当時の宮沢喜一内閣は、国内外をいくら探しても「強制性」を認めるための物理的な証拠は出てこないので、自分は強制連行されたと述べる元慰安婦の聞き取り調査をもって証拠とすることにしたのである。
そのため5年3月には、強制の定義を「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合を含む」(当時の内閣外政審議室長、谷野作太郎)と広げることまでしている。
そして当時の官房長官の河野洋平も石原もこれまで、この聞き取り調査が河野談話の根拠・決め手となったと証言してきた。
一連の流れは、外務省の「シナリオ」と符合している。
だが、宮沢内閣が苦心惨(さん)憺(たん)して韓国のために「強制性」を認めた結果、慰安婦問題は解決するどころかさらに大きな国際問題となっていった。