介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

介護していません

2011-12-26 12:26:54 | 日記
先週も土曜日に父のところへ行ってきました。
施設滞在時間は15分。

先ずは金曜日
 母が午前5時20分頃に私を叩き起こす。最初は話しが噛みあわなかったが、今日が「天皇誕生日」であることを忘れていた為に、私が寝坊した思い、アセって朝食を準備したと言う事が判明。
 今上天皇の誕生日は12月23日であり、4月29日は20年前に御隠れになられた昭和天皇の誕生日で有る事を思い出させるのに10分程度かかった。病院から戻って10日程度なので日付の感覚がずれているのだと思うが、ボケの初期症状とも考えられるので、チョット心配。
 冬至は過ぎてしまったが柚子好きの同僚にあげる約束をしていたので、隣との境に生えている木から柚子を50個ほどもいで於いた。

土曜日
 9時ごろ、父のところへ向かおうとして母に出かける支度を急かすと、昨日の柚子を馴染の薬局に持って行くというので、母はスーパーのビニール袋へ10個ほど入れている。母が柚子をビニール袋に入れている間に、私は庭に生えている柿の木から比較的未だ硬めの柿を3個もいでおくと、母がその柿もビニール袋へ投入。「さて、ソロソロ出掛けようか」と言う段になって、私に「寒いから、手袋をしなさい」と言って、再び家の中へ。そんなこんなで、施設の書類に書いた訪問時間は9:50。
 見舞人か入所施設者なのかが判明しない程ヨタヨタしている母を私の袖に摑まらせて2階に。
 2階ロビーには父は居ないので、日向ぼっこをしているのかを確認する為に廊下を見たけれど、居ない。では、食堂か?と、確認しに行くとそれらしき老人が背中を向けて座っているので、ロビーに戻り、母を連れてイザ食堂へ。
 約3週間ぶりに母の顔を見た父は安心したようでした。
 父が座っているテーブルの横で介護職員が4名かたまって、何かヒソヒソ話しをしているので、父の事はほおって於いて、聞き耳を立ててみると、『入所者に対する見守りは、どうのような配置で行えば良いのか』の意見交換。出てきた意見を纏めると『常時見守りが必要な入所者を中央のテーブルに集める』のと、『満遍なく散らして、フロアー(食堂)の4隅に立った2~4名で見守る』の2つ。結局、後者の方が良いのだろうと言う事になったようです。
 意見が纏まったようなので、改めて父の方に注意を向けると、母が帰る素振りをしているので、私は父とは話さずに帰ることになりました。
 その後、薬局に母を連れて行くと、1時間ほどの長談義が始まり、買い物もあったので、家に戻ったのは12時チョット前。

母 起きません

2011-12-21 12:40:13 | 日記
1週間前に病院から帰ってきた母ですが、寒さのせいもありますが、私が会社から戻ってくるまでの間、余り布団から出る事が無く、寝ているようです。
余り寝ていては母の足腰が弱ってしまい、歩けなくなってしまうでしょうから、少しずつでも歩行時間を増やす何か良い策は無い物でしょうか?

○朝
 色々とあって、我が家の朝食は4時台。
 3時ごろに炊飯器のスイッチを入れに母は起きていますが、その後は呼んでも布団から出てこず寝て居ります。
 本当は孤食をさせたくは無いのですが、私は6時には家を出るので、どうしても孤食をさせてしまいます。でも、今日は二人で食べることが出来ました。
○日中
 昼ごはんは食べていると思います。
 食器の後片付けや風呂掃除もしているようです。
 洗濯物も取り込んでくれて居ります。
 部屋の掃除はしていないようです。
○夜
 私が帰ってくると、大抵は布団に包まって横になって居ります。
 風呂は沸いて居りますが、夕食の準備は私が戻ってから2名で行っております。
 洗濯機を回したり、洗濯物を干すのは専ら私の仕事です。

