


今朝のように寒い日は
外仕事が随分しんどいと思います
白い空気が漂ってくるような気がしました
*
上記は即興ゴルコンダに投稿した
いつかのコメントです
最近 車のフロントガラスが
縦に白く凍る日があります
華が咲く感覚とは また違って
細く 鋭い存在を 感じます
少し前に 港の見える丘公園から見た
飛行機雲
すーっと一筋 上空に向けて放たれる
光の一本道のようにも思えます
来週も朝の最低気温が
マイナスの日がありそうな相模原
日中はかろうじて二桁台の気温のようで
肌寒いですね
な~んて 岩手時代の私に
ブン殴られそうな発言を、する
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ここ数カ月・・・に なるのかしら
自宅の置き本の一つ
「坂の上の雲」司馬遼太郎を読んでいます
母からの「本の旅」です
大河ドラマも見ていなかった上に
読み進めてみても 一向に進まないのは
巻数があるのと
歴史に疎いからです
その中に
「正岡子規が結核で死ぬ話」
が出て来ます
たまたま母との電話で
結核の話になったのですが
この「正岡子規」が思い出せず
本の裏表紙を見て思い出すという為体
母は言います
「昔は結核に感染すると
免疫力のない人は罹患するため
患者は 僻地にある
サナトリウムという隔離病院へ送られたものだ、
今はあるのかなあ」
*
サナトリウム
かつては結核治療用の施設を指したが、
その治癒率が高まった以降は
精神疾患や認知症、脳卒中の後遺症など
他の病気を含めたものとなっている。
結核治療のため、
日当たりや空気など環境の良い高原や
海浜に建てられることが多い。
Sanatoriumという言葉は従来からあった
Sanitarium(保養所)と結核治療施設を区別するため、
「健康」を意味するラテン語のsanitasの部分を
科学的な治療に、手当の意味を付け加えていることを
強調するため、「治る」という意味の動詞sano
に置き換えることで作られた造語である。
日本での最初のサナトリウムは明治20年(1887年)、
鎌倉由比ヶ浜に建てられた結核療養所「海浜院」、
最大規模のものは茅ヶ崎の南湖院とされる。
*
話の中で ウロ覚えだったのが
もう一つありました
その日 霙のような状態の雪かきをして大変だった
と 母が言った時に 思い出したのが
「宮沢賢治の永訣の朝、あめゆきとてきてけんじゃ」
一瞬、宮沢賢治か石川啄木か高村光太郎か
迷うの巻
妹がいる人だよなー トシは誰の妹だっけ?
と 調べたら、あら「とし子」って書いてあるわ~。
おかしいな、と ウィキりましたら やはり
トシのようですね
何故 高村光太郎が浮かんだかって
千恵子抄が浮かんだのでね、迷ったのでーしーたー
嗚呼 記憶が剥がれかけてゆくー
母による啄木解説
「啄木は早くに家族をつくり妻子がいたが金がなく
北海道に行ったり知人に金の無心をし、返せなかったりした」
石川啄木
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