少数派シリーズ/社会の弱者・人権(赤旗だより)
地下鉄サリン事件浅川幸子さん死去・脳障害被害者25年間寝たきりで頑張ったが
地下鉄サリン事件25年にあたって記者会見する右から宇都宮弁護士、高橋さん、仮谷さん、中村弁護士
■1995年地下鉄サリン事件、犠牲者14人6000人超が重軽傷のテロ事件
まずは投稿者の文章/オウム真理教による地下鉄サリン事件の被害に遭い、サリン中毒による低酸素脳症で25年間、寝たきり状態が続いていた浅川幸子さんが、事件25年の直前3月10日に亡くなっていた(56歳)ことが、19日、兄の一雄さんが明らかにしました。3月20日は、事件発生から25年。1995年、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚・執行時63歳、の指示の下、元幹部5人が営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷、丸ノ内、千代田各線を走行中の電車内で猛毒サリンを散布し、13人が犠牲・6000人超が重軽傷を負い、国家転覆を狙ったオウム真理教の犯行の巻き添えになってしまいました。当時31歳だった幸子さんは25年後に亡くなり、犠牲者は14人になりました。
■事件は未だに終わっておらず = 癒えぬ悲しみ苦し 「悔しさ、悲しみは今も込み上げてくる」
被害者「身体・精神症状が悪化」 遺族「心細さ年とともに増す」
ここからはしんぶん赤旗を活用しております/地下鉄サリン事件から25年。被害者、遺族たちは、いまなお癒えない悲しみ、苦しみを抱えたままです。20日を前に行われた記者会見。「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさん(73)は、霞ケ関駅の助役だった夫の一正さん・当時(50)を亡くしました。「オウム真理教や後継団体からの謝罪や反省の気持ちを感じたことはいまだに無い。一人でいることが心細くなっていく。さびしさ、つらさも年とともに増してきた」。記者会見には公証役場拉致事件で死亡した仮谷清志さん・当時(68)の長男、実さん(60)も同席。「悔しさ、悲しみはいまもこみあげてくる。事件は終わっていない」と話しました。
「悲惨な事件の体験者は年数を経たからといって、心身の症状が軽減されるどころか、むしろ悪くなることがある」。サリン被害者の身体と精神状況について調査した松井豊・筑波大学名誉教授(社会心理学)はいいます。調査は事件から20年を前に2014年10月から12月に、地下鉄サリン事件被害者の会とオウム真理教犯罪被害者支援機構(理事長・宇都宮健児弁護士)の依頼で、松井さんら専門家のグループが行いました。被害者本人299人からの回答を集計した結果、8割前後の人が何らかの「目の異常」を、7割前後の人が「体のだるさ」 「疲れやすさ」を、6割前後の人が「めまい」 「頭痛」のほか、「恐怖感」 「緊張」といった精神的症状を訴えていました。事件2年後の調査と比べても、身体、目、精神のいずれの症状も悪化していました。
■兄語る「オウム真理教の国家転覆を図る巻き添えで妹は国の身代わりになった」
調査結果を詳細に分析してみて、松井さんはこう指摘します。「症状悪化は、年代別でみても同じ傾向だ。加齢によるものと説明がつかない。サリン被害者の方たちは、原爆被爆者の方たちと共通する晩発性障害がみられる。オウムの後継団体が活動していることも被害者の方たちの症状を悪くしている要因だ。長期にわたる身体、精神へのケアが必要だ」。地下鉄サリン事件はじめ、一連の事件の被害者はオウム真理教側に約38億2000万円の損害賠償を請求しました。オウムは1996年に破産。破産管財人は、資産を処分し約15億5000万円を配当しました。
残った債権は約22億7000万円。破産管財人からオウム真理教犯罪被害者支援機構に債権が譲渡されました。同機構は、オウム被害者救済法にもとづく国の給付金約8億3000万円と後継団体である「Aleph(アレフ)」などが支払った分を除く約10億5000万円の賠償金について「アレフ」などに支払うよう提訴。今年1月、東京高裁は、「アレフ」に10億2500万円の支払いを命じました。事件で仕事を続けられなくなり、経済的に困窮している被害者も少なくないといいます。同機構副理事長の中村裕二弁護士は「アレフなど後継団体には、賠償する十分な資産がある。一日も早く回収し、被害者・遺族に配当したい」と話しています。
