土曜日(7/27)のブログに書きましたように、機械返却後に同じビルに入っている献血ルームで献血をしてきました。
『献血手帳』って、『献血カード』に変わっていたのですね。
それだけでも、どれほど間が開いているのかがバレてしまいますが・・・献血手帳に押されている前回の献血は平成9年[その後は、検査値が悪くって跳ねられてしまったので]です。土曜日のブログでは20年ぶりと書きましたが、「16年ぶり」が正しい。
とにかく、昔と色々と違っていて面白かったですね。
1 予約制?
10時になって直ぐに献血ルームへ向かったのですが、既に10名程度が寛いでいます。
2つある受付窓口が共にふさがっているので後ろで待っていると係りの人が声を掛けてくれましたが、「成分献血」は予約で午前中はホボ満席状態なので「全血400」にしてもらえると助かるとの事。
400だろうが成分だろうがこちらは構わないので承諾しましたが、成分に固執したらどうなったのだろう?
2 説明が長い!
400で献血する事が決まったら、受付脇にセットされている注意書きのパンフを渡されて、色々と説明や確認が始まりました[勿論、イスに座って、パンフはテーブルに広げおります]。
「献血後は水分を多くとりましょう」「トイレは座って用を足してください」「献血中に体調が悪くなったら、遠慮せずに声を掛けてください」「海外渡航歴はありますか」「薬を飲んでいますか」「●日以内に抜歯や歯石除去を行いましたか」「献血後、腕や指先が痺れることがあります」等など。昔は、こんなに説明事項や質問事項が多くなかったけれど?
3 コンピューターですか!
窓口が空いたので、先程の方が私を連れて行ってくれたのですが、先程頂いたパンフが目に止まったからいいようなものの、ここでも同じ説明が始まりそうでした。
渡された問診表の裏面に署名を求められたので記名すると、今度は受付横にある機械に誘導されて、『画面の質問に答えて、出てきた問診表を持ってきて下さい』と言うことになりました。最初に受けた説明及び確認と同一内容ですよ!
そうそう、「献血の協力者に登録していただけますか?」と聞かれたので、『昔は登録していたけれど、通勤経路が変わってしまったので登録してもこれないかもしれないので、辞めておきます』とお断りしました。
⇒献血終了後に、秋になったら400献血に協力する葉書は書いたけれど。
4 もしかして「初めて」扱い
打ち出された問診表を窓口に持っていくと、首からぶら下げる名刺フォルダーみたいな物が渡されました。これを下げている人って他には居ないのだけど・・・最初は400の人用からと思ったけれど、先程の問診票を入れているフォルダーの色で区別している事がわかったし、他に400を採る人はぶら下げていない。
コンピューターに回答するときに「期間が開いていますから『初めて』のボタンを押して下さい」といわれたことを考えると・・・100回以上献血しているのに「初めて」扱いですか?
5 血圧は自分で事前に計るんだ!
この後にも書きますが、昔は検査採血の際に血圧測定を行い、医師による問診が行われました。その心算で居たら・・・採血室前で入室者の管理をしているとおぼしき方から「血圧を測ってください」と言われてしまいました。
6 問診が先になっている
採血室に入ると、問診が先になっておりました。
上に一寸だけ書きましたように、昔は「血圧測定」⇒「検査採血」⇒(看護師による問診票へ検査値の記入)⇒「問診」だった筈?
それに問診で聞かれる事って・・・注意事項の再確認と、消毒薬でカブレた事実があるかどうかの確認と言うとても簡易(手抜き)です。
7 テレビ付きなんだ
問診の後、検査採血を行い、再び待合室で呼ばれるのを待つ事、約5分。再び採血室に入って、いよいよ採血開始ですが、各ベッドに小型テレビが付いています!
平成が一桁の頃には確か成分献血用のベッドには付いていたけれど(献血バスや施設を借りての献血は除く)、サービスがよくなったんですね。
8 痛いぞ!
本採血の針は昔の記憶ではそれほど痛くなかったのに、今回は痛い(痒かったら可笑しい)。
我慢するほどの痛みでは無いけれど、こんなに痛かったっけ?
9 何があった!
