少数派シリーズ/文化・文芸
都倉俊一氏記事・レコード大賞は作品本位で選べ・審査改革が必要と厳しい指摘
■都倉氏は不透明な選定に鑑み2000~3000人規模の審査員改革を提示
1959(S34)年に始まった作曲家協会主催・TBS後援の「日本レコード大賞」が、60回を超えました。毎日新聞に、作曲家・都倉俊一氏がレコード大賞のあるべき姿を、厳しく指摘したインタビュー記事が載っていたので抜粋致しました。指摘内容は、ほとんどの皆様が感じていることだろうと思います。投稿者もレコ大と紅白歌合戦に“不純性”を感じ、21世紀に入ってから見ていません。
↓ ↓ インタビュー内容
Q.「作品本位ではない」とはどういうことか?
レコ大がピークだったのは、1970~80年代前半。あの頃の受賞作は、皆の記憶に残り、今でもカラオケで歌われている。ある時期から、作品本位ではなくなった。審査は、主催する作曲家協会が、ジャーナリストや評論家などで構成する審査委員に委嘱している(2018年は25人)。ともすれば審査は“作品志向”よりも、一過性のブームを反映した「現象志向」になってしまう。同じ歌手が何連勝もすると、一般の方は「あれっ?」と感じる。それでは、いけない。
Q.時々、週刊誌報道などで受賞作の不透明な選定が指摘されます
レコ大は「黒いうわさ」を含め、長い歴史を経ている。大手事務所やレコード会社に忖度するといった業界的な「なれ合い」で選考すると、すぐに妙な不自然さや政治的な動きを感じる人もいる。大衆をなめてはいけない。言われないようにするのも、主催者や実行委などの責任。
Q.近年は受賞を辞退するミュージシャンもいると聞きます
「えっ」って感じる者が賞を取ったり、業界的な動きを感じさせたりすると、辞退するミュージシャンを増やしてしまう。やはり「これは文句なし」という曲と人に賞をあげて、賞の権威を保たなければいけない。
Q.具体的には何が必要でしょう?
グラミー賞や映画のアカデミー賞のように、審査員の数を増やすこと。日本全国から2000~3000人規模にして、業界の「なれ合い」が生まれる余地をなくす。(グラミー賞のような)様々なジャンルの人気歌手が、表彰のステージに上がってくれたら理想的。後年、振り返った時、受賞作品が忘れられていたら、とても悲しいこと。審査方法の改革が鍵、平成の一時代を区切りに、次の新しい時代のレコ大へどう生まれ変わっていくかが大切だ。
■投稿者の声/既に大衆の価値観と掛け離れておりレコード大賞とは言えぬ
日本の大衆音楽の重鎮・都倉俊一氏として、これでもかなり抑えた表現でしょう。業界の思惑によって大賞が決まる~言われて久しいが、改めて真実なことが分かりました。かつては審査員へ驚くような“現ナマ(買収)”が飛ぶと言われていましたが、現在も同じか? 個人的には、レコ大はもう役目は終わっており、変わる意思がなければ解体したほうが良いと思います。あるいは氏が仰っていたように、米国の賞と同じ数千人の専門家による、厳正な審査システムの構築による出直しが必要と考えます。
審査員は各スポーツ新聞社、一般紙では読売・日経・産経新聞社が中心だけに、全く“アカデミー性”がない。第1回大賞は、「黒い花びら」(水原弘)でした。因みに演歌は、2006年 「一剣」 氷川きよし以来なく、総体的にも受賞が少ないですね。録音媒体も、レコード → カセットテープ → CD → DVD → ダウンロード(ソフト)へと変わりましたが、レコ大の名称はそのまま。でもレコードは記録する意味もあり、何といってもレコ大の言葉の重みもあります。CD大賞・ダウンロード大賞では、安物に感じます。
過去は、レコ大と紅白歌合戦は大晦日の同日でした。レコ大終了から紅白のオープニングまで15分ぐらいしかなく、大賞受賞者はレコ大会場から急いで渋谷NHKホールへ。パトカーが、サイレンを鳴らし急行先導しました。女性も、走る狭い車の中で全身衣装替え。当時は番組冒頭に、紅白入場行進曲(乾杯の歌)に乗って、紅組・白組交互に一人ずつ紹介され入場しました。受賞者はギリギリ間に合い最後に出るため、レコ大を見ていなくてもその年の受賞者が分かりました。私は、これからも引き続き見ませんよ~
都倉俊一氏記事・レコード大賞は作品本位で選べ・審査改革が必要と厳しい指摘
■都倉氏は不透明な選定に鑑み2000~3000人規模の審査員改革を提示
1959(S34)年に始まった作曲家協会主催・TBS後援の「日本レコード大賞」が、60回を超えました。毎日新聞に、作曲家・都倉俊一氏がレコード大賞のあるべき姿を、厳しく指摘したインタビュー記事が載っていたので抜粋致しました。指摘内容は、ほとんどの皆様が感じていることだろうと思います。投稿者もレコ大と紅白歌合戦に“不純性”を感じ、21世紀に入ってから見ていません。
↓ ↓ インタビュー内容
Q.「作品本位ではない」とはどういうことか?
