河野談話 

2014年04月04日 16時32分45秒 | Weblog

 

 

当時の宮沢喜一内閣は、国内外をいくら探しても「強制性」を認めるための物理的な証拠は出てこないので、自分は強制連行されたと述べる元慰安婦の聞き取り調査をもって証拠とすることにしたのである。

 そのため5年3月には、強制の定義を「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合を含む」(当時の内閣外政審議室長、谷野作太郎)と広げることまでしている。

 そして当時の官房長官の河野洋平も石原もこれまで、この聞き取り調査が河野談話の根拠・決め手となったと証言してきた。

 一連の流れは、外務省の「シナリオ」と符合している。

 だが、宮沢内閣が苦心惨(さん)憺(たん)して韓国のために「強制性」を認めた結果、慰安婦問題は解決するどころかさらに大きな国際問題となっていった

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河野談話 

2014年04月04日 16時22分40秒 | Weblog

 

 シナリオの目的は韓国との妥協

      「慰安婦」蒸し返され続け崩壊

 

 

 

 もともと聞き取り調査に関しては、以前から多くの疑問点が指摘されていた。

 調査は7月26日から30日までの5日間、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会で行われたが、この団体は日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしている当事者だった。

 元慰安婦1人あたりの聴取時間はわずか2時間半から3時間。産経新聞が入手した調査報告書によると、およそ証拠能力の認められないものだった。A4判13枚で、「慰安婦にされた経緯」「慰安所での生活」「その他の状況」の3点が記されているが、16人中、生年月日が記載されているのは半数の8人だけ。そのうち別のインタビューでは異なる年月日を回答している例も複数ある。

 大阪、下関、熊本など戦地ではなく、一般の娼(しょう)館はあってもそもそも慰安所がなかった地域で働いたとの不自然な証言もあった。

 氏名に関しても「呂」と名字だけのものやカタカナだけのもの、「白粉」と不完全なものもあり、出身地についても大半の13人が不明・不詳となっていた。

 定義まで広げて

 こうした調査報告書のずさんさも、聞き取り調査自体が初めから「儀式」だったと思えば得心がいく。

 「米国の図書館まで行ったが、女性たちを強制的に集めたことを客観的に裏付けるデータは見つからなかった」

 河野談話作成当時の事務方トップである元官房副長官、石原信雄は今年2月20日の衆院予算委員会でこう明言した。第1次安倍内閣も19年に「政府発見の資料の中に強制連行を示すような記述はない」との答弁書を閣議決定している。

 
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河野談話 

2014年04月04日 16時10分24秒 | Weblog

 

 

第1部 河野談話の罪(2)】シナリオの目的は韓国との妥協 

「慰安婦」蒸し返され続け崩壊

 

 

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の発表に向け、同年2月に外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」は、真相究明は二の次だったことを明確に示している。すでに同年7月の韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査がずさん極まりない内容だったことは、産経新聞が昨年10月に報じた調査報告書の詳細で明らかになっているが、聞き取りはこの「シナリオ」に沿ったものだったわけだ。

 「シナリオ」は、聞き取り調査についてこう記している。

 「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られるめどが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」

 一定の「結論」想定

 つまり、外務省はあらかじめ一定の「結論」を想定し、事前に韓国側の了解を得た上で、その結論を正当化するために聞き取り調査を実施する考えだったことになる。「シナリオ」は韓国政府とのすり合わせのあり方についてはこう書く。

 「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディール(一括取引)で本件解決を図る」

 日本側が韓国側の意向に沿った結論を出す代わりに、韓国側には慰安婦問題の決着を何らかの形で表明させるという狙いだろう。

 談話発表後、一時的には収まったものの、韓国は国内事情からこの問題を蒸し返し続けており、所期の目的は達成されていない。

 

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河野談話 

2014年04月04日 16時06分09秒 | Weblog
 

 

 【歴史戦 第1部 河野談話の罪(1)前半】裏付けなき糾弾許した日本外交の事なかれ主義、決別の時

 

 歴史を「対日外交カード」として振りかざす中国や韓国は、日本が反論しないのをいいことに、過去を誇張して世界に広めようとしている。

 「(南京事件では旧日本軍が)30万人以上の兵士や民間人を殺害する凶悪な罪を犯した」

 中国の国家主席、習近平は3月28日、ベルリン市内での講演で「30万人」という荒唐無稽な数字を挙げてこう日本を批判した。

 日本政府筋は「30万人という数に根拠は全くない」と不快感を示したが、これまで中国にこの極端な誇張を改めるようきちんと求めてこなかった。それどころか、前面に「300000(30万)」という数字が掲げられた南京大虐殺記念館を、元首相の鳩山由紀夫や村山富市、元自民党幹事長の古賀誠ら政界の重鎮が訪れては謝罪を繰り返している。

 戦後の日本は相手の宣伝工作に有効な反撃を加えるどころか、自ら進んでそのわなにはまってきた。その象徴が強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話だ。世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった。

偽りの友好にまどろんできた日本が腕をこまぬいている間に、中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった。今後、日本は事なかれ主義と決別し、砲弾ではなく情報と言葉を駆使して戦う「歴史戦」に立ち向かわなければならない。

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河野談話 

2014年04月04日 16時00分50秒 | Weblog
 
 【歴史戦 第1部 河野談話の罪(1)前半】裏付けなき糾弾許した日本外交の事なかれ主義、決別の時  
 

 

 まともな裏付けもないまま一方的に日本を糾弾したクマラスワミ報告書と、それに対する日本政府の事なかれ主義的な対応は、歴史問題に関する戦後日本外交のあり方を象徴している。

 1996年3月、国連人権委員会でのクマラスワミの演説を現場で聞いた元在ジュネーブ国際機関代表部公使、美根慶樹はこう振り返る。

 「ものすごい力があり、彼女が舌(ぜっ)鋒(ぽう)鋭く『ワーッ』と説明すると、聴衆はスタンディングオベーション(立ち上がっての拍手喝采)だ。日本政府には答弁権を行使して反論することは制度上認められていたが、そうしたら大変なことになっていた」

 クマラスワミは「かわいそうな元慰安婦のおばあさんたちのため一生懸命働いている」(外交筋)と評価されていた。個別の事実関係の誤りを指摘しても「日本が悪者になるばかりで逆効果だった」(同)というのだ。クマラスワミと面識のある当時の日本政府関係者もこう語る。

 「慰安婦問題だけでなく歴史全般がそうだが、日本国内のまともな議論は英語になっていない。英語に訳されているのは左翼系メディアや学者の文章だけ。だから国連人権委にはもともと一定の方向性がある。報告書も相場からいえば『まあこんなもの』だった」

 とはいえ、日本が歴史問題で相手と事実関係を争わず、過去に積み重ねてきた謝罪や補償の実績ばかり強調してきた結果、今どういう事態が起きているか

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いやだな、朝から雨

2014年04月04日 02時54分24秒 | Weblog

   今朝靖国神社へ、参拝と遊就館へ行くつもりですが 未だ雨が降っている

    行くまでに天気になれば幸いです

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