達也が突然ゆみに電話で想いを告白してから数ヵ月経ったある冬の早朝のことであった。
上京のため駅ホームへの階段を上っていると、列車の到着を告げるアナウンスが流れた。
階段を上り切ったとき、正面の待合室から出てくる人の中に忘れもしないゆみの面影を見出し、一瞬その場に釘付けになってしまった。
達也の心の中のゆみは三十年以上前の顔であり、正面から見ないとゆみだとは判らなかったであろう。
時間と空間の組合せの数は無限に多く、このようにして出会う確率は限りなくゼロに近い。この事からしても何か運命的なものを感じるとともに、達也のゆみへの想いが天に通じたとしか言いようがない。
達也の方が先にホームに出て後ろを振り返りその女性をゆみではないかと見つめていた。
その女性の外観は、コートを着ているが昔付き合っていた頃と変わらないスリムな体形であり、全体像からしてもゆみに相違ないと思えた。
一方、その女性は達也の方には近寄らず、列車の入り口から少し離れたところに留まっていた。
彼女の脇に若い女性の方がおられるが、お嬢さんなんだろうか?でも、顔は似ていないし違うようだ。
自分の観察に自信が持てないまま、万が一ゆみのお嬢さんであったら、大変な迷惑をかけてしまいそうで、声をかけることが出来なかった。
達也は前の駅で乗車した連れがいる車両に入った。他方、かの女性は達也を避けるかのように達也の前の車両に入った。
かの女性を見失ってしまいそうで、直ぐにでも車内を探したかったが、達也には連れがいてしばらくは移動することができなかった。
加えて、当日は珍しく零下の冷え込みでスプリングコートでの身が冷え切ってしまい、しばらく自分の席で体が温まるのを待ってから、かの女性に声を掛けるべく前の車両へと移動した。
通路を往復し、かの女性を探したが乗客の顔が正面を向いておらず、どちらかといえば下を向いておられる方が多い。その上立っている達也からは見おろすような視線となり顔を覗き込むわけにもゆかず焦りさえ感じてきてしまった。
それでも、漸く下を向いているかの女性らしき顔を見つけたが、自信はなかった。
幸いホームで隣に立っておられた若い女性とは同じ席ではなく、連れの方はおらずに一人であると確認できた。
三十年以上遇っておらず、人違いであったら失礼だし、まずゆみ本人であることを確認することにした。
が、どう声をかけたら良いか一瞬戸惑ってしまった。
「佐久間さん」は悔しいし、「ゆみさん」では親しすぎるし、迷った末に旧姓で問いかけようと、かの女性の脇で体を低くして、
「失礼ですが、旧姓○○さんでいらっしゃいませんか?」と問いかけた。
「はい」と返事かあり、ゆみであると確認できた。
「津山です。三十数年振りですね」と名前を告げた。
「そうですね」と、驚いた様子もなく言葉を返してくれ、ゆみの方も達也に気付いていた様子であった。
達也は加齢に伴い常時遠近両用メガネをかけている。ゆみと付き合っていた当時は若くてメガネをしていなかった。「なのに気付いていてくれたんだ」と嬉しい気持ちになった。
「いつぞやは、突然失礼な電話をして、すみませんでした」
「突然でびっくりしました」
「別れた女(ひと)みんなに、電話しているんじゃないの」
”ゆみは自分のことをいい加減な男だと思っている”誤解を解かなければ、と焦り
「貴女だけです。他の誰にも電話しておりません。信じてください」
暫し沈黙後、ゆみは
「私の方はうまく行っており、よかったと思っています」
「私の方から断っていたと思います」と、相変わらずプライドの高いゆみであった。
達也は
「貴女にどうこうして欲しいと言うことではなく、私の気持ちを知って欲しいんだけなんです」
「貴女への想いを、ここに書いています。読んでください」
と言って、URLを走り書きした紙片を渡たそうとしたが、手を振って受け取ってはくれなかった。
達也はゆみの横に位置していたので、彼女の横顔と手を間近に見ることが出来た。
若い時のような瑞々しさこそないものの、達也がかつて愛しんだ通った鼻筋・賢そうな目そして細く長い指がそこにあり、懐かしさと愛おしさが込み上げてきてしまうのであった。
「私はホームページを開いて、そこに貴女への想いを載せているんです」
「是非読んでください」と再度紙片を渡そうとしたところ
「私は時代遅れで出来ません」とあらためて、受け取りを拒否されてしまった。
さらに、ゆみは
「よく電話番号が分かりましたね」とも、付け加えた。
「電話帳を調べたら載っていました」
「苗字も変わっているのに」
「結婚された直ぐに、貴女の小学校にいた私の親戚筋の人から聞きました」
「・・・・・・・・・・」
「同窓会でご主人が泊まりであり、貴女が一人だと分かったから電話したんです」
ゆみは納得したような様子で、
「どちらに居られるのですか」
「上町に居ります。十年ほど岡山に行っておりましたが」
「じゃ、近くなんですね」
「電話のとき、一番に、奥さんが気の毒だと思いました」
「・・・・・・・・・・」
「主人が知らないところで、同じようなことをしていたら嫌だわ」
「この電車にしなければよかった」
達也には連れがいることもあり、あまり長く話しているわけにもゆかず、
「ごめんなさい。これ以上、ご迷惑をかけません。失礼しました」
と言って、自分の席に戻った。
「電話のとき、一番に、奥さんが気の毒だと思いました」という言葉の真意はどういうことなんだろうか。
「配偶者が他の異性を意識 している」ことへの気の毒なのか?
または、ゆみは「自分と結婚したとしても、同じように他の女性に気軽に声をかけるのではないか」という不信感からなのであろうか?
達也自身の名誉のためにも、あくまでもゆみは達也にとって特別な存在なのである。
これまでも「感じの良い女性だな」と魅かれることはあっても、想い続けた女性はゆみ以外には一人もいない」と断言しておきたい。
達也としては、ゆみと付き合っていた状態で時間が止まっていて今も好きなままなのに。
ゆみにとって、達也は所詮過去の男でしかないのだあろうか?
ゆみには、交際していた時、別れたときの心情、その後の想いを誤解せずに受け止めて欲しかった。しかしながら、僅かな時間で、しかもゆみが心を閉ざしているような状況では所詮無理であった。
それでも、三十数年ぶりに遇え、懐かしい声が聞け心が踊った。これから先また何時遇えるか分からないのに、二人の会話がこんな短時間で終わろうとは。
当日、達也はICレコーダーを持っていたのに、自分の席に置いてきてしまった。せめてゆみの声が録音出来ていたら、何回でも繰り返し聞けたのに。
在来線の電車を降り、達也は新幹線のホームを歩いているゆみの姿を再び発見、その後姿が見えなくなるまで目で追うのであった。
一連のゆみに対する達也の気持ちを綴ったホームページの閲覧を拒否されてしまったし、印刷して郵送するには危険が大きすぎて断念せざるを得なく、ゆみの誤解を解くことは不可能になってしまった。
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