少数派シリーズ/スポーツ
プロ選手のシーズン途中での引退表明は不純、1年フルに魅せ切ってから発表を
■1年間しっかり頑張りシーズンが終わってから表明するのが礼儀・礼節と思う
毎年、秋になるとプロ野球やサッカーを始め他のプロ・アマの監督や選手が、シーズンの終了間際に引退表明する。「悔いはない」「やり切った」と、涙ながらに記者会見する。投稿者は、繰り返されるこうしたシーンにかねてから疑問を持っている。チーム仲間の選手がまだ必死に頑張っているのに、この時期に引退発表するのは失礼ではないか・・・。最後のシーズンこそことさら精魂を尽くし燃え尽き、キッチリ終えてから発表して欲しい。長年見て来たが、途中での引退表明にはいくつかのパターンがある。①チーム上層部や関係者だけに意思を示していたが、周囲や記者に漏れやむなく発表に追い込まれる。②現役最後の年と踏ん切り、発奮の意味でシーズン前半時点に表明する。③経営者側が積極的に仕向ける。いずれのケースでも“見納め”の「集客拡大」が見込めることから、チームの経営者側は喜ぶ。中にはこともあろうか、シーズンが始まる前にその年に引退することを発表する監督・選手もいた。背水の陣で奮い立たせる効果を狙ったと思われる。しかしサラリーマン社会では、部長などの役職定年が間近になると、あれほど忠誠を誓っていた部下がどんどんと離れていく。選手も人の子で、辞める監督より次期候補のコーチになびき、チーム混乱の悲哀を聞く。逆効果の公算のほうが大と考える。
投稿者の考え方は、競技場・試合は言わば戦場なのだから、チームの士気、己の区切りとして、その1年間はしっかり頑張り、終わってから表明するのが礼儀・礼節と思う。現に、故・野村プロ野球監督やある投手は、「辞める監督・打者に向かって真剣勝負はできない」「どうしても邪念や無意識に手心が働く」「プロなんだから、最後まで敵対の関係で勝負すべき・したかった」と言っていた。極端なだらしない例が、古い話だが巨人の松井選手がメジャーリーグに移籍する年の公式戦・最終打席が3塁ファールフライだった。公式試合にも関わらず、相手野手はわざと落球する“演出”をした(その結果、松井選手は本塁打を打った)。ましてやプロ野球では公式戦にも関わらず、”○○選手引退試合”と銘打つことがある。いくらベテラン・実績のある選手でも、晩年は力が落ち2軍生活をしている。それがシーズンが終わる頃に、突如1軍に昇格させてセレモニー試合を飾る。どんなスポーツでも、「ガチンコ勝負」だから魅力を持つ。こんなことやっていたら、スポーツ界の値打ちが下がる。大相撲は、慣習で協会に引退届を出さなくても、メディアや外部に引退情報が流れた時点でもう土俵に上がれない仕組みになっている。厳しいと思われるが、対人競技なので致し方ない。巨人の長嶋選手が印象深い引退試合を行ったこの頃から、選手が事前に引退を表明する流れになった。
■スポンサーの思惑で選手に早めに引退表明させるのが主流、でもそれでいいのか?