介護していません

2011-12-19 08:50:58 | 日記
先ずは、病院から戻ってきた母
ご飯やオカズは作ってくれますし、風呂にも自力で入りますが、動きません。
寒いせいもありますが、布団にもぐって横になっております。
以前と同じく、僅かずつでも歩行距離を伸ばす訓練を室内で行うようにさせないと、このままでは歩けなくなるのでは無いかと心配です。

父の方は、母が斯様な状態なので土曜日に私一人で施設に行ってきました。
施設内に居たのは10分間。
施設の2階に上がり、父を探すと日向ぼっこをしていたので、母が戻ってきた旨を話すと安心した様子でした。
他に話す話題も無いし、当人が帰れと言うので、何もせずに帰ってきました。

母 退院

2011-12-16 12:11:11 | 日記
昨日、無事に母は退院いたしました。

会社を12:55頃に出て、病院に到着したのが14:30頃。
病室が旧館6階に変わったことを聞いていたので、メモした病室番号を探していると、服に着替えた終っている母とトイレ前でバッタリ遭遇。
モゴモゴ何かを言っているので、耳を近づけると・・・「病室を追い出されてラウンジに荷物を置いてあるから」との事。
ラウンジに行って見ると、母の荷物を入れた手提げ袋が1つだけ有る状態。ラウンジで暫く待っていると、戻ってきた母が金額の書かれた紙を私に渡すので会計が済んだのだと思ったら、「会計をして済ませたら、それが終ったらナースセンターに声を掛けてから帰る様に」とナースに言われたから、会計は済ませていないとのことでした。
事前にお金を入れて渡しておいた封筒を荷物の底から取り出させて、仕方なくエレベーターで1階に降りて、新館まで歩いて会計へ。
会計受付窓口に紙を提出して、椅子に腰掛けたら直ぐに呼ばれて支払。
15日間の入院で8万円弱の支払ですから、1日当たり約5300円。これが高いのか安いのかは不明。

支払を済ませて旧館のエレベータまで歩いている途中で、アップルジュースを購入。
本当は飲み食いが禁止されているけれど、ラウンジで先程のアップルジュースを母に飲ませた後、荷物を持ってナースセンターへ。
母がナースセンターの受付嬢に「会計済みました」と言ったのですが、モゴモゴ言っているので、相手は「?」状態。このままでは話が進まないので、私が『○○です。会計が済んだのでその旨の連絡にはました』と言いながら領収証を見せると、「看護士から説明がありますから、帰らずにラウンジで待っていてください」と言われてしまい、チョットだけムッとしてしまいました。
再びラウンジで待っていると看護士が来て、退院後の診察予定表や薬を渡してくれましたが、私はイラついていた為か「お部屋に忘れ物はありませんか?」との親切な問いかけにも、『そっちの都合で、母を部屋から追い出しておいて、いまさらわすれものもあるかよ!』と心の中で思ってしまいました。

エレベーターで1階に降り、緊急外来用で入り口前で母に「バスで帰る?タクシーで帰る?」と聞くと、足取りがおぼつかないのでタクシーを使って帰宅ということに。
このとき、受付に備え付けられている時計を見ると15:40頃でしたので、退院手続きで1時間かかったことになります。
運転手が社内旅行で香港へ行ったときの話をしてくれたので、気付いたら自宅の直ぐ近くまで来て居りました。
福祉タクシー券を使って現金払いをすると、どういうシステムなのかその場で400円が戻ってきたので、私のポケットへ。

母はゆっくりと家まで歩いていくと言うので、私が先に玄関の鍵を開け様と家まで来ると、玄関前には我が家を根城にしている猫4匹が日向ぼっこ状態。
予期せぬ時間に私が戻ってきたので、多分『エサくれ!』と擦り寄って来たのだろう猫を蹴散らし、鍵を開けて、部屋を暖めて、窓を開けて空気の入れ替えをしていたら、母が門の近くまで来ています。
落ち葉などで足を滑らせたら大変なので、竹箒を持って慌てて庭掃除。
改めて時計を見ると、確か16:30頃だったとおもう。

