介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

チョット危なくなりました

2011-11-29 16:58:27 | 日記
前回から2週間も間が開いてしまいました

先ずは、この2週間で父のところへは行ったのは26日の1度だけ。15分間です

それよりも、自宅で日常生活を自力で行っている母の状態が・・・
先ず、以前書いたように歯がグラついていたので小食になっておりましたが、その後も別の歯がグラつくようになった為に小食が続きました。そして、それが今も続いております。
仏壇に上げるご飯の量とどちらが多いか判らないほどです[各家庭で、神棚や仏壇に上げるご飯の量はバラバラなので、参考にならない比較ですね]。

次に、軽度の狭心症が頻発しているのか、僅かな歩行でも苦しいと言う事が多くなり、リハビリを兼ねたスーパーへの買い物もしておりません。更に、施設との話し合いで父が病院へ行く時には家族(母)が付き添う事になっておりますが、施設までの徒歩20分が無理と言う事で、24日に行く筈だったのに父は病院へ行っておりません。

最後に、26日に母を連れて父のところへ行った訳ですが、帰宅後、母の両足には赤アザができており、それが痛む為に横になっている時間が増えてしまいました。
不運のスパイラルは続き、足の痛みは熱を伴っているので、どうしても水分を摂取してしまいます。これが原因で、心臓への圧迫と、足のむくみが増してしまい、更に起き上がれない状態となりました。

下手をすると、母の方が先になるかもしれません。

介護していません

2011-11-15 09:26:14 | 日記
本当は行きたくなかったけれど・・・土曜日に父の所へ行ってきました。
所要時間は約20分。

過日、母が歯を自力で抜いた事を書きましたが、他にもグラついている歯があり、その後も3食「おかゆ」生活を続けたせいなのか?朝起きるのが緩慢であり、時として「体が地震」と称して起きません。当人に聞くと、地震とは動悸や目眩を指すようです。
そんなことも有り、自宅を出たのが10時過ぎ。施設に着いたのが10:17でした。

特段、事務所等に用事は無いし、事務員も用事で私たちを呼び止めることが無かったので、そのまま2階へ。
2階に上がり、いつもの様に「さて、父は何処に」と話しながらロビーに向かうと、父に良く似た人がロビーを横切って、食堂から部屋へ向かっています。
以前、別の方だったことがありますが、取敢えず母と二人でその後を追いかけていき、トイレ前を過ぎたあたりで追いついてみると、父でした。

二人で父に声を掛けると「日向ぼっこをするんだ」との返事。
それではもう少し日当たりのいい場所へと言う事で、父が入っている部屋の1つ手前まで車椅子を押して移動。
父は「ああ~あたたかいな~」と言いながら、自分の部屋へ入ろうといたします。
2人部屋なので、今日はもう1人の方も部屋の中に居りましたが、父はそれが嫌なようでして「居やがる」と呟きながら先程の位置に戻ろうとするのですが、車椅子の車輪が上手く捌けず、隣部屋にバックで入ってしまいました。

どうにか自力で当初の位置[隣部屋の入り口横]に戻ったので、先週、父のところへこれなかった詫びと理由[親戚の七五三祝い]を私が言ったのですが、その時点で私が居ると言う事にはじめて気付いたようです。その上、先週来なかった事などどうでも良い様な感じでした。
大分、ボケが進みましたね。

この後、どの部屋の方かは知りませんが、女性入所者が近付いてきて「あら、いいわね~」と会話を始めるのですが・・・やはりトンチンカンな答えをしています。
 入所者「お近くなんですか?」
 母  「ええ、直ぐ近所なんです」
 入所者「だったら毎日でも来れるわよね」
 私  『(心の中で)余計なお世話!』
 入所者「私は北千住だから、ここに厄介払いされて、家族は滅多に来ないの」
  ※因みに北千住は東京都にある北千住であり、私が駅前のスーパーと書いている駅まで
   電車で来るのに、2経路ありますが、最も早い電車(快速特急)で40分程度掛かります。
   駅から施設の最寄のバス停までは凡そ15分程度
 私  「それでは、○○線で△△駅乗換えで、ここまで1時間位ですね」
 入所者「家ばかりで、施設(入所施設の事?)が無いのよ」
 父  「そうだよね。昔はここは森と畑で何もなかった」
 一同 『???』
 母  「おばあさんは、自分の住んでいた家の事を行っているの。この村の事を尋ねていないの。分かる?」
 私  『(心の中で)自分は「私には孫が居ないから、おばあさんじゃない」と言って、
     おばあさんと呼ばれると怒るくせに、他人はお婆さん呼ばわり?』
 入所者「それじゃ~ごゆっくりと」

女性入所者との会話も終わり、来たのも遅く、買い物も控えているので、帰ることに。
ロビーを過ぎてエレベーターの近くに来ると、先程の女性入所者が近付いてきて「あら、もう帰ってしまうの。もっといてあげなさいよ」と、私たちにとっては余計な一言。
母が「近所でちょくちょく会っていますから、長く居る必要はないの」と言って、サッサとトンズラ。