シーズン途中での引退表明の裏には、スポンサーや受け入れ先の思惑があるようだ。(1)引退選手が、スポーツ界と縁がない新組織先や再就職先での融通と利便性をよくさせるため。つまり選手の第2の人生をスムーズに構築できるよう、受入組織先の役職への就任手続きなど準備期間が必要なことから、早めの引退発表を仕向ける。(2)突然引退すると、現行スポンサーが困る。(3)新規契約スポンサーが、間髪容れずにCM活動を進めるため。広告企画やCM撮りなど、CM制作の期間が必要とする。その他有名アマ選手も例外ではなく、スポンサーと密着している選手ほど早めに引退発表を余儀なくされている。投稿者は厳しい見方で、言わば商業主義に堕ちた行為と見放したい。一方で、こんな逆のケースもある。ある有名な水泳選手やスケート選手などの例で、選手生活のピークを越え何年もレースに出ていないのに引退せず、ネームバリューが高い「現役選手」の肩書でテレビCMに出続ける。残念ながら、昨今は段々とこうしたスポンサーとの癒着がまかり通ってしまっている。時代は変わり、若いファンは引退の“ショー化”を楽しむ風潮になってきた。引退グッズを買い、そして最後の試合は絶叫し涙を流す。企業の「商魂」戦術に、どっぷりはめられてしまっていることさえ気が付かない。
プロ選手のシーズン途中での引退表明は不純、1年フルに魅せ切ってから発表を
■1年間しっかり頑張りシーズンが終わってから表明するのが礼儀・礼節と思う
毎年、秋になるとプロ野球やサッカーを始め他のプロ・アマの監督や選手が、シーズンの終了間際に引退表明する。「悔いはない」「やり切った」と、涙ながらに記者会見する。投稿者は、繰り返されるこうしたシーンにかねてから疑問を持っている。チーム仲間の選手がまだ必死に頑張っているのに、この時期に引退発表するのは失礼ではないか・・・。最後のシーズンこそことさら精魂を尽くし燃え尽き、キッチリ終えてから発表して欲しい。長年見て来たが、途中での引退表明にはいくつかのパターンがある。①チーム上層部や関係者だけに意思を示していたが、周囲や記者に漏れやむなく発表に追い込まれる。②現役最後の年と踏ん切り、発奮の意味でシーズン前半時点に表明する。③経営者側が積極的に仕向ける。いずれのケースでも“見納め”の「集客拡大」が見込めることから、チームの経営者側は喜ぶ。中にはこともあろうか、シーズンが始まる前にその年に引退することを発表する監督・選手もいた。背水の陣で奮い立たせる効果を狙ったと思われる。しかしサラリーマン社会では、部長などの役職定年が間近になると、あれほど忠誠を誓っていた部下がどんどんと離れていく。選手も人の子で、辞める監督より次期候補のコーチになびき、チーム混乱の悲哀を聞く。逆効果の公算のほうが大と考える。
投稿者の考え方は、競技場・試合は言わば戦場なのだから、チームの士気、己の区切りとして、その1年間はしっかり頑張り、終わってから表明するのが礼儀・礼節と思う。現に、故・野村プロ野球監督やある投手は、「辞める監督・打者に向かって真剣勝負はできない」「どうしても邪念や無意識に手心が働く」「プロなんだから、最後まで敵対の関係で勝負すべき・したかった」と言っていた。極端なだらしない例が、古い話だが巨人の松井選手がメジャーリーグに移籍する年の公式戦・最終打席が3塁ファールフライだった。公式試合にも関わらず、相手野手はわざと落球する“演出”をした(その結果、松井選手は本塁打を打った)。ましてやプロ野球では公式戦にも関わらず、”○○選手引退試合”と銘打つことがある。いくらベテラン・実績のある選手でも、晩年は力が落ち2軍生活をしている。それがシーズンが終わる頃に、突如1軍に昇格させてセレモニー試合を飾る。どんなスポーツでも、「ガチンコ勝負」だから魅力を持つ。こんなことやっていたら、スポーツ界の値打ちが下がる。大相撲は、慣習で協会に引退届を出さなくても、メディアや外部に引退情報が流れた時点でもう土俵に上がれない仕組みになっている。厳しいと思われるが、対人競技なので致し方ない。巨人の長嶋選手が印象深い引退試合を行ったこの頃から、選手が事前に引退を表明する流れになった。
■スポンサーの思惑で選手に早めに引退表明させるのが主流、でもそれでいいのか?
シーズン途中での引退表明の裏には、スポンサーや受け入れ先の思惑があるようだ。(1)引退選手が、スポーツ界と縁がない新組織先や再就職先での融通と利便性をよくさせるため。つまり選手の第2の人生をスムーズに構築できるよう、受入組織先の役職への就任手続きなど準備期間が必要なことから、早めの引退発表を仕向ける。(2)突然引退すると、現行スポンサーが困る。(3)新規契約スポンサーが、間髪容れずにCM活動を進めるため。広告企画やCM撮りなど、CM制作の期間が必要とする。その他有名アマ選手も例外ではなく、スポンサーと密着している選手ほど早めに引退発表を余儀なくされている。投稿者は厳しい見方で、言わば商業主義に堕ちた行為と見放したい。一方で、こんな逆のケースもある。ある有名な水泳選手やスケート選手などの例で、選手生活のピークを越え何年もレースに出ていないのに引退せず、ネームバリューが高い「現役選手」の肩書でテレビCMに出続ける。残念ながら、昨今は段々とこうしたスポンサーとの癒着がまかり通ってしまっている。時代は変わり、若いファンは引退の“ショー化”を楽しむ風潮になってきた。引退グッズを買い、そして最後の試合は絶叫し涙を流す。企業の「商魂」戦術に、どっぷりはめられてしまっていることさえ気が付かない。