その後、手提げ袋に入れた荷物を片付けたり、夕食の準備を2人で行ったり。

19時過ぎに少し熱めに沸かした風呂へ母が1人で入ると、2週間分のナニがまるで脱皮したかのように湯船に浮かんできたそうです。

母 退院決定

2011-12-12 20:50:21 | 日記
日中、母より会社に居る私宛に退院日が決まった旨の電話が入りました。

本当は火曜日だったのですが、こちらとしては『平日では迎えに行く(同居)家族が不在』と言う理由で土曜日を当初希望。
でも、それは聞いてもらえないだろうと言う事で、『火曜日は絶対にダメだけど、木曜日か金曜日の午後(3時ごろまでに手続き)だったら、無理やり都合を付ける』と妥協案を提示したら、木曜日と言う事で主治医及び病棟看護部長がOKを出してくれました。

木曜日は12/1の時と同じく、一旦会社に出てきて会社の全ての鍵を他の社員に渡し、お昼を食べたら病院へ直行(の予定)。母の歩行能力によってはタクシーで帰宅。
あぁ~これが金曜日だったら、2.5日の連休になったのになぁ~。残念。

もうすぐ退院?

2011-12-11 12:49:16 | 日記
土曜日に父のところと母のところへ行ってきました。

午前5時00分
 後述する理由で、「やっと帰れる!」と思える状態に到達。
 始発の電車が5時08分だから「間に合う」と、セキュリティを掛けようとしたら、事務室の電気を消し忘れていた。
午前5時20分
 再度の施錠確認を行い、会社の最寄り駅へ
午前7時00分
 無事帰宅。
 雨戸を明け、猫たちに餌を与え、洗濯機を回して、風呂掃除などを終らせた後、テレビのスイッチを入れたら、東京MXテレビ「ミンキーモモ」(「空モモ」と呼ばれる初代モモ。しかし、何10年前だよ!)が映ったので、朝ごはんも食べずに見ていた。
午前8時00分ごろ
 洗濯機が止まったので、久しぶりに屋外に洗濯物を干す。
 やはり、洗濯物を外に干せるというのは、部屋干しをしなければならない状態よりも気持ちがいい。
 洗濯物を干し終わると、昼寝用布団に横になってテレビを見る。窓を開けた隙に入ってきていた猫4匹が寄って来たが、面倒だからそのままにして猫の体温で温まっていた。
午後9時00分ごろ
 金曜日にガス屋さんが来たのだが不在だった為に、今日集金に来た。
 生活費を入れている場所には「新聞代+小銭」しか入っていなかったので、約7千円を私の財布から支払う。
午前9時40分ごろ
 横になってテレビを見ていたらウトウトとしてしまい、何度か少し離れた所にある目覚時計を確認したが、何度目からからは9時30分から殆ど進んでいないので、寝不足の頭でも『おかしい』と気付き、飛び起きて目覚時計を良く見ると9時40分(長針が見えておらず、何かの影を長針だと思っていたようです)
午前10時00分
 父が入所している施設に到着。
 母のことで職員に呼び止められるかと思っていたら、何も無かったので2階へ。
 ロビーにも食堂にも居ないので部屋へ行ってみると、父が横になっております。
 声を掛けると返事があったのですが、話してくる内容が支離滅裂で意味不明[シモの話なので、割愛します]。
 同室の方が戻ってきたので、『用がなければ帰るよ』と言うと、帰ってもいいと言う事で、10時15分に施設を後にして、帰宅の徒へ。
午前10時20分
 帰宅。
 リュックサックを押入れから出して、母のところへ行く準備を開始。
  ・従兄に連帯保証人欄を書いてもらった入院の書類
  ・先週、母に頼まれたタオル3枚
  ・先週持ち帰ったバスタオル1枚[当然に洗濯済み]
午後0時20分ごろ
 先週不在で受取れなかったから『本日の12時~14時』で再配達手続きしていた郵便小包が届く。これでやっと出かけることが出来る。
午後0時40分
 母の入院している病院へ向かって出発。
午後1時15分
 病院に到着。
 入館手続きを済ませて病室に上がると、先週は母1人だけだった病室は、満員(4人)状態。
 母に持ってきたタオルとバスタオルを見せると、全部いらないといわれてしまった。
 どうも枚数を勘違いしており、予備が未だあると思っていたことが判明。無事、タオルとバスタオルはベッド横の棚へ収まる。代わりに、使用済みのタオルとバスタオルをリュクサックの中へ。
 入院の手続き[1週間も後れてしまった]をする為に、病室を出ようとすると、ジュースか炭酸が飲みたいというので、病室に戻る途中で炭酸飲料を購入。
 病室に戻り、カーテンを閉めて、炭酸飲料を母に手渡す。母が炭酸飲料を呑み終わるのを待って、今朝の父の様子と、ガス代7千円のことを話す。母から「昨日の検査結果がよければ、火曜日に退院だから迎えに来てね」と言われたが、火曜日は何が何でも無理なので、退院が本決まりになったら別の人間に連絡して退院するしか無い事を納得させる。
 看護士が検温に来たので帰ることにしたら再び退院日の事を話し出す。多分、看護士に状況を認識させる為だと思ったので、『平日は会社の重要な鍵を幾つも所持して開錠・施錠しているから、それなりの代替者に鍵を渡しておかないと来れない。どう考えても・・・遅くとも3日前の昼までに退院日が確定した連絡がないと、代替者が見つからないので、火曜日の退院を月曜日に連絡が来ても、休めない』と返事をすると、看護士が手板に挟んでいた紙にメモをして「火曜日の難しいようですね」と言ってくれた。
午後5時ごろ
 チョット寄り道していたので遅くなったけれど帰宅。
 猫に餌をあげ、風呂がまに火を入れる。
午後6時ごろ
 油の量を間違えてベトベトなってしまったマーボ豆腐をおかずに夕食を食べていると、新聞屋が集金に来る。
 風呂に入った後、午前と同じく昼寝布団で横になりながらテレビを見ていたら、寝てしまった。気付いたら午後9時を過ぎていたので、自室に戻り就寝。