採血の終了近くになって、担当する看護師の方が別の方に変わったのだけど・・・
●採血開始時点での看護師
私と同じく400採血をする方の横でオロオロしています。
新たに私のことを担当してくれている看護師に助けを求めてきましたが、私に対する処置等で無理。やり取りを聞いていると、どうも針を刺すべき血管が確保できないらしい。私達は採血室の入り口付近のベッドに居るのだけど、中ほどのベッドを担当している方が呼ばれていました。
●交代後の看護師
採血が終了し、採血後の血圧測定の為にそのままベッドに横たわっていたのですが・・・私の問診表に記入すべき数値か何かが抜けているらしく、問診表を振りかざして周りの看護師に「これ誰が確認したの?」と聞いています。それに関係しているのか、先ほど問診をした医師が近づいてきます。
何の説明もナシに私は解放されて、10時45分頃に待合室へ。
10 うぅ~滅茶苦茶飢餓状態だよ
[別の題名をつけると「ヒル、ヒルだよ~。お昼ごはん食べに帰るよ」(CVは国府田マリ子さんでお願いします)【判る人だけ笑ってね。】]
「40分間(別の人は30分といっていた)は居てください」と言われたので11時30分まで待合室に居たけれど・・・献血後は血液が不足した分を補うために空腹を感じるのが常でしたが、今回はお昼近いのでダブルで体が食事の要求してきました。
用意されているお菓子を食べ漁る訳にも行きませんから、待合室ではビスケット4枚とアイスコーヒー2杯だけでひたすら我慢。献血ルームの近くに従姉宅があるけれど、手土産もなしに急に行って昼食をおごってもらうほど「厚顔無知」「世間知らず」では無いから、JRに乗って、私鉄との乗換駅へ。この乗換駅[JR側]の中には確かラーメン屋があったはずなので記憶を頼りに探したけれど無い(私鉄側は毎日使うけれど、JR側は使わない)。仕方なく私鉄に乗って自宅の最寄駅へ移動。駅ビル2階にお弁当屋が3件あるので、そこで「とんかつ弁当」でも買おうとしたけれど・・・高! 何時もは閉店間際だから500円以下で買っているお弁当が当たり前に800円とか1,000円です。諦めて100メートル先にあるスーパーで「お弁当」「お惣菜セット」と菓子パン(夕食用)を購入。昼食をとったのは13時ごろ。この後も激しい空腹感に苛まされ、夕食は17時にとってしまうし、翌日の日曜日は激しい眠気に襲われてお昼まで起きれなかった。
高校生の頃も空腹感は感じていたけれど、自転車で40分も走って自宅に帰れたのに・・・やはり年なのかな~?次の時は(覚えていればだけど)、速やかに食事を取り、且つ、間食もしようっと。
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それで、人を助ける方法が、献血や募金以外にもあるので、それをお伝えします。大阪にある、『豊能障害者労働センター』では、バザー品を一年中募集していて、バザー品の売り上げが、障害者福祉に使われています。 私は、献血でもらった景品も、自分では使わない物は、ここに送っています。
このセンターでは、5つのリサイクルショップを運営して、バザー品はそこで売られています。ここのセンターにバザー品を送ることは、障害者の方々に『仕事』を提供することにもなり、障害者の『自立』を支援することにもなります。
私も「ずっと長く使う」と信じて買ったものが、意外と使わなくなった、ということが、よくありました。以前はもったいないと思いながら、不用品を泣きたい気持ちで仕方なく捨てていましたが、今はここの労働センターに送れるので、とても嬉しいです(^^) それで、私と同じように、「使わないものを捨てられない」と悩んでいる人を助けたくて、多くの人に、この労働センターを教えているのです。
バザー品の送り先のHPはhttp://www.tumiki.jp/bazar.html です。ここでは、一般のリサイクルショップで引き取らない物や、他のバザー会場で売れ残った物も受け入れていて、それらはきちんと商品として販売されています。
また、ここの送り先を気に行って下さったら、知り合いの方にも伝えて頂けると嬉しいです。私は一人でも多くの「もったいなくて捨てられなくて困っている」方々を助けたくて、そして多くの家庭に眠っている『不用品』が、社会貢献のお役に立ってもらいたいので(^^)