レコ大がピークだったのは、1970~80年代前半。あの頃の受賞作は、皆の記憶に残り、今でもカラオケで歌われている。ある時期から、作品本位ではなくなった。審査は、主催する作曲家協会が、ジャーナリストや評論家などで構成する審査委員に委嘱している(2018年は25人)。ともすれば審査は“作品志向”よりも、一過性のブームを反映した「現象志向」になってしまう。同じ歌手が何連勝もすると、一般の方は「あれっ?」と感じる。それでは、いけない。
Q.時々、週刊誌報道などで受賞作の不透明な選定が指摘されます
レコ大は「黒いうわさ」を含め、長い歴史を経ている。大手事務所やレコード会社に忖度するといった業界的な「なれ合い」で選考すると、すぐに妙な不自然さや政治的な動きを感じる人もいる。大衆をなめてはいけない。言われないようにするのも、主催者や実行委などの責任。
Q.近年は受賞を辞退するミュージシャンもいると聞きます
「えっ」って感じる者が賞を取ったり、業界的な動きを感じさせたりすると、辞退するミュージシャンを増やしてしまう。やはり「これは文句なし」という曲と人に賞をあげて、賞の権威を保たなければいけない。
Q.具体的には何が必要でしょう?
グラミー賞や映画のアカデミー賞のように、審査員の数を増やすこと。日本全国から2000~3000人規模にして、業界の「なれ合い」が生まれる余地をなくす。(グラミー賞のような)様々なジャンルの人気歌手が、表彰のステージに上がってくれたら理想的。後年、振り返った時、受賞作品が忘れられていたら、とても悲しいこと。審査方法の改革が鍵、平成の一時代を区切りに、次の新しい時代のレコ大へどう生まれ変わっていくかが大切だ。
■投稿者の声/既に大衆の価値観と掛け離れておりレコード大賞とは言えぬ
日本の大衆音楽の重鎮・都倉俊一氏として、これでもかなり抑えた表現でしょう。業界の思惑によって大賞が決まる~言われて久しいが、改めて真実なことが分かりました。かつては審査員へ驚くような“現ナマ(買収)”が飛ぶと言われていましたが、現在も同じか? 個人的には、レコ大はもう役目は終わっており、変わる意思がなければ解体したほうが良いと思います。あるいは氏が仰っていたように、米国の賞と同じ数千人の専門家による、厳正な審査システムの構築による出直しが必要と考えます。
審査員は各スポーツ新聞社、一般紙では読売・日経・産経新聞社が中心だけに、全く“アカデミー性”がない。第1回大賞は、「黒い花びら」(水原弘)でした。因みに演歌は、2006年 「一剣」 氷川きよし以来なく、総体的にも受賞が少ないですね。録音媒体も、レコード → カセットテープ → CD → DVD → ダウンロード(ソフト)へと変わりましたが、レコ大の名称はそのまま。でもレコードは記録する意味もあり、何といってもレコ大の言葉の重みもあります。CD大賞・ダウンロード大賞では、安物に感じます。
過去は、レコ大と紅白歌合戦は大晦日の同日でした。レコ大終了から紅白のオープニングまで15分ぐらいしかなく、大賞受賞者はレコ大会場から急いで渋谷NHKホールへ。パトカーが、サイレンを鳴らし急行先導しました。女性も、走る狭い車の中で全身衣装替え。当時は番組冒頭に、紅白入場行進曲(乾杯の歌)に乗って、紅組・白組交互に一人ずつ紹介され入場しました。受賞者はギリギリ間に合い最後に出るため、レコ大を見ていなくてもその年の受賞者が分かりました。私は、これからも引き続き見ませんよ~