しかし、先々週、先週は辛かったです。
オリンパスや大王製紙が起こした不祥事の影響で、親会社(左記の会社とは無関係)の監査法人から連結対象子会社に対して臨時の会計監査及び内部統制体制のシステムチェックが今月実施と決定。
納期が書類到着の翌日とか当日になっている事前調査資料が、社長からメール転送でドンドン降って来て、殆ど家に帰るのが終バス。どうしても間に合わないので金曜日(12/9)は泊り込みで仕事を片付けて、近くのホテルに泊まろうと思っていたら・・・取敢えず予定していた仕事が終ったのは土曜日の午前5時。
今日も、朝6時に家を出て・・・只今、休憩をしているけれど・・・残りの仕事を片づけ中。最悪のケースを考えて、私服では来なかったけれど、やはり家には帰りたいよ~

昨日は市役所から

2011-12-07 08:03:45 | 日記
ケアマネージャーが介護認定の更新申請手続きをしてくださる事になったと言う事は前回書きましたが、その申請を受けて、市役所の介護担当部署から勤務先に電話が入りました。

ケアマネージャーは、私が立ち会った方が良いだろうと言う事で「土・日を希望」と書いてくださりましたが、市の職員が病棟の看護士に確認した所、病院としては『本人は受け答え可能なので面会に支障は無い。』との回答があったために、わたし抜きで当人との面接(ボケの有無等の対面調査)をする事になりました。
市の職員から「入院すると、ボケが進行する方が居りますが、どんな感じですか」と問われた際に、『ボケは進んでいないように感じます』なんて、まともに返事するのではなかったと、電話を切った後で後悔致しました。

