善光寺
7月27日朝、東京行きの高速バスが途中渋滞のため40分ばかり遅れ、約束の東京発長野行き新幹線に乗り遅れ、1時間遅れの列車に一人で乗り皆さんを追いかけましたが、追いつくわけがなく、長野善光寺で待ち合わせることとしました。(こういう時、携帯は便利ですね)
思いがけず、40年ぶりくらいで善光寺詣りが出来ましたが最初行った時のイメージとはだいぶ違っていました。
善光寺前の蕎麦屋で美味しいそばで昼食の後、小布施に足を延ばすことにしました。タクシーに分乗してまず「岩松院」に行きました。
岩松院
岩松院:福島正則公霊廟・蛙合戦の池
ここは、「北斎」「正則」「一茶」ゆかりの古寺です。
本堂の天井には「八方睨み鳳凰図」があり葛飾北斎の大作に感激しました。中は撮影禁止のためお見せできませんが・・・そのためこの後わざわざ二つ目の訪問先として「北斎館」を訪ねることとしました。(北斎館は次回書きます)
戦国武将の福島正則は秀吉子飼いの豪傑で、「賤ヶ岳」の戦いでは七本槍の第一と称せられ、関ケ原の合戦では家康軍に属し勇名をはせ、広島城498,000石の大大名に列しましたが、幕府の謀略により1619年秋この信越地方に45,000石に国替えさせられました。5年後悲運を嘆きつつ1624年7月64歳でこの地で逝去。この岩松院に霊廟を立て遺骨を埋葬しました。
またここには「やせ蛙負けるな一茶これにあり」で有名な「蛙合戦の池」があります。
寺の桜の花見時になると毎年この池にひき蛙が集まり、メスが産卵するのをオスが手伝うのですがメスが少ないため奪い合いとなって合戦となり争いが絶えなかったということで、俳人小林一茶が病弱の初児への声援のつもりでこの句を詠んだと伝えられています。