介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

介護しませんでした

2011-05-30 12:15:35 | 日記
父のところへは行きませんでした。

台風2号の影響で先週の土曜と日曜は雨がほぼ確定だったのと、他部門での処理が大幅に遅れたために仕事が一気に廻ってきたのと、土曜日に役員が出社するから『お前も出て来い』状態だったので、金曜日から会社に泊まって土曜日はサービス出勤。
金曜は深夜まで仕事をしようと思っていたのですが、同僚と一寸一杯が22時ごろまで飲んでしまい、土曜の朝まで爆睡していました。
いゃ~久しぶりのお泊り[宿泊設備ありません。会議用の椅子を上手く並べて簡易ベットを作り、いざと言うときの為に用意しておいた「バスタオル」や「膝掛」を掛けて寝ます]はきついわ。

やっと、役員が帰るというので15時過ぎに営業車(私は免許を持っていないので役員の運転)で事務所を出ました。営業車は親会社の社宅まで持って行く必要が有り、その経路上に私の家があるので『ラッキー!』とおもったら、空いてそうな道を通っていったので、社宅の最寄り駅で下車。電車は運悪く20分後。待っている間に件の役員もホームに上がってきました。
前回、書き忘れましたが、施設の方から『下着が大分汚れてきた[黄ばみ、黒ずみ]から替えを持ってきて下さい』といわれていましたので、帰宅途中で男性用パンツMサイズ3枚入り約700円を2つ購入。自宅には色々有って18時一寸前に到着。

既に予報で日曜日は土砂降りなのは判っていたので、土曜日に施設に行きたかったのだけど無理でした。
日曜日は予報通りに土砂降りだったのと、金曜日に届いていたPCのセットアップ[1ヶ月前に7年ほど使っていた自作機が亡くなりました]があるので、自室にこもって久しぶりの『くつろぎタイム』

今のところ、施設からは連絡が入っていないので、父は暴れていないようです。

介護していません

2011-05-24 07:57:23 | 日記
いつもの様に土曜日に父のところへ行ってきました。今回は特に何もしていないけれど40分。

朝方から母の調子が悪く臥せりがちだったので、『いつもより早めに出かけ、後はゆっくりとしてもらおう』と考えて、8時に出かけるための支度を開始。父に対して積極的に介護をしていない子供ですから、「要支援2・障害者手帳2級」(注1)の母に対しても自力で身支度をさせています。その為、父の所へ着いたのは9時チョッと過ぎ。
「幾らなんでも今日は部屋に居るだろう」と母が言うので部屋へ行くと、父が丁度起き上がって靴を履こうとしておりました。
父は「靴が履けないから履かせろ」というのですが、『さあ~、親の面倒を見ろ(夫の世話をしろ)。リハビリなんて痛いだけで何も効果が無い』と大の字になって踏ん反り返って、多少でも歩けたのを車椅子生活に甘んじた父に対して、私たちは手を貸しません。勿論、介護用として売られている靴や服は購入しています。
自力で靴を履いて車椅子に乗り移った父は「小便がしたい」と、そそくさとトイレへ向かおうとしましたが、丁度トイレタイム!トイレ前は順番を待っているジジババの列です。横割りをしようとする父を介護職員がなだめて、最後尾へ(若い頃から好き勝手をしていたのは直りませんね)。しかし、導尿カテーテルをしており、カテーテルを外すことはないのですが・・・尿パックを外して排尿したいのですね。
トイレが済むと「話す事が無いから帰れ」と言いながら、帰ろうとすると「何も無いがここにもう少し居ろ」と言い出す。では少し居ましょうと車椅子を押して父を部屋の前まで連れて来ると、前にも書いたように「ここが俺の部屋」が始まる。一通りの遣り取りを済ませて、母の調子も悪いから変える段となり、母が「部屋に居てつまらないのならば、食堂でテレビを見たり、他の人と話したら」と言うと、「あいつ等とは話しが合わない。何処そこに旅行したとか、何を食べたといって、他人の用意したものばかりしか話さなかったり、育てもし無い魚を釣って自慢している。俺は小鳥を取ってちゃんと世話をした」(注2)と言って、部屋に戻ってしまいました。

1階に戻ると、理事長である『穏亡屋の秀さん』が通りかかったので、世間話を少ししてから施設を出ました。


(注1)
母は約15年前にリュウマチ性心臓疾患[心臓弁膜症]で心臓の弁交換手術。この時に障害者手帳2級を取得。
その後、父が入る2箇所目の介護施設の目処がついた時に左足を骨折してボルト3本入れています。この時、医師からは歩ける様になる可能性は低く、寝たきりになる可能性が高いと宣告されていました。
医師の見立てに反して退院3ヵ月後には自力での歩行及び日常生活をこなせるようになったので、前から悪かった右股関節(手術前の説明では、「軟骨が磨り減り、骨が欠けている」)を人工股関節に交換。
両方の足の手術でホボ1年間の入院となり、介護申請したら、当初は『要介護1』だったのですが現在は『要支援2』
【リュウマチ性心臓病】 http://kotobank.jp/word/%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%81%E6%80%A7%E5%BF%83%E8%87%93%E7%97%85
(注2)
法律のことはよく判りませんが、カスミ網での鳥獣の捕獲、複数羽のメジロ飼育等は違法ですか?