ケアマネージャーから

2011-12-05 20:51:23 | 日記
夕方近くに、勤め先に母を担当しているケアマネージャーから電話が入りました。
何事かと思って電話に出ると、母の介護認定の更新手続きについての打ち合わせ。そういえば、木曜日の午後に病院へ行った際に、母は「市の認定職員が認定に来るから、病室で会うのがいいわね」と行っておりました。

これまでは、母が「ケアマネージャー任せ」で介護認定の更新をやっておりましたので、私も同じく「ケアマネージャ任せ」の気持ちで応対しましたが、私の状況を理解した問い掛けをしてくれて、助かりました。適当な方だったら、市の認定職員と会う日が平日の日中(自宅か病院)になってしまったでしょう。四角四面な方だったら、手続きの代行はやっていただけたとしても、書類の入手や記入は当人又は家族に行わせるようです。
本当に良い方が母のケアマネージャーになってくれて感謝です[父が現在の特養に入所できたのも、施設内でこの方が強くプッシュし続けてくれたお陰と聞いております]。

母入院(続報) ほか

2011-12-05 08:02:41 | 日記
12/1(木)
 未明に救急車で運ばれた母を残して会社に向かう。
 8時に会社の鍵を開けると、やや暫くして、社員の1名が出社。当日の行動予定を訪ねると『外出予定無し』と言う事なので、事情を説明して、私が預っている会社の鍵一式を渡し、施錠の手順を説明。
 午前中は月初の諸々の仕事があるので、昼に退社。
 午後1時30分頃に自宅に戻る。洗濯物も残っていたので洗濯機にぶち込み、その間に、途中で購入したパンで遅い朝食兼軽昼食。洗濯機が終らないので軽く風呂掃除を行い、風呂桶に水を張っている間に、母の着替え等を準備。
 洗濯機は未だ終らないし、入院の準備も完全には用意できなかったけれど、バスの関係で出かけるのに丁度良いと考えた午後2時チョット前、会社から支給された携帯電話が何箇月かぶりに鳴る。携帯に出て話し始めたらバッテリー切れ。仕方なく、自宅の黒電話から会社へコール。どちらが勘違いしていたのかどうでも良いが、私は明日会う予定にしていたドコモショップの社員が来たとの事。
 予定したバスに乗り遅れたので、次のバスが来るまでの30分間に洗濯機も停まるだろうと考えて自宅で待っていると、父の実家に住んでいる従兄に見つかってしまい、今朝の状況を説明。
 明け方の緊急通報に対する確認の電話が入ったので、入院した旨を伝えると、母が退院したらその旨を機械を使って知らせる様に指示。
 洗濯物を手早く(気持ち、しわを伸ばして)干して、イザ病院へ。
 午後3時40分頃に病院到着。外来用の入り口が開いていたので、見舞い人の手続きを省いて院内へ。最寄のエレベーターが上がったせいで、病棟を間違えたのはご愛嬌。
 点滴(多分、抗生物質)と尿カテーテル状態の母は、素人目にも半日で大分良くなっており、会話も出来た。3日の日にやってほしい事を幾つか頼まれる。

