(インタビューの第4回は、日本マイム研究所の活動の話の続きです)
編集部 海外公演に行かれることもあるのでしょうか。
佐々木博康(以下、佐々木) 海外では、フランス、ドイツ、イタリア、ギリシャ、ルーマニア、韓国など8ヵ国以上で公演を開催しました。最後に行ったのは、5、6年前で、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、フランスの4ヵ国をまわりました。
編集部 海外公演は、向こうから招待されて行くことが多いのでしょうか。
佐々木 大体は日本で交渉と言いますか、公演の企画を先方に打診すると、返事が来る場合もあるし、フェスティバルに申し込みをして行くケースもあります。公演の費用は、団体などからの補助もありますが、全額は出ません。最初は自腹で行っていました。僕は、あまり人からお金を頂いて行くのは好きではないですが、貧乏だから仕方ない(笑)。
編集部 お金の面も大変ですし、海外公演には様々な苦労がありますよね。
佐々木 でも、やっぱり色々な国に行くと良いです。特に、ポーランドやハンガリー、東ドイツ、ギリシャが良いですね。観る人が真剣で、ずっと集中して観ています。ポーランドのある劇場で公演した際は、チケットが前日に完売で、公演の最後に観客全員が立ちあがって、終わっても1時間も2時間も帰らないのです。残った観客と一緒に記念写真を撮りました。
編集部 (その時の写真を見て)お客さんとですか。すごいですね。
佐々木 ポーランドの大使館のご夫妻も来てくれて。芝居と違って、音としてセリフを聞くわけではないから、親近感が湧くのですね。
編集部 海外の著名なアーティストとの交流もあるのでしょうか。
佐々木 僕らが海外公演やった時は、向こうで活躍している方が大体来てくれます。海外に行くと、色々な交流がありますね。
編集部 マルセル・マルソーさんとは、何度もお会いしたのですか。
佐々木 そうです。新橋に稽古場があった頃には、稽古場に見学に来てくれました。マルソーが何度目かに来日した時に、公演を開催する際に、ビートたけしの「誰でもピカソ」というテレビ番組のディレクターが来て、マルソーにこんな事をやって欲しいと相談があったのですが、「そんなことは失礼だよ」と僕が言うと、僕も一緒にテレビに出演することになりました。その番組では、エスカレーターなどのマイムをやったら、僕の方がウケました。後日、マルソーの記者会見があって、僕が呼ばれて、「こちらが日本を代表するマイムアーティストのムッシュ佐々木」と記者の方々に紹介してくれました。彼は非常に親切でした。
編集部 現在、国内では、どういった公演活動をされていますか。
佐々木 今は、3ヵ月に1回程度アトリエ公演があります。また、毎年7月には、江戸東京博物館のホールで、大きな公演を上演しています。昨年は、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を上演しました。僕は3日前に肋骨を折って出演できなくなりましたが、26年所属している女性の研修生が代役を果たしてくれました。その作品には10人くらいが出演しました。その他には、時々、朗読の方や横笛・ピアノ・琵琶・フルート・ギター等の演奏家の方とジャンルを越えて共演することもあります。アトリエの舞台の方が、ファミリーな感じで公演よりも結構面白いという人もいますね。
編集部 佐々木先生は、ソロ公演はいつ上演しているのですか。
佐々木 マイム歴の節目の40周年、50周年と55周年にソロで上演しました。僕の場合は、40年で初めてのソロリサイタルです。確かに1人で演じている方が生活は楽かもしれませんが、もう47、48年間教えていて、若者に夢を持たせて育てるのがすごく好きです。自分より育てることの方が好きですね。
編集部 長年のご活動の中で非常に大変な時期もありましたか。
佐々木 公演は、いつも幕が上がるまで大変です。古い生徒が多いと良い作品を作りやすいですが、生徒は、いつか去って行きますので、そうなると、また一から教えていかないといけません。いつも新しい人が多いと苦労が多いですね。
編集部 サイクルがあるという感じですか。
佐々木 そうですね。大勢来る時もあれば、少ない時もあるし。昼の部が多くなったり、夜の部が多くなったりしますね。
編集部 クラスについてお聞きしますが、研究所の生徒は何名くらいいらっしゃるでしょうか。
佐々木 今はあんまり多くないです。通常は20名くらいいても、9割以上の人が芝居もやっていますので、芝居が入ると、同じ時期にいなくなってしまいます。レッスンによっては、ごく少数の時もあります。生徒の中には、小学校1年から来ている子がいて、今、中学生1年で6年間やっています。彼女はマイム一筋です。