しんぶん赤旗の記者は、2004年と05年に浅川幸子さんを取材してきました。重い脳障害のある幸子さんは、一雄さん夫妻の自宅で手厚い看護を受けてきました。05年当時、一雄さんらはオウムの恐怖に悩みながらも、実名公表を決断しました。「事件は明らかに国を狙ったテロ。妹は国の身代わり。置き去りにしないで」と訴えていました。2度目の取材の時、記者が挨拶をすると、車いすに座り食事をしていた幸子さんが「こぇ…。こぇ…」と声を絞り出しました。音に敏感な幸子さんは、1年前の記者の声を覚えていたのです。一雄さんの1998年10月24日の日記には、「妹は何も悪いことはせず、ましてや人に恨まれるような子ではない。優しい親孝行な子だ。ただ、電車に乗り、仕事に向かう途中、呼吸をしていただけなのだ。それをあんな目に遭わせて…」とやり場のない憤りが記されていました。
しんぶん赤旗の複製可能範囲内において、投稿者によって一部割愛や
それに伴う接続文章等の修正・タイトル付けを行いました。
投稿者からのひと言/虚しいと憤りを感じます。これは日本で起きた「テロ事件」なんです。25年前の1998年3月20日、極めて大きな事件になったので、当日の朝をハッキリ記憶しています。当時は現役だったので家からお得意先へ直行しようとした時、地下鉄は全面不通、私が乗ろうとしていたJRもダイヤが大混乱だった。幸子さんは亡くなってしまったが、まだ寝たきりの方や症状を悪化させている方も多数います。何の過ちもない多くの方が、症状が悪いために会社・職場から追われました。弁護士一家殺害、松本サリン事件など警察の初動捜査の遅れ・怠慢が、地下鉄サリン事件を起こしたと言われています。その他にも警察の失態も数知れず、明らかにされるのを嫌いました。そのため真相を究明することなくただただ裁判を終わらせたく、事実が分からないまま死刑囚の処断が完了されました。しかし重い後遺症を受けた方を置き去りに、事件を風化させてはなりません。なぜ未だに、麻原彰晃を崇拝する若者や組織が存在するのでしょうか?
地下鉄サリン事件浅川幸子さん死去・脳障害被害者25年間寝たきりで頑張ったが
地下鉄サリン事件25年にあたって記者会見する右から宇都宮弁護士、高橋さん、仮谷さん、中村弁護士
■1995年地下鉄サリン事件、犠牲者14人6000人超が重軽傷のテロ事件
まずは投稿者の文章/オウム真理教による地下鉄サリン事件の被害に遭い、サリン中毒による低酸素脳症で25年間、寝たきり状態が続いていた浅川幸子さんが、事件25年の直前3月10日に亡くなっていた(56歳)ことが、19日、兄の一雄さんが明らかにしました。3月20日は、事件発生から25年。1995年、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚・執行時63歳、の指示の下、元幹部5人が営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷、丸ノ内、千代田各線を走行中の電車内で猛毒サリンを散布し、13人が犠牲・6000人超が重軽傷を負い、国家転覆を狙ったオウム真理教の犯行の巻き添えになってしまいました。当時31歳だった幸子さんは25年後に亡くなり、犠牲者は14人になりました。
■事件は未だに終わっておらず = 癒えぬ悲しみ苦し 「悔しさ、悲しみは今も込み上げてくる」
被害者「身体・精神症状が悪化」 遺族「心細さ年とともに増す」
ここからはしんぶん赤旗を活用しております/地下鉄サリン事件から25年。被害者、遺族たちは、いまなお癒えない悲しみ、苦しみを抱えたままです。20日を前に行われた記者会見。「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさん(73)は、霞ケ関駅の助役だった夫の一正さん・当時(50)を亡くしました。「オウム真理教や後継団体からの謝罪や反省の気持ちを感じたことはいまだに無い。一人でいることが心細くなっていく。さびしさ、つらさも年とともに増してきた」。記者会見には公証役場拉致事件で死亡した仮谷清志さん・当時(68)の長男、実さん(60)も同席。「悔しさ、悲しみはいまもこみあげてくる。事件は終わっていない」と話しました。