1日空けて、12/3(土) 
 午前9時00分 デーサービス会社に母が入院した旨を連絡。
 午前9時10分 1日に「大根と柿を馴染の薬局に渡して欲しい」と頼まれていたので、リュックサックに詰め込んで、土砂降りの中、先ずは父の入っている介護施設へ。
 午前9時25分 施設に到着。事前に父のことで呼ばれていたため、先ずは職員との話し合い。母を担当しているケアマネージャーも同席。父は施設が提携している病院で見てもらうことに変更。積極的治療は行わない事を改めて確認。
 午前9時45分 2階に上がり、食堂に居た父に母が入院した事を「年1回の心臓病の定期検査」と言い換えて、それと無く話す。目の前のコーヒーを飲んでいないので、先程職員から「お父さんはこのごろ薬も飲むのを嫌がっている」といわれた事もあり、『水分を取らないと、病院で大嫌いな注射を余計に打たれるよ』と脅したが、暖簾に腕押しで、ヘラヘラ笑っているだけ。
 父と話していると、私が久しぶりに赤紺色のリュックサックを背負っていた為か、父が別の施設に入所していた時に私の姿を何度か見ていたと言う女性入所者が声を掛けてくる。入所者のグチは大抵決まっており「あんたは偉いね~毎週来て。うちの家族は来てくれないのよ」とか「もう帰るの?もっといなさいよ」のどちらか。今回は前者だった。
 9時55分頃に施設を後にして、薬局へ。大根と柿を渡したら直ぐに帰るつもりだったが、医師から言われた病名について知りたかったので母が入院した事と言ってしまった為に、1時間半も雑談。
 帰宅後、1日の日の夜に炊いたご飯の残りを炒めて、昼食。汚れ物は水を張った洗い桶にぶち込んでおく(食器用洗剤をチョット垂らして)。
 午後3時00分頃 1日に頼まれた不足品(目覚し時計、くし、ブラシ、スリッパ[取敢えず3足])と、薬局がお見舞い品としてくれた「吸い飲み」や化粧品サンプルをリュックサックに詰め、最近になって買ったPSPを片手に母のところへ出発。
 午後3時40分頃 病院に到着。こんどは外来用の出入り口が閉まっていたので、チャンと入館手続き。母が入っている病棟に上がると、1日に入っていた病室には母のプレートがないので、順番にネームプレートを確認していくと、3部屋奥へ移動していた。母は病室に居なかったので、リュックの中のモノを出した後、ベッドに腰掛けて持参したPSPで時間を潰していると、バスタオルを取りに来た看護士(?)が「お母さんは今洗髪中ですよ」と教えてくれた。
 程なくして母が戻ってきたので、持参した物を確認させ、施設での話を伝える。
 午後4時30分頃に病院を後にして、午後5時過ぎに帰宅。風呂がまに火を入れて、その間に途中で買ったパンで夕食を済ます。
 
12/4(日)
 父の実家に住んでいる従兄に、入院の連帯保証人になってもらうべく、依頼しに向かう。以前登場した向かいに住む小父さんと庭先で話していたので、用件と母の状況を話して、書類の記入を依頼。
 夕方に記入した書類を我が家に持参してくれた。
 

母 緊急入院

2011-12-01 11:44:24 | 日記
食が細くなり、足もむくんでいた母ですが、昨日の明け方に緊急入院となりました。
病院から渡された書類に書かれていた病名は、次の3つ
 「蜂窩織炎」(http://health.goo.ne.jp/medical/search/10OC1000.html)
 「心不全」
 「腎不全」

以下、ドタバタの経緯
○12月1日
午前1時30分頃
 母が、離れに住んでいる私を起こすために壁を箒の柄でたたいたので、急いで庭に出てみると・・・箒をさかさまに持って廊下に立っている母が『病院へ行くから、連れて行って』との事。
 どのようにして行くのかと聞くと、「自分1人で福祉タクシー」を使うといっていたので、更に『玄関の鍵』『薬』『診察券と健康保険証』『財布』を用意して有るのかを尋ねると、財布以外は用意していなかったので、母は慌てて準備を開始。しかし、この時点では『出かける前に石油ストーブのタンクが空だから、灯油を入れて』と言うので、私は『母は未だ重篤ではない』のだと思っていた。