編集部 小学校からマイム一筋ってスゴイですね。
佐々木 平均すると、3年程度で辞める人が多いです。一番古い生徒は26年目になります。
編集部 レッスンは週何回くらいあるのでしょうか。
佐々木 日曜を除いて毎日あります。週3回・週2回・週1回参加と色々な人がいます。
編集部 代表的な生徒さんを改めて何人かご紹介頂けないでしょうか。
佐々木 三橋郁夫、清水きよし、吉田洋、並木孝雄、ヘルシー松田、パープル、仙波佳子、勅使河原三郎、松元ヒロ、雪竹太郎、中村ゆうじ、はせがわ天晴、石黒サンペイ、「水と油」の高橋淳(じゅんじゅん)、小野寺修二、藤田桃子、すがぽん、ふくろこうじ、「CAVA」、中川善悦、まあさ。他にもいっぱいいますが、知らないでしょ。
編集部 本当にそうそうたる方たちばかりですね。そういう中で、一番佐々木先生の教えを受け継いでいる方はどなたですか。
佐々木 いません。
編集部 いないのですか。
佐々木 別の意味で、面白いのは、「水と油」の小野寺です。彼の作品は、コミカルでシュール。シュールでないとダメだよと思っていたら、そういうのをやっているよね。今僕がやっているのは、小野寺君がいた昔と違って、もっと自分の世界に入ってきています。20年、30年舞台に立つと作風が変わってきて、最初の頃は、自然との関わりは考えていませんでした。今は、人間同士の交流や、宇宙的な規模の世界、空間の意識とかそういうテーマで作品を作っています。僕が育てたいと思っても、僕が理想とするタイプはなかなか来ません。来ても3年程度で辞めてしまうので、もう少し育てたい。
編集部 3年ですとね。
佐々木 そう。10年やってもそんなに上手くなりませんから。役者でも10年で上手い人は聞いたことがありません。やっぱり、20年から30年で少し格好が付くという程度です。第一、テレビドラマを観ても上手いと思うのは、50歳以上の俳優です。上手い俳優は、1行のセリフを言っても、今までずっと経験していたことが表現できます。僕は、身体を少し動かすことや、立っているだけで、そういうものを表現できるようになりたい。そこが究極の表現だと思っています。究極と言っても、究極に近いものをめざしているというだけです。完成なんて人間100年やってもできない。
編集部 それに近づいていくためには、何をすれば良いのでしょうか。
佐々木 マイムが好きで好きで、稽古しかないでしょ。
編集部 稽古しかないですか。
(つづく)
編集部 海外公演に行かれることもあるのでしょうか。
佐々木博康(以下、佐々木) 海外では、フランス、ドイツ、イタリア、ギリシャ、ルーマニア、韓国など8ヵ国以上で公演を開催しました。最後に行ったのは、5、6年前で、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、フランスの4ヵ国をまわりました。
編集部 海外公演は、向こうから招待されて行くことが多いのでしょうか。
佐々木 大体は日本で交渉と言いますか、公演の企画を先方に打診すると、返事が来る場合もあるし、フェスティバルに申し込みをして行くケースもあります。公演の費用は、団体などからの補助もありますが、全額は出ません。最初は自腹で行っていました。僕は、あまり人からお金を頂いて行くのは好きではないですが、貧乏だから仕方ない(笑)。
編集部 お金の面も大変ですし、海外公演には様々な苦労がありますよね。
佐々木 でも、やっぱり色々な国に行くと良いです。特に、ポーランドやハンガリー、東ドイツ、ギリシャが良いですね。観る人が真剣で、ずっと集中して観ています。ポーランドのある劇場で公演した際は、チケットが前日に完売で、公演の最後に観客全員が立ちあがって、終わっても1時間も2時間も帰らないのです。残った観客と一緒に記念写真を撮りました。
編集部 (その時の写真を見て)お客さんとですか。すごいですね。
佐々木 ポーランドの大使館のご夫妻も来てくれて。芝居と違って、音としてセリフを聞くわけではないから、親近感が湧くのですね。
編集部 海外の著名なアーティストとの交流もあるのでしょうか。
佐々木 僕らが海外公演やった時は、向こうで活躍している方が大体来てくれます。海外に行くと、色々な交流がありますね。
編集部 マルセル・マルソーさんとは、何度もお会いしたのですか。
佐々木 そうです。新橋に稽古場があった頃には、稽古場に見学に来てくれました。マルソーが何度目かに来日した時に、公演を開催する際に、ビートたけしの「誰でもピカソ」というテレビ番組のディレクターが来て、マルソーにこんな事をやって欲しいと相談があったのですが、「そんなことは失礼だよ」と僕が言うと、僕も一緒にテレビに出演することになりました。その番組では、エスカレーターなどのマイムをやったら、僕の方がウケました。後日、マルソーの記者会見があって、僕が呼ばれて、「こちらが日本を代表するマイムアーティストのムッシュ佐々木」と記者の方々に紹介してくれました。彼は非常に親切でした。
