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学ぶ沖縄戦10・集団自決はなぜ起きた?「敵の捕虜になるのは恥」と日本軍が沖縄県民に強制/少数派

2022年06月17日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第10回 
集団自決はなぜ起きた?「敵の捕虜になるのは恥」と日本軍が沖縄県民に強制
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

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集団自決で83人が亡くなったチビチリガマ=撮影・沖縄県読谷村で2017年9月16日午前9時半

Q.住民が互いを手にかけ合った「集団自決」、沖縄戦でなぜそんな悲劇が生まれたのか?
A.:沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島や、沖縄本島中部の読谷(よみたん)村、本島南部の糸満(いとまん)市など各地で住民の集団自決が起きました。森や自然洞窟(ガマ)などで、家族らが身を寄せ合って手投げ弾を爆発させたり、鎌やカミソリで互いを手にかけ合ったりして命を絶ちました。県史によると、集団自決の犠牲者は慶良間諸島の座間味(ざまみ)島で177人、慶留間(げるま)島で53人、渡嘉敷(とかしき)島で約330人とされています。犠牲者の中には幼い子供も多くいました。

「生きて敵の捕虜になるのは恥だ」という日本軍の考えが住民にも浸透していたうえ、「捕虜になれば、男は戦車でひき殺され、女は辱めを受けて殺される」と米軍への恐怖心が植え付けられていたことなどが背景として指摘されています。こうしたことから「強制集団死」という言葉も使われます。一方、日本軍がいなかった島では集団自決は起きませんでした。また、読谷村のチビチリガマでは83人が集団自決で亡くなりましたが、約1キロ離れた同じ村内のシムクガマでは、ハワイへの移民経験があった住民が投降を促し、約1000人の命が助かりました。

2021年、毎日新聞が同タイトルで10回の連載を掲載したものです。
戦後77年など時間的な表現は、一部変えております。


■復帰50年(2002-11年)毎日新聞
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投稿者からのひと言/既号で書いたように、旧日本軍は民間人を守るどころか自決を迫り、自分達はさっさと逃げ出したのだ。終戦間際、何万・何十万人もの中国・満州の日本人の民間人を置き去りに、いち早く逃げた軍の構図と全く同じだ。日頃、日本軍は武士道精神を唱えていたが、こんなものは偽物だった。米軍はガマに潜む日本人に対し降伏を促したが、出てこないと見るや手榴(しゅりゅう)弾を投げ込んだり、火炎放射器をガマに向かって放ったのだ。いつの時代も戦争はむごいが、若い頃、TV映像で衝撃を受けた。沖縄戦は軍と民間人が、同じ日本人同士でありながら敵対関係にあったとさえ言える。

Sankoub
次号/11・10代の男女学生2000人が動員、戦闘や砲弾が飛び交う中の医療作業で半数が犠牲
前号/9・司令官自決前に「最後まで戦え」、6月23日命を絶ったことで日本軍の組織的戦闘終結

Akahatatop

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