「悲惨な事件の体験者は年数を経たからといって、心身の症状が軽減されるどころか、むしろ悪くなることがある」。サリン被害者の身体と精神状況について調査した松井豊・筑波大学名誉教授(社会心理学)はいいます。調査は事件から20年を前に2014年10月から12月に、地下鉄サリン事件被害者の会とオウム真理教犯罪被害者支援機構(理事長・宇都宮健児弁護士)の依頼で、松井さんら専門家のグループが行いました。被害者本人299人からの回答を集計した結果、8割前後の人が何らかの「目の異常」を、7割前後の人が「体のだるさ」 「疲れやすさ」を、6割前後の人が「めまい」 「頭痛」のほか、「恐怖感」 「緊張」といった精神的症状を訴えていました。事件2年後の調査と比べても、身体、目、精神のいずれの症状も悪化していました。
■兄語る「オウム真理教の国家転覆を図る巻き添えで妹は国の身代わりになった」
調査結果を詳細に分析してみて、松井さんはこう指摘します。「症状悪化は、年代別でみても同じ傾向だ。加齢によるものと説明がつかない。サリン被害者の方たちは、原爆被爆者の方たちと共通する晩発性障害がみられる。オウムの後継団体が活動していることも被害者の方たちの症状を悪くしている要因だ。長期にわたる身体、精神へのケアが必要だ」。地下鉄サリン事件はじめ、一連の事件の被害者はオウム真理教側に約38億2000万円の損害賠償を請求しました。オウムは1996年に破産。破産管財人は、資産を処分し約15億5000万円を配当しました。
残った債権は約22億7000万円。破産管財人からオウム真理教犯罪被害者支援機構に債権が譲渡されました。同機構は、オウム被害者救済法にもとづく国の給付金約8億3000万円と後継団体である「Aleph(アレフ)」などが支払った分を除く約10億5000万円の賠償金について「アレフ」などに支払うよう提訴。今年1月、東京高裁は、「アレフ」に10億2500万円の支払いを命じました。事件で仕事を続けられなくなり、経済的に困窮している被害者も少なくないといいます。同機構副理事長の中村裕二弁護士は「アレフなど後継団体には、賠償する十分な資産がある。一日も早く回収し、被害者・遺族に配当したい」と話しています。
しんぶん赤旗の記者は、2004年と05年に浅川幸子さんを取材してきました。重い脳障害のある幸子さんは、一雄さん夫妻の自宅で手厚い看護を受けてきました。05年当時、一雄さんらはオウムの恐怖に悩みながらも、実名公表を決断しました。「事件は明らかに国を狙ったテロ。妹は国の身代わり。置き去りにしないで」と訴えていました。2度目の取材の時、記者が挨拶をすると、車いすに座り食事をしていた幸子さんが「こぇ…。こぇ…」と声を絞り出しました。音に敏感な幸子さんは、1年前の記者の声を覚えていたのです。一雄さんの1998年10月24日の日記には、「妹は何も悪いことはせず、ましてや人に恨まれるような子ではない。優しい親孝行な子だ。ただ、電車に乗り、仕事に向かう途中、呼吸をしていただけなのだ。それをあんな目に遭わせて…」とやり場のない憤りが記されていました。
しんぶん赤旗の複製可能範囲内において、投稿者によって一部割愛や
それに伴う接続文章等の修正・タイトル付けを行いました。
投稿者からのひと言/虚しいと憤りを感じます。これは日本で起きた「テロ事件」なんです。25年前の1998年3月20日、極めて大きな事件になったので、当日の朝をハッキリ記憶しています。当時は現役だったので家からお得意先へ直行しようとした時、地下鉄は全面不通、私が乗ろうとしていたJRもダイヤが大混乱だった。幸子さんは亡くなってしまったが、まだ寝たきりの方や症状を悪化させている方も多数います。何の過ちもない多くの方が、症状が悪いために会社・職場から追われました。弁護士一家殺害、松本サリン事件など警察の初動捜査の遅れ・怠慢が、地下鉄サリン事件を起こしたと言われています。その他にも警察の失態も数知れず、明らかにされるのを嫌いました。そのため真相を究明することなくただただ裁判を終わらせたく、事実が分からないまま死刑囚の処断が完了されました。しかし重い後遺症を受けた方を置き去りに、事件を風化させてはなりません。なぜ未だに、麻原彰晃を崇拝する若者や組織が存在するのでしょうか?