介護していません

2011-05-18 08:22:32 | 日記
土曜日(5/14)に父のところへ行ってきました。今回はキッカリ30分でした。

いつもの様に施設の2階に上がると、私たちを見つけた職員の方が『○○さん。お早う御座います。えぇ~と、お父さんは何処に居るかな~』と探しに行ってくれました。
父は、廊下で日向ぼっこをしながら壁の手摺りにタオルを干しておりました。
前日までは曇天でしたが、14日は晴れ上がり多少の風は有りましたが暑かったのと、ボケ老人の話す事はいつもの様に同じ事を繰り返し話したりして堂々巡りをしてしまうので、最初から『今日は一寸外出(散歩)をさせよう』と思っており、『今日は散歩しよう。家の近くまでいけるよ。』『今日を逃すと散歩に行ける日は1年後だよ』と誘ったのですが、「今日は寒いから外には行かない」と拒絶モード。それでも数日から数週間も経てばそんな事は忘れて「外に連れて行ってくれない」と文句が出るのは目に見えていたので、『それじゃ~玄関まで行って、寒かったら戻ろう』というと、仕方なく同意してくれました。

2階から降りるときには当然にエレベーターを利用いたしますが、入所者が勝手に脱走をしない様にするために暗証番号が必要です(注1)。ですので、父が暗証番号を見ないように装置に対して後ろ向きにして車椅子を止めて置きました。私が何をしているのか判らないので暇だったのか「俺、エレベーターに乗るの初めてだ」と話しかけてきます。これまでにも施設が行なう遠足(ご近所のショッピングモールへ施設のバスでお出かけ)や提携病院での受診の為に何度も乗っている事を完全に忘れています。

玄関は二重扉になっており、外から入る時には自動で開きますが、内側から出るときには隠しスイッチを押さないと開きません(注2)。『さて、父に気付かれずにこの隠しスイッチをどうやって押そうか』と思案し始めたら、職員が事務室に有るもう1つのスイッチを押してくれました。
外に出て父に『温かいでしょう。散歩しよう』と再び誘うと、「風が冷たい」との事。確かに風が少しありますが寒いという程度ではないので、『それじゃ~、目の前の分譲地を一回りして施設に戻ろう』と言う事になりました。

たいして広い分譲地[新規に造成した1画だけ]では無いのですが、『この先に見える道路が××だよ』『この林の向こうに△△さんの家があるよ』と話しながらゆっくり押していたら20分を要しました。

施設に戻ってくると「何で家に帰らないんだ」と一寸駄々が出ました。
『最初から家まで行くつもりだったのに・・・寒いから分譲地の散歩で妥協したんでしょう。』と言うと、どうにか自分の言動を思い出したようでした。

2階に戻る時にも「俺、エレベーターでうえに上がった事、無いんだよな」の発言で出るのは、もう仕方ないですね。

ところで、これまでに訪れた介護施設は全て空調管理が為されているので、施設内は適温です。そのためなのか、入所生活が長くなるほど体温調節能力が落ちるようです。父も厚手のジャージを着た上にドテラを羽織っています。

(注1)
母方の伯母2名も介護状態で別の特養に入所しております[内1名は、状態が良くなったので自宅に戻っております]。
その特養でも暗証番号を要求する箇所は異なりますが、暗証番号を知らないと施設の特定の場所へ入れません。
(注2)
現在、父が入所している施設は3箇所目ですが、3箇所共に玄関の自動ドアに関しては同じです。但し最初の施設では、『土曜日及び日曜・祝祭日は、家族以外の来所お断り』なので、自動ドアの電源が落とされた上に、施錠されていました。

投薬

2011-05-13 08:00:43 | 日記
 積極的に介護をしていない者としては、介護施設の職員の皆様には感謝しています。でも、時には職員の皆様に対して、文句というか、不満・不安になってしまいます。

 6箇月程前に『薬学検定』と言う検定試験に興味を持ちました。何の知識も無いので、とりあえず3級・4級用のテキストと過去問集を購入して読んだのですが・・・努力が足りないのか、なかなか憶えられません。
 しかし、勉強を通じて気付いた点が1つあります。それは『介護施設での投薬パターンがテキストでは薬効が薄れるので禁止している方法に近い』です。
 具体的に1つを挙げると、目薬の点眼!
 ・テキスト
   注意:複数の目薬を点眼する際には、5分程度の間隔を開けて点眼する。
   理由:続けて点眼すると、先に差した薬液が染み込む前に後に注した薬液によって流されてしまう。』
 ・施設の看護士
   続け様に2~3つの目薬を点眼している