編集部 現在、国内では、どういった公演活動をされていますか。
佐々木 今は、3ヵ月に1回程度アトリエ公演があります。また、毎年7月には、江戸東京博物館のホールで、大きな公演を上演しています。昨年は、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を上演しました。僕は3日前に肋骨を折って出演できなくなりましたが、26年所属している女性の研修生が代役を果たしてくれました。その作品には10人くらいが出演しました。その他には、時々、朗読の方や横笛・ピアノ・琵琶・フルート・ギター等の演奏家の方とジャンルを越えて共演することもあります。アトリエの舞台の方が、ファミリーな感じで公演よりも結構面白いという人もいますね。
編集部 佐々木先生は、ソロ公演はいつ上演しているのですか。
佐々木 マイム歴の節目の40周年、50周年と55周年にソロで上演しました。僕の場合は、40年で初めてのソロリサイタルです。確かに1人で演じている方が生活は楽かもしれませんが、もう47、48年間教えていて、若者に夢を持たせて育てるのがすごく好きです。自分より育てることの方が好きですね。
編集部 長年のご活動の中で非常に大変な時期もありましたか。
佐々木 公演は、いつも幕が上がるまで大変です。古い生徒が多いと良い作品を作りやすいですが、生徒は、いつか去って行きますので、そうなると、また一から教えていかないといけません。いつも新しい人が多いと苦労が多いですね。
編集部 サイクルがあるという感じですか。
佐々木 そうですね。大勢来る時もあれば、少ない時もあるし。昼の部が多くなったり、夜の部が多くなったりしますね。
編集部 クラスについてお聞きしますが、研究所の生徒は何名くらいいらっしゃるでしょうか。
佐々木 今はあんまり多くないです。通常は20名くらいいても、9割以上の人が芝居もやっていますので、芝居が入ると、同じ時期にいなくなってしまいます。レッスンによっては、ごく少数の時もあります。生徒の中には、小学校1年から来ている子がいて、今、中学生1年で6年間やっています。彼女はマイム一筋です。
編集部 小学校からマイム一筋ってスゴイですね。
佐々木 平均すると、3年程度で辞める人が多いです。一番古い生徒は26年目になります。
編集部 レッスンは週何回くらいあるのでしょうか。
佐々木 日曜を除いて毎日あります。週3回・週2回・週1回参加と色々な人がいます。
編集部 代表的な生徒さんを改めて何人かご紹介頂けないでしょうか。
佐々木 三橋郁夫、清水きよし、吉田洋、並木孝雄、ヘルシー松田、パープル、仙波佳子、勅使河原三郎、松元ヒロ、雪竹太郎、中村ゆうじ、はせがわ天晴、石黒サンペイ、「水と油」の高橋淳(じゅんじゅん)、小野寺修二、藤田桃子、すがぽん、ふくろこうじ、「CAVA」、中川善悦、まあさ。他にもいっぱいいますが、知らないでしょ。
編集部 本当にそうそうたる方たちばかりですね。そういう中で、一番佐々木先生の教えを受け継いでいる方はどなたですか。
佐々木 いません。
編集部 いないのですか。
佐々木 別の意味で、面白いのは、「水と油」の小野寺です。彼の作品は、コミカルでシュール。シュールでないとダメだよと思っていたら、そういうのをやっているよね。今僕がやっているのは、小野寺君がいた昔と違って、もっと自分の世界に入ってきています。20年、30年舞台に立つと作風が変わってきて、最初の頃は、自然との関わりは考えていませんでした。今は、人間同士の交流や、宇宙的な規模の世界、空間の意識とかそういうテーマで作品を作っています。僕が育てたいと思っても、僕が理想とするタイプはなかなか来ません。来ても3年程度で辞めてしまうので、もう少し育てたい。
編集部 3年ですとね。
佐々木 そう。10年やってもそんなに上手くなりませんから。役者でも10年で上手い人は聞いたことがありません。やっぱり、20年から30年で少し格好が付くという程度です。第一、テレビドラマを観ても上手いと思うのは、50歳以上の俳優です。上手い俳優は、1行のセリフを言っても、今までずっと経験していたことが表現できます。僕は、身体を少し動かすことや、立っているだけで、そういうものを表現できるようになりたい。そこが究極の表現だと思っています。究極と言っても、究極に近いものをめざしているというだけです。完成なんて人間100年やってもできない。
編集部 それに近づいていくためには、何をすれば良いのでしょうか。
佐々木 マイムが好きで好きで、稽古しかないでしょ。
編集部 稽古しかないですか。
(つづく)