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泉房穂・前明石市長④田原総一朗Q「大人の価値観を押し付けない、変わり者も受け入れる」/少数派

2024年10月06日 | 政治情勢2
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/政治情勢
泉房穂・前明石市長④田原総一朗Q「大人の価値観を押し付けない、変わり者も受け入れる」



■泉氏「教育とは一人一人の生きる力や夢をかなえる力を育むものなんです」
毎日新聞を活用しました/前兵庫県明石市長を12年務めた泉房穂さん(60)は在任中、手厚い子育て支援策を実現して注目されました。引退後も地方政治で存在感を高め、日本の教育予算を3倍にするよう訴えます。ジャーナリストの田原総一朗さん(90)のインタビューの後半では「大人も子供も対等」との考えから、5年前の出直し市長選も、家族会議の投票で出馬を認めてもらったと明かしました。
投稿者の文章|既号の泉房穂・前明石市長①②とは別の企画記事をアップしました。田原総一朗氏が、泉氏をインタビューする形式です。なお一部①②記事と重複する箇所があります。今号も、熱血漢溢れる泉氏の生き方です。自民党政府には未だに「家父長的」な考え方があって、子供の育児・教育は「家」が基本とする考え方が主流になっている。だから、夫が責任を持って子供を躾ける考え方が強いのだ。従って、国が教育予算を増やそうとする発想がない。今や子供や教育は、社会全体で行うことが国際常識だ。現実は財布の中身が減る一方で、子供を産むことさえ断念せざるを得なくなり、ますます少子化が進む。ミサイルや戦闘機を買うことより、日本の教育に力を入れるべきです。

田原「経済的にも波及効果があるのに、なぜ、日本の教育予算は少ないんでしょう?」 

「元々、日本はいわゆるムラ社会で子供の面倒は家族やムラが見てきた風土があるからです。障害がある子供が生まれたり、家庭が貧しかったりしても、地域の農作業や漁業を手伝えば食べてもいけた。お上も「家族のことは家族でやってください」という意識になり、子供や障害者は親の持ち物という価値観が残ってしまっています。だから児童虐待は後を絶ちませんし、一人親家庭で貧しくても親の責任で育ててくださいとなる。でも、日本もかつてのような大家族ではなく、核家族やサラリーマン社会が主流になりました。ヨーロッパのように行政が一人親家庭や障害を持った人たちを手厚く支援する社会にしなければならないのです。」

田原「日本は『正解のない問題』を出す教育をしておらず、創造的な人材を生み出せていないというのが私の問題意識です。」

「私は小学校時代、通信簿に「協調性がない」「先生の言うことを聞きましょう」と書かれていました。先生の言うことが100%正しいわけではないので「それって違うよね」と思うんです。でも、教師は顔を潰されてしまうので「泉君、言わないで」ってなる。こんな教育では、物事に疑問を感じないまま与えられたことを受け入れるだけの人が育ってしまいます。18世紀の思想家、ジャン・ジャック・ルソーは「子供の発見者」と言われています。それまで子供という概念がなく、過渡期にある人として尊重されていませんでした。でも、ルソーは未熟でも中途半端な人でもなく、「子供」として尊重すべきだとの考え方なんです。しかし、日本ではルソーの思想が浸透せずに子供の権利はないがしろにされ、大人の意見やルールに従う存在です。教育現場はその傾向が強く、「子供一人一人の意見を尊重すれば、組織が成り立たなくなる」と考えられています。」

田原「昔は全てが『ねばならない』でしたが、今は子供に『自由でいい』と言い過ぎている?」

「昔は「こうじゃなきゃいけない」と言われる分だけ、逆に「大人が責任をとってね」とも言いやすかった。今は「何でもいいよ」と言われているのに、実際はちょっとしたことでもアウトとされた上に、自己責任を押し付けられがちです。実は子供たちの裁量はないんです。子供の権利や個性はしっかりと認められていませんし、教育現場は権力者にとって都合の良い人材の供給源なんだという考え方が根強く残っています。教育とは、そんなものではなくて、一人一人の生きる力や夢をかなえる力を育むものなんです。でも、子供のうちから夢を持たなければいけないとは思いません。私は変わり者なので、10歳で「古里を優しい街に変えよう」という人生の目標を決めましたが、これは超少数派であることは自覚しています。ただ、変わり者の私も受け入れてくれる社会であってほしい。私がやってきた少数者のための政策は、実は自分のためでもあるんです。「一人ぐらいなら取り残してもいい」となれば、私は社会からはじかれてしまうし、足が不自由な私の弟も市側にそういう考え方があったので、地元の小学校に行くことを当初は許されなかったのです。いろいろ生き方があってよくて、「こうじゃなきゃいけない」というわけではありません。若い人は、志を持ってもいいですし、持てないことを悔やむことなんかないと思います。

田原「子育てでも親の考えを押し付けなかったのですか?」

「親子は身近な存在ながらも別人格なので、価値観を押し付けてはならないと思っています。おやじも「お前のしたいことをさせるのが夢だ」というのが口癖でした。私自身は、長女や長男とは3歳から中学に入るまで、毎朝5時半からの1時間は一緒に過ごすと決めていました。夜は仕事で出歩いていて接点を持てなかったからです。幼いころは一緒に積み木やドリルをやりました。もう一つは、長女と長男とそれぞれ一対一で春夏秋冬に日帰り旅行をしていました。「べき論」は避け、どんな思いで生きてきたかとか、妻とのなれそめや両親に対する思いなどを話しました。子供がどう感じたか、うまくいったかどうかもわかりません。」

田原「市長在任中、道路用地買収が進まないことに腹を立て、市職員に暴言を吐いて批判されたこともありましたね。我が子の反応は?」

「全国ニュースにもなって、家族には大変な思いをさせてしまいました。当時は、長女が中学生、長男が小学生でした。学校でもいろいろと話題になったそうです。私の出直し市長選挙を求める署名が市内で始まり、出馬するかどうかを悩みました。妻は「家族4人で決を採るから」と言って、2019年3月の出馬表明の前は、晩ご飯を食べた後に家族会議をやりました。「申し訳ないことをしてしまったけれど、署名までいただいて、もう一回、やり残したこともあるから市長に戻りたいのでお願いします」って言ったら、妻は「私は反対」って即答しました。かぶせるように長男が「クラスでいろいろ言われているけど、これで終わったら嫌だから、もう一度、市長になって、ちゃんとやってほしい」と。これで賛否は2対1になりました。長女は、しばらく間を置いて「私も学校でいろいろあるから、嫌な思いもある。でも、パパが出たい気持ちもわかるから白票」って言いました。賛成2、反対1、白票1になり、結局、妻が立候補を許してくれました。私の1票も、子供の1票も同じ重みです。私の根っこの部分には「大人も子供も対等だ」という考えがあります。

■人物略歴 泉房穂(いずみ・ふさほ)[前出]
1963(S38)年、兵庫県明石市生まれ。東大教育学部卒業後、NHKとテレビ朝日
でディレクター。2003年、民主党から衆院初当選。05年落選。11年から3期12
年、明石市長を務めた。弁護士、社会福祉士の資格を持つ。著書に「社会の変え方」、共
著に「政治はケンカだ!」など。

Sankoub
前号/泉房穂・前明石市長③田原総一朗Q「頑張れる環境の整備を、子供に投資・公的予算を3倍に」

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