午前1時40分頃
 我が家の庭に住み着いている猫(4匹)に餌を与えた後に、寝巻きのまま玄関で灯油を入れていると、着替え終わった母は市から提供されている緊急通報機の『通話』(注)ボタンを押しています。 通報機のスピーカーから『職員を呼び出しております。暫くお待ち下さい』のアナウンスが5回ほど流れた後に、「○○サンどうなされましたか~」との職員からの呼びかけが帰ってきたので、母が「足が痛くてねむれない」「7日に診療の予約を入れた」「我慢できなければ2日に来るようにいわれている」「あと1日我慢が出来ないほど足が腫れている」と、ご丁寧な説明を開始。『何を悠長な事を』『その機械使ったらタクシーではなく救急車でしょう』と思っていながら、灯油が半分ほど入った石油タンクをストーブにセットし、やっと部屋が暖まり始めた頃に、通報機の先の職員が「通話」ではなく「緊急」のボタンを押すべき状況だと言う事に気付き、看護士にバトンタッチ。
(注)⇒日常の相談とか、眠れない時の話し相手を求める時のボタン

午前2時00分頃
 通報機の先に居る看護士が状況を把握して、救急車をコール。
 私は慌てて着替えを済ませ、戸締りと火の元のチェック。石油ストーブは最後に消そうと点けたまま。

午前2時10分頃
 救急車のサイレンが聞こえたので表通りまで出ると、既に隊員の1人が緊急用ケースを持ってこちらに走ってきたので、家まで案内。
 暫くすると、残りの職員も到着したので、石油ストーブを消して、再度の点検。
 玄関の鍵を閉めると、母は救急隊員に抱えられてストレッチャに載せられていた。

午前2時40分頃
 救急車の車内で隊員による母の状況把握及び搬送先[掛かりつけの病院]が決定したので、出発

午前3時00分頃
 病院に到着。隊員の案内で、私は荷物を持って救急受付窓口へ。
 診察券と健康保険証を係りに員に渡して、待合所で一人淋しく待つことに。このとき、今日出社予定の社員の中で会社の鍵を所持しているのは私だけであることに気付く[他の者は、地方に出張中か出張予定]。

午前4時40分頃
 救急センターの担当医(心臓内科)が待合所に来られて、先ずは発症の説明。
  どこか(勝手に抜いた歯?水虫?)からか「ばい菌」が侵入
    ↓ 
  抵抗力が落ちていた為に炎症(巡り巡って右足の腫れ)
    ↓
  人工弁に多少の悪影響(左足のむくみ)
    ↓
  心不全[狭心症]
 次に治療方法の説明
  抗生物質の投薬
  ※抗生物質は弱っている心臓にはダメージを与える
    ↓
  心臓への感染(特に人工弁)があるかどうかを検査する必要がある
    ↓
  心臓への負担が大きい場合には、投薬は中止する
    ↓
  栄養バランスが崩れていた為に腎臓の機能も低下している
    ↓
  だから、入院させます
 医師は、「もう帰っても構いませんよ」と言ったのですが、この病院は山林を切り開いて建てて居るので、最寄り駅まで徒歩40分程度[因みに、自宅までだと徒歩2時間]掛かるために、バスが走り始めるまでここに居る旨を返答。目の前のバス停に来る1番バスは6時47分。

午前5時15分頃
 付き添い者(私)が未だ居ると言う事で、病歴や緊急連絡先を書く用紙を救急センターの看護士が
持ってきて、「後ほど受取に行きますが、どうしても待てない時間になったら呼び出してください」と言い残して消える。

午前5時50分
 ダメモトで、会社の鍵を持つ出張予定の社員のところへ電話を入れようとすると、先程とは別の医師が私の名前を呼ぶ。その場で返答すると、電話を中断させてしまったと思ったのか恐縮しながら自己紹介。今回入院する救急病棟での主治医「循環器の荻」先生。
 先程受けた説明及び治療方針の繰り返し。

午前6時10分
 ソロソロ、待っている限界かな~と思っていると、先程の看護士が来て救急センター内で母と面会。渡された書類と一緒に私が持っていた荷物を看護士に渡して、待合所へ戻る。
 いい加減起きているだろうと思い、先程電話する心算だった社員の携帯へコールしたが、応答無し。約3分おきに6時40分頃までコールしたけれど、応答無し[この社員、会社には7時30分前後に出社してくるの]。

午前8時00分
 会社に到着。