 また、我が家には『掛かり付け薬局』があります。その薬局は家族4名[全員が薬剤師]で経営なのですが、お婆ちゃんが私の家の近くに有る特養[父が入所している施設とは別です]に入所していて、ホボ寝たっきり状態だそうです。そのお婆ちゃんに対して提携医療機関から指示した投薬をしていたのですが、状態が悪くなる一方で助かる見込みが無いといわれていた時期がありました。そのとき、実の娘である奥さんが自己責任で薬を変更させました。すると、1週間も経たずに車椅子で移動できるほどに回復したそうです。又、寝たっきりになった当初、床擦れが治らなかったのですが、処方された薬を職員ではなく先ほどの奥さん自らが投薬をしたところ、どれだけの日数を要したのかは忘れましたが、治ってしまいました。

 最初に書きましたように薬学に関しては素人ですし、投薬を為されているのは看護士の資格者ですので、私が物事を知らないのでしょうが、気になってしまいます。


介護していません

2011-05-12 11:28:09 | 日記
こんなプログでも閲覧者が居るのは嬉しいです。
ですので、先ずは書くのが遅くなったことを謝り申し上げます。
さて、先週も土曜日に父のところへ行ってきました。

当日は明け方から小雨状態が続いていたので、当初は父のところへ行くつもりはなく、午前中は家の中を掃除したりして雑用を済ませていました。先週は色々と有り、食料の買出しをしておりませんでしたので、午後からは「バス(注1)に乗って駅前にあるスーパーで買い物を」と、玄関を出ると雨が上がって雲もマバラ状態。そこで急遽予定を変更して、いつもの様に母を自転車の荷台に座らせて、父のところへ行くと同時に、近所のスーパーで買い物をすることに致しました。
 
さて前置きが長くなりましたが、いつもの様に父の様子報告。
いつもは10時近くに施設へ行くので、施設に入ると「コーヒータイム兼お薬タイム」でにぎやかですが、今回は午後1時過ぎなのせいか施設の中はとても静かでした。
2階に上がって、いつもの様に『食堂?部屋?』の2択は「部屋」にして通路を歩いていくと、丁度、職員に車椅子を押してもらいながら部屋から出て来た父と遭遇。
職員が「よかったね~。これで泣かなくても大丈夫だよ」と言って車椅子から離れたので、通路での立ち話もなんなので、私が車椅子を押して部屋で話すことに致しました。
父が開口一番「連絡があって、やっと来たのか」と言うので、「雨が上がったから午後になってから来たんだよ」と簡単に理由を説明したのですが、「連絡があったんだろ」と話が噛み合いません。ですので「連絡って?何か問題があったの?」と問いかけた処・・・
 「俺のタオルが無くなった」
   「車椅子の肘掛にぶら下っているよ」
 「代わりのタオルが見当たらない」
 《引きだしをみる》
   「タオルだったらここにいっぱい有るじゃない」
 「そこにタオルがあるのか?このタオルが無いから探してもらった」
   「あぁ~、また行方不明になったんだ」(注2)
 「そこに落ちていたから、洗ってもらった」
と言う事で、父は『タオル持って来い』と言う連絡が行ったものだと思ったとの事でした。しかし、話しはここで終らずに
 「探していたら管が絡んで、俺、どうすればいいか判らない」
   「管が絡んだって?」
 《尿カテーテルの管を指して》
 「車輪に巻き込まれた。管が破けると小便が出来ない」
   「そういう時は、ボタンを押すか、通路に出て職員を呼ぶの」
 「呼ぼうとしたけれど動けないから、俺、泣いてしまった」
ここまで話を聞いて、職員が父の車椅子を押して部屋から出てきた経緯が判りました。
つまり、こういうことだったのです。
 『使っていたタオルが無い』⇒『予備のタオルが何処に有るのか判らない』⇒『行方不明のタオルを探そうとしたら、車輪がカテーテルの管を巻き込んだ』⇒『にっちもさっちも往かないので泣いてしまった』⇒『職員が気がついて、対処した』⇒『気分転換を兼ねて、職員は父を食堂へ連れて行こうとした』⇒『私たちが偶然訪ねてきた』
言いたい事が伝わったので気が済んだのか「もう帰れ」と言うので、今回は15分の面会となりました。

施設から表に出ると雨が降ってきたので、お買い物は日曜日に変更いたしました。

(注1)
我が家の移動手段は、「徒歩」「自転車」「バス」「親戚に頼んで車」の4つです。
自家用車は、父が乗らなくなったときに手放しました。

(注2)
これまで入所した介護施設は3箇所ですが、程度の差は在りますがどの施設に置いても何かが行方不明になります。
これまでに行方不明になったものには、次の様なモノがあります。
 ・置時計 1個
 ・下着や靴下 複数
 ・タオル 2枚
 ・半纏の類 1枚
 ・毛布や膝掛 5枚
 ・お寝小用の防水シート 2枚
マジックで名前を書いてあっても、ダメです[シールを貼ったり、大きな字で書いた布を縫い付けた事もあります]。何故ならば、急遽必要だから他の入所者に使わせている事があり、父も私たちが持ってきた覚えの無い服を着ている事が良くあります。