とうさんのつれつれ日記

日ごろの生活の中で気が付いたことを日記風に書き残します。

24時間心電図の結果

2015-09-27 10:54:41 | つれつれ日記

一昨日、去る19日に装着された「24時間心電図」の結果を聞きに行ってきました。
シルバーウイーク明けの24日(木)が休診日でしたので25日(金)になりました。6日間も
待たされて気が休まりませんでした。

結果は「異常というほどのことはない。行動記録(何時何分に何をし,どんな症状だったかを記録するカード)上
異常を感じた時も心電図上は大きな異常は表れていない。
むしろほかの時に多少異常があるが、大したことはない。」ということでした。

私から、8年前に「冠動脈造影検査」を受けた時の医師の話では
「細い血管の2か所に1/3くらい細くなっているところがあるが、2/3以上にならないと異常とは言わない。
ただ、他に動きが鈍いところがあるようだ。治療の必要はないが念の為、ニトロールを持っていたほうがよい」
と言われたことがあるが同じような見解か?と聞いたところ、その通りだとのことでした。

ただ念の為、超音波検査で心臓の動きを検査してみたほうがよいので予約を入れてください。と言われ来月13日に予約しました。

一応安心しましたが、上記の「解析結果概要」(実際にはこの概要はA4の用紙に18枚あります)の下のほうにある
心室性不整脈が単発6回、上室性不整脈単発119回というのが気になりますね。

 

我が家の金木犀は今が満開です。毎日甘酸っぱい芳香を放っています。

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災難続きのつづき

2015-09-21 11:08:58 | つれつれ日記

去る8月23日付きのブログで「災難つづき」と題した記事を書きましたが・・
又災難(?)です。歳のせいでしょうか?

5月17日ぎっくり腰、同28日ひざ痛、8月10日肋骨の骨折、骨折の痛みがようやく和らぎ、リブバンドもようやく
外せるようになりましたら、9月17日(木)心臓に異変が・・・?翌日まで様子を見ていましたが回復せず、
19日(土)循環器内科を受診しました。24時間心電図を装着され、昨日20日(日)病院の郵便ポストに返還。

しかし、シルバーウイークとやらで23日まで祝日が続き、おまけに24日の木曜日は休診日。診察は25日
になるということでした。

肋骨を骨折した時もお盆休みで1週間も待たされ、また1週間待たされます。
何故、連休入りの直前に病変に見舞われるのか、ついていないですね。
その間、心臓の薬はお預けで、神経安定剤だけくれました。

因みに、35年前の45歳の時(昭和55年)、心臓に異変があり、たまたま母親が持っていた「ニトロ―ル」を使用して
命拾いをした経験があります。

又、8年前の平成19年8月にやはり心臓に異変があり、9月には「冠動脈造影検査」というのを経験しています。(平成19年9月23日付けブログ
に書きました)

 

我が家の「ハイビスカス」は9月の下旬だというのに沢山咲きました。
その傍らでは、「すすき」が私の出番ですよと言っています。

 

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チャリティコンサート

2015-09-13 11:20:18 | つれつれ日記

昨日は午前中にインターネットで国勢調査の回答をしました。
凡そ10分程度で完了。調査員の労力軽減に協力しました。

午後は鎌取コミュニティセンターで「チャリティコンサート」があり行ってきました。
二期会BLOC ストロべリーピーチ公演による、東日本大震災チャリティコンサートでした。

 

懐かしい歌や世界の名曲15曲に聞きほれ心洗われる2時間でした。

ストロベリーピーチとは、日本を代表する声楽家団体・二期会のブロック活動で、栃木県出身者のストロベリー(イチゴの栃乙女より命名)
と福島県出身のふくしまグループのピーチ(福島の梨ピーチから命名)とが合併したグループです。
また、出演者、岡崎ひとみ、松崎寛子はともに国立音楽大学声楽科出身の本格派です。現在はともにおゆみ野に住んでおられます。
岡崎ひとみさん(写真右側)は山ちゃんが所属していた混声合唱団「Tomorrow」や女性合唱団「コーロ・ルーチェ」の指揮者でもあります。

曲目はプログラムの通りですが、「小さな世界」と「花は咲く」は来場者全員で合唱しました。

 

 

 

 

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懐かしい--その2

2015-09-06 11:46:42 | つれつれ日記

懐かしいことの続きがありました。

前回のブログで家内の同窓会があって上総牛久駅まで車で送っていったことを書きました。
その同窓会で家内の仲間のAさんが「姉が千葉労災病院にまた膝の手術のため入院した」というのを聞いてきました。

Aさんのお姉さんKさんは同じ内田小学校中学校で私と同級生でしたが、私が千葉労災病院で6年前に腰部脊柱管狭窄症
を手術した時に、同じ時に同じ病院で膝の手術のために同じ整形外科病棟に入院してきたのでした。
その時、何十年も会わなかったのに奇跡的な再会を果たしお互いに何という奇遇かと感激したのでした。

それから6年以上経過した今回、Kさんはまた膝(今回は左、前回は右)の手術のため同じ病院に入院したということでした。

早速、9月3日お見舞いに行ってきました。手術は無事終了し毎日リハビリに励んでいまして日一日と恢復に向かっているとのことで
安心しました。

 

6年振りの再会が嬉しく夢中でおしゃべりをして、あっという間に1時間以上が経ちました。

今回の再会はいろいろな奇遇から実現したのでした。

家内の弟の新盆→私の小学時代の同級生Sさんに会う→同じ同級生Mさんが先月亡くなったことを聞く→亡くなった同級生Mさんが
書いた記事を数か月前に読んだことを
思い出す→その本(内田小学校の創立百年沿革誌、開校百年、昭和56年作成・下記写真)


を同じ学校の後輩だった家内に見せる→家内が自分の中学時代バレーボール部で活躍した記事がこの本に書かれているのを発見
→同じバレー部で活躍した仲間に知らせる→関係者で一度集まろうという話になる→その時恩師の急逝を知る→
恩師のお墓参りを兼ねて同窓会をやろうという話にエスカレート→その同窓会で家内が仲間のお姉さんが千葉労災病院に入院したことを聞く

こういういきさつがあって、Kさんにお見舞いかたがた再会出来たのでした。お互い嬉しく、手術のことをわきへ置いておしゃべりに熱が入り
看護師さんから「夕食ですよ」という知らせが来た時まで続いたのでした。

私が
小学校4年だった時の2学期(昭和19年9月)から中学校3年(昭和24年)の5月までの4年9か月の間、それは疎開生活でしたが、
懐かしい思い出がいっぱいの充実した時期でした。

 

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