その後、いつものスーパーに行くと白菜が安売り(1玉99円)していたので、買いたそうなそぶり。
そこで、おとなしく待っているのであれば、荷物を2回か3回に分けて運ぶから、好きなだけ買えばと提案したら、3玉買った上に、トイレットペーパー12ロール入りも1つ購入。
母が他の物を購入している間に、私は自宅に戻って長めの荷縄を自転車のカゴに投入して、再びスーパーへ戻って、スーパー内の洗剤コーナーで母と合流。
レジ近くに置いて在る手ごろな段ボール箱に白菜3玉を詰め込み、トイレットペーパーと共に後ろの荷台に括り付け、残りの荷物は自転車の前カゴに何とか押し込んで、一旦帰宅。
荷物を降ろすと、再びスーパーに行き、母を乗せて無事帰宅いたしました。
時計を見ると11:30だったので、1時間30分程度の外出となりました。


壁の修理

2011-11-11 08:43:52 | 日記
予定していた火曜日は雨だったために第2回目の工事日が延びてしまい、昨日、壁の修理が終了いたしました。
でも、壁の修理に伴い、荷物を寝室に仮置きしたままなので、母は「埃っぽい荷物と一緒の部屋では寝たくない」と言って、わざわざ狭い部屋で寝ております。
明日、土曜日には何とか片付けてあげたい。

↓が震災後[3月20日ごろ]に撮影した物です。

≪南西部 その1≫ 壁の一部が崩壊



≪南西部 その1の部分拡大≫ 外からの光が差し込んでいる


≪南西部 その2≫ 根太との間に亀裂が走っている

介護しませんでした

2011-11-07 07:53:18 | 日記
先週は、文化の日を含めて3日間の休みがありましたが、1回も父の所へは行きませんでした。

先ずは、11月3日(木)
 土曜日に父の所へ行くつもりですから、元々、この日に父のところへ行こうなんて殊勝な気持ちは持っておりません。

1日置いて、11月5日(土)
 母がなかなか起きなくって、8時近くになってから朝食。
 すると、庭先から「お早う御座います」との声が聞こえてきたので、何事かと思い表を見ると、どこかで見たような男性が1人立っております。
 キョトンとしている私に「壁の工事に来ました」。ハイ、3月11日の震災で一部崩れた壁を、やっと直しに来てくれたのです。それも、事前連絡無しに突然[1ヶ月ほど前に見積書は貰っております]。
 4名の方が分担して17時まで工事してくれましたが、それでも1/2弱程度しか工事は進まず、残りは火曜日に工事を予定。
 家を留守にする訳にもいかず、結局、父のところへはいけませんでした。

明けて、11月6日(日)
 昨夜から降り続く雨のせいもありますが、今日は親戚から七五三祝いに呼ばれておりますので、父のところへは行けませんでした。
 しかし親戚とは言え、町会の人間だけでも30名近くを呼ぶというのも大変ですよね~。それにしても、主賓である子供[長女6歳、長男5歳]がお色直しをしたり、最近話題になった「碁盤から飛び降りる」(注)の真似事をしたりと、会場で行うと賑やかですね。思い起こせばウン10年前、そのころは仕出し屋に頼んで自宅で行うことが未だ当たり前であり、私の七五三祝い(7歳)も自宅で行いましたが、30名は超えていなかった様な気がいたしますし、お色直しなんてありません。

(注)
 会場で係りの方が初めて公開された儀式みたいな事を言っておりましたが、50年程前にも現在の皇太子や秋篠宮が5歳の時に行っておりますし、少なくとも私は斯様な儀式があることは知っておりました。ただ、やんごとなき方々が行う儀式なので、下々は真似るのを控えたいただけの筈です。
 変な例えですが「鵜の真似をするカラス」ですね。

介護していません

2011-11-04 12:57:33 | 日記
書くのが遅くなってしまいましたが、先週も土曜日に父のところへ行って来ました。

先週は月曜日から寝不足が続いた為か、土曜日は朝食後の食休みで10時まで爆睡。
母に『何で起こしてくれなかったの』と言うと、「疲れているようだし、良く眠っていたから起こさなかったの。ソロソロ起こそうと思ったのよ」との返事。
慌てて出かける支度を始めて、施設に着いたのが10:20頃

施設の2階に上がり、ロビー近くまで行くと、女性職員の方が「お父さんは日向ぼっこしていますよ」と、親切に教えてくれたので、ロビーを左に曲がると、トイレの少し先に父がいました。
いつもの様に取り留めのない話を5分程度して、父には「ソロソロ帰るよ」と言っている最中に、先程とは別の女性職員の方が私たちの為に椅子を2脚持ってきてくれたので、行為を無にしては何なので、とりあえずは座る事に。

父も私たちも特に話す話題もないので、3人で黙って日向ぼっこをすることとなってしまいました。
半分寝惚けた状態の私は、舟を漕ぎ出してハッとし手目を覚ましたので、ここらが潮時と思い、私が父に「買い物があるから、もう帰るよ。散歩でも行くのならば、一緒に行こう」と話しかけると、「未だ寒いから、温かくなるまでは外には出ない。もう少しここに居ろよ」との返事。

今は11月だから温かくなるのには半年も掛かるというと、怪訝そうな顔をしました。
これまでにも書きましたが、父の言動は季節を無視しております。どうも父にとっては、常に今は「春先」「田植え前」のように感じます。

施設を後にしたのが10:45頃なので、私のうたた寝を含めて、なんやかんやで25分も居たのですね。

その後、いつものスーパーへ移動する際に警官に二人乗りを注意されたので、母を荷台に乗せたまま私が降りて自転車を押そうとしたら、再び注意を受けたのですが・・・母が足の悪いことを話すと、ぶつくさ呟いて、解放してくれました。