月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

『パントマイムの歴史を巡る旅』第19回(ヨネヤマ・ママコさん(1))

2014-04-10 01:09:54 | スペシャルインタビュー
今からちょうど60年前。1人の女性の作品から日本でパントマイムの歴史が始まった。ヨネヤマ・ママコさんの「雪の夜に猫を捨てる」。この作品の誕生をきっかけに、日本でパントマイムが芽吹き、幾年もの時を経て大樹へと成長していく──。パントマイムの草創期から活躍し、今なお輝き続けるヨネヤマ・ママコさんに、様々な困難を乗り越えたその熱い活動や作品作りについて語って頂いた。
※インタビューは何十年も昔のことも触れているため、100%正確でない可能性があります。ご了承ください。

■ヨネヤマ・ママコ氏 プロフィール
1935年 山梨県身延町に生まれる。幼少より石井漠門下であった父よりバレエの基本を教わる。
1953年 東京教育大学体育学部に入学。江口隆哉モダンダンス門下に入る。
1954年 処女作「雪の夜に猫を捨てる」を発表、ダンスマイムとして激賞される。
1958年 NHKテレビ「私はパック」のパック役でデビュー。
1960年 渡米。カリフォルニア大学、ACT劇団などでマイムを教えながら、基本メソッドを築く。
1972年 帰国し、ママコ・ザ・マイムスタジオを設立。舞台活動ともに後進を育成する。
1992年 渡仏し、パリ郊外フォンテンブローの森近くにアトリエを兼ねた居を構え、新しい研究・創作活動を開始。
同年 葦原英了賞を受賞。
1993年 帰国し、日本での活動を再開。
現在も舞台活動を精力的に継続中。2014年6月には「東京マイムフェス2014」に出演予定。

佐々木 まず、処女作の「雪の日に猫を捨てる」についてお聞きしたいのですが、この作品が生まれたのは、マルセル・マルソーの舞台を観たことがきっかけですよね。
ママコ ええ、マルソーの公演に触発されて、何とかマイムの作品を作りました。でも、身体がダンスしか知らないものですから、なかなかマイムに行かなかったです。
佐々木 この作品は、全部お一人でお作りになったのですか。
ママコ はい。時々アイデアに困って、何人かの友達に、「これ大丈夫かな」とか聞いたりして作りました。これは一番初めの創作ですから苦心しました。
佐々木 作品のどの部分に特に苦労したのでしょうか。
ママコ 一番苦労したのは、ストーリーの部分ですね。
佐々木 どういうストーリーでしょうか。
ママコ 元々の出発点が詩的なものというか、ポエムですね。真っ白い雪の夜に真っ白い猫を捨てに女の子が彷徨っているという姿を想像しました。素敵じゃないですか。女の子が、雪の中を滑ったり、転んだりしながら、猫を捨てる場所を探すのですが、隣の家の人ににらまれたり、捨てる場所が悪かったりして、色々と探すうちに雪の美しさに見惚れて踊るところがあったりして、それで、猫にちょっと噛まれることをきっかけとして、ようやく捨てて、一生懸命逃げたら、足元に猫がくっついて来ている。しばらくして、女の子が猫に気付いた時に、お客様がちょっと喜びました。
佐々木 すごい。
ママコ 舞台で一番作りたかったのは、詩情や詩的な世界です。その頃が、一番感性がしっかりしていたんですね。この作品の、捨てたと思った猫が最後に足元にくっついて来ているという展開がとても好評で、マネする人がたくさんいましたね。
佐々木 この作品は、大学生の時に作ったそうですが、創作の時のエピソードをお聞かせください。
ママコ 大学の1年か2年生で、グラウンドや校庭の片隅の小さなスタジオで創作していましたが、夜は大学の門が閉まってますから、門衛さんの助けを借りて、大学の門をよじ登って入って、そこで振付けていました。
佐々木 門衛さんって。
ママコ 門衛さんって、大学の門番ですね。
佐々木 ああ、門番(笑)。
ママコ 夜は、男の恰好をしていないと危ないから、男の恰好をしていたのですが、私が歩くと、近くにいる女の人が逃げてしまいました。当時から一人でいることにすごく強くて、だから困るんです。一人でいることが好きだったから、人生が非常に大変だったのです。

佐々木 この作品は、どこで上演されたのですか?
ママコ 青山の日本青年館です。当時の日本青年館は、舞台公演を頻繁に上演していました。その当時から、モダンダンス(現代舞踊)は、非常に作品発表が多くて、現代舞踊協会という団体が中心に今でも盛んに活動しています。私は、当時、モダンダンスを習っていて、モダンダンスの公演の中でこの作品を上演しました。

佐々木 その当時の観客は、勿論、パントマイムを観たことがなかったのですが、どんな印象を受けたのでしょうか。
ママコ 渋谷のジャンジャンが当時は小劇場運動の先駆けとして活気がありました。アメリカから帰国してそこ(ジャンジャン)で演じた時、お客さんは、笑わないで、しーんと(黙って)観ているんですよ。二幕目になってから、お客さんは、笑っていいんだなと思って笑い始めました。吉本興業は、まだ当時は東京に進出していなくて、お客さんは、まだ笑いに対して目を覚ましていなかったのです。ですから、私は「しまった、二幕目からやれば良かった」と思いましたが、一幕目が終わって、15分の休憩でお客さんが嬉しそうにしゃべっているんです。二幕目になると、私の一挙手一投足で笑うんです。まるで、こっちが教育しているみたいでした(笑)。
佐々木 観客は、初めは何かなと思って観てたんですね。
ママコ 話が戻りますが、『雪の夜』の公演が終わったら、突然サンケイホールに呼ばれて、産経新聞の新聞記者にインタビューを受けたのです。私は、大変緊張して、自分は今、どんな格好して話しているのだろうと思ったら、良く考えたら、学生服で来ていたじゃないですか。そんなような困り方で、色々聞かれたら、翌日の新聞に掲載されたのです。この作品は2、3回上演しましたが、専門家の間で評判になりました。作曲家の今井重幸さんがこの作品の作曲をして、雪をイメージしてファゴット(木管楽器)の音を入れて下さり、本当に雪が降っているように聞こえました。
佐々木 この舞台をきっかけに、パントマイミストになろうと思われたのですか。
ママコ いえ、あまりにも難しくてね。それでなろうと思ってなかったです。何かやりたいとは思っていましたけど。
(つづく)


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アーティストリレー日記(39)きうすけさん

2014-04-10 00:53:57 | アーティストリレー日記
今号では、コーポラルマイムや仮面を使った作品などアート系のパントマイム作品を上演する、きうすけさんの日記をお届けします♪

こんにちは。

6月10日からの東京マイムフェス2014、Aプロで皆さんにお目にかかります。きうすけです。名前を聞いたこともないとおっしゃる方が多数おいでのことと思いますので、自己紹介からにいたします。

まだ渋谷と沖縄にジャンジャン小劇場があった頃、マイムトループ気球座に所属していたヤフソユウコウ氏が沖縄に帰郷し活動を始めました。それから1年後、汎マイム工房を離れて花城とーる氏が帰郷いたしました。私はヤフソ氏に弟子入り、その後、ヤフソ氏の沖縄マイム研究所で出会った花城氏と獏々団を結成し沖縄で活動しておりました。健康上の理由から本土に戻り療養後、清水きよし氏に師事し復活を試みて今があります。初めてのソロ公演で、マイム一人芝居の明日可さんから紹介していただいた藍木二朗氏との出会いで、私のマイム感覚の何かが啓きました。ゆうぎ亭ふちを氏の創作面とのコラボは私の一生涯のテーマです。


最近のこと…

年明け、青梅での新年会で「今年はやるぞー!」と宣言したにも関わらず身体のコンディションは下がりっぱなし…それに歯痛の追い討ちで歯医者通い。児童館、市の後援イベント、そして児童館と、身体に発破をかけて凌いだけれど心配になり、ギリギリセーフの3月31日に市の特定健診を受けて来ました。

当日は朝食抜きで受付へ。まず問診表を記入して次は身体測定。

身長168cm、「2cm縮んでいる」と看護師さんに言うと「私が測ると皆さんそうおっしゃいます」との返事。(どういうこっちゃ!)
体重59.9kg(約60kgは2kg増)
ウエスト73cm(ベストから1cm増)
「身長が縮んで体重ウエストが増えるのはメタボの予兆でしょうか?」などと話しながら血圧を計る。「あっ話をしながら血圧を計って大丈夫ですか?」と心配になって聞くと「興奮していなければ大丈夫です」との返事。(私が?あなたに?挑発的な看護師さんです)
血圧128~87(お~やっぱりこんなんでました)

身体測定が終わると、採尿、採血、胸部レントゲン、院長先生の問診で終了。結果は10日後。心電図もやって欲しかったなと思いつつ病院を後にしました。結果が気になります。

年に一度の健康診断は必要ですね。皆さんにもお勧めします。


マイム以外ではまっていること…

トポロジーとノーテーションにはまっています。

トポロジーは位相幾何学のことですが、トトロやトッポジージョ(昭和時代のネズミのキャラ)に語感が似ていて私は好きです。
幾何学にはまっているといっても図形に補助線を引いて数式を解いて嬉々としている訳ではありません。方程式は苦手です。

トポロジーにはまっている訳はその考え方、発想法です。

エッシャーの階段、メビウスの輪、鏡は左右反転するのになぜ上下反転しないのか、4次元のこと、などを興味深く説明してくれます。

トポロジーの原点は「伸ばしたり、縮めたり、曲げたり、ゆがめたりして重ねられるものは同じもの」とする発想です。ボール(球)とサイコロ(立方体)も同じものになります。少し難しくいうと「量を捨象して質に注目」することなのだそうです。

ノーテーションは舞踊記譜法です。舞踊の振り付けを記録するために考えられた音楽の楽譜のようなものです。私がはまっているのはラバノーテーションという記譜法です。

ノーテーションをトポロジーの発想法で見てみると面白いのです。

野口体操の野口三千三さんは「人の身体は皮袋に液体が入っているようなもの」と言っていたそうで、まさにトポロジー的発想です。

口とか鼻とかの穴を無視するならば(本当はその穴が大切なのですが…)、人の形はボールと同じになります。クレイ・アニメの世界にありそうですね。

トポロジー的にボールの動きを考えていくことが、人(ひと)形(がた)の動きを考える基本になります。

床の上に人というボールが置かれています。床が水平であればボールは静止したままです。

ボールが動くには外からの力が必要です。タンポポの種が風に吹かれて飛ぶように、川底の石が水に流されて転がるようにです。

生物と無生物とも共通な動きの原点は他力による移動ということになります。

静止して床にくっついているのは重力という他力があるからで、移動は重心が別の場所に移る軌跡です。

地球上にいる限り重力からは逃げられないので、いつも他力によって動かされ静止させられていることになります。

自力で重心を移して動くには安定しているバランスを崩すことが必要になります。

ここで再びトポロジーの発想法です。

ボールの形を「伸ばしたり、縮めたり、曲げたり、ゆがめたり」するのです。

変形することは動きです。

人の身振り手振りはすべて変形の動きになります。

変形して重心のバランスをずらして移動するには、ミミズのように全身を伸び縮みさせたり、人間だったら足を曲げ伸ばしして移動します。

ボールでイメージしやすい動きがまだあります。

ボールの移動といえば、変形する弾む、変形しない転がる。変形しない移動もうひとつの滑る。そして移動せず変形しない動き、回転です。

移動と回転、変形が動きの基本になります。(変形の基本は伸びると縮むです)

ノーテーションはこれに程度、方向、時間、体の部分などを指定して、記号で楽譜のように動きを記録していきます。

動きの記録としては映像やモーションキャプチャーが便利ですが、動きの質や意味を選択したり吟味するにはノーテーションにすると分かりやすくなります。

例えば上半身を反らす動き。外見は同じに見えても、背中を縮めて反るのか、胸腹を伸ばして反るのか、(厳密に言えば両方のバランスですが)で動きの質と意味が変わります。

ユニゾンで動くとき、なぜ印象が揃わないのだろう、なぜ体への負担が大きくなるのだろう、と感じたときはノーテーションにしてみると解決するかも知れません。

呼吸も大切です。

大切なことがもうひとつ…

気分やイメージで無意識のうちに変形し移動してしまうのが人の身体です。

こんなことを考えながら街を歩くのが好きです。


長文におつき合いいただき、ありがとうございました。

東京マイムフェス、よろしくお願いいたします。


きうすけ
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