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ビキニ被災①花谷寿人の体温計◇第五福竜丸の航海、忘却を乗り越え受け継いでいかねば/少数派

2021年04月05日 | 核兵器・原発を失くせ
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/核兵器・原発を失くせ
ビキニ被災①花谷寿人の体温計◇第五福竜丸の航海、忘却を乗り越え受け継いでいかねば

Hanatain
毎日新聞の夕刊、「花谷寿人の体温計」というコラムからの記事をご紹介します。
*タイトル付け、文章の省略化、補足は投稿者によるものです。


それは白い砂粒に見える。胃腸薬のガラス瓶のような容器に入った「死の灰」だ。東京の湾岸、夢の島に建つ都立「第五福竜丸展示館」にある。1954年3月、米国は太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、静岡県のマグロ漁船に死の灰が降り注いだ。被ばくした乗組員のうち1人が亡くなった。生き残った漁師たちの人生も一変する。発病、仕事の失敗、離婚……。あれから67年。元乗組員で、核廃絶を訴え続けた大石又七さんが87歳で死去した。自身も被ばく後、病気を抱え、静岡から上京してクリーニング店を営む。過去を隠して暮らしていたが、後に体験を明かし、講演活動を続けた。被害者なのに「放射能がうつる」と差別される不条理。広島、長崎の被爆者、福島第1原発事故の避難住民の苦悩と重なる。それでも、やむにやまれず声を上げる人がいるからこそ、社会は痛ましい出来事を忘れずにいられる。

権力は事実を隠し、忘却を望む。日米両政府は米国が元乗組員らに見舞金を支払うことで幕引きを図った。だが死の灰を浴びたのは第五福竜丸だけではない。政府は他の漁船も検査しながら「記録が見つからない」と公開しなかった。被ばくした延べ556隻に関する検査記録の存在を認めたのは2014年になってからだ。高知の元船員らが国に損害賠償を求めた裁判で、原告は敗訴したが、裁判所は「立法府と行政府による一層の検討に期待するほかない」と救済を促した。しかし国会や政府は動こうとしない。時間が過ぎるのを待つかのようだ。

大石さんは著書「ビキニ事件の真実」に記している。「政府は事件をうまく消したつもりかもしれないが、俺の記憶までは消すことはできない。(中略)あの日の強烈な出来事や仲間の嘆きがこびりついていて、消えることはない」。展示館には第五福竜丸の木造の船体が置かれ、今にも動き出しそうな錯覚にとらわれる。室内には映画「第五福竜丸」を監督した新藤兼人氏の筆による「第五福竜丸は生きている」の垂れ幕が揺れる。船が生きているのなら、どこへ航海を続けるのか。核廃絶という目的地だとすれば、若い世代の乗組員が大石さんらの記憶を引き継ぎ、忘却の波を乗り越えていかなければならない。

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投稿者の文章/第五福竜丸展示館は、投稿者が住んでいる東京・江東(こうとう)区=夢の島公園にあり感慨深い。21年3月7日、元乗組員の大石又七さんが亡くなった。被曝者は2万人を越え、当時は放射能という概念さえ分からず、乗組員は放射物を全身に被りながら、船体や人体を十分洗浄もしないまま帰港までの2週間船上で生活をした。戦勝国は、太平洋の人々は虫けら同然の対処。米国も日本も時の政権は被爆者=被害者無視、特に日本は被爆した立場にも関わらず米国に弱腰姿勢。投稿者は、いつか自分の文章で「ビキニ事件」を書こうと思いながら未達、深く反省したい。

Sankoub
次号/ビキニ被災70年②第五福竜丸などの被爆を隠蔽し放置した日本政府、核実験被害者救済を

Ntopkeiji

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