喜界島の南部 手久津久集落の崩り(くずり)遺跡で12世紀の頃の物とみられる土抗墓2基が発見された。焼けた骨と焼けていない頭骨が同時に発見されている。
カムイヤキ壺が蔵骨器として使用されているのは国内初の可能性が極めて高いとされている。
また、崩り遺跡では、縄文時代の建物跡が10基も発見されている。
手久津久集落の4つの遺跡の発掘面積は、約26万㎡で、先に発掘が完了して城久遺跡群の約2倍の面積があり今後の発掘調査分析が期待される。
「祭司アロンの子エルアザルに告げ、焼け跡から香炉を取り出し、炭火は遠くにまき散らすように言いなさい。香炉は既に聖なるものとなっている。」 (民数記17:2)