのは後ほどにいたしますが?」と淡々と説明。
従兄B達がこちらに向かっている筈なので、死亡宣告は1時間ほどずらしてもらう事にした。
もうこの病室でやるべき事は無くなったので、社長へ電話を入れて母が死亡したことを伝える。
叔母は息子(従弟E)へ「もう病院へは来なくてもいい」と連絡を入れる。
・午後9時30分ごろかな~
突然に従兄D夫婦が病室に来た。仕事用の携帯電話に従兄Bからの連絡が入ったので、仕事(造園業)を切り上げて来てくれたとのこと。
少ししてから従兄Bも到着。
・午後9時54分
医師による死亡宣告。
・午後10時30分ごろ
連絡を入れておいた葬儀社が到着したので、全員で病院を後にして我が家へ。
・午後10時50分ごろ
自宅近くのコンビニで信号待ちをしていたら、ふと『1日前のこの時間、ここを通っていたけれど・・・その時は生きていたんだよ』と言うなんとも表現できない想いが頭に浮かぶ。
・午後11時一寸すぎ
母無言での帰宅。
葬儀社の方々が母を介護用ベッドに安置する準備をしているのを居間で見ていたら、ふと40年以上前、私の一番下の妹が死亡した日の夜の光景を思い出す。
遺体安置作業中に従弟Eが我が家へ到着。
・午後8時10分ごろ
母に対する「脳死」宣告を聞いた従兄Cは自分宅へ電話するために一旦病室を出ていたが戻ってきた。
そこで入れ替わりと言うわけではないが、今度は私が病室を出て、午後6時に駅で別れた叔母宅へ電話を入れる(別れた駅からであれば1時間30分~2時間で叔母宅へ着く)。だが、未だ帰宅していなかったので、一旦電話を切り、仕事に出かけているその息子である従弟Eの携帯に電話を入れ『お母さんの携帯電話の番号を知らないので、伝えて欲しいのだけど・・・今、病院から呼び戻された。連絡できる状態になったら私の携帯電話(仕事用なんだけどね)に電話を入れて欲しい。』と伝言を依頼。
病室に戻ると、モニターに映し出されている「呼吸」(と推測していた)の波形がイビツになっていたので、『しっかり呼吸してね。ユックリとでいいからね。いびきみたいな音は出さないでよ~』と声を掛けながら、リズムを取りやすいように母の左肩を軽く叩くと、身内の贔屓目かもしれないが波形が多少綺麗な振幅を描き始めたが・・・長くは続かず、波形がフラットになる瞬間も何度かあった。
・午後8時40分だったかな?
連絡が取れなかった叔母が病室に駆け込んできた。
私から午後6時30分以降の出来事を聞き終えた叔母は母の枕元へ行き「何で、ここで頑張らないの」と声を掛けるが・・・モニターに映し出される波形は乱れたまま。
一寸落ち着きを取り戻した叔母は、病院へ戻ってきた経緯を話してくれた。私が午後7時一寸前に連絡した従兄Bが叔母へ連絡をしてくれ、叔母は総武線の亀戸駅に到着する寸前に連絡が来たので、直ぐに電車を乗り換えて駆けつけた。又、従兄Bと従弟Eが夫々の仕事が終わり次第こちらに来ることになっていることも教えてくれた。
・午後9時 一寸前
主治医が再び病室を訪れ「脳CT画像の読解が未だ出来ておりません。(瞳孔反応を確認して)やはり脳死状態と判断できますので、残念ですがお母様は何も感じておりません。」とのダメ押し。
主治医が病室を出て行った後・・・叔母のみが見ていたのですが・・・母の目から一筋の涙が流れ、これを境にしてモニターに表示される数値および波形はドンドン悪化。
・午後9時10分
ハートマークの表示値が「ゼロ」に。
⇒右手の人差し指につけていたセンサーで拾っていた脈拍数です。
多分「心電図」と思われる波形が右下がりの直線を描いてフラットに。
⇒「突然にフラットになって『ピー』と音がする」ということは
生じませんでした。
私が『あっ!死んじゃった』と言ったら、モニターを見ていた叔母がモニターの表示が何を示しているのかを理解して、「◎◎チャン、何しているの医者を呼んで来て」と取り乱す。
多少躊躇していると・・・ナースステーションから看護師が来て「主治医を呼んでもよろしいでしょうか?まだ来ていない方が居られるのでしたら、主治医を呼ぶのは後ほどにいたしますが?」と淡々と説明。
従兄B達がこちらに向かっている筈なので、死亡宣告は1時間ほどずらしてもらう事にした。
もうこの病室でやるべき事は無くなったので、社長へ電話を入れて母が死亡したことを伝える。
叔母は息子(従弟E)へ「もう病院へは来なくてもいい」と連絡を入れる。
・午後9時30分ごろかな~
突然に従兄D夫婦が病室に来た。仕事用の携帯電話に従兄Bからの連絡が入ったので、仕事(造園業)を切り上げて来てくれたとのこと。
少ししてから従兄Bも到着。
・午後9時54分
医師による死亡宣告。
・午後10時30分ごろ
連絡を入れておいた葬儀社が到着したので、全員で病院を後にして我が家へ。
・午後10時50分ごろ
自宅近くのコンビニで信号待ちをしていたら、ふと『1日前のこの時間、ここを通っていたけれど・・・その時は生きていたんだよ』と言うなんとも表現できない想いが頭に浮かぶ。
・午後11時一寸すぎ
母無言での帰宅。
葬儀社の方々が母を介護用ベッドに安置する準備をしているのを居間で見ていたら、ふと40年以上前、私の一番下の妹が死亡した日の夜の光景を思い出す。
遺体安置作業中に従弟Eが